後継者
いつもは舞踏場で昼食を摂るイーリャも、今日は午後のために一度家に帰ることにしていた。同じように、珍しく家で昼食にした両親と一緒に家族団欒を楽しんだ後、もう一度身を清めてから大長老の家へと向かう。今朝、両親から贈られた誕生日プレゼントの服を身に着けて。
上に外套を羽織るから街の人達には見てもらえないけれど、それは仕方がない。
大長老の家は、街の中央の神殿のすぐ近くにある。舞踏場に行くよりも近い。扉の前に立って軽く叩くと、待つほどもなく内側から開かれた。顔を見せたのは大長老の側付きの一人、セレアだった。
「イーリャね。大長老様も待っているわ。さあ、どうぞ、入って」
促されて、扉の内に入る。扉が閉まると、外の光はまったく入ってこなくなった。灯りは、天井に設置された照明だけ。イーリャの部屋のように、この家には窓がない。
外套を脱いで上着掛けに掛け、フェイスヴェールと色眼鏡も取って、棚に置いた。
「あら。素敵な服ね」
セレアがイーリャの服に気付いた。
「えへ。新しいの。お父さんとお母さんからの誕生日プレゼントだよ」
イーリャは照れながらも得意そうに、セレアの前で右脚を軸にして身体を一回転して見せた。服の袖と裾、それにイーリャの軽くウェーブのかかったプラチナブロンドの髪がフワッと広がる。照明の光を反射して、服と髪がきらきらと煌く。
「うふ。イーリャの髪とお揃いになってて、本当に素敵ね。あ、そうそう、これは先に言わなくちゃいけなかったわね。お誕生日、おめでとう」
「うん、ありがとう」
それからロングブーツを脱いで、セレアの用意してくれた柔らかい布のサンダルに履き替え、奥へと入る。
「大長老様、イーリャが参りました」
先導したセレアが広間の手前で触れを告げると、薄いカーテンを広げてイーリャを手招いた。促されるままに中に進む。中央に低いテーブルの置かれた広間の中、つい先ほど起き上がったらしい大長老がテーブルの向こうに胡座をかいていた。
もう一人の側付きのユリテーナが、白い大判の肩掛けを大長老に掛けている。
「イーリャ、よく来たね。ま、座りなさい」
「はい。失礼いたします」
イーリャは一礼するとテーブルの手前まで進んで、床に敷かれた絨毯の上に、大長老と向かい合う位置で胡座をかいた。
いつの間にか姿の見えなくなっていたセレアが、盆にグラスを二つ載せて戻ってきた。それを大長老とイーリャの前に置いてから、大長老の後ろにユリテーナと共に控える。
「誕生日おめでとう。最近はどうだね。舞の稽古は毎日続けておるかね」
「ありがとうございます。はい。今日もお昼前は舞ってきました」
「結構結構。儂の耳に届いている話では、上達振りもなかなかだとか」
「いえ、あたしなんて、まだまだです。あ、でも今日はセクスリーと非公式の手合いをして、勝ってきました」
心持ち得意げに語るイーリャ。
「ほう。セクスリーといえば、今年の初めあたりに武闘の師範代になったのではなかったかな」
「はい、そうです」
「それを打ち負かすとは、なかなかのものだ。……そう言えば、何年か前にもセクスリーを負かしておらなんだか?」
老いても、記憶力はしっかりしているようだ。
「はい、二年前くらいに。でも今日は、前の時ほど簡単ではありませんでしたけれど」
「師範代ともなれば、以前のような負け方はできまいて」
大長老は声をたてて笑う。
「あ、そうそう、セクスリーと、それからカナテも、大長老様によろしくお伝えするように言っていました」
「ふむ、そうか、カナテも一緒だったか。相変わらず、仲は良いようじゃの」
「ええ、もちろん」
大長老はまた笑い声を上げると、会話を切って、イーリャに負けず劣らずの白い手でテーブルの上のグラスを手に取り、中身を一口喉に流し込んだ。ゆっくりとそれを元の位置に戻す。それから、イーリャと同じ紅い瞳を向けて話し始めた。
「いつまでも雑談をしているわけにもいかんな。今日、お前を呼んだ用件に入るとするか。しかし、儂がくたばる前にこの日を迎えられて、本当によかったよ。これでやっと、肩の荷を下ろせる」
イーリャは思わず、『そんなこと言わずに、まだまだ長生きしてください』と口走りそうになったが、辛うじて堪えた。ほとんどの人は七十歳を迎えずに他界していくなかで、八十歳近く(確か、今年七十九歳のはず)になる大長老は、いつ逝ってもおかしくない。
そんな人に『まだまだ長生きを』などという言葉は気休めにもならないのだから。代わりに、イーリャは別のことを口にした。
「と言うことは、今日のお話と言うのは、大長老様の御役目の何かを、あたしに引き継ぐということなのですか?」
大長老の役割を引き継ぐ。それは大役だ。イーリャは自分で言った台詞に気を引き締めた。
尤も、大長老にはこれといった役割はない筈だった。長老が年老いて次代の長老にその肩書と役目を引き継いだ後、先代長老に敬意を表して“大長老”と皆が呼んでいるに過ぎないのだから。
「まあ、そんなところだがね。まずは順を追って話していこう。本題までにはちょっと長くなるが、時間は大丈夫だね」
「はい、今日はもう、夜まで空けてあります」
大長老の確認に、イーリャは首肯した。
「結構結構」
大長老はもう一度ゆっくりと冷たい飲み物で喉を潤すと、おもむろに話し始めた。
「イーリャ、街の中央、この家のすぐ傍にある神殿、いや、大きさからすればこの家が神殿の傍にあるわけだが、その神殿に何があるか、知っておるね?」
「はい。この街のエネルギー源となっているジェネレーターが納められている、と習いました。見たことはありませんけれど。家の照明も、オアシスからの水の汲み上げも、自動車も、みんなこのジェネレーターからのエネルギーで動いている、って」
「うむ。その通りじゃな。一旦、リザーバーに蓄えてはいるが。ところで、その神殿にあるジェネレーターだが、どのくらいの規模のエネルギーを供給できるか知っておるかね? いや、これは質問が抽象的に過ぎるか。そうさの、何軒分くらいのエネルギーを供給できると思う?」
「それはこの街の一般的な家で、ですよね? えーと、確か、街の家の数が千軒ないくらいでしょ。それから舞踏場や集会所や、街灯もあるし、水の汲み上げポンプなんかもあるし、旅に行く人の自動車用のリザーバーに使う分もあるし……三千から四千軒くらい、ですか?」
大長老は呵々と笑った。
「そのくらいと思うじゃろ? ところが、実際はその百倍は優に賄えるほどのエネルギーを供給する能力があるのじゃよ」
「そんなに? こんな小さな街なのに? 外には何万人も住んでる大きな街もあるって話だけど、そういう所じゃなくてなんでここに?」
思わず、イーリャの口から疑問が出た。
「それに答えるには次の話に進まないとな。イーリャ、“人形遣い”を知っておるかね?」
「“人形遣い”……あ、はい。外敵に襲われた時に街を護る巨神を駆る人に与えられる称号です。今は……大長老様が“人形遣い”です、よね?」
「その通り。尤も儂は先代から“人形遣い”の称号を譲られてからというもの、お披露目以外で巨神を駆ったことはないがの。他の街や国から砂漠で隔てられたこの街を襲おうなどと考える物好きは居なかった、ということだ。ところで」
大長老は言葉を切ると、心持ち身を前に乗り出した。
「イーリャは、世界にどれくらいの数の巨神が存在していると思うかね?」
「えーと、それは、動く状態で、ということですよね?」
「もちろん」
答える前に、イーリャは少し間を置いた。
「……動く状態のものは、存在していないのではないでしょうか?」
「ほう。なぜそう思うね?」
今度は、イーリャは先ほどよりも長く間を置いた。
「外の国には、どこも大抵、守護神としての巨神を一騎から二騎程度所有していると聞き及んでいます」
「それは、外に出ている街の者からの情報だね」
「はい。けれど巨神は過去の遺物で、入手手段は発掘しかありません。そんな過去に破壊されたか放棄されたかした巨神を運良く見つけたとして、現在の技術ではそれを修復することも動く状態を維持することもできないでしょう。結論として、動く状態の巨神は皆無だ、と思います」
「つまり、この街の巨神も動かないと?」
「はい。というより、この街の場合、巨神の存在自体が架空なのではないでしょうか」
言ってから、“人形遣い”たる大長老様にこんなことを言ったら怒られるかな?、とイーリャは恐る恐る目の前に座っている大長老の様子を窺った。しかしその予想に反して、大長老は先よりも大きな声を上げて笑った。
「巨神はまやかしか。そう言ったのはお前が初めてじゃな」
「す……すみません……」
