第十九話
宇宙暦四五二二年十月一日標準時間一二二〇
ダジボーグ星系第五惑星サタナーは木星型巨大ガス惑星である。サタナーには三つの大型衛星と十数個の小型衛星があるが、その他にも重力圏に捉えられた多くの氷塊や岩塊が浮遊し、薄い円環を作っている。
ここには文明の血液であるエネルギーを供給するための工場が五つあり、軍需民需を問わず、当星系のほぼすべてのエネルギーを供給している。
スヴァローグ帝国軍はそのプラントを死守せんと、ヤシマ星系で傷ついた艦隊を出撃させた。
その数二万二千隻。すべて戦闘艦で、サタナーを盾にするかのように配置され、輸送艦などの補助艦艇は三十光秒後方に待機している。
一方のアルビオン王国及びロンバルディア連合によるダジボーグ進攻艦隊は十一個艦隊約五万五千隻。帝国艦隊と同じように補助艦艇を切り離し、五十光秒後方に待機させている。
戦闘艦はアルビオン艦隊が約二万七千隻、ロンバルディア艦隊が約二万二千五百隻。サタナーを挟むようにして五十光秒の位置で、帝国艦隊と対峙していた。
アルビオン艦隊が右翼を、ロンバルディア艦隊が左翼を担当し、その後方十光秒の位置にアルビオンの第九艦隊が予備として置かれている。
アルビオン及びロンバルディア両国の将兵は勝利を確信していた。
ヤシマ艦隊を除く前衛だけでも戦力比は二倍を超えている。また帝国艦隊の多くの艦が傷付いたまま応急補修さえ満足に完了していない。
総司令官ジークフリート・エルフィンストーン大将はアルビオン、ロンバルディアの両艦隊にそれぞれ指示を出している。
アルビオンは右から、ロンバルディアは左から迂回して攻撃するよう命じたのだ。但し、ロンバルディア艦隊に示した航路はアルビオンより大回りで、射程距離に入るタイミングは十分以上遅くなる。
ロンバルディア艦隊の指揮官ファヴィオ・グリフィーニ大将は進撃に先立ち、麾下の艦隊に厳しい口調で訓辞を行った。
「チェルノボーグJP会戦を忘れるな! 戦意を抑え司令部の命令を遵守せよ! ここで同じ過ちを繰り返せば、祖国を取り戻すことなどできぬと思え! この戦いに勝っても帝国の脅威が去るわけではないのだ。蛮勇を捨て、叡智をもって戦うのだ!」
彼だけでなく、ロンバルディアの軍人はチェルノボーグJP会戦での失態を恥じていた。特に暴走を許した艦隊司令官や戦隊指揮官は言い訳のしようがなく、他国の将官の冷たい視線を受ける屈辱に耐えるしかなかった。
そのため、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう、暴走した艦の指揮官を更迭し、組織の引き締めを図っている。しかし、その処置はただでさえ経験不足の指揮官の質を更に下げることになった。
グリフィーニはそのことをエルフィンストーンに正直に伝えていた。エルフィンストーンはそれを理解した上でロンバルディア艦隊に命令を出していた。
「貴艦隊は我が艦隊と帝国艦隊の交戦後に攻撃を開始してください。そのため、可能な限り時間を掛けて回り込んでいただきたい。そうすれば、敵は我が艦隊と交戦せざるを得ず、貴艦隊は敵の側方から一方的に攻撃できるでしょう」
こうして五万隻弱の戦闘艦は左右にきれいに分かれて帝国軍に向かった。
第九艦隊はゆっくりと前進し始めた。しかし、上下左右のどの方向に向かうわけでもなく、サタナーにまっすぐ向かう針路だった。
標準時間一二三〇
アルビオン艦隊と帝国艦隊の戦艦が同時に攻撃を開始した。距離は三十光秒と最大射程距離であり、両艦隊とも不運な数隻の艦が爆発するだけで、防御スクリーンを発光させるに留まっている。
「落ち着いて狙うんだよ! 敵の数は少ないんだ!」
第三艦隊司令官、“海賊の女首領”のヴェロニカ・ドレイク大将が司令官シートから豪快に叫ぶ。
「だが、無茶はするんじゃないよ! 敵は死に物狂いで攻撃してくるはずだからな!」
その言葉遣いの荒さに司令部内には苦笑する者もいたが、艦隊の各艦ではいつも通りの姿に士気が上がる。
「うちの親分はやる気のようだな」
「全くだ。だが、俺たちは宇宙海賊じゃないんだがな」
そんな会話が下士官たちの間でなされていた。
また、第十艦隊では温厚な紳士であるジョアン・ヘイルウッド大将が落ち着いた口調で艦隊に指示を出していた。
「敵の動きに惑わされぬよう充分に注意せよ。敵が何か策を弄している可能性があると、“賢者”殿が言っているのでな」
今回派遣されたアルビオン艦隊において最も長い軍歴を誇る彼も、帝国軍に何らかの策があると考えていた。ただ、その策自体を見出すことができず、どのような事態になっても落ち着いて対応することを言い聞かせようとしたのだ。
アルビオン艦隊の各艦隊ではそれぞれの艦隊の特色に従って慎重に戦いを進めていく。
戦闘は始まったが、大艦隊同士の戦いの割には静かだった。もちろん、数十隻単位で艦が沈み、多くの将兵が戦死している。しかし、数に劣る帝国艦隊の動きが思った以上に緩慢だった。
帝国艦隊はゆっくりと後退し始めた。
その動きはアルビオン艦隊の圧力に負けているようにも見える。
後方にいる第九艦隊旗艦インヴィンシブル89の艦長クリフォード・コリングウッド大佐はその動きに違和感を抱く。
(戦意が乏しすぎる。このまま後退し続ければエネルギー供給プラントを守ることはできない。戦術目的を放棄してまで後退するほど逼迫はしていないはず。これは罠では……)
同じことを司令官のアデル・ハース大将も感じたのか、参謀長のセオドア・ロックウェル中将にそのことを話す。
「参謀長はどう思いますか? 私には帝国艦隊の動きが不自然に見えるのですが」
戦術家としてはロックウェルの方が一日の長があるため、意見を求めたのだ。
「ロンバルディア艦隊に後ろを取られるのを嫌がっているようにも見えますが、敵が誘っているように見えなくもありません。だとすれば艦長が言っていた罠の可能性が高いかと」
そこでクリフォードをみて、「艦長の意見は?」と意見を求めた。
「私も同じ考えです。誘い込むような動き……まさか!」
そこでクリフォードの言葉が止まる。
「何か思いついたの、クリフ」とハースが声を掛けると、
「敵艦隊の構成が異常です」
「異常? 帝国艦隊の通常の編成だと思うのだけど……分かったわ! そういうことね!」
ロックウェルら参謀たちは二人の考えについていけない。
クリフォードが早口で説明をする。
「ここは帝国の支配星系です。超光速航行機関を備えていないコルベットなどがいるはずなのに一隻も見当たりません。恐らく円環の中に伏兵として潜ませているのではないかと……そうだとすると、ステルス機雷も隠している可能性があります!」
その間にハースはエルフィンストーンに通信を入れていた。
すぐに通信は繋がる。
「敵の星系内戦闘艦による奇襲の可能性があります! リングや小惑星からミサイル攻撃があるかもしれません! 注意してください!」
しかし、十光秒の距離があり、すぐには返信が来ない。時間差をもどかしく感じていると、アルビオン艦隊の中にいくつもの爆発が生まれた。
情報士のジャネット・コーンウェル少佐が声を上擦らせながら報告する。
「敵ステルスミサイル多数! ステルス機雷と高機動ミサイル艦による攻撃と思われます!」
ハースは「してやられたわ」といつになく激しくはき捨てると、
「右舷三十度、上下角プラスマイナスゼロ。最大加速で敵艦隊の側面に向かいます!」
その命令にクリフォードが反応する。
「右舷三十度、上下角プラスマイナスゼロ。最大加速! 対消滅炉出力は現状を維持! スペクターミサイルの発射準備急げ!……」
クリフォードの矢継ぎ早の命令にCIC要員たちは命令を復唱していく。
そんな中、コーンウェルの声が響く。
「ロンバルディア艦隊もミサイル攻撃を受けています!」
メインスクリーンに混乱するロンバルディア艦隊の姿が映る。
「ロンバルディア艦隊はどうされますか」とロックウェルがハースに問うが、
「帝国艦隊に攻撃を加えることを優先します。奇襲による混乱は短時間で収まるはず。それよりも帝国の主力による攻撃の方が危険ですから」
ロックウェルはその考えに賛同するように大きく頷く。
第九艦隊は三百秒の加速を行い、〇・〇五Cまで加速する。艦隊戦において〇・〇一Cを超えることは防御スクリーンに負荷が掛かるため、通常は行われないが、そのリスクを冒してでも早急に対応することを選んだのだ。
アルビオン艦隊本隊ではエルフィンストーンが旗艦の戦闘指揮所で麾下の艦隊を叱咤する。
「落ち着け! ミサイル迎撃を優先せよ!」
エルフィンストーンの叱咤も空しく、ステルス機雷と高機動ミサイル艦、コルベットなどからのミサイル攻撃により、僅か十分で一千隻もの艦を撃沈されている。
それでも艦隊の秩序は徐々に戻っており、反撃によって帝国艦隊にも少なくない出血を強いている。
ロンバルディア艦隊も初期こそ混乱したものの、すぐに秩序を取り戻し、ミサイル迎撃に集中する。アルビオンに比べ早期に秩序を取り戻せた理由は、敵艦隊からの主砲による攻撃がなかったことが大きい。
グリフィーニは敵主力までは距離があることから、円環に潜む小型艦の排除を命じた。
「先に小物を血祭りに上げろ! 敵は大きくは動けぬ。前進し、敵の側面に出て半包囲で叩け!」
グリフィーニはアルビオン第九艦隊が側面に向かったため、反対の側面を脅かす策に出た。
帝国艦隊では奇襲に成功した直後、大きな歓声が上がった。
総司令官のリューリク・カラエフ上級大将は自らの策が成功したことに安堵するものの、決定打となりえないことも理解していた。
(ステルス機雷と小型艦による奇襲では精々混乱を与えることしかできん。アルビオンの本隊をいかに叩くかが勝敗のカギを握る……敵の第九艦隊は危険だ。艦隊の一部を振り分けるしかないか……)
カラエフはアルビオン第九艦隊に側面を脅かされれば、ただでさえ数で劣る帝国艦隊は短時間で瓦解すると考えていた。
そのため、アルビオン本隊に集中すべき戦力を第九艦隊に回さざるを得なかった。
この選択はやむを得ないものであったが、一度掴んだ勢いを手放すことになった。
標準時間一三〇〇
アルビオン第九艦隊は帝国ダジボーグ艦隊の側面に取り付くことに成功した。
帝国艦隊は第九艦隊の存在に危険を感じ、スヴァローグ艦隊の一部を振り向けた。既に距離は十光秒切り、小型艦の主砲の射程にも入っている。
機動力を生かし、既に〇・〇三Cまで減速しているが、戦闘速度である〇・〇一Cには減速できていない。
ハースは敵に移った主導権を奪うべく、大胆な行動に出る。
「敵艦隊の後方を突っ切ります! 各艦、近接戦闘用意!」
アルビオン王国軍の戦闘艦には“カロネード”と呼ばれるレールキャノンが搭載されている。
カロネードは金属球を加速して放出する、いわゆる質量兵器であり、推進力を持たないため、長距離からの攻撃ではほとんど効果はない。しかし、事実上迎撃が不可能なこと、防御スクリーンに大きな負荷を掛けることができることから、ごく近距離での戦闘においては絶大な効果がある。
インヴィンシブル89には三百トン級が四基、五十トン級が十基あった。
「カロネード全基発射準備!」というクリフォードの命令に掌砲手たちが各ブロックにある兵装制御盤を操作し円筒状散弾容器と呼ばれる弾を装填していく。
「一番から四番、キャニスター装填完了!……十一番から十四番、キャニスター、装填完了!」
「左舷スペクターミサイル発射管、発射準備完了!……右舷スペクターミサイル発射管、発射準備完了!」
掌砲手たちの報告がCICのスピーカーから流れ、それに戦術士ポートマン中佐が「了解」と答えていく。
「スペクターミサイル全基発射準備完了! カロネードも全基装填済み。いつでも使えます!」
「了解」とクリフォードは答え、
「カロネードは敵との相対距離が二光秒を割ったら全基一斉発射。スペクターミサイルは加速度を抑えてタイミングを合わせろ」
「了解しました、艦長!」というポートマンのきびきびとした返事が響く。
「ダメージコンロール班、優先順位は防御スクリーン、対消滅炉、通常空間航行機関だ。副長、全員艦外活動用防護服を着けていることを確認しているな」
「はい、艦長。緊急時対策所要員は全員ハードシェル着用済みです」
ダメージコントロール班を指揮する副長ジェーン・キャラハン中佐が落ち着いた声で答える。
ERC要員は損傷した艦の応急保修に当たるため、強い放射線や高温にさらされる可能性が高い。そのため、頑丈なハードシェルに身を固めるよう指示を出していたのだが、これはERC要員に限った話ではなく、クリフォードを含め、CIC要員もハードシェルを着用していた。
これは万が一の被弾の際に少しでも人的被害を抑えるためで、巡航戦艦でここまで徹底しているのはインヴィンシブル89だけだ。
この処置については反対が多かった。ERC要員はともかく、CICは最も頑健な場所にあり、CICに被害が出るような状況ではハードシェルを着ていても生き残ることは難しいためだ。
それだけではなく、ハードシェルはその頑丈さから細かな作業には向かず、コンソールの操作一つとっても慣れないと上手く行えない。当初はその煩わしさに多くの反対意見が出されたが、クリフォードは頑として認めなかった。
彼は訓練時からハードシェルを着用させることを徹底し、今では通常の簡易型宇宙服と遜色ない操作が行えるようにまでなっていた。
この成果はその後の戦いでも充分に発揮されることになる。




