第九話
宇宙暦四五二二年五月三十日
スヴァローグ帝国のダジボーグ星系に六万五千隻、十三個もの艦隊が集結した。更にその艦隊を運用するための補給部隊も続々と集まり、ダジボーグ星系は帝国の艦船で溢れていた。
その状況を目の当たりにしたヤシマの商人は祖国に帰還しようと最大加速で逃げ出した。しかし、加速力に劣る商船は帝国軍の艦艇に次々に拿捕されていく。
そんな中、三十万トン級の小型商船“恵比寿丸”は艦隊集結の混乱に乗じ、脱出に成功する。積荷が希少金属であったことと、追加の積み荷を探す前であったことから、最大積載質量に比して充分に小さく、商船とは思えぬ加速力を出せたことが幸いした。
六月十二日、恵比寿丸はヴァロータ星系を経て、ヤシマの支配星系チェルノボーグ星系に到着した。そこで船長のニシノミヤは悲鳴に近い声音で、防衛艦隊の情報通報艦にダジボーグの状況を報告する。
「……ダジボーグに帝国艦隊の大艦隊が集まっている! 戻るまでにうちの船の人工知能で解析したが、戦闘艦だけで六万近い数だ……奴らは戦争を起こす気だ。何とかしないと、ヤシマがヤバいことになるぞ……」
六月十七日、その情報がヤシマに届いた。
報告を受けたヤシマ政府は驚愕こそしなかったものの、来るべき時が来たと恐怖を覚える。
その情報はヤシマに派遣されているアルビオン艦隊にも即座に回された。
艦隊の総司令官、キャメロット第二艦隊司令官であるナイジェル・ダウランド大将はキャメロットに向けて情報連絡艦を急行させる。
恵比寿丸がヤシマに辿り着けたのは帝国が故意に見逃したためだ。
ダジボーグに大艦隊が集結していると知れば、アルビオンは自国の防衛に注力せざるを得ない。例え、狙いがロンバルディアとヤシマであると分かっていても、政治家や国民は隣国より自国を守ることを求めるためだ。
ダウランドはヤシマ防衛艦隊司令長官であるサブロウ・オオサワ大将に面談を申し込んだ。
オオサワはすぐにそれを了承し、会談がセットされる。
ダウランドは銀色の髪に鷲鼻、細身の体つきと巧妙な戦術から、“銀ぎつね”と呼ばれている。怜悧な官僚という印象が強い参謀型の将だが、決断力がある良将で、アルビオン政府から全権を任されていた。
一方のオオサワはつやの無い皮膚と深いしわにより、五十代半ばという年齢より十歳は老けて見える冴えない男だ。
彼は四年前のゾンファ侵攻の際には病を患っており、その結果、軍人や政府関係者が次々と暗殺や投獄される中、ゾンファの特殊機関に捕えられることなく生き延びた。その風貌は病の名残だった。
病を患ったことが幸運だったかは微妙だが、そのお陰でタカマガハラ会戦で戦死することなく生き延び、現在のヤシマで唯一艦隊を託すことができる将官と言われている。
防衛艦隊には病が癒えた二年前に現役に復帰していた。
彼は首相のタロウ・サイトウの元上官に当たるが、面倒見がいいオオサワと豪胆なサイトウは互いに尊敬し合う関係だった。そのため、サイトウはオオサワに全幅の信頼を置いている。
ダウランドとオオサワの会談は形式的なあいさつの後、すぐに本題に入った。
「早速だが、貴国の方針をお聞かせいただきたい」とダウランドが切り出す。
「我が国の方針は言うまでもありません。独立を守り抜く、これに尽きます」
オオサワの答えにダウランドは満足げに頷き、
「では、対帝国戦略について協議しましょう。我がアルビオン王国は貴国に対し、援助を惜しみません。先に送りだした通報艦によって、ヤシマ星系への増派の必要性を訴える上申書を送っております……」
ダウランドは恵比寿丸が得た情報と共に、最低でも三個艦隊程度の増派が必要であるという上申書を送っていた。また、ロンバルディア連合に対する戦略の再確認も行っている。
「……恐らくですが、帝国の第一目標はロンバルディア連合でしょう。あの星系を抑えることにより、シャーリア法国とラメリク・ラティーヌ共和国の戦力を事実上無力化することが可能ですから」
「そうですな」とオオサワは頷く。
「このままいけば、ロンバルディアは一時的に帝国の軍門に下ることになるでしょう。ですが、我が国は帝国の膨張を認めません。その点はご安心ください」
ダウランドの言葉にオオサワは「そのお言葉は大変心強い」と言ってニコリと微笑むが、すぐに表情を引き締めた。
「我が国もゾンファ共和国の侵略の時のような無様な姿は見せぬつもりです。しかし、問題があるとすればロンバルディア政府でしょう。貴国の提案通り、艦隊を温存する決断をしてくれるかどうか……」