縮こまるイーリャの前で大長老は愉快そうに笑い続けた。咳き込んでセレアとユリテーナに背中をさすられる程に。
ようやく笑いを納めた大長老は、グラスの中身をまた一口飲んで喉を潤してから話を続けた。
「実際のところ、稼働する、ないしは稼働すると思われる巨神は、儂が把握している限りでは四十六騎ほどじゃった」
「そんなにあるんですか……」
「うむ。巨神の中には自己再生機構を持つものも存在していての、現在稼働可能なのはほとんどがこのタイプじゃろう」
「自己再生……人が修復や維持をする必要がない、ってことですか?」
「そうじゃ。まぁ、自己再生機構を持っていても……」
大長老はいたずらっぽい目でイーリャを見た。
「“人形遣い”が儂のように老い耄れてまともに動かせないがために、事実上稼働しない、単なる伝説と変わらん巨神も存在するがの」
「もう。それはもういいです。さっきの言葉は撤回しますってば」
大長老はそんなイーリャを見てニヤニヤと笑った。けれど、すぐ真面目な顔に戻って話を続ける。
「そんな訳での、稼働可能な巨神というのはそこそこの数が残っている。そして、お前も耳にしているように一国に精々一騎から二騎程度しか所有していない。しかし」
大長老は一度言葉を切った。
「しかし、この状況がここのところ変化してきておる。某国がどうやって見つけ出したのか、十数騎から数十騎という纏まった数の巨神を所有するようになっておる。しかも、その巨神を使って周辺諸国に攻め入り、その国の巨神を奪っているようじゃ」
「そんなことが……でもそれが、この街に何か関係あるんですか?」
「直ぐには関係ないかも知れん。が、この街にも巨神がある以上、近い未来に標的にされる可能性はある」
「でも……」
イーリャは考えた。
「この街に巨神が存在することって、外に知っている人がいるんですか? あたしだって、架空の伝説かもしれないって思っていたのに。そもそも、この街の巨神ってどこにあるんですか?」
「ふむ。まず、最初の質問の答えだが、この街の巨神については外でも伝説くらいには知られておる。そんなに広まってはいないようだがの。そのことが、巨神を集めようという者の耳に届けば、この街の巨神の存在を確かめるため、手を伸ばしてくる可能性は否定できん」
確かに、可能性だけで言えばないとは言えないかもしれない。
「それから、二つ目の質問、この街の巨神のある場所はの、神殿の中じゃ」
「え? でも神殿の中にはジェネレーターがあるんじゃ……あ、ジェネレーターと巨神と両方、神殿にあるんですか?」
「その答えは、合っているとも言えるし、間違っているとも言える」
「? どっちなんです?」
大長老は顔に笑みを浮かべて答えた。
「つまりの、この街のジェネレーターは巨神の動力炉でもあるのじゃよ。いや、巨神の動力炉をジェネレーターとして使っている、と言うべきか」
「……それじゃ、神殿の中には、ジェネレーターじゃなくて巨神があるんですね」
「そう、正しくは、そういうことじゃ。前置きが長くなったが、そろそろ本題に入るかの。イーリャ」
「はい」
なんとはなしに変わった空気に、イーリャは居ずまいを正した。
「もう大体想像はできていると思うが、十六歳の誕生日を迎えたお前に、儂の“人形遣い”の称号を渡すと共に、巨神の奏者資格を与えるものとする」
「はい?」
そのときのイーリャの顔は、見ものだったに違いない。鳩が豆鉄砲を食らったような、とはこの表情を言うのだろう。
「なんじゃ、気付いておらなんだか?」
大長老は面白そうに言った。
「お前は頭の回転が速い割に、妙に勘の悪いところもあるの。そこがお前の魅力なのかもしれんが」
イーリャは暫く、口をパクパクさせるだけで、声を出せなかった。
「あ、あたしが“人形遣い”?」
「そうじゃ」
「巨神を駆って、街を護るの?」
「その通り」
「む、無理ですよっ」
イーリャは両手を前に出して手首を思い切り振り回した。
「あたし、巨神を見たこともないし、その存在すら疑ってたんですよ? 動かせもしませんって」
「まあ、冷たいものでも飲んで落ち着きなさい」
言われて、イーリャはまだ手のつけていないグラスを取り上げて中身を一気に飲み干し、一息吐く。
「いきなり言われてそう思うのも無理はないがの。そう心配することはない。普通に舞うのと同じじゃ」
「舞うのと同じ?」
