誕生日の朝
「う~んっ」
イーリャはベッドから起き上がると、両腕を目一杯上に伸ばした。常夜灯しか点いていない窓のない部屋は暗い。イーリャはベッドの傍にあるスイッチを入れて、部屋の明かりを点けた。白い柔らかい光が、白い毛布とシーツ、それに白い肌を照らす。
裸のままベッドを降りると箪笥を開けて身繕いを始めた。上下の下着、ロングソックス、最後に長袖のシャツ。服も、肌に合わせたかのように、みんな白い。薄く見える布地はしかし、イーリャの肌を透かさずに隠した。
シャツの下に隠れた髪を両手でかき上げ、外に出す。一瞬、白銀がふわりと広がった。それから、これも白いスリッパをつっかけると、長い白い手袋を握りしめて扉を廊下へと続く扉を開けた。廊下も照明を控え目にしてあって薄暗い。部屋の明かりを消して扉を閉めると、イーリャは両親がいるであろう食堂へと向かった。
「お父さん、お母さん、おはよう」
案の定、食堂に居た二人に朝の挨拶をかける。南に向いた窓には白い分厚いカーテンが下されているが、そのカーテンの明るさは、すでに陽が昇っていることを物語っている。
「おはよう。それから、十六歳のお誕生日おめでとう」
「おめでとう」
朝の挨拶と祝いの言葉。そうだ、あたしも今日から大人の仲間入りなんだ、とイーリャの顔に普段と違う笑みが零れる。
「ありがとっ」
「先に顔と手を洗ってきなさい。丁度ご飯になるから」
「は~い」
愛娘を見つめる両親の瞳には、愛しさと同時に不安と期待の入り混じったような複雑な色が浮かんでいた。
けれども、両親の様子にイーリャは気付くことなく、踵を返して洗面所へと急いだ。顔と手を清め、自分の部屋から持ってきた白い手袋をはめてから食堂に戻ると、もう朝食の準備はすっかり整っていた。
イーリャが椅子に座るのを待って父が感謝の言葉を捧げ──今日も我々の糧となる命よ、我々の身体で永遠に生きよ──母とイーリャがそれに続く。
普段ならここで食事が始まるが、今日はもう一つ儀式があった。
「イーリャ、誕生日、おめでとう。これは母さんと父さんから」
改めて祝いの言葉を述べた父から渡された、大きく薄い箱。誕生日プレゼントだ。
「わ、ありがとうっ。ね、開けていい?」
はしゃぐイーリャ。
「ご飯を食べたあとになさい。すぐ済むんだから」
「はーい」
母の言葉に心の中では抗議し(なら、ご飯の後で渡してくれればいいのにっ)つつも素直に従い、傍の小卓に箱を置いて、朝食に取り掛かる。食事はいつもとそれほど変わらない。
「お夕飯は豪華にするから期待しててね」とは母の弁。
「そんなこと言うと物凄いご馳走を期待しちゃうよ~」
「任せなさい」
食卓に笑いが溢れる。
「イーリャ、今日は大長老様に呼ばれているんだろう?」
「うん、何か話があるって。お昼の後で行ってくる。なんの用だろうね。十六になったからって、みんな呼ばれるわけじゃないんでしょ?」
娘の問い掛けに、二人は微妙な視線を互いに投げ掛けた。それにイーリャが気付く前に、父が言う。
「そうだな。街のみんなが呼ばれるわけじゃない」
「ってことは、たまにはあるの?」
「そうね。大人になったときに、街にとって特別な役目を与える場合には、ね」
母が返事を引き継いだ。
「ふ~ん。でも、あたしにできる特別な役目なんてあるのかな。肌がこんなで昼間は外套がないと外にも出れないのに」
イーリャは片方の袖を捲って、白磁のように白く透き通った自分の肌を、その紅い瞳で見つめた。
「……ほら、そんなことしてないで、ご飯を済ませちゃいなさい」
「は~い」
母の返事に一瞬の戸惑いが入ったことに、イーリャは気付かなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「わぁっ。綺麗っ」
誕生日プレゼントを検めたイーリャの口から歓声が飛び出した。それは、ゆったりした長い袖を持つ、膝丈ほどのAラインのワンピースドレスだった。その生地は普段イーリャが来ているシャツとは違う美しい光沢を持ち、部屋の照明の下で虹色に輝いた。
さらに、イーリャの瞳と同じ紅い糸で、街に古くから伝わる細かい紋様が刺繍され、生地にアクセントを与えていた。
「お父さん、お母さん、本当にありがとうっ。ね、今日大長老様のところに行くとき、着てっていいよねっ」
「もちろん。好きなようにしなさい」
「うんっ」
イーリャは早速着ているシャツを脱ぐと、綺麗に畳んで傍によけてから、贈られた新しい服に袖を通した。
「わぁ、ぴったりっ」
髪を外に出し、部屋の真ん中でくるりと回る。プラチナブロンドの髪と服の裾が広がって、光が散った。
「どう?」
得意げなイーリャ。
「とっても綺麗よ」
「まるで妖精みたいだな」
二親に褒められて、イーリャの顔はますます笑みでいっぱいになった。
「それじゃ、母さんと父さんは仕事にいくが、お前は昼までどうする?」
「うん、舞踏の練習に行ってくる」
「その服で?」
「いけない?」
「いけなくはないけど、汗をかいちゃうでしょ。汗で濡れた服を着て大長老様のところまで行くつもり?」
「あぁ、そっか。う~ん、この服で舞ってみたかったんだけどな。仕方ない、舞踏はいつもの服にする」
「そうなさい」
改めて服を着替える娘を見守る眼差しは優しかったが、やはり、どこか寂しさを含んでいるようだった。