第十七話
宇宙暦四五二二年九月十二日標準時間〇一〇〇
スヴァローグ帝国のヤシマ侵攻作戦は失敗に終わった。参加した自由星系国家連合軍やアルビオン王国軍の将兵は勝利に沸くが、将官たちは苦い表情を浮かべている。
二倍近い兵力と濃密なステルス機雷原という圧倒的に有利な状況で完勝できなかったためだ。
その原因となったロンバルディア連合軍の指揮官ファヴィオ・グリフィーニ大将は猪突した指揮官を解任した上で、不甲斐ない部下たちに普段の温厚さを忘れて激怒する。
「貴官らは軍人の基本である命令遵守すらできぬのか! 何のために涙を呑んで祖国を後にしたのか!」
その激しい言葉に、楽観的で無反省な気質のロンバルディア人たちも反省の言葉を口にした。
グリフィーニは「二度目はない」と低い声で警告した後、前線部隊の総司令官ナイジェル・ダウランドに謝罪の通信を入れた。
「此度の失態はすべて小官の不徳の致すところ。いかような処分も甘んじて受けたいと思っております」
ダウランドもロンバルディア艦隊の動きに言いたいことは山ほどあったが、ここでグリフィーニを弾劾しても今後の作戦に支障を来たすだけだと理解していた。
「貴国の軍律に従い、命令違反者を処分していただければ結構です。それよりも今後のことを早急に話し合わねばなりません」
「ありがとうございます」と礼を言った後、
「確かにその通りですな。貴艦隊の活躍で帝国艦隊に一定以上の損害を与えることに成功しました。敵が回復する隙を与えず、ダジボーグに進攻すべきでしょう」
二人の意見は一致したが、損傷を受けた艦が多く、一度ヤシマの首都星タカマガハラ周辺まで戻る必要があった。
グリフィーニにはヤシマ艦隊から厳重な抗議があったものの、ヤシマ側も自分たちが足を引っ張ったという認識があり、ダウランドが取り成すことで一旦は矛を収めた。但し、補償についてはロンバルディア奪還後に話し合うという条件が付けられている。
標準時間一五〇〇
アルビオン艦隊とロンバルディア艦隊がタカマガハラ周辺に到着した時、アルビオン王国方面であるレインボー星系ジャンプポイントに約一万隻の艦隊が現れた。
キャメロット星系を発したジークフリート・エルフィンストーン提督率いるアルビオンの増援艦隊だった。
この事実は統合作戦本部の失態を明確にするものだった。もし、三個艦隊が先行していなければ、チェルノボーグJP会戦で帝国が勝利していた可能性が高い。その場合、ヤシマ星系内で十五個の帝国艦隊が合流し、非常に不利な状況で戦わざるを得なかっただろう。
増援艦隊は十五時間後の九月十三日六時にタカマガハラ周辺に到着し、エルフィンストーンは直ちにヤシマ防衛連合艦隊の総司令官サブロウ・オオサワ大将に面会を申し込む。
エルフィンストーンはチェルノボーグJP会戦に間に合わなかったことに苛立っていたが、オオサワとの会談ではその苛立ちを隠してダジボーグ進攻の必要性を訴える。
「二個艦隊が増援されたことでダジボーグへの進攻がより有利になりました。この機を逃さず、すぐにでも向かうべきです」
その性急さにオオサワは苦笑いを浮かべ、
「さすがは“烈風”と呼ばれるお方ですな。ですが、艦隊の再編と補修、補給物資の積み込みには三十時間ほど掛かります。まずは派遣する艦隊の規模、そして戦略について検討しようではありませんか」
エルフィンストーンはオオサワの言葉に頷き、
「では、我が国で素案を作ります。本日の十八時に会議を招集していただけまいか」
「了解しました」と了承された。