「うむ。自分の身体が大きくなっただけ、と思えば良い。お前は、舞は好きじゃろ?」
「はい、もちろん。……じゃなくて、何であたしなんです? あたしより上手く舞う人だって街に一杯いるじゃないですか。それこそ舞踏よりも武闘を重点にしている人とか」
「残念ながらと言うべきかどうか、これはお前にしか引き継げないのじゃ」
大長老は、ほぅ、っと息を吐いた。
「この街にはの、一世代に一人ほどの割合で、儂やお前のような“白子”が産まれてくる。この街の巨神は、そのような白子しか、乗り手として認めんのじゃよ」
「……それは、何でですか?」
「わからん。この街にも、儂が許可して巨神を調べている者がおるが、何も判っていないと言ってもいい。兎に角、巨神は自らその遣い手を選び、それは儂やお前のような者だということじゃ」
「……」
「その上、儂らの次の世代、お前の両親くらいの世代じゃな、そこには白子は産まれてこなかった。そのお陰で、これほど老いぼれるまで、“人形遣い”であり続けたわけじゃが。これで、やっと肩の荷が下ろせる」
大長老は本当に肩が凝ったかのように、左手を上げて右肩を叩いた。
「……過去には、“人形遣い”が産まれてこなかったことは、あるのでしょうか?」
「街に遺されている文献を紐解くと、そのような時代もあったようじゃ。逆に、一代に二人の白子が産まれて、どちらが“人形遣い”を継ぐかで争いになったこともあるそうじゃ」
「それなら」イーリャは真剣な表情で言った。「白子が産まれても“人形遣い”を継がずに、不在の期間があっても良いのじゃありませんか」
「十何年か、何十年か前ならば、それでも良かったかもしれん。しかしの、先にも言ったように、今、外には巨神で他国を襲うような国がある」
「……」
「もしこの街が何騎もの巨神に襲われたら、護るすべがない。儂も若い頃は街一番の舞手などともてはやされたもんじゃが、今となっては杖無しには歩くこともできない有様じゃ。街には、巨神を相手にできる舞手もおるにはおるが、数も少ないしの」
「結局、あたしが“人形遣い”を継ぐしかない、ということですか」
イーリャはひと時視線を下に向けたが、面を上げた時にはその表情から迷いは消えていた。しっかりと背筋を伸ばし、真っ直ぐに大長老の目を見る。
「解りました。あたしが、“人形遣い”を継ぎます」
「うむ。ありがとう。そうしてくれると、儂も、街の皆も助かる」
大長老は、愛しい孫を見るような優しい目で、イーリャを見た。
「それで、じゃがの。“人形遣い”には、いくつか護らねばならぬ決まりがある」
「はい、なんでしょう」
「まず、私欲のために巨神を動かしてはならん。何しろ、街のジェネレーターを兼ねておるからの。気儘に神殿から動かされては困るのじゃ。また、外敵が巨神でもって襲ってきたような場合には、巨神を駆り、先頭に立って街を護らねばならん」
これは、当然のことだろう。イーリャは頷いた。
「それから、“人形遣い”はこの家で寝起きしてもらわねばならん」
「ここで、ですか? 引っ越してこい、ってことですか?」
「そういうことになる。夜中に巨神が必要になった時にも、すぐに神殿に行かなければならないからの」
確かに、その通りだ。十六になってすぐに両親から離れて暮らすことになるとは、イーリャは思いもしていなかったが。
「何、儂は適当に空家を見繕って出ていくから、気兼ねの必要はないぞ。ここは“人形遣い”のための家であるし。寂しいければ、街の者から側仕えを選ぶも自由じゃ。無理強いはいかんがの」
今度のイーリャの応えは、曖昧な頷きになった。
「それから、“人形遣い”となったら、街から出ることは許されん」
「え?」
イーリャは目を見開いた。
「これも、有事のことを踏まえた決まりだがの、“人形遣い”不在時に巨神に襲われたら、街はなす術もないからの」
いつか、街の外に出る隊商や舞伎団に混じって、街の外を、世界を旅することが夢の一つだった。その夢が潰える。しばし、イーリャは放心した。けれど、街の外に出たら、街にある巨神を駆りようがない。
「……解りました。外の世界を見ることが夢だったけど、諦めます」
「何、外の情勢が落ち着けば、多少は街を離れることもできるだろうて。その時に、長老や街の者達と話し合ってみなさい」
