第二十四話
宇宙暦四五二二年十月十一日標準時間二三〇〇
ストリボーグ藩王ニコライ十五世と自由星系国家連合及びアルビオン王国との間で講和に向けた条件のやりとりが行われた。
ニコライの代理である艦隊司令官ティホン・レポス上級大将は要求に限りなく近い回答を返した。
自由星系国家連合及びアルビオンの幹部たちは、皇帝ではなく藩王という微妙な立場の者と本格的な交渉を行うことについて、協議を行うこととした。
第九艦隊司令官アデル・ハース大将はその協議に先立ち、彼女のブレーンである参謀長セオドア・ロックウェル中将、副参謀長アルフォンス・ビュイック少将、首席参謀レオノーラ・リンステッド大佐を司令官室に呼んだ。
「今回の帝国との交渉について意見を聞かせてほしいので集まってもらいました」
そう言って全員を見た後、話し始めようとした。
しかし、ロックウェルがそれを遮り、
「コリングウッド艦長も加えるべきではありませんかな」と提案する。
ハースは僅かに驚きの表情を浮かべると、
「艦長を呼んでもよいのかしら?」とビュイックとリンステッドに尋ねる。
「ぜひとも彼の意見を聞きたいですね」とビュイックが笑顔で答えると、ハースの視線はリンステッドに向く。
「小官も同じです」とだけ答えるが、サバサバとした表情で今までのような敵意はなかった。
その表情にハースはニコリと微笑み、「分かりました」といってクリフォードを呼び出すよう副官に命じる。
クリフォードはすぐに現れた。
「お呼びと伺いましたが?」
その顔には呼び出された理由が分からないと書いてある。
「ええ、この後の会議に向けて、帝国への対応について意見を聞きたいと思っているの。三人ともあなたの意見を聞きたいと言っているわ」
その言葉にクリフォードは驚くものの、特に異議を唱えることなく席に着いた。
「では時間がないので単刀直入に聞くわ。帝国に対してどう対応すべきか、私の考えを聞いてちょうだい……」
ハースの考えは帝国内に再び内乱を起こさせるために、FSUとアルビオンがニコライに与するように見せるというものだった。
「内乱ですか。確かに我が国にとってもよいことですが、可能なのでしょうか」
ロックウェルが疑問を口にする。
「今の状況なら可能だと思います。皇帝と藩王の戦力はほぼ拮抗していますし、藩王は野心家だという噂ですから」
「仮に藩王が野心家であっても祖国の存亡という状況で内乱を起こすとは思えないのですが」
「おっしゃる通り、帝国が我が国やFSUに併合されるというのであれば藩王も動くことはないでしょう。ですが、我が国もFSUも帝国の領土に魅力を感じていません。そして、そのことは皇帝も藩王も理解しているでしょう。ですから、この機を利用して皇帝は藩王ニコライという不安定要素を排除しようとするでしょうし、藩王は皇帝の座を狙う千載一遇のチャンスと考えるでしょう」
ロックウェルは「なるほど……」と頷き、考え込む。
しかし、ビュイックが疑問を投げかける。
「ですが、艦隊だけでこのような方針を決めてしまっていいのでしょうか」
アルビオン王国は文民統制を基本としており、このような政策に近い戦略を勝手に決めることはそれに反すると指摘したのだ。
「確かに王国政府の国防委員会で決めるべきことね。しかし、布石を打つだけなら問題はないと思っているわ。国防委員会が内乱を起こさせる必要がないと判断するなら、これから先、帝国に干渉しなければいいだけの話だから。でも、この機を逃せば後からそうしたいと思ってもできなくなるわ。だから、ここは打てる手は打っておくべきだと思う」
ビュイックは「確かにそうですね」と納得する。
リンステッドが「一つよろしいでしょうか」と発言を求めた。
ハースがそれに頷いて認めると、
「布石とおっしゃられますが、具体的にはどのようなことをお考えなのでしょうか」
リンステッドの問いにハースは小さく頷き、
「藩王ニコライが“皇帝の代理”となったという実績を作ります。沈黙している皇帝がどう出るかは分かりませんが、不愉快なことに違いはないでしょう」
「確かにおっしゃる通りですね。それにこの程度の布石であれば、問題になることはないと思います」
リンステッドが納得したところで、クリフォードが初めて口を開いた。
「閣下のお考えに反対ではないのですが、早期に帝国内で内戦が起きる状況は好ましくないのではありませんか」
意外な言葉にハースは「どういうことかしら?」と首を傾げる。
「今回の戦争で我が国とFSUは大きな損害を受けています。その原因となった帝国から何らかの補償を得なければ、今回の戦いに関係していない第三国だけが相対的に有利な状況になります。そうなれば、再び戦争が起きるのではないかと」
「つまり、アルビオンやFSUが力を落とした今を狙って、ゾンファが漁夫の利を得ようとすると……それは考えなかったわ。あなたならどうするのかしら。考えはあるのでしょう?」
