第十八話
宇宙暦四五二二年九月二十六日
ヤシマ星系のチェルノボーグ星系側ジャンプポイントで敗北した帝国艦隊はダジボーグ星系に帰還した。
侵攻作戦開始時、四万隻を超えていた艦隊は二万九千隻を割り込んでいる。また、多くの艦が損傷し、まともな艦隊陣形すら構成できないほどだった。
指揮官のリューリク・カラエフ上級大将は無事に帰還できたことを心の中で喜ぶが、無残な艦隊の姿を目にすると、今回の作戦失敗について考えてしまう。
(敵が一枚も二枚も上手だったが、もう少しやりようがあったのではないか……)
脱落しそうになる味方艦を叱咤しながら、彼は撤退中に何度もそのことを考えていた。
(メトネル提督が犠牲になってくれなければ、更に多くの艦を失っていただろう。ダジボーグの軍人とはいえ、尊敬に値する人物だった……)
カラエフはスヴァローグ星系出身で、スヴァローグ艦隊の司令官だ。ユーリ・メトネル上級大将はダジボーグ艦隊の指揮官であり、僅か数年前まで殺し合っていた相手だ。
それでも皇帝アレクサンドルのためとはいえ、メトネルが命を張ってスヴァローグ艦隊を脱出させたことに感謝している。そして、あれほどの人物を心酔させる皇帝に興味を持った。
(といっても今回の敗戦の責任をとって処刑される身。どのような人物であろうと関係ないか……)
自嘲気味にそう考えるが、すぐに有人惑星ナグラーダにある司令部に通信を送った。
「……敵は十八個艦隊に及ぶ大兵力を擁し、チェルノボーグ星系側JPに十五個艦隊を展開。濃密なステルス機雷原の中、我が艦隊は倍する敵に対し善戦したものの、捲土重来を期し転進した……本会戦においてダジボーグ艦隊のユーリ・メトネル上級大将が未帰還となっている。ダジボーグ艦隊によれば、旗艦ガヴィリイールの爆発を確認したとのこと……我が艦隊はナグラーダに帰投する……」
百光分以上の距離があるため、返信は返ってこない。カラエフは意気消沈する将兵を励ますため、戦闘指揮所に立ち続けた。
皇帝アレクサンドル二十二世はヴァロータJPに現れた艦隊の姿に自らの策が失敗だったと即座に悟る。しかし、そのことは一切顔に出さず、淡々と命令を下していく。
しかし、カラエフからの通信が入ると、玉座から立ち上がり、手に持っていた豪華な錫杖を取り落とした。
「メトネルが戦死しただと……」
アレクサンドルはそれだけ呟くと玉座に崩れ落ちるように座る。
そして、側近にこう語った。
「メトネルは我が剣にして盾。二個艦隊を失ったことも痛いが、それ以上に彼を失った損失は大きい……」
普段冷徹な皇帝が力なく呟いた姿に側近は驚いたと記録されている。
ダジボーグ星系の有人惑星ナグラーダに到着したカラエフは皇帝に謁見する。
「此度の敗北の責任は臣にあります。いかような処分も甘んじて受ける所存でございますが、不利な状況で善戦した将兵に対してはご配慮いただければ幸いに存じます」
頭を深く垂れ、一度も顔を上げなかった。
それに対し、アレクサンドルは玉座を降りてカラエフの下に向かう。そして、彼の肩に手を置き、
「責任はすべて余にある。卿は待ち受ける二倍の敵に対し損害を与え、艦隊を連れ帰ってくれた。メトネルは卿に帝国の行く末を託したのであろう。余に思うところはあると思うが、共にこの国難に立ち向かおうではないか」
アレクサンドルの性格を知る家臣たちはその行動に驚きを隠せなかった。カラエフに対し怒りをぶつけ、そのまま処刑するよう命じると思っていたのだ。
実際、アレクサンドルも内心では怒りに打ち震えていた。しかし、言葉にしたように国難という認識がそれを押し留めた。
アルビオン王国艦隊を中心とする大艦隊がダジボーグを目指すことは充分に考えられる中、優秀な指揮官であるカラエフを処分することは自らの手足を切り落とすことになると考えたのだ。
アレクサンドルはカラエフを立たせると、
「カラエフの艦隊を迎え撃ったということは奴らがダジボーグに向かうことは充分にあり得る。その上でいかにして迎え撃つべきか、忌憚のない意見を求める」
複数の将官から、敵軍をナグラーダまで引き込み、要塞や軍事衛星による防御施設を活用することで時間を稼ぎ、ロンバルディアから戻ってくるニコライ十五世率いるロンバルディア方面艦隊を待つという戦略が提示される。
それに対し、カラエフは別の策を提示した。
「それではサタナーにあるエネルギー供給プラントが破壊されてしまいます。彼の施設を失えば、ダジボーグは長期に渡って機能不全になることは必定。また、ニコライ藩王閣下がどのタイミングで戻られるか分からぬ状況において、持久戦がよい選択肢とは思えません」
「ではどうせよというのか」とアレクサンドルが問うと、恭しく頭を下げ、「私に策がございます」と自信に満ちた顔で説明を始めた。
説明を聞き終えたアレクサンドルはそれまでの沈痛な表情を緩め、
「見事な策である! 提督にすべてを任せる」
カラエフはそれに無言で頭を下げると、すぐに準備に向かった。
残されたアレクサンドルは思った以上にカラエフが使えることに驚きを禁じえなかった。
(確かに無能な男ではなかったが、あれほどの知略を秘めているとはな。前皇帝が使いこなせていなかったのだろう……この戦いに勝ち、あの者を我が配下に加える。上手くいけば未だに反抗的なスヴァローグ軍も我が剣となろう……)
自らの力の源泉であるダジボーグ艦隊を大きく損なっただけでなく、ニコライのストリボーグ艦隊が無傷ということで再び内戦が起きてもおかしくないとすら考えていた。そんな時、カラエフが思った以上に理性的で上手く扱えば信頼を勝ち取れる可能性が出てきた。
(今はカラエフにすべてを託す。勝てればよし。負ければ余もそれまでの男だったということ……)
ある種の開き直りだが、アレクサンドルはこの状況にある種の清々しさすら感じていた。
帝国軍は連合艦隊を迎え撃つため、全軍を挙げて準備に邁進していった。
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宇宙暦四五二二年十月一日標準時間〇一〇〇
クリフォード・コリングウッド大佐が指揮する巡航戦艦インヴィンシブル89はスヴァローグ帝国の支配星系ダジボーグ星系にジャンプアウトした。
周囲にはアルビオン王国艦隊約三万隻とロンバルディア連合艦隊約二万五千隻が球形陣を作っている。
帝国艦隊の待ち伏せが懸念されたが、敵艦は一隻も存在しなかった。
ジャンプアウトと共に命令を発した。
「ステルス機雷の処理を開始せよ」
超空間で手順は定められており、戦闘指揮所では全く混乱はなく、戦術士のオスカー・ポートマンが部下たちに落ち着いた口調で対宙レーザーの状況を確認させている。
三十分後、ヴァロータ星系側JPの掃宙作業が完了する。
更にその一時間後、途中まで同行していたヤシマ艦隊一万隻が輸送艦隊五千隻と共にジャンプアウトしてきた。脆弱な輸送艦隊の損害を少しでも減らすためと、戦闘後の交渉のために同行しているヤシマのサイトウ首相を守るための策だ。
帝国艦隊は唯一の有人惑星である第二惑星ナグラーダ周辺に二万隻の戦闘艦が展開していた。しかし、漫然とした感じが否めず、艦隊単位のようには見えない。
総司令官であるジークフリート・エルフィンストーン大将は総参謀長ウィルフレッド・フォークナー中将から分析結果の報告を受ける。
「遠距離からの観測であり正確性に欠ける部分はありますが、帝国艦隊の多くの艦がナグラーダ周辺にある軍事要塞スヴァロギッチ、工廠衛星、更には民間宇宙港に出入りしております。チェルノボーグJPで受けたダメージを回復していないと推測されます」
「増援は来ていない。これは幸先がいいな。では当初の作戦通り、敵艦隊に決戦を強要する」
エルフィンストーンはヤシマ艦隊と輸送艦部隊に待機を命じると、アルビオン及びロンバルディア艦隊に出撃を命じた。
「出撃開始。目標第五惑星サタナー。敵艦隊を引きずり出すぞ」
エルフィンストーンは楽観的だった。アルビオン王国艦隊だけでも敵を凌駕しており、士気はともかく練度に不安が大きいロンバルディア艦隊に期待する必要がないためだ。
エルフィンストーンの命令でアルビオン及びロンバルディア艦隊が前進する。補助艦艇は戦闘艦の後方に置き、最大巡航速度の〇・二光速で進む。
連合艦隊の目標である第五惑星サタナーは木星型の巨大ガス惑星であり、ダジボーグ星系のエネルギー供給源になっている。そのため、巨大なエネルギー供給プラントが衛星軌道上にあった。
このプラントを破壊されれば、ダジボーグ星系のエネルギー事情は一気に低下し、軍事だけでなく、民間にも大きな影響を及ぼす。また完全に破壊された場合、完全復旧には年単位の時間を要すると考えられていた。
アルビオン艦隊の参謀たちは、圧倒的に不利であろうと帝国軍はプラント防衛に出ざるを得ないと考えた。
帝国軍に決戦を強要するためのもう一つの選択肢として有人惑星ナグラーダに向かう作戦も考えられるが、その衛星軌道上には二十キロメートル級の軍事要塞スヴァロギッチがあり、大きな障害になると考えた。そのため、要塞と艦隊を切り離す策を選んだのだ。
第九艦隊司令官アデル・ハース大将の幕僚、首席参謀のレオノーラ・リンステッド大佐はこの状況で自らの存在価値を示そうと躍起になっていた。
「敵がいないサタナーのエネルギー供給プラントの破壊だけなら、ロンバルディア艦隊だけでも充分ではないでしょうか」
それに対しハースは「そうね」と答えるものの、
「敵の方が近い位置にいるわ。全艦は無理でも二万隻以上の艦がサタナーに向かえばロンバルディア艦隊では荷が重いでしょうね」
それでもリンステッドは引き下がらなかった。
「では、第九艦隊を分離し、アルビオンとロンバルディアの十個艦隊で迎え撃ち、我が艦隊が後方もしくは側面から挟撃してはいかがでしょうか」
「それをする利点は何かしら? このまま正面から戦っても充分に勝てます。リスクに見合うリターンが何か説明してほしいわ」
ハースの視線を受け、一瞬言葉に詰まるが、
「ロンバルディア艦隊がリスクです。私ならロンバルディア艦隊を挑発して混乱を大きくします。その上でヤシマ艦隊と補給部隊に高速艦を叩きつけ、動揺を誘う作戦に出ます」
「二倍以上の戦力差がある中、帝国が艦隊を分けるとは思えないのだけど?」
そこでリンステッドは反論できなかった。しかし、思わぬところから援護が入る。
それまで交わされる会話を聞いていただけのクリフォードが話に加わってきたのだ。
「私もリンステッド大佐の考えに賛成です。第九艦隊を戦術予備として後方ないし側方の離れた場所に配置すべきと考えます」
ハースはクリフォードが積極的に関わってきたことに驚くが、すぐにその意図を確認する。
「どうしてかしら? 有利な状況ではあるけど、それほど余裕があるわけじゃないわ。最大の攻撃力を持つ第九艦隊を前線から外せば、王国艦隊と帝国艦隊はほぼ互角になるのよ。まさかとは思うけどロンバルディア艦隊に期待しているわけではないわね?」
「はい、提督。ロンバルディア艦隊に期待はしていません」
「ではなぜ?」
「敵の動きが自然すぎて逆に不自然です。何がと具体的には言えませんが、敵が何らかの罠を仕掛けてくるのではないかと思えるのです」
「だから一網打尽にならないように艦隊を分離して置けということ?」
「はい、提督。機動力のある第九艦隊であれば、首席参謀がおっしゃったような側面への攻撃にも有利ですし、不利な状況になった味方の支援もすぐに行えます。また、敵が何か考えているとしても第九艦隊であれば不自然には見えないでしょう」
「なるほど……分かったわ。首席参謀、あなたの提案を早急に作戦案にして提出しなさい。それをもってエルフィンストーン提督に掛け合うから」
リンステッドは宿敵ともいえるクリフォードの助け舟にプライドを傷つけられたものの、この作戦を成功させることで見返せると考え、「了解しました、提督」とだけ答えて作戦案の作成を始めた。
ハースはクリフォードの思いやりを微笑ましく思ったが、彼の言ったことを真剣に考え始める。
(確かに自然すぎるわ。軍事拠点を利用して防御しようとしたことも、プラントを守るために出撃したことも。確かクリフの昔のレポートにこんな言葉があったわね。“人は見たいものを見ると無条件に信じてしまう”と。同じ言葉じゃないかもしれないけど、今の私がまさにその状態……本当に凄い子だわ……)
ハースは索敵担当の情報参謀にサタナー周辺に罠がないか重点的に確認するよう命令した。
十時間後、アルビオン王国艦隊とロンバルディア連合艦隊は第五惑星サタナーから百光秒の位置に到着した。既に艦隊陣形を整え、艦隊の戦闘速度である〇・〇一光速まで減速を終えている。
第九艦隊はリンステッドの作戦案通り、両艦隊の後方十光秒の位置に配置され、敵の側方に向かえるよう準備を終えていた。
これはハースに手柄を上げさせたくない総参謀長フォークナー中将の思惑とも一致しており、比較的あっさりと認められている。
十月十一日標準時間一二〇〇
後の第一次ダジボーグ会戦と呼ばれる戦闘が始まろうとしていた。




