第二十一話
宇宙暦四五二二年十月一日標準時間一三二〇
スヴァローグ帝国のダジボーグ星系において、帝国艦隊とアルビオン王国・ロンバルディア連合の連合艦隊が激突した。
帝国艦隊に対し、連合艦隊は倍する戦力を持っていた。しかし、地の利を生かした帝国艦隊は巨大ガス惑星サタナーの円環を利用した伏兵と、大規模なステルス機雷原により、連合艦隊を一時危機的な状況に陥らせることに成功する。
一方の連合艦隊側も無策ではなかった。
アルビオン王国のキャメロット第九艦隊はその状況を打破するため、機動力を生かして帝国艦隊の側面に出る。
通常の艦隊戦では行うことがないような強引な機動であり、第九艦隊の防御力は著しく低下する。しかし、帝国艦隊は正面の大艦隊への対応に追われ、第九艦隊への対応が後手に回っていた。
第九艦隊の司令官アデル・ハース大将は敵艦隊の後方を抜けながら敵に混乱を与え、ロンバルディア艦隊と合流した後、半包囲で攻撃を加えるという作戦を実行しようと考えていた。
帝国艦隊でもその意図に気づいており、ステルスミサイルによる長距離攻撃で脆弱な後方に回られることを何とか食い止めている。
ハースは力強く命令を発した。
「全艦最大加速で前進! 攻撃を加えつつ、敵の後方に抜けます!」
この時、第九艦隊は艦隊全体では二十パーセント以上のダメージを受けていたが、主力となる巡航戦艦や重巡航艦に大きな損害はなく、最大加速で前進を開始する。
「ステルスミサイルはダジボーグ艦隊に打ち込んで混乱をもたらしなさい! スヴァローグ艦隊には主砲とカロネードで防御スクリーンに負荷を与えます。その後のことは“烈風”や“海賊の女首領”に任せましょう」
烈風は第一艦隊司令官ジークフリード・エルフィンストーン大将の、海賊の女首領は第三艦隊のヴェロニカ・ドレイク大将のあだ名で、どちらもアルビオン軍の猛将として名高い提督たちだ。
アルビオン艦隊本隊はダジボーグ星系のエネルギー供給プラントを破壊すべく、長距離攻撃に切り替えていた。帝国艦隊はプラントの防衛を放棄し、有人惑星ナグラーダに撤退すべくタイミングを計っていた。
第九艦隊旗艦インヴィンシブル89の艦長クリフォード・コリングウッド大佐は戦闘指揮所で自艦の状況を冷静に分析していた。
(我が艦はまだ戦える。問題は防御スクリーンだな。幸い機関にダメージを受けていないから何とかなっているが、この状況が続くと危険だ。先ほどは運がよかったが、いつ大きな損傷を受けてもおかしくはない……)
一度大型ミサイルの至近弾を受け、左舷側に損傷を受けている。また、敵戦艦の主砲の直撃も受けており、危険な状況であることに変わりはなかった。
その時、CICのメインスクリーンが発光する。
「重巡航艦主砲直撃! スヴェトラーナ級です! 防御スクリーン負荷八十パーセント……七十……」
敵の攻撃が熾烈になっていく。既に敵艦隊の後方に回り込んでおり、帝国軍としてもこれ以上深入りされる前に殲滅しようとしていた。
首席参謀レオノーラ・リンステッド大佐が「ステルスミサイル、全基発射してください」とハースに伝えた。リンステッドはダジボーグ艦隊に最大限の被害を与えるタイミングを計っていたのだ。
それを受けたハースは特に確認することなく、
「全艦、ミサイル発射!」と鋭く命じた。
その命令を受け、クリフォードもステルスミサイルの発射を命じる。
「スペクターミサイル発射。ミサイル班はカロネード班の支援に向かえ」
「了解しました、艦長」と戦術士オスカー・ポートマン中佐が答え、更にミサイル班の掌砲手の「了解しました、艦長!」という了解の声がスピーカーを通じて聞こえてくる。
インヴィンシブルのミサイル搭載数は八基であり、二連射分しかない。ミサイルを撃ち尽くしたため、調整が難しいレールキャノン、通称カロネードに向かわせたのだ。
約四千隻の艦から二万基に及ぶステルスミサイルがダジボーグ艦隊に向けて発射された。
しかし、第九艦隊はその結果を見ることなく、スヴァローグ艦隊に向かっていく。
無理な艦隊機動で速度が上がったままの第九艦隊に帝国艦隊は情け容赦なく砲撃を加えていく。
一般的に惑星近傍の星間物質濃度が高い場所での艦隊戦は光速の一パーセント未満の速度まで落として戦う。速度が高いと星間物質が防御スクリーンにぶつかり、そのエネルギー分が負荷となるためだ。
第九艦隊は元々巡航戦艦や巡航艦主体の防御力の低い艦で構成されている。それが光速の三パーセント強という高速で機動しており、防御スクリーンに大きな負荷が掛かり、通常なら処理できる小型艦の攻撃でも被害が出始めていた。
「このままでは敵艦隊の後方を抜ける前に艦隊が瓦解します。ご再考を」
副参謀長のアルフォンス・ビュイック少将が艦隊の被害を示すデータと共にハースに進言する。
「このまま突っ切る方が安全です。下手な動きをして敵に付け入る隙を与えてはいけません」
「ならば、せめて旗艦を下げていただきたい。このままでは旗艦が沈められるのは時間の問題です。そうなった場合、艦隊全体が混乱し、全滅の可能性も出てきます」
「それもできないわ。旗艦が先頭にいてこそ、みんなは付いてきてくれるのです。クリフ、あなたの意見はどう?」
「正直に言えば下がるべきだと思いますが、最善を尽くすのみです」
短くそれだけ返し、すぐに艦の指揮に集中する。
「議論の時間はないわ。リンステッド大佐、カロネード使用のタイミングはどうかしら?」
「三百秒後に左舷に十五度艦首を振り、そこで一斉発射します。更に加速し、戦場を離脱。このタイミングで散弾を放出すれば、敵艦隊だけでなく、エネルギー供給プラントにもダメージを与えることができます」
「つまり、避ければプラントに当たるから艦隊が盾にならないといけないということね」
「その通りです」
「それで行きましょう。では、この作戦プランを各戦隊司令部に送付してちょうだい」
しかし、その作戦は使われることがなかった。
送信直後、状況が一変する。
「スヴァローグ艦隊に動きあり! 我が方に艦首を向けました!」
リューリク・カラエフ上級大将率いるスヴァローグ艦隊が第九艦隊に相対するよう艦首を向けた。完全にロンバルディア艦隊に背を向ける形で後方ではいくつもの爆発が確認できる。
「こちらを殲滅しながらナグラーダに逃げるつもりね。ダジボーグ艦隊も逃げるつもりだわ」
「まだステルス機雷を隠しているのでしょうか?」とリンステッドが質問する。
「それは分からないけど、何か罠があるのかもしれないわ。いいえ、もしかしたら罠はなくてブラフなのかもしれないけど……それでも私たちは前に進まないといけないわ。この速度ではすれ違うしかないのだから」
スヴァローグ艦隊との距離も縮み、第九艦隊だけが孤立している状況だった。右舷側に舵を切って回避するしかない。
敵の攻撃が激しくなり、防御スクリーンが何度も発光し、味方の艦が次々と爆発していった。
ダジボーグ会戦は終結に向かっているが、第九艦隊は危機的状況に陥っていた。
帝国艦隊の主力、スヴァローグ艦隊の司令官カラエフは決断を迫られていた。
既にエネルギー供給プラントを放棄することは決まっている。
しかし、アルビオン第九艦隊の側面攻撃により、思った以上に損害が増え、特にダジボーグ艦隊は正面のアルビオン艦隊本隊と第九艦隊に挟撃される形となり、時間と共に被害は増大していた。しかし、これ以上艦隊を損耗させるわけにはいかない。
「まだ間に合う。ナグラーダに向けて転進せよ。敵高機動艦隊粉砕後、最大加速でナグラーダに向かえ!」
帝国艦隊の弱点は低い加速性能にあった。攻撃力を重視しているため、加速性能は全般的に二割程度低く、高機動艦である軽巡航艦でも五kGの加速力しかない。この加速性能は他国の重巡航艦や巡航戦艦と同等で、軽巡航艦が旗艦となる駆逐艦戦隊の機動力を大きく落とす要因になっている。そのため、大型艦から機動力を使って逃げるという選択肢が採りにくいのだ。
特に戦艦の加速性能の低さは致命的で、撤退する場合、何らかの策を弄さなければ戦場を離れることすら困難だった。
そのため、カラエフは最後の手を打った。
「アルビオン本隊に向けてミサイルを発射せよ!」
帝国艦隊の大きな特徴は遠距離攻撃に特化している点だ。
特に駆逐艦の主力兵器は大型ミサイルであり、すべて撃ち尽くせばスループ艦並みの戦闘力しか持たなくなる。通常は二連射分しかなく、既に一度一斉発射しているため、ここで発射すればミサイルはなくなってしまう。
しかし、カラエフにその悲壮感はなかった。
アルビオン軍でも帝国艦隊のミサイル発射搭載数を把握している。そして、帝国軍がミサイルを使い切れば自分たちの勝利であると考えていた。
帝国艦隊のミサイル攻撃が行われた。
アルビオン本隊とは距離が離れていることから、攻撃の結果が現れるのは十分後だが、アルビオン側もミサイル発射を掴んでおり、安易に前進できずにいた。
「ダジボーグ艦隊に撤退命令を。脱出を優先せよと伝えよ」
アルビオン本隊と対峙していたダジボーグ艦隊が次々に艦首を左に向ける。アルビオン艦隊から激しい砲撃があり、いくつもの爆発が起きる。
しかし、サタナーの円環を遮蔽にした巧みな機動により、艦隊の崩壊までには至っていない。
アルビオン艦隊本隊はゆっくりと前進してくる。
ミサイルへの対応を考慮し加速度を抑えたもので、大艦隊による圧力をひしひしと感じている。
アルビオン艦隊本隊との距離が詰まることで、駆逐艦などの小型艦も砲撃に加わり始める。
そのため、側面をさらす帝国艦隊の損害はそれまでとは比較にならないほど増加していく。
それでもカラエフは冷静だった。
「敵高機動艦隊に砲撃を集中せよ! 一気に蹴散らしてしまえ!」
その直後、帝国艦隊はそれまでの鬱憤を解消するかのごとく、猛烈な砲撃を第九艦隊に叩き付ける。
第九艦隊では機動力を生かした回避機動で対応しようとしたが、数倍の敵からの砲撃に次々と沈められていく。
旗艦インヴィンシブル89は艦隊の先頭に立ち、敵に少なくない出血を強要していた。しかし、スヴァローグ艦隊の猛攻によりインヴィンシブルも何度も直撃を受ける。
「アヴローラ級重巡航艦主砲直撃!」
「G甲板L23ブロック減圧! 隔離操作開始します! 第一、第二隔壁閉鎖……隔離操作完了。隣接ブロック減圧なし……」
「戦術通信系故障! バックアップ系に切り替え中。切り替え完了……戦術通信系は一系統で運用中です! 旗艦機能喪失の可能性あり!」
「主兵装冷却系統過負荷警報発信中! 主砲の発射間隔を大きくしてください!」
戦闘指揮所は警報音と人工知能の警告に支配される。
「戦闘継続に必要な処置を優先せよ。艦隊運用規則の逸脱も許可する」
クリフォードの命令に「「了解しました、艦長」」という声が返ってくるが、この状況でも冷静さは失われていない。
(まだ戦える。しかし、この状況が続けば……駄目だ。弱気になるな! ここで私が弱気を見せれば士官たちに伝染する。そして、それは艦全体の士気を下げることになる。今は何としてでも艦を守り抜くという意思を見せなければ……)
クリフォードは自らを叱咤する。
彼が考えるように指揮官が不安を抱けば不思議と組織全体に伝わる。そして、その不安は指揮への不信となり、組織が崩壊することすらあるのだ。指揮官は常に自信を見せて部下たちの範とならねばならない。
「主砲命中! ヴァリャーグ級重巡航艦撃沈!」
情報士のジャネット・コーンウェル少佐の声が響くと、CICに歓声が上がる。
クリフォードはその歓声を「戦いに集中するんだ!」と一喝して静める。
「主砲命中! ルブヌイ級軽巡航艦轟沈!」
インヴィンシブルは艦隊の先頭で獅子奮迅の戦いを見せていた。しかし、その間にも敵の砲撃は続いており、危機的な状況であることは変わっていなかった。
クリフォードらの後ろでは艦隊司令部の要員たちが分艦隊司令部や戦隊司令部への命令伝達に四苦八苦している。
「第五巡航艦戦隊司令部連絡途絶! 旗艦デヴォンシャー243撃沈された模様!」
「第二十六駆逐艦戦隊より救援要請あり!」
「第二分艦隊司令部より針路変更の具申あり! 敵の下方を抜ける針路の提案がきております」
それに対し、ハースは次々と命令を下していく。
「第五巡航艦戦隊は先任順位に従い、指揮権の確立を急ぎなさい。救援要請にはすべてこう答えなさい。司令部に余剰戦力なし、命令に従い攻撃を継続せよと。第二分艦隊には提案の却下と現在の針路を維持せよと伝えなさい」
「了解しました、提督。攻撃継続を徹底させます」
参謀長のロックウェルが未だに回復していないため、副参謀長のビュイックがそれに了解する。
首席参謀のリンステッドはその混乱の中、打開策の検討に没頭していた。
当初の作戦ではダジボーグ艦隊にステルスミサイル発射後、スヴァローグ艦隊にカロネードによる攻撃を掛けて混乱させ、その間に敵の後方をすり抜けるというものだったが、現状ではスヴァローグ艦隊のすべてが自分たちに向かってくるため、すり抜けようがない。
更に艦隊は〇・〇三Cで敵に向かっており、ベクトル的にどの方向に向かっても危険な状況であった。
(こちらの強みと敵の弱みをよく考えるのよ。敵はできるだけ早く撤退したいはず。だから我々に関わっている時間はないわ。それにミサイルはほぼ使い切っている。その証拠に今受けている攻撃でミサイルはまったく使われていない……スヴァローグ艦隊はダジボーグ艦隊を逃がすために何を考えている? ステルス機雷は使い切ったし、ミサイルもない……本当にそうかしら? 何か性質の悪いペテンを考えている気がして仕方がないわ……)
リンステッドは参謀用コンソールを操作し、カラエフの狙いを必死に探っていく。




