双剣舞
街の西の端にある家から南東の舞踏場まで、結構な距離がある。舞踏場は他にもあるのに、わざわざ遠くの場所に通う理由は、その施設が半ば地下に埋まるように建設されており、陽光の入る窓がないことが大きい。
フードを深く被り、フェイスヴェールと色眼鏡で顔を覆っていても、街の人々にはそれがイーリャであるとすぐに知れる。砂漠の中、三つのオアシスに囲まれた岩場に築かれたこの街では、皆、褐色の肌を晒して行き交っている。子供にいたっては裸で走り回っている者も珍しくない。
そんな中、全身を真っ白い外套とフードで隠したイーリャの姿は黒山羊の群の中の一頭の白山羊のように目立つ。しかも人口千数百人──旅に出ている者を入れれば二千人を越えるが──のこの街では、住民のほとんどは顔見知りの間柄だ。
踝まで届く外套の裾を翻して街路を行くイーリャの姿を見ると、皆が声をかけた。
「おはよう、イーリャ。これから舞の稽古かい?」
「誕生日だろ? おめでとう」
「イーリャおねえちゃん、おはよー」
「今日から十六だってな。しっかりな」
何故か、街の人々、とりわけ大人達は、イーリャの誕生日が今日であること、そして、今日から十六歳であることを知っているらしい。そのことを不思議に思い(お父さんかお母さんが広めたのかな?)ながらも、道行く人々に挨拶を返しつつ、歩いて行く。
「イーリャ、十六歳の誕生日、おめでとう」
目の前に、大柄な女性が立った。イーリャも良く知っている、八百屋のおかみさんだ。
「ベジーリさん、ありがとうございます」
イーリャは頭を下げて礼を言う。
「これから舞踏の稽古かい?」
「はい」
いつもここを通って舞踏場に行くから、彼女もそれを知っている。
「時間があるなら、今ここ、そこの広場で舞を披露してくれないかい? あんたの十六歳最初の舞をさ」
「今、ですか?」
「まあ、急いでいるなら無理にとは言わないけどさ」
ベジーリの提案に、周りにいた人たちも集まってくる。
「おう、そうだな、イーリャの誕生日の最初の舞はぜひにも見たいな」
「イーリャ、折角だから舞ってみない?」
「イーリャおねえちゃんのまい、きれいですき」
「どうだ? 舞わねぇか?」
あまり遅くなると、稽古の時間を取れなくなってしまうが、少しくらいなら遅くなっても問題はない。それに、みんなの期待の籠った目を見ると、このまま立ち去るのは悪い気がした。
「えーと、じゃ、ちょっと舞っていこうかな」
わっと人々が沸き返る。
「イーリャの十六歳の最初の舞だよっ」
「待ってましたっ」
「早く舞ってくれっ」
どうしてこんなにもあたしの舞に期待しているんだろう?と少し疑問に思ったものの、悪い気はしない。
「ええと、得意なのは双剣なんだけど、素手の舞でいいかな?」
「あ、それなら」と小さな男の子が手に持った木剣をイーリャに差し出した。「練習用の木剣だけど、良ければ使って。ほら、ラントも」
「うん、イーリャ姉ちゃん、はい」
二人の男の子から差し出された二振りの木剣を、イーリャは受け取った。
「イルド、ラント、ありがとう。借りるね」
両手に持った剣を軽く振り、バランスを確認する。木剣の割には思い。中に芯棒が入っているようだ。
「イルドもラントも、いつの間にかこんな重い剣を使うようになったんだね」
「おれだって、いつかイーリャみたいになるからな。いつまでも軽い剣じゃいられないよ」
「オレだって」
「二人とも、頑張っているんだね」
イーリャは二人から借り受けた木剣を持って、広場中央の噴水の傍に立った。
すっと息を吸う。場が静かになった。
両手の剣を左右に斜めに下げ、膝を軽く曲げて爪先立ちになり、腰をやや屈めて動きを止める。さっと膝を伸ばすと同時に背を伸ばし、両手を斜めに上げて身体を回転させる。イーリャは跳ね、回り、剣を振った。噴水の周りを回りながら両手の剣で空を切り割き、高く飛び跳ねて宙を舞った。緩やかな白い服が鳥の羽根のように広がり、ふわりと落ちる。囲んだ人々は、一人残らずイーリャの舞に見惚れた。
噴水を一周したところで両手を広げて片足立ちで動きを止め、上げていた脚を下ろすと同時に手も閉じる。ほっと息を吐く。次の瞬間、周りから割れるような拍手が鳴り響いた。
イーリャは笑顔を浮かべ──フードとフェイスヴェールで他人からは見えにくいが──ながら、木剣を貸してくれたイルドとラントの元に歩いていった。剣の柄を二人に向けて差し出す。
「ありがとう。おかげで得意の双剣舞を舞えたよ」
「イーリャ、すっげぇ綺麗だった」
「うん。オレもイーリャ姉ちゃんみたいに舞えるように頑張るよ」
「うんうん、二人とも頑張ってね」
小さな男の子二人の頭を、手袋を嵌めた手で撫でるイーリャ。二人は嬉しそうに微笑んだ。
「腕を上げたな、イーリャ」
最近聞いていない声が聞こえた。イーリャは声のした方へ顔を向ける。
「あ、ゼントルノさん。お帰りなさい。今日帰って来たんですか?」
壮年の男が手を叩きながら歩いて来た。彼は舞技団を率いてここ数ヶ月、街を離れていた。
「ついさっきな。帰って来たら広場が賑やかなもんで、長老に報告する前に覗いて見たわけよ。それにしても綺麗な舞踏だった。俺も見惚れちまったよ」
「そうだろう? この子も今日で十六だからね」
ベジーリが笑いながら会話に加わった。
「そうか。今日はイーリャの誕生日だったな。それじゃ、大長老様から話はあったか?」
「いいえ、まだです。今日の午後、呼ばれていますので、その時に話を聞いてきます」
旅に出ていたゼントルノもイーリャの誕生日と、それに、彼女が大長老に呼ばれていることを知っているようだ。いったい、この話はどこまで広がっているのだろう?とイーリャは訝しんだ。しかし、気持ち良く舞って機嫌の良かったイーリャは、あまり深く考えなかった。
「それじゃ、あたしは失礼します。午前しかないから、稽古の時間がなくなっちゃうので」
イーリャはゼントルノとベジーリ、それに広場で彼女の舞踏を見ていた全員に頭を下げてから、舞踏場に向けて歩みを戻した。