スヴァローグ帝国の侵攻があった際、ロンバルディア連合艦隊は抵抗することなく、ラメリク・ラティーヌ共和国に撤退し、政府は無抵抗のまま降伏する戦略を提案していた。これは各個撃破によって戦力を消耗しないための作戦だが、祖国を見捨てて逃げるという行為を実行しない可能性があった。
「その点は我らも同じ懸念を持っています。ですが、最悪でも四個艦隊は脱出してもらわなければ自由星系国家連合自体が崩壊しかねません。ロンバルディア政府と軍部が賢明なる決断を行ってくれると信じるほかないでしょう」
「そうですな。では、今後の計画は事前の検討通りということでよろしいですかな?」
「問題ありません。ヤシマはこの情報をもって戦時体制に移行します。まず、チェルノボーグ星系とガルダ星系に情報通報艦を派遣し帝国軍の動きをいち早く把握するように努めます。現在再建中の第四艦隊は五日後までに組織として正式に立ち上げ……」
それまでヤシマには三個艦隊しか存在しなかった。
しかし、造船能力のすべてを防衛艦隊増強に集中した結果、更に一個艦隊分の艦船が就航可能となっていた。ただ、艦はあるものの、それを動かす将兵が不足していた。
これは四年前に防衛艦隊の将兵の多くが戦死し熟練者が激減した結果であり、艦隊という組織を立ち上げることができずにいた。
今でもどの艦も定員を満たしておらず、この状況で更に一個艦隊を組織することは非常に困難だが、それでも少しでも戦力を増強しなければヤシマの独立は保てないと政府関係者は危機感を抱いていた。
だからといって徴兵制を導入することはない。艦隊を動かす兵士は熟練技術者であり、技術を持たない一般人を徴兵しても意味がないためだ。
また、民間船の乗組員の徴用も行われていない。これについてはアルビオン王国から提案があったが、貿易立国であるヤシマにとって商船の乗組員を徴用することは自らの国力を落とすことに直結する。そのため、慎重な対応に終始していた。
政府も無策ではなく、防衛軍の待遇を上げることや、祖国防衛の意義を訴えることなどで若者の採用を増やしている。今まで防衛軍をこき下ろしていた巨大メディアグループ、キョクジツニューズが大きく力を落したことから、ほとんど妨害を受けていない。
「我が方との指揮命令系統の統一についても政府の承認をお願いします。オオサワ提督の指揮下に我らが入ることは問題ありませんが、法的な根拠は押さえておくべきかと……」
当初、ダウランドを含め、アルビオン王国軍の将官たちはヤシマ防衛軍の指揮官の能力に疑問を持っていた。
しかし、オオサワが司令長官となってからはその高い見識と強いリーダーシップに敬意を抱いている。また、アルビオン軍の参謀が連絡官としてヤシマ防衛軍の司令部に常駐するなど、ヤシマとアルビオンの協力体制はゾンファの侵攻以前とは比べ物にならないほど緊密となっていた。
「その点はご安心ください。我々も貴国の良き友人でありたいと思っております。その友人に迷惑をかけぬよう、最大限のことはさせていただくつもりです」
二人の将の話し合いは短時間で終わった。既に多くの時間を割いて様々なケースの検討がなされており、どのプランを使うかの最終的な確認を行うだけだったためだ。
オオサワとの会談を終えたダウランドは今後の方針を確認するため、ヤシマに派遣されている艦隊司令官と参謀長を自らの旗艦であるアイアン・デューク09に集めた。
現在ヤシマに駐留している艦隊はダウランドのキャメロット第二艦隊、ヴェロニカ・ドレイク大将率いるキャメロット第三艦隊、ジャスティーナ・ユーイング大将率いる第六艦隊であった。
ドレイク提督は女性にしては長身で比較的小柄なダウランドより背が高い。その特徴的な赤毛を無造作に後ろで括り、鋭い目つきを常にしていた。
その威圧的な姿から、“海賊の女首領”と部下たちから密かに呼ばれ、その名に恥じぬ大胆な用兵を行う猛将だ。
もう一人の女性将官であるユーイング提督はドレイクとは対照的に、妖艶と言えるほど女性らしい印象がある。宙軍士官にしては長い金色の髪を結いあげ、鼻に掛かったような声でしゃべることから、“女主人”と陰で呼ばれている。見た目に反し沈着冷静で、特に防衛戦では粘り強い用兵に定評があった。
ドレイクはダウランドより一歳年上の五十四歳、ユーイングはダウランドと同期の五十三歳だが、先任順位の関係でダウランドが総司令官になっている。二人ともダウランドの指揮権を完全に認めており、アルビオン艦隊内に指揮命令系の問題はない。
彼女たちの後ろにはそれぞれの参謀長が控えている。
「既に聞いていると思うが、今後の方針について確認したい」
ダウランドの発言で会議は始まった。