大長老はそう言ったが、外に出ることを長老達が許してくれるとは思えなかった。“人形遣い”の役割を考えると。
話のわかる人が長老を継ぐことを祈るしかできそうにない。
「それで」イーリャは頭を一振りして、気持ちを切り替えた。「あたしは、いつここに引っ越してくれば良いですか? 明日? 今日のうち?」
「早いのに越したことはないがの。いろいろ準備も必要じゃろ。そうじゃの」
大長老は顎に手を当てて考えた。
「外の情勢も、今日明日にどうこうということはあるまいし、十日のうちに来てくれれば良いか。ふむ。儂が継いでから六十三年ぶりの新しい“人形遣い”の誕生でもあるし、十日後に、街を上げて式典を執り行うとしよう」
「はい? そんなに大袈裟にしなくても」
「いやいや、慶事でもあるし、盛大に祝おうぞ。“人形遣い”の引き継ぎの儀式も、その時に皆の前でやればよい」
大長老は実に嬉しそうに笑顔を浮かべている。
「はあ、もう良いです。ところで、引き継ぎの儀式って何をするんですか?」
「それについては、巨神の前で話そうかの」
「巨神の前で。ってことは、今から神殿に行くんですか?」
「お前と巨神を引き合わせることも、今日の目的の一つだからの。セレア、杖を用意してくれ」
セレアが席を立つと、ユリテーナが大長老に近寄った。
「大長老様、御自身で赴かなくとも、私かセレアでも説明できますのに」
「何、“人形遣い”としての最後の役目じゃ。きちんと儂から伝えておきたいのじゃよ」
そう言うと大長老は、セレアが持ってきた杖を支えに、よろよろと立ち上がった。イーリャも合わせるように腰を上げた。
「イーリャ、今日着ている服は随分と華美だの」
このときに初めて、大長老はイーリャの着ている服が普段着にしては変わった生地を使っていることに気付いたようだ。
「はい、今日の誕生日に父と母から戴きました」
嬉しそうに言ってセレアに見せたようにその場で身体を回してみせた。
「ほうほう。その服で舞っているところを見てみたいもんじゃ。さぞかし華麗じゃろうて」
「舞踏場に来て戴ければいつでも。あ、でも、この服を着ていかないといけないから、予め連絡してくださいね」
イーリャはにっこりと笑った。
「舞踏場も良いがの、“人形遣い”継承の式典でお前の舞を皆に披露するのはどうじゃ?」
「あ、それは良い考えですね。“人形遣い”の舞踏を見たい住民も多いでしょうし」
ユリテーナも賛意を示す。
「そんなこと言うと、プレッシャーが大きくなるんですけど」
とは言いつつも、舞うのもそれを見てもらうのも他人の舞を見るのも好きなイーリャは、それほど嫌がっている風ではなかった。
「さて、いつまでも雑談をしているわけにもいかんし、そろそろ神殿に向かうとするかの」
大長老の言葉に頷き、イーリャは外に出る準備を始めた。
陽は傾きかけていたが、太陽はまだ沈んでいない。肌も露わな格好のセレアとユリテーナに対して、大長老とイーリャは揃って白い外套に身を包み、色眼鏡と、イーリャはフェイスヴェール、大長老は襟巻きで顔も隠して外に出た。そこから神殿の入口までは十リークもなかったが。
低いドーム状の神殿の北側に、その入口はあった。セレアが鍵を出して、その扉を開ける。
「鍵をかけてあるんですか?」
「うむ。まぁ、必要はないと思うのじゃが、街のエネルギー供給源だからの、万一誰かが入って事故でも起こさんように、の。普段、入る必要もないし」
神殿内は薄暗かったが、セレアが壁を触ると照明が点いた。入ったところはそれほど広くはない。神殿の玄関口に当たるようだ。奥に大きな扉がある。大長老が外套や襟巻きを取ってユリテーナに渡している間に、セレアが奥の扉を引き開けた。四人揃って奥へ進む。
イーリャは色眼鏡を外し、初めて見る神殿の中を興味深く眺めた。がらんとした広間でしかなかったが。四人の入ってきた所から左右に半月状の空間が広がっている。奥の壁まで十リークほどだろうか。湾曲している左右の空間は、奥へ行くほど狭くなっている。
天井に目を向けると、ドーム状になっている。照明が点々と灯り、弱い光を放っている。イーリャは『これだけ?』という顔で三人を振り返った。その表情を読み取ったセレアは微笑みを浮かべると、壁に沿って広間の右手へ歩いてゆく。イーリャも、大長老とユリテーナと共に後に続く。
ほんの二、三リーク行った所で、セレアはまた壁に触れた。その途端、足元から鈍い振動が、あまり大きくない音と共に響いてくる。イーリャが思わず周囲を見回すと、壁に沿った床の一部が、床下へと沈んでいく所だった。すぐにそれは、地下への階段になる。
「巨神はその先におる。先に降りておれ。儂はこの脚だからの、後からゆっくり降りてゆくよ」
イーリャは、セレアとユリテーナを見て、二人が頷くのを確認すると、そっと神殿の地下へと踏み出した。地下に降りるのだから暗いかと思えば、それほどのことはない。
階段の先から漏れている光に照らされているようだ。イーリャは、慎重に足を踏み出した。階段は幅一・五リークほど。両側を壁に挟まれて下へと続いている。左に向かって弧を描いているのは神殿の外周に沿っているためか。その曲がった階段を、神殿の四分の一周ほど降りたろうか。左側の壁が途切れているところに差し掛かった。
「わ」
思わず、両手で顔を覆う。明るかった。丸くなった天井全面から明るい光が射し込んでいる。慌てて色眼鏡を掛け直し、外套の前を閉じる。そうしてから、フードの陰から改めて天井を覗き見る。恐る恐る。
太陽の、肌を刺すような光とは違うようだ。寧ろ、優しく身体を包み込んでくれる夜の月の光に近い気がする。イーリャは、そっとフードを上げ、こわごわと色眼鏡を外してみた。大丈夫のようだ。考えてみれば、大長老も上で外套や色眼鏡を外してた。
これから大長老様も降りてくるんだからあたしも大丈夫のはず、そう理屈付けすると、止まっていた歩みを再開した。壁のなくなった左側には手摺も何もない。気をつけないと落ちてしまいそうだ。階段に幅があるから、まず落ちることはないだろうが。
注意しながら最後の段を降りたイーリャは、天井を見上げた。照明になっているのだろうか? それとも、外の光を取り込んでいる? よく判らない。三人が来たら聞いてみよう。その天井からの光が、神殿の床を真っ直ぐには照らしていないことに気付いた。
光は、神殿の中、北側、イーリャが降り立った床と丁度反対の方向を照らすように伸びている。イーリャは視線を落として光の照らす先を見た。神殿の北側に、床から生えるようにして、巨神が、いた。
神殿の天井から射し込む光の中に浮かび上がる、白い巨大な人形の胸像。神殿の床から頭頂部まで、ざっと五~六リークほどだろうか。人間と同等の体形を仮定すると、身長はその倍にはなるだろう。その白い身体は、美しい金属光沢を放っている。
イーリャは魅せられたようにそれを、これから自分がその奏者となる巨神を見つめた。残りの階段を、ほとんど無意識のうちに降りきると、巨神の顔を見つめたまま、ゆっくりと近寄ってゆく。脚を止めたあとも、その視線は自分の頭よりずっと上に位置する巨神を見つめていた。
端正な顔立ちは、何処と無く大長老に似ているようにも思える。その額には、真紅の宝玉のようなものが嵌め込まれている。その身体は、光を浴びて輝く光沢の割に、近寄ってみると金属らしくない。何と表現すれば良いだろう、生物の体表面に似ているように思える。
巨神の手前、胸の辺りと額のところには木製の足場が組まれていて、左右の梯子から登って行けるようだ。けれど、イーリャの目にはただひたすら巨神だけが映っていた。その視線に気付いたように、巨神の顔に変化が現れた。目に当たる部分に紅い光が横に流れる。
見る間にその光は大きくなった。巨神が目を開いたのだ。瞳が動き、イーリャを真っ直ぐに捉える。その動きに、一瞬イーリャはどきりとしたが、恐怖は感じられなかった。その視線は、好奇心を宿しているように思えた。まるで、次の自分の奏者を見定めるかのように。
「どうじゃな、巨神を見た感想は」
突然、背後から声をかけられ、イーリャはドキッとして振り向いた。二人の側仕えに支えられるようにしてようやく階段を降りきった大長老が、杖をつきながら近付いてくるところだった。
「はい……なんだか優しい顔をしてます。大長老様にも似ているような」
イーリャは感じたことをそのまま言葉にした。
「儂に似とるか。それは愉快愉快」
本当に愉快そうに、大長老は笑った。
「大長老様」
「なんじゃね」
「あの、変なこと聞きますけど、この子って意識があるんですか?」
「ほう。『この子』と言うか。初対面で、自分よりずっと身体の大きい、儂に似とるという相手を」
