第七話
宇宙暦四五二一年八月二十三日。
キャメロット星系第三惑星ランスロットの衛星軌道上にある大型要塞アロンダイトの戦略戦術シミュレータ室で第九艦隊の参謀たちによる戦術検討が行われた。
副参謀長アルフォンス・ビュイック少将と旗艦艦長クリフォード・コリングウッド大佐が、首席参謀レオノーラ・リンステッド大佐率いる司令部の参謀チームを破るという結果だった。
第九艦隊司令官アデル・ハース大将が参謀長のセオドア・ロックウェル中将を従えてシミュレータ室に入り、その後、ビュイックとクリフォードも入室する。
「では講評を始めます」と言ったところで、リンステッドが抗議の声を上げる。
「帝国軍の動きが異常でした。前提条件がおかしかったのではないですか?」
それに対し、ハースは冷たい視線を送る。
「実際の戦いでは情報の誤りなどいくらでもあります。それを考慮して作戦を立てるのが参謀の仕事でしょう」
リンステッドは返す言葉を失う。
光速を超える通信手段を持たないため、情報の遅れや誤りは頻繁に起きる。そのリスクを前提に作戦を立てることは常識だ。実際、リンステッドが士官学校で教鞭を取っていた時にも同じことを言ったことがある。
「ですが、今回に限って言えば、情報に誤りはありませんでした。ダジボーグから七個艦隊が侵攻したのですが、輸送艦は十五個艦隊分を使っています。その輸送力を生かして、最大速度で侵攻したため、予想より五十時間以上早くテーバイ星系に到着できました。副参謀長、今回の作戦について説明を」
ハースの命令を受け、ビュイックが説明を始めた。
「今回の作戦の目的はアルビオン王国に強い危機感を持たせることにより、自由星系国家連合への関心を弱めることです。そのために第一目標としてアルビオン艦隊に一定以上のダメージを与えること、第二にテーバイ星系の一時的な支配権を確立すること、第三にFSUに対する援軍の出発を三十日程度遅らせることを考えました。そのためにテーバイへは最速で移動できる最大の艦隊数、すなわち七個艦隊を送り込んだのです……」
ビュイックは作戦の骨子を話していく。
「……また、ロンバルディア星系にはロンバルディア連合の防衛艦隊と同数の艦隊を派遣し、艦隊決戦を強要しました。帝国軍が優勢であれば、ロンバルディア軍は決戦を回避し、時間稼ぎを行う可能性があったためです。同数であれば、気位の高いロンバルディア人は決戦という選択肢を採るしかありません」
「それでも敵の支配星系の状況は分からないのですから、賭けの要素が強かったということかしら?」
ハースの質問にビュイックが答える。
「我々としてはギャンブルであったという認識はありません。もちろん、ロンバルディアの支配星系という不利な条件ですが、援軍の可能性はほぼゼロであること、ロンバルディア艦隊の増強は情勢的に難しいことは分かっていますし、例え同数であっても練度や士気を考えれば、二十パーセント以下の損失にしかならないと考えました」
シミュレータでの判定でも損失は十五パーセント程度で、ロンバルディア艦隊に圧勝していた。
その後もビュイックの説明が続いたが、終わる頃にはリンステッドも余裕を取り戻していた。
説明が終わった後、リンステッドがその美しいブルーの瞳に冷たい炎を見せながら質問する。
「副参謀長にお尋ねしますが、本当に可能な作戦だったのでしょうか? スヴァローグ帝国の艦隊がこれほど迅速に移動し、かつ、これほど合理的に戦うとは思えないのですが?」
その問いにビュイックではなく、ハースが答えた。
「私と参謀長の判定は、副参謀長の作戦は充分にあり得る合理的なものであるというものです。また、AIの判定も同様でした。それでもまだ不服があるようなら、総司令部と作戦部にこの情報を流して確認しても構いませんよ」
ハースの言葉にリンステッドは表情が硬くなることを自覚する。しかし、それを表面に出さないよう努力し、更に反論した。
「分かりました。ですが、このような作戦を帝国が採るとは思えないのですが。帝国の戦略は場当たり的でこのような緻密な作戦を好みません。実際、五十年前の戦争では力押ししかしなかったと記録に残っています。誤った前提で戦略を立てては方向性を誤るのではないでしょうか。その点はどうお考えですか?」
ハースは冷ややかな表情で「五十年前の情報を信じるのはあなたの自由です」と答え、
