第四話
宇宙暦四五二一年八月三日。
クリフォード・カスバート・コリングウッド大佐は彼の指揮艦である第九艦隊旗艦、巡航戦艦HMS―C0301089インヴィンシブル級インヴィンシブル89に着任し、引き継ぎを終えた。
主要な士官たちと話をし、艦の状況を把握することに注力していく。
(副長は旗艦の副長を務めるだけのことはある。すべての面で抜きんでた能力を示しているし、人柄も全く問題がない。まあ、元々駆逐艦の艦長をやっていたのだから能力面で問題になるとは思っていなかったが……)
副長のジェーン・キャラハン中佐は上級士官コースを経て駆逐艦の艦長を務めた後、クリフォードの前任者に請われて旗艦の副長になったという変わった経歴を持つ。
それだけに艦の運用は完璧で、人事から補給計画、非常時の体制構築に至るまで、何一つ問題を見つけることはできなかった。また、人柄もよく、准士官や下士官たちが信頼していることが窺えた。
(航法長はまさに航法のプロだ。航宙日誌を確認したが、彼が立案した航宙計画は非の打ちどころがない。ただ気になるのは戦闘時における航法だ。エルフィンストーン提督の直感的な命令に完全に対応できていたとは言い難い……)
航法長のギルバート・デッカー中佐は航法士官として充分な経験を持っているが、前任の艦長の評価では臨機応変の才に欠けるとあった。実際、戦闘記録を見ても計画外の動きについていけず、副航法長や航法士が対応していることが多かった。
それだけではなく、出世街道をゆくクリフォードに対し劣等感を抱いているのか、壁のようなものを感じていた。
(私が上手く指示を出せば能力的には充分にあるから問題はないのだろうが、早く壁を無くさなければ……その点、戦術士は物怖じしない性格のようだ……)
戦術士のオスカー・ポートマン中佐はクリフォードより一ヶ月前に着任した士官だ。参謀養成コース修了直後に旗艦の戦術士になるほど優秀で、最初の顔合わせでもクリフォードに臆することなく話しかけている。
情報士のジャネット・コーンウェル少佐は口数が少なく冷徹な感じがする女性士官だが、前任者の評価では能力が高く、助言も適切であるとあった。
(副長以外は参謀型の人材ばかりだ。私が戦闘指揮所にいる時なら問題ないのだろうが、当直中に何かがあった時に不安が残る……)
更に司令部のメンバーについても思いを巡らせていく。
(参謀長は提督がおっしゃる通り、巡航戦艦のプロという感じだった。エルフィンストーン提督の下で戦隊司令をしていたから、もう少し熱い人だと思ったが、思ったより冷静な感じだ。だから提督も参謀長として招聘したのだろう……)
参謀長のセオドア・ロックウェル中将はがっしりとした体つきで華奢なイメージのある参謀とは一線を画している。若く見られるハースと異なり、白髪交じりの黒髪と鋭い鳶色の瞳、深いしわと鉤鼻により、まだ五十三歳なのに六十代と言われて信じてしまうほどだ。
その見た目もあってか、冷厳という印象をクリフォードは持った。
ただ、何となくわだかまりのようなものを感じており、気楽に話せる存在ではないとも思っている。
そして最も印象的だった人物のことが頭に浮かぶ。
(首席参謀は明らかに私を目の敵にしている。向こうは士官学校の席次も上位だし、同期の中でもトップを突き進んでいる人だ。近い将来、准将に昇進して統合作戦本部に戻るだろう。それが十歳近くも年下の私が同じ階級というのが許せないといったところか……)
首席参謀のレオノーラ・リンステッド大佐は現在三十七歳。士官学校で戦術教官を務めたこともある理論派だ。ショートカットにした金髪に灰色かかったブルーの瞳がやや冷たい印象を与えるが、整った容姿の女性士官だ。
実務面でも類い稀なる記憶力と戦術AIと揶揄されるほどの情報処理能力を持ち、第九艦隊の首席参謀としてエルフィンストーンの指揮を助けたことが評価されている。
しかし、“戦術AI”というあだ名の通り、人間の心理を洞察する能力に欠けているとも言われていた。実際、主導権を握った状況での作戦は芸術的なまでの緻密さを見せるが、臨機応変の才を求められる場合は適切な助言を行えていない。
そのため、ハースはリンステッドの作戦立案能力を過去の事例を組み合わせただけのものと考え、今のところほとんど評価していなかった。
そんなこともあってか、元総参謀長であるハースに良いところを見せようと無理をしているとクリフォードは感じている。
(いずれにしても私の任務はインヴィンシブル89を旗艦として恥ずかしくない艦にすることだ。他にも同じ戦隊の艦長たちのことを知って提督に助言するということもある。早くこの艦に馴染まねば……)
そんなことを考えながら、コンソールを操作し、愛艦の状況を確認していった。
しかし、その翌日からリンステッドら若手参謀からの嫌味に悩まされる。
「艦長はたびたび司令官室を訪れているようですけど、どのような話をされているのかしら? 旗艦とはいえ、一艦のことで提督の貴重なお時間を使うことは慎むべきでは?」
リンステッドの言葉には棘があった。しかし、クリフォードは冷静に対処する。
「提督から王太子護衛戦隊時代の話を聞かせてほしいと頼まれただけです。私の方から相談には上がっていません」
「あらそうなのですか? 提督はどうして小戦隊の話を知りたいのかしら?」
「理由は聞いておりません。ただ、王太子殿下はたびたびヤシマを訪問されておりましたので、ヤシマと自由星系国家連合の状況についてよく質問されます」
リンステッドは目を細めて、
「それは情報担当参謀の仕事では? 越権行為を見過ごすことはできません」
それでもクリフォードは「提督から質問されたことに答えることは越権行為に当たらないと思いますが」と平板な声で答える。
更にリンステッドが言い募ろうとすると、たまたま居合わせた参謀長のロックウェルがそれを止める。
「リンステッド大佐。この件ではコリングウッド艦長の言が正しい。もし、何らかの懸念があるなら、艦長ではなく提督に直接言うべきだ」
リンステッドは「了解しました」と答えて矛を収める。
ロックウェルはそれに頷くと、クリフォードにも釘を刺した。
「艦長も自らの職務を優先すべきだろう。君はこの艦にきて日が浅い。一日でも早く艦を掌握することが今すべきことではないかな」
「はい、中将」と答え、「ご助言ありがとうございます」と礼を述べる。
その如才ない受け答えにロックウェルは小さく頷きながら、クリフォードのことを考えていた。
(風聞される人物像とはまるで違う。あれほど勇敢で機略に満ちた指揮を執るのだから、もう少し才気溢れる、そう、リンステッド大佐のような人物をイメージしていたのだが、いい意味で裏切られた。提督はこの若者の性格を知った上で重要なポストを与えたのだろうな……)
彼はクリフォードを旗艦艦長としたいとハースから相談を受けた際、参謀たちとの間に軋轢が生じることを懸念し反対した。
また、若き英雄が指揮命令系統を無視することも懸念していたが、クリフォードと話をすることでその懸念は払しょくされている。
しかし、それでもクリフォードが旗艦艦長であることが第九艦隊の弱点にならないかと懸念していた。
(確かに優秀な士官だ。しかし、旗艦に英雄は必要ない。相当不利な状況にならない限り……それとも提督はそんな状況になるとお考えなのだろうか……)
その後、ロックウェルはハースの下を訪れ、そのことをストレートに聞いた。
ハースは一瞬呆けた顔をするが、すぐに笑みを浮かべ、
「私は予言者じゃありませんよ、参謀長。確かに賢者と呼ぶ人もいますけど、フフフ……」
「笑いごとではありません」とロックウェルは真面目な表情を崩さず言い、
「コリングウッド大佐を旗艦艦長に選んだ本当の理由をお聞かせいただけないでしょうか。単に優秀というだけではないと思うのですが」
「参謀長は真面目ですね」とハースは笑い、「では、本当の理由をお話ししましょう」と言って表情を引き締める。
「大佐は類い稀なる才能の持ち主です。特に既成概念に囚われない斬新な方法を考えることにおいては私以上でしょう」
そこでロックウェルが目を見開く。斬新な発想の戦略を立て続けていたハースが自分以上と断言したからだ。
「それだけではありません。彼の士官候補生時代のレポートを読みましたが、非常に視野が広いのです。敵国の政情を考えながら、相手の心理状態を的確に捉えられます。それに私よりも決断力を持っています。ただ一つ、彼に足りないのは経験。ですから、私の下で彼を育てようと考えました。これで答えになっていますか?」
戦略の天才と呼ばれているハースが自ら育てたいと言ったことに驚きを隠せない。
「閣下はコリングウッド艦長がアルビオン王国軍の将来を背負って立つ人物だとお考えなのですか?」
その問いにハースは曖昧に笑い、
「どうでしょう。将官と佐官以下では求められる資質が異なります。今までは才能の片鱗を見せてきましたが、将官としての才能を持っているかは今から見極めることになるでしょうね」
ロックウェルはその言葉を聞き、大きく頷いた。
(なるほど。提督は将来を見据えていたのか……参謀を取りまとめ、提督に助言するのが私の務め。もし、コリングウッド大佐の考えが艦隊にとってよいことであるなら、参謀たちの反対があろうが、私の権限で認めさせればよい……)
ロックウェル自身、一年前に参謀長という役職に就いてから、常に戸惑いを感じていた。自分は指揮官であって参謀ではないと。更にハース自身に高い作戦立案能力があったため、自分の役割が何なのか常に考え続けている。
今回クリフォードが配属されたことで、自分に求められる役割を明確に理解することができた。
ロックウェルはクリフォードと話をする時間を少しずつ作るようにした。
その行動を面白くないと思ったのがリンステッドら参謀たちだった。
司令官と参謀長の二人ともがクリフォードを重用しているように見え、自分たちの存在価値を否定されたように感じたのだ。
特にリンステッドは大きくプライドを傷つけられた。
(どうやって籠絡したのかは知らないけど、参謀長まで引き入れるとは……このままでは参謀の地位が下がってしまう。統合作戦本部のゴールドスミス少将に動いてもらった方がよさそうね……)
リンステッドは統合作戦本部の作戦部長ルシアンナ・ゴールドスミス少将に連絡を入れた。
ゴールドスミスは統合作戦本部で戦略を担当する作戦部の責任者だ。士官学校を首席で卒業した後、順調に出世を重ね、三十代で少将に昇進したエリートだ。
そのゴールドスミスだが、彼女は今、強い挫折感を抱いている。
彼女自身、計画立案能力は高く、ジュンツェン星系会戦後のヤシマ支援作戦では政略を含めた観点で艦隊を派遣する意義を訴え、ゾンファ共和国とスヴァローグ帝国の侵攻を防ぐことに貢献していた。
しかし、統合作戦本部に席を置くことが多かったため艦隊勤務が短く、実務を知らなすぎると、艦隊の指揮官やたたき上げの参謀たちと意見を衝突させることが頻繁に起きていた。また、性格にも難があり、気に入った者しか重用せず、統合作戦本部内でも人望があるとはいえなかった。
また、兵站や予算といったところまで気が回るため、計画立案能力こそ高いが、彼女自身が思っているほど戦略的なセンスはなかった。実際、ヤシマ支援作戦もスヴァローグ帝国の内戦終結のタイミングがよかっただけで、どのような計画であろうと帝国の侵攻はなかったという者もいるほどだ。
そのゴールドスミスが一方的にライバル視するハースは艦隊内外からの人望もあり、将来、制服組のトップ、統合作戦本部長にまで登り詰めると言われている。
そのため、ゴールドスミスは軍での出世を諦め、政界に進出しようと考えていた。しかし、与党保守党では軍出身のコパーウィートが軍務次官を務めており、そのコパーウィートと相性が悪かったことから野党民主党に接近するしかなかった。
リンステッドはそのことを思い出した。
ハースが旗艦艦長を参謀代わりにしているという事実だけでなく、クリフォードの義父、保守党の重鎮であるノースブルック伯を追い落とす材料になると言って接触すれば、ゴールドスミスも話を聞いてくれるのではないかと考えたのだ。
(統合作戦本部の作戦部が問題視すれば、提督も考え直すしかないわ。本当なら人事を司る軍務省を動かせればよかったのだけど、あそこはコパーウィート派が牛耳っているから無理だし……次善の策ではあるけど、この手でいくべきね)
リンステッドはそう考え、誰にも相談することなく、ゴールドスミスに話を持ち込んだ。
ゴールドスミスはお気に入りの後輩ということでリンステッドの話を聞いたが、話自体には興味を示さなかった。
「……あなたが言いたいことは分かったわ。でも、ハース提督は元々破天荒な方よ。艦長会議で宙兵隊や工廠の意見を聞くくらいなのだから。今更、その程度のことで問題視することはできないわ。特に参謀長まで認めているのであれば、一参謀であるあなたが何を言っても軍が動くことはないわね」
リンステッドはそれでも食い下がった。
「しかし、それでは参謀が軽んじられることになります。作戦部長である閣下はそれでよろしいのですか」
「あなたは思い違いをしているわね。ハース提督は参謀上がりの司令官なのよ。あの方が軍の重要ポストに就くということは参謀の地位が上がったということ」
そう言って諭した後、
「もし、コリングウッド大佐が本当に権限を逸脱しているなら、確固たる証拠を持ってきなさい。どのような手段を用いてもいいから」
そこで更に強めに警告を発した。
「でも注意しなさい。彼は王室にも国民にも人気があるわ。そんな人物に不用意に手を出せば、リンドグレーン提督の二の舞になるだけよ。あなたにその覚悟はあって?」
その問いにリンステッドは沈黙するしかなかった。
「残念だけど、私にはそんな覚悟はないわ。コリングウッド大佐は王太子殿下を始め、多くの力を持つ人物に気に入られている。でも、彼はそのことで増長していない。信じがたいことだけど、あの若さでそれだけの用心深さを持っているということよ。そんな人物にあえて敵対する気は私にはないわ」
リンステッドは反論することができなかった。しかし、ゴールドスミスも心の中では別のことを考えていた。
(この愚かな女を使えば、ハースの評判を落とすことができるわ。そうなれば私の評価も相対的に上がるはず。実際、ハースが提案している作戦と私が考える作戦には大きな差はないのだから。ハースが退場した後に帝国の野望を打ち砕けば、作戦部長である私の功績になる。後はリンステッドがハースの邪魔をしてくれたら……)
そこまで考えたところで、リンステッドに優しく微笑みかける。
「コリングウッド大佐と敵対するのではなく、仲間に引き入れるようにしなさい。そうすればあなたも提督に信頼されるでしょう」
その言葉にリンステッドは「はい」と答えるものの、その表情からは不満が垣間見えた。
「ではできることからやりなさい。まずは司令部を掌握するのです。部下の参謀たちの信頼を勝ち取れば、あなたという存在を提督も認めざるを得ないわ。そうなれば、コリングウッド大佐との関係は逆転するでしょう」
リンステッドはすべてに納得はいかなかったものの、ゴールドスミスが自分を評価していることに満足し、艦に戻っていった。
ゴールドスミスはリンステッドの性格を知った上で提案を行った。
プライドが高いリンステッドは幸運に恵まれただけと思っているクリフォードに歩み寄ることはできない。そして、自分以外に相談すべき相手もいないだろうから、第九艦隊の司令部で孤立する。
それを避けるため、部下の参謀たちを自分の方に引き込むことを考える。幸いなことに参謀長は参謀出身ではなく、副参謀長も人の機微に敏感というタイプではない。
リンステッドが暴走することで第九艦隊の司令部が二つに割れれば、ハースの将としての器量に疑問が持たれ、今の地位より上がることはなくなる。
もし、リンステッドが上手くやれなくても、彼女が暴走しないように助言しただけであり、自分の評判が落ちることはなく、ほとんどリスクを負うことないと考えていた。