大長老はイーリャの台詞の中の、質問とは違った所に興味を惹かれたようだ。
「えーと、この子を見たとき、なんとなくそんな気がしたんです。それで、意識はあるんですか?」
「うむ。ある。現時点での人形遣いである儂とはいつも繋がっとるようなものだし、ここに儂らが来ておることも認識しておるよ。目も儂らを見とるじゃろ? 興味を持っとるのじゃよ」
「やっぱり、そうなんだ。あたしが近付いたら目を開けて、こっちを見ているみたいだから。この子、それじゃ、自分の意思で動くこともできるんですか?」
「できなくはない」
大長老は曖昧な言い方をした。
「それなら、なんで人形遣いが必要なんですか?」
「まず、人形遣いがいないと巨神に命令を与えることもできんし、巨神がどんな意図で行動しているかを把握することもできん。要するに、制御が効かなくなるのじゃよ」
「暴走するかもしれない、ってことですか」
「うむ。巨神が悪意なく論理的かつ合理的に動いているだけでも、それが人間の意図と異なっておれば人間の目からは暴走と変わりない。巨神が何を考えているか把握し、かつ人間の意図を伝える必要があるのじゃよ」
「それも人形遣いの仕事ってことですね。もう一つの理由は?」
「巨神が自分で動くことはできるが、その動きは鈍重での。その状態の巨神なら、大剣を使えば倒せる者が、この街に限っても二十人は下らないじゃろうて」
「そんなに? えーと、巨神と互角に闘えるって言われてる人って、街に、えーと……いち、に、三人くらいですよね」
「そんなもんじゃの」
「じゃ、人形遣いが乗ってないと、巨神って、『とっても強い人間』程度の強さってこと?」
「ま、そうなるかの。イーリャも、もう少し上達すれば、巨神と互角に闘えるようになるじゃろ。いや、もう互角くらいの腕前はあるかもしれんな」
「そこまでの実力はまだないと思いますけど。けど、そっか」
イーリャは巨神を見上げた。
「人形遣いが操らないと、人間以上の働きはできない、ってことですか」
「そういうことじゃ。だからこそ、この街には、人形遣いが不可欠なのじゃよ。特に、今のような状況では」
イーリャは無言で巨神を見つめた。巨神も、イーリャと同じ紅い瞳で、イーリャを見下ろしている。
「それで」暫くそうしてから、イーリャは大長老を振り返った。「儀式って何をするんです?」
「巨神の前に足場があるじゃろ。低いのと高いのと」
「はい」
「あの高い方の足場に登って、お前の血を巨神の額にある、第三の眼に注ぐのじゃよ。注ぐと言っても、指先を軽く切った手で触れるだけじゃがの」
「第三の眼……あの紅い宝玉ですか」
確かに、縦にした瞳に見えなくはない。二つの瞳と同じ色をしている。
「うむ。それで、巨神はお前を奏者、人形遣いと認めるはずじゃ。その後は、巨神の胸、下の足場の辺りじゃが、そこから巨神の中に、服を脱いで入り、皆に人形遣いとなったことを示す」
「ふうん……大長老様、今、『服を脱いで』って仰いました?」
「うむ、言ったな」
「巨神を操る時って、裸になるんですか!?」
「その通り。装飾品の類も外しておいた方が良いの」
「なんでですっ!?」
「一度、入って操る状態になるとわかるが、巨神の中では、衣服は剥ぎ取られる。これは巨神の操御装置の特質上そうなっていて、仕方のないことじゃ」
「……それ、改造できないんですか? できないんですよね……」
「巨神はお前も知っての通り、過去の遺物での、新しく造る技術は今は喪われておる。改造も然り。特にこの巨神は特別らしくての、意識を持っとるし、修復にも維持にも人間は手を出せんのじゃよ」
「そうですよね……あの、その、人形遣いの継承の式典で、操ってみせる必要はないですよね……」
「ふむ。儂の時は操ったが。日が落ちてから、中に入るときには照明を落としておけば、見えないと思うぞ。皆の前で服を脱ぐのには抵抗があるか?」
「当たり前ですっ 女の人だけだったらいいけど、男の人もいるんでしょう?」
「当然、街の皆が集まればそうなるの」
「そんなところで裸になるなんて、嫌ですよ~」
「ふむ。まぁ、まだ時間はある。対策を、考えておくことにしようかの」
「お願いします~~」
イーリャは両手を合わせて懇願した。その様子を大長老は面白そうに見ていた。
「今日お前に来てもらった用件はざっとこの程度かの。細かいことは式典までにでも聞きに来れば良いし、その後でも疑問があれば答えよう。他に、今のうちに聞いておきたいことはあるか?」
「そうだなぁ……一気にいろいろ聞いたから、まだ頭の中で整理ができていないというか……そうだ、さっき、大長老様、人形遣いときょ……わ、何?」
イーリャが質問をしようとしたとき、神殿の中が急激に暗くなった。
「ふむ。陽が沈んだようじゃの。セレア」
大長老が言うよりも前に、セレアは控えていた大長老の後ろを離れて、南側の壁の方へ歩きだしていた。
「あ、じゃやっぱり、天井の灯りは外の光だったんですね」
「うむ。お前も気付いていたよのうに、の」
セレアがスイッチを入れたのだろう、天窓の下、円形に照明が灯った。先程までと比べるとかなり暗いが。
「でも、光が巨神を照らすようになってたみたいですけど」
「天窓が一種の偏光ガラスになっていて、入った光を曲げておるんじゃよ。更に、天窓が一日で一周、回転していての、陽が昇ってから沈むまで、巨神に射し込む仕掛けになっておる」
「へぇ。……それって、ジェネレーターのエネルギー発生に関係あるとか?」
「よく判ったの。どうもそうらしい。暗くてもエネルギーは発生するが、陽の光を当てていた方が効率が良いようじゃ」
「なるほどね~。よくできてる」
「それで、さっきの質問はもういいかな?」
「さっきの質問……なんだっけ……あ、そうそう、大長老様、人形遣いと巨神は繋がっている、みたいなことを仰いましたけど、それってどういう意味ですか?」
「儀式を行えばお前にも解るが、人形遣いになると巨神と言葉を使わずに会話できるんじゃよ」
「言葉を使わずに会話を? この子と?」
「うむ」
「離れていても?」
「そうじゃ。ま、距離には限界があって、概ね一ガルリーク強、千二百から千三百リークというところかの」
「じゃぁ、街にいればこの子と話せるんだ」
「あまり端の方へ行くと届かないが」
「解りました。あと一つ。式典って、ここでやるんですか? 街の人みんな入るにはちょっと狭いと思いますけど」
いや、ちょっとどころではなく、かなりきつくなるだろう。
「心配無用じゃ。式典は神殿の南の広場で行う」
神殿に接するように、かなり大きな広場がある。広場の中央は窪んでいて、周りは観客席のように円形の石段になっている。実際、広場で舞踏の披露や武闘の大会が行われるときは、街の住民で一杯になる。
「でも、広場から神殿の中が見えるんですか?」
「心配無用と言ったじゃろ? 天窓と、南側の壁が開くようになっておる」
「はぁ。そんな仕掛けが。じゃ、この神殿も過去の遺物なんですね?」
当然、肯定の返事が来るものと思ったが、大長老は首を横に振った。
「いや、神殿は巨神を外から隠すため、それに巨神の動力炉をジェネレーターとして効率良く使うために、街の始祖が設計したそうじゃ」
「設計した……ってことは、造ったのは別の人?」
「そうじゃ。というより、これだけの建造物を一世代や二世代では造れんのでな、始祖の遺した図面を元に数世代かかって建造したそうじゃ」
「へぇ……今の技術でも、これだけのものを造れるんですね……」
「巨神は無理じゃが。さて、他に今聞いておきたいことは?」
「うーん、とりあえず、今はこんなところで」
「そうか。では陽も落ちたようだし、戻るとするか」
「あたし、ちょっとここに居ていいですか? 大長老様が階段を昇りきるくらいまででいいので」
「構わんよ。なんなら、もっと長くても」
「ううん、ちょっとでいいので」
「では、先に昇っておる。セレア、ユリテーナ、行こうかの」
大長老は杖をついて、階段に向かった。
「照明は上からも操作できるから、このままでいいわよ。暗いと階段危ないから」
「わかった。ありがと」
去り際にセレアがかけた声に返事をしておいて、イーリャは巨神に向き直った。十日後、これを駆ることになる。その後はどうなるだろう。
「あなたは退屈かもしれないけど、ずっとここに居たまま、駆る必要がないのがいいよね」
白き巨神は、今は何も語らない。沈黙したまま、その三つの紅い瞳でイーリャを見下ろすのみ。十日後に、今の返事をくれるだろうか。
「兎に角、十日後にはあたしがあなたの“人形遣い”になるから、よろしくね」
イーリャは身を翻して、三人を追うべく階段へ向かった。