「オオサワ提督は我が軍の方針を全面的に支持している。指揮命令系統、補給に関しては問題ないが、ヤシマ軍の練度と士気にいささか懸念がある」
ダウランドの発言にドレイクが大きく頷く。
「それは小官も同じ意見だね。まあ、やる気の方はいうほど悪くはないが」
「私もドレイク提督と同じ考えですわ。状況が有利な時はともかく、不利になったらヤシマ軍は当てにしない方がよいでしょうね」
「その点は私も同感だ。だが、楽観できる状況ではない。特にロンバルディアがどのような選択をするかで、圧倒的に不利な状況に陥ることもあるのだから」
ロンバルディア艦隊が当初の作戦通りラメリク・ラティーヌ星系に撤退し、ヤシマ星系に移動してこないと、戦力的には帝国軍に劣ることになる。
「確かにそうだね。キャメロットの統合作戦本部がヤシマへの増援を渋る可能性もないわけじゃない」
ドレイクの懸念はダジボーグからテーバイ星系に向かうことを想定し、キャメロット星系の防衛を強化、すなわち、ヤシマへの艦隊派遣要請を却下する可能性があるということだ。
「その点は確かに懸念だが、司令長官とハース提督ならヤシマを奪われることの危険性をよくご存じだ。何とか統合作戦本部を説得してくれると信じるしかあるまい」
「それは難しいのではなくて? 政府もキャメロットの防衛を最優先するように軍に指示するでしょうし」
ドレイクがユーイングの意見に賛同する。
「特に今は間が悪い。保守党の有力な政治家がアルビオンに集まっているんだからね」
アルビオン王国は本国であるアルビオン星系と植民星系であるキャメロット星系を持つが、王国政府の機関はアルビオン星系の首都オベロンにある。年に一度、キャメロット星系政府の主要な政治家が王国政府と交渉を行うことになっており、今がちょうどその時期に当たる。
「いずれにせよ、当面は我々だけで帝国の大艦隊を迎え撃たねばならんということだ。いくつかのパターンに分けて作戦の素案を作ってある。それについて意見を求めたい……」
ダウランドは司令官室のスクリーンに作戦案を映し出す。
「まず状況から説明しよう。帝国のロンバルディア侵攻は早ければ六月中に実施される。その際、ロンバルディア艦隊が帝国艦隊に決戦を挑み、敗北したというシナリオだ。ダジボーグに艦隊集結という情報がキャメロットに届くのは更にその十日後、帝国がロンバルディアを掌握するのに一ヶ月掛けるとして、ヤシマに増派がすぐに決まってもギリギリのタイミングにしかならん。最悪の場合は我ら三個艦隊、ヤシマ四個艦隊、ヒンド二個艦隊の九個艦隊で戦うことになる……」
その後、様々なシナリオに沿った作戦案が提示され、三人の提督は活発な討議を行った。
ヤシマ派遣艦隊の方針が決まった。それは情報収集と訓練というありきたりのもので、当面は受動的なものとせざるを得ないという結論だった。
「……では、今後の方針だが、ダジボーグ方面を注視しつつ、ロンバルディア艦隊の動きを見極める。当面はヤシマ艦隊との連携訓練に励むしかないが、即応できるよう準備は怠らないように頼みたい……」
アルビオン艦隊側で検討が進められたが、ヤシマ側でも同じように戦略について検討が行われている。
防衛艦隊司令長官のオオサワは行政府の長であるサイトウ首相と面談していた。
「……アルビオンとの協力関係は問題ないレベルになっています。懸念があるとすれば、やはりロンバルディアでしょうな」
オオサワの発言通り、ヤシマ側でもロンバルディアの動向が最大の焦点だった。
「ヒンド共和国に増援を依頼しましたが、二個艦隊を派遣してくればよい方でしょう。それでも間に合えば九個艦隊になります。抑止力という点では一定の期待はできますが、戦力としてみると心許ない。やはりロンバルディア艦隊が必要になりますな」
サイトウは四角ばった顎を撫でながら、溜息を吐く。
「我々にとってよい情報は帝国が十三個艦隊しか用意できなかったことでしょう。帝国の輸送能力の限界がそこであったことが幸いしました」
「確かに。これでヤシマとロンバルディアの同時侵攻の可能性はほぼ無くなりました」
ヤシマには現在七個艦隊、ロンバルディアには六個艦隊が存在する。帝国艦隊も同数しかないため、確実に勝利を得るためにはどちらかに戦力を集中する必要があり、そうなれば精鋭アルビオン艦隊がいるヤシマではなく、ロンバルディアに向かうことはまず間違いない。
「間に合うかどうかはともかく、念のためヒンドとラメリク・ラティーヌには今一度戦略を伝えておくべきでしょう……」
オオサワとサイトウの会談は深夜まで続き、様々な方針が練られていく。
事態はダウランドやオオサワの想定通りに推移していった。