そう言ってハースは覗きこむようにクリフォードの目を見る。
「皇帝と藩王の両方に王国とFSUが後ろ盾になる可能性を示すのです。そうなれば、にらみ合う状況を作り出すことができます。その間に帝国の開発に協力するという名目でヤシマが資金を得て、それを王国に回すような仕組みを作れば、帝国の国力を落としつつ、我が国の国力回復に資することができるでしょう」
「それは帝国内の利権をヤシマに吸い取らせるということかしら? 確かに有効な手ではあるけれど、時間を与えれば皇帝が力を取り戻してしまうわ。帝国が彼の手で本当に統一されたら厄介だと思うのだけど」
ハースはニコライよりアレクサンドルを警戒していた。
今回の一連の戦いでも一歩間違えれば帝国の大勝利に終わっただろう。特にヤシマ星系でのチェルノボーグJP会戦は、ハースの献策で艦隊を早期に送り込んでいたため勝利できたに過ぎない。
もし、統合作戦本部の当初の案のままであったら、ロンバルディア艦隊が計画通りヤシマに移動できたとしても、僅か三個艦隊しかないアルビオン艦隊では帝国の侵攻を防ぐことはできなかった可能性が高い。
それほどまでにアレクサンドルの戦略は危険だった。
「その危険性は否定できませんが、皇帝が即座に権力を掌握したとしても十年程度は再侵攻できません。逆ににらみ合いが続けば、我々に資金が流入する分、有利になるのではないでしょうか」
クリフォードもアレクサンドルがより危険であると考えているが、ニコライも思った以上に狡猾であり、大きな差はないのではないかとも思っている。
「確かにそうね。でもヤシマが協力するかしら。国民感情的にもそうだけど、帝国内で開発を行ってもいずれ帝国に奪われるのだから、無駄な投資はしないと言いそうな気がするわ」
「その点は難しいところです。私も専門家ではないので何とも言えないのですが、短期で資金を回収できるプロジェクトを考えてもらえば、大きな損失を被ることはないのではないでしょうか。後は皇帝個人に資金の一部を回すと約束して、長期的に回収するという手もあると思います」
「その点はヤシマの外交官の意見を聞いた方がよさそうね。他に意見はないかしら」と言って参謀長以下の顔を見ていく。
三人はそれぞれ意見がないと答え、会議は終了した。
司令官室を出た後、リンステッドはクリフォードに話しかけた。
「あなたは凄いわね。私ではとても思いつかないわ」
「そんなことはありません。私は大佐を素晴らしい参謀だと思っています」
「お世辞はいいわ」とリンステッドは笑うが、クリフォードは真剣な表情を崩さない。
「本隊を生かすために、いえ、祖国を守るために自らを犠牲にする策を立てられました。私は何度もそのような考えの方に助けられていますが、未だにその境地に達したことはありません」
リンステッドはその言葉を意外に感じた。
「あら、あなたの武勇伝には指揮官を守ろうとして身を挺したというのもあったのでは? それに王太子殿下をお守りするために倍する敵に向かっていったはずよ」
そこでクリフォードが初めて表情を崩し、苦笑する。
「私は無我夢中で戦っていたに過ぎません。大所高所から判断したことはありません」
「そうなの……」と考え込む。
そして、何かを思いついたのか、クリフォードの顔をまじまじと見た。
「一つ教えてほしいのだけど、あなたはどうしてそこまで考えられるのかしら」
想定外の問いにクリフォードは言葉に詰まる。
数秒ほど考えた後、一つの答えを出した。
「父の影響が大きいですね」
「お父上の? 戦艦の艦長をされていたと聞いたことがあるのだけど、戦略家でもあったということかしら」
クリフォードの父リチャードは“火の玉・ディック”と呼ばれるほどの熱血漢で、戦艦の艦長として名を馳せた人物だった。そのことをリンステッドも知っており、疑問を口にした。
「いいえ。父は生粋の戦艦乗りです」
「ではなぜ?」
「私は父のような軍人を目指していました。いえ、今も父を指標として任務に当たっています。未だに父には及びませんが……」
そこでどう言っていいのか考えるため、言葉を切った。
「……幼い頃、父からよく軍の話を聞きました。父が常々言っていたことは“部下たちを信じろ”と“目的を見失うな”です。部下たちのことは言うまでもないですが、その“目的を見失うな”について、父が教えてくれたことは“目的が何かはっきりしていれば、おのずとやることが見えてくる。そのためには常に何をすべきか考え続けろ”ということでした」
リンステッドは目を見開いて聞いていた。
「目的を見失うな……そうね。とてもいい言葉だわ。そして、とても重い言葉。特に私にとっては……」
「私は器用な方ではありません。何が最善かを考え続けていますが、一人で考えているだけはよい考えは浮かびません。いろいろな人に教えを乞い、まとめているに過ぎないのです。その結果、運良く使える案を思いつくだけなのです」
「運だけではないわ」とリンステッドは苦笑するが、
「教えを乞うか……あなたのその謙虚さが私との大きな違いということね……」
そこでニコリと笑い、「忙しいところ引きとめてごめんなさい。でも、いい話を聞かせていただいてありがとう」といい、その場を去っていった。
その様子をロックウェルが見ていた。
(首席参謀も少しは変わったようだな。これが提督の狙ったことなのか。やはりあの方には敵わないな……)
ロックウェルはそう考えながら、自室に戻っていった。
連合艦隊の主要なメンバーがヤシマ艦隊の旗艦に集まった。
ヤシマ首相タロウ・サイトウが議長役となり、各国の意見を取りまとめていく。
ロンバルディア艦隊のファヴィオ・グリフィーニ大将は帝国が約束を守る可能性が低いと考えるものの、
「受け入れざるを得ないでしょう。この状況が長く続けば、敵は戦力を増強させ、更に強気に出てくるでしょうから」
それに対し、アルビオン艦隊の総司令官ジークフリード・エルフィンストーン大将が発言する。
「ダジボーグでの採掘権を得ても貴国及びFSUに恩恵はないのではないですかな」
「そうなりますが、今は少しでも有利な条件で条約を締結した方が良いと考えます」
そこでハースが発言を求めた。サイトウは小さく頷いて認める。
「まず現状について整理が必要です。帝国は多くの艦艇を失いました。それも皇帝アレクサンドル二十二世直属のダジボーグ艦隊を中心に。そして我々ですが、FSUと我がアルビオン王国は共同戦線を張り、帝国と戦いました。両国の艦隊を合わせれば、ダジボーグだけでなく、ストリボーグ、更にはスヴァローグすら攻め落とせる能力を有していることは明らかです」
そこでグリフィーニが「しかし、それは現実的な話ではないのではありませんかな」と口を挟む。
彼の他にもロンバルディアやヤシマの将官たちが頷き、その意見に同調する。
「もちろんです。我が国もこれ以上領土を増やしても負担が増えるだけでメリットがありません。ですが、帝国との交渉において、この点を強調することは可能ではないかと考えます」
「皇帝と藩王のいずれに対しても脅しを掛けるということですか」とサイトウが確認する。
「はい」と大きく頷くものの、すぐに否定的な話を始める。
「しかし、脅し過ぎることは危険です。帝国は一枚岩でありませんが、危機感を持てば帝国が一つにまとまってしまいますから」
「言っていることが矛盾しているように感じるのだが」とエルフィンストーンが首を傾げる。
ハースはそれに明確に答えることなく、話を続けていく。
「我々はダジボーグ、ストリボーグの両星系に対し、大兵力をもって攻め込むことが可能です。つまり、帝国内で今後発生するであろう内戦に対し干渉することが可能です。それも強大な力をもって干渉することが」
グリフィーニが分かったという感じでポンと手を叩き、
「それは皇帝と藩王に対し、脅しを掛けるように見せておきながら、一方では我々の戦力が期待できると思わせるということですかな」
ハースは笑みを浮かべて頷く。
「その通りです。特に皇帝は多くの戦力を失いました。現状では皇帝と藩王の戦力はほぼ拮抗しています。この状況で内戦が勃発すれば皇帝が代わる可能性すらあるのです。戦争を仕掛けた皇帝はともかく、藩王はFSU及びアルビオンに対し心証をよくしておき、あわよくば援軍となってほしいと考えるはずです。皇帝も藩王がそう考えることは容易に想像できますから、その点を上手く突けば、交渉を有利に進めることができるのではないでしょうか」
「だが、藩王ニコライも愚かではありますまい。外国の力を借りて皇帝の座に就こうとすれば国内の反発を受けます。そこまで考えぬのではありませんかな」
サイトウがそう言うとハースはもう一度大きく頷き、
「小官もその可能性はあると思っています。しかし、皇帝と藩王が互いに不信感を持ち、牽制してくれるだけでも、交渉を有利に進められるのではないでしょうか」
「つまり、藩王と秘密裏に交渉し、皇帝の不安を煽る。更に藩王に対してもこちらが皇帝と密約することを匂わせるということですかな」
サイトウの問いにハースは大きく頷いた。
「サイトウ首相には難しい交渉をお願いすることになりますが、今回の戦争で少しでも得るものがなければ、貴国のみならず、多くの国で指導部が不信感を持たれることになります。ここが正念場と考えていただければと思います」
サイトウは「私に腹芸を期待されても……」と言いかけるが、
「分かりました。何とかやってみましょう」と言って了承した。
その後、交渉に参加するサイトウ、グリフィーニ、ハースの三人の役割分担などを含め、綿密な打ち合わせを行っていった。
次話が最終話になります。