「ですが、今もその状態が続いていると何をもって判断するのか理解に苦しみます。現皇帝アレクサンドル二十二世は狡猾にして大胆な指導者です。断片的な情報しかありませんが、内乱時の戦略は見事なものでした。そう考えれば、この程度のことは充分やってのけると思うのですけど、違うかしら?」
リンステッドは論破され反論できなかった。
そして、元凶となったクリフォードに悔しげな視線を送る。
(この男がいなければこのようなことにはならなかった……)
その視線にクリフォードも気づいていたが、特に何の感情を見せることなく沈黙を守っている。
「では、今回の講評ですが、テーバイ星系で劣勢であるにもかかわらず艦隊を分離したことは大きな減点です。また、戦略目的をキャメロット防衛と考えたのであれば、無理に決戦に持ち込む必要はありませんでした。これは私の個人的な感想ですが、機雷原のあるJP付近で待ち構えればよかったのではないかと思います。これについて何か言いたいことは?」
リンステッドは「いいえ、提督」と答えるしかなかった。実際、自分でもあの判断が誤っていたと思っているからだ。
「コリングウッド艦長、あなたならどうしましたか?」と突然話が振られる。
「私なら本隊を無視して、全艦隊で補助艦艇を追い掛けました」
「テーバイを捨てて? キャメロットは無防備な状態なのよ。そんな危険な賭けに出る必要はないのではなくて?」
ハースは芝居掛かった口調でそう言った。クリフォードはハースなら自分の言わんとすることが分かっていると思ったが、周囲に聞かせるためだろうとそれに反論する。
「侵攻してきた帝国軍の最大の弱点は補給です。燃料ならアルビオンの物を流用することはできますが、主力兵器であるミサイルは三連射程度で枯渇してしまいます。また、燃料を流用できるといっても設備の規格が異なるため、補給に多大な時間と労力を必要とするでしょう」
「だからといってキャメロットを放り出して追撃するのはやり過ぎな気がするわ」
「補助艦艇を潰しておきさえすれば、帝国軍がキャメロット星系に入ったとしても補給の困難さを克服するすべがありません。逆に心理的に追い詰められるだけでしょう。そんな状態では満足な戦闘を行うことは難しいと考えます」
「なるほどね。ミサイルを使い切るわけにはいかないから、要塞を攻撃することもできないということね」
「はい、提督。アロンダイト、ガラティンという強力な要塞を有するキャメロット星系では精々民間施設への攻撃をちらつかせる程度の脅ししかできません。もちろん、国民感情を考えれば別の選択肢を採らざるを得ませんが、純軍事的に考えるなら補助艦艇を殲滅しに掛かる方が効果的だと考えます」
「確かに国民感情を無視することはできないわね」
「ですが、艦隊決戦で敗れても同じ結果になります。ならば、より確実な方法を選択することが軍人のあるべき姿であると考えます。それによって非難されるのであれば甘んじて受けるしかありません」
リンステッドはクリフォードの言葉に心の中で反発していた。
(きれいごとを! そんな単純な話じゃないわ。どんな司令官だって無理よ……)
その内心の言葉が聞こえたかのようにハースが代わって答えた。
「そうね。あなたならそうするでしょう。何度もそんな選択をしてきたのだから」
そこでリンステッドはクリフォードの経歴を思い出した。
(そう言えば、ジュンツェンでは味方を逃がすために砲艦で駆逐艦に挑んだと聞いたわ。それにシャーリアでは殿下をお守りするために自ら敵艦に斬り込んだとも……)
しかし、そのことで素直になったわけでもなかった。
(いつか化けの皮をはがしてやるわ。本当は英雄でも何でもないのだと……)
そんな彼女のことを無視して、ハースは最後にこう締めくくった。
「今回の戦術検討は結果こそ敗北というものでしたが、今後に役立つよい検討だったと言えるでしょう。首席参謀、そして参謀諸君、お疲れさまでした。また、旗艦艦長と士官たちも職務外の仕事に駆りだして申し訳なかったわね。でも、これからもちょくちょく手伝ってもらえるとありがたいわ。では、これで解散します」
全員が一斉に敬礼し、戦術検討は終了した。
その様子を観覧席から見ていた統合作戦本部の作戦部長ルシアンナ・ゴールドスミス少将はハースのやり方に感心していた。
(さすがは賢者ね。見事な人心掌握術だったわ。リンステッド以外は司令部も旗艦も上手くまとまるはず……)
更に退出しようとしているクリフォードの後姿を見つめ、
(それにしてもコリングウッド大佐は侮れないわ。提督たちが気に入っているというのがよく分かる。できれば私の部下に欲しいところだけど難しそうね……)
ゴールドスミスは悔しそうな表情を浮かべているリンステッドを一瞥する。
(これほど使えないとは思っていなかったわ。戦略部分はともかく、戦術部分であれほど無様な指揮を執るとは……士官学校で戦術を教えていたというのが冗談に聞こえるほど。これまでの評価はまぐれだったわけね。もう彼女とは関わらない方がよさそうだわ……)
他の見学者もリンステッドの指揮に対して批判的な言葉が多かった。特に第九艦隊の士官たちは「あの参謀たちで大丈夫なのか」と本気で心配する者もいたほどだ。
ゴールドスミスや見学していた士官たちのリンステッドに対する評価は酷な面もある。リンステッドは一定条件下、一個艦隊以下の比較的小規模な単位での戦術であれば充分に能力を発揮できる。
また、攻勢では能力を発揮できるが、守備は不得手であり、今回のような条件は本人の自覚はともかく、彼女の最も苦手とする条件だった。
そして致命的な点は、今回露見したように彼女に指揮官としての才能がないことだ。
もし、優秀な指揮官に助言する立場であれば、もう少し有効な策を考えられたかもしれない。
同情すべき点はあるが、今回のことでリンステッドの評判は地に堕ちた。
司令部において部下の参謀を締めつけていたことも暴露され、第九艦隊の司令部内で孤立することになる。ゴールドスミスが予見した通り、参謀長と副参謀長が各参謀を掌握することができたため、艦隊として不利益は生じることはなかった。
クリフォードはシミュレータでの勝利に対し、特に思うところはなかった。
ただ、旗艦の士官たちとの関係が一気によくなり、その点だけは感謝している。
その後、クリフォードは以前の艦と同じように、部下たちを徹底的に扱いた。
「“崖っぷち”の野郎の訓練好きは病気だぜ。旗艦はやることが多いんだ。そのことを考えろっていうんだ」という声が下士官たちの間であがる。
更に下士官だけでなく士官たちも不満を持った。
特に大尉以下の下級士官たちは自らの権限を超えた任務を与えられ困惑する。副長であるジェーン・キャラハン中佐はその状況を憂慮し、クリフォードに意見した。
「大尉以下の下級士官に艦の指揮を任せる訓練はいささか異常ではありませんか?」
それに対し、クリフォードは静かに反論する。
「私は中尉になったばかりの時に哨戒艦隊の指揮を執ったことがある。下級士官といえどもいつ何時そのような事態に陥るかは分からない」
キャラハンもゾンファ共和国の謀略でクリフォードが哨戒艦隊の指揮を執ったことは知っていた。(第二部参照)
その実例を持ちだされると反論しようがない。
クリフォードは更にキャラハンが驚くことを付け加える。
「私としては旗艦の士官には艦の指揮だけでなく、艦隊の指揮を執れるようになってもらいたいと思っている」
「艦隊の指揮ですか! それは……」と言い掛けて、彼が何を考えているのか理解する。
「旗艦が損傷を受けた場合を想定されているのですか?」
旗艦が被弾し運悪く司令官以下の将官が死傷した場合、戦闘指揮所にいる最先任士官が艦隊の指揮を引き継ぐことになる。これは艦隊運用規則に明記されていることで疑問の余地はないが、そのような事態をクリフォードが想定していることに驚きを隠せなかったのだ。
「その通りだよ、副長。戦場では何が起きるか分からない。これは私の少ない経験から得られた教訓なんだ。だから、君にもいつでも艦隊の指揮が執れるよう準備しておいてほしい」
そう言って最後に「そうならないように努力をするつもりだがね」と笑いながら付け加えた。
キャラハンはどう答えていいのか困惑するが、クリフォードが本気であることは感じている。
(艦長はいつもこんなことを考えているのかしら? 確かに可能性はゼロではないのだけど……いつも最悪の事態を想定しているから、あの崖っぷちな状況でも、あれほどの武勲を立てられたのかもしれないわね……)
その話を部下たちに伝えると、士官たちもクリフォードの考えに理解を示すようになる。
特に少佐以上の上級士官たちは厳しい条件での課題を与えられた。
戦術士のオスカー・ポートマン中佐は艦の戦闘指揮だけでなく、ダメージコントロールの指揮まで行うよう求められ困惑する。
「私がCICで倒れたら君がすべての指揮を執らなければならない。戦術士の任務は艦の戦闘指揮だが、CICに損害が出るほどの状況では艦を生き延びさせることが最優先事項だ」
「確かにその通りですが……戦術士は戦闘指揮が任務です。他のことに注力するより、任務に直結することに力を入れるべきではありませんか」
そう反論すると、クリフォードは小さく頷いた後、
「戦術士としての君の能力は充分に評価できるレベルだよ。しかし、艦全体の指揮に関してはまだまだだ。運用面、特に掌帆手の扱いを知らないことは大きな問題だ」
「しかし、私が艦長になる可能性は限りなく低いと思います」
ポートマンは参謀養成コースを経てインヴィンシブルの戦術士となった。大型艦の艦長は上級士官コース、いわゆる艦長コースと呼ばれる教育プログラムを経た者だけがなれるという慣習があり、そのことを指摘したのだ。
「確かに君は参謀養成コースだが、将来参謀長を経て司令官になるかもしれない。君もそのつもりなのだろう?」
「確かにそうですが……」
「ならば艦全体を見ることは悪いことじゃないと思うが?」
ポートマンは納得しがたかったが、それを受け入れた。その後、ダメージコントロールだけでなく、航法や通信など様々な経験を積んでいく。
そして、その経験が戦闘指揮でも役に立つようになる。艦が損傷を受けたような状況や主機関である対消滅炉が不安定な状況でどう戦えばよいかについて理解を深めていった。
(艦長が言うことがようやく分かった。戦術士は鉄砲屋と呼ばれているが、主砲をぶっ放すだけが戦闘じゃないということを初めて実感した気がする……)
この他にも航法長であるギルバート・デッカー中佐もステルスミサイルの迎撃指揮や対消滅炉が緊急停止した際の対応など、短時間で判断が求められる指揮を執らされる。彼自身、臨機応変の才がなく、対応は決して及第点ではなかったが、それでも以前より自信をもって指示が出せるようになっていた。
この他にもクリフォードは可能な限り准士官以下と話をするように心がけた。
特に整備時には手の空いている掌砲手や掌帆手から艦の特性などを聞きだそうと努力した。
「三等級艦の主砲はどの程度の頻度で集束コイルの調整を行うものなのだろうか? 私の陽電子加速砲の経験は砲艦のものしかないのだ。すまないが、教えてくれないだろうか」
当初は煙たがった下士官たちも合間に見せる自分たちへの敬意に気づき、クリフォードに心を開いていく。
一人のお調子者がクリフォードに軽い調子で話しかけた。
「艦長は変わっておられますね。今までの艦長は俺たちのことをほとんど気にしませんでしたよ」
その言葉にクリフォードは真剣な表情で答えた。
「私の父がよく言っていたんだよ。艦の宝はプロ中のプロである准士官と下士官だとね」
その話が下士官たちの間で一気に広がった。
半年もすると、下士官たちの食堂デッキでの会話に彼のことがよく出るようになる。厳しい訓練に対する不満も多いが、それでもクリフォードを評価する声も多く聞かれた。
「クリフエッジの大将は噂通りだな」
「ああ、俺の前の艦の友達が言っていた通りだぜ。あの艦長は俺たちをちゃんと見てくれるってな」
「だが、もうチョイ楽をさせてほしいもんだ。まあ、訓練後の配給酒の増配はありがたいがな」
「違いない。ハハハ!」
そんな会話が交わされるほどクリフォードはインヴィンシブルに馴染んでいた。
部下たちを鍛えるクリフォードだが、彼自身訓練を通じて巡航戦艦という艦種に魅了されていた。
戦術の幅を広げる軽快な機動性と強力な攻撃力。それらを駆使すればどのような状況でも対応できると思えるほどだった。
更に彼は巡航戦艦の特徴を生かすべく、先任の艦長や戦隊司令官に辞を低くして教えを乞うた。
巡航戦艦乗りたちはその謙虚な姿に戸惑った。
最年少の大佐とはいえ、クリフォードは二度の殊勲十字章を受勲するほどの武勲の持ち主だ。その武勲も独自の戦術を駆使して得られたもので、艦長たちは運で掴んだものではないことを理解している。
多忙な旗艦艦長でありながらもクリフォードは、困惑する艦長たちに積極的に教えを乞いに行く。その姿勢に艦長たちも心を動かされ、自らの持てる知識を伝授していった。
こうしてクリフォード自身も大きく成長した。
ハースはクリフォードの努力を見て、司令長官であるエルフィンストーンに自慢した。
「クリフは第九艦隊でも一、二を争う巡航戦艦乗りになりそうですよ」
「そのようだな。もう少し早く気づいていれば私の艦隊に引っ張ったんだが。今回ばかりは君に遅れを取った。“烈風”という名は返上しないといけないな。ハハハ!」
この話をハースから聞いたクリフォードは「まだまだです」とだけ答えた。