エルフィンストーンは旗艦プリンス・オブ・ウェールズ03に戻ると、すぐにヤシマに駐留する艦隊の司令官と参謀長を招集した。
会議の冒頭、ダウランドが立ち上がり、チェルノボーグJP会戦の結果を報告する。
「帝国艦隊約四万のうち、チェルノボーグ星系に撤退できたものは二万九千。うち戦闘艦は約二万五千。また、戦闘艦の半数は傷つき、十全の能力を発揮するには工廠での整備が必須でしょう。第二艦隊司令部の分析では五個艦隊以下の戦闘力しか残っておらぬと考えております」
そこで全員を見回し、連合艦隊側の損害を確認する。
「一方、ヤシマ防衛連合艦隊の損害は喪失が約四千二百、中破以上が三千七百と補修が必要な艦はあるものの、キャメロットから二個艦隊が合流したことから、十八個艦隊が運用可能です。また、損害が大きかったヤシマ艦隊も自国の工廠で補修が可能であることから、早期に戦列に復帰が可能であると考えます」
そこでエルフィンストーンに目配せし、ゆっくりと座った。エルフィンストーンはダウランドに目礼すると、すくっと立ち上がる。
「戦闘経過を確認したが、練度の低い自由星系国家連合軍を率いて、よく戦ってくれた。諸君らの健闘なくば、ヤシマ星系が大混乱に陥ったことは想像に難くない。最悪の場合、星系を奪われた上、我ら王国艦隊が大きな損害を受けた可能性すらあった。今一度、感謝を伝えたい」
そう言って背筋を伸ばしてから頭を下げる。
しかし、すぐに顔を上げ、決意に満ちた目で話を続けた。
「帝国の野望を打ち砕くためにはダジボーグ星系に進撃し、帝国艦隊に大きなダメージを与える必要がある。今後の作戦行動について協議を行いたい。まずは参謀本部の立案した作戦を説明する。総参謀長、よろしく頼む」
精悍なエルフィンストーンに代わり、銀縁眼鏡を掛けた小太りの男、総参謀長のウィルフレッド・フォークナー中将が立ち上がる。
「参謀本部より作戦案を説明いたします。総司令官閣下のお言葉通り、早期にダジボーグへ進撃する必要があります。そのために王国五個艦隊、二万五千隻を主力にロンバルディア艦隊五個、ヤシマ艦隊二個の十二個艦隊六万隻をもって追撃を行います。作戦開始は九月十五日の零時。王国艦隊は第一、第三、第四、第六、第十艦隊が出撃し、第二、第五、第九艦隊がヤシマ防衛に当たります。ダジボーグ進攻艦隊はエルフィンストーン提督が、ヤシマ防衛艦隊はダウランド提督が指揮を執られます。また、ダジボーグ進攻艦隊の総指揮官もエルフィンストーン提督に執っていただくことを自由星系国家連合に認めさせる予定です」
第九艦隊がダジボーグ進攻艦隊から外れていることに司令官たちは驚いていた。
直情型の提督、“海賊の女首領”のヴェロニカ・ドレイク大将がそのことを口にした。
「おかしいんじゃないかい。敵に地の利がある星系で機動力のある第九艦隊を外す理由が小官には分からないね」
その乱暴ともいえる言葉にフォークナーは眉を顰めながらも、丁寧に答えていく。
「ヤシマ星系にはヒンド艦隊二個、ヤシマ艦隊一個しか残りません。もし、ロンバルディア方面からストリボーグ艦隊が舞い戻ってきた場合、王国艦隊だけで防衛すると考えた方がよいでしょう。その場合、第九艦隊がいれば戦術の幅が広がり、軍事衛星との組み合わせも考慮すれば防衛成功の確率は大きくなると考えます」
それに対し、ドレイクは何を言っているんだという感じで肩を竦め、
「そもそもヤシマに敵が舞い戻ってくるという前提がおかしいんじゃないか? 仮に戻ってきたとしてもダジボーグで敵を殲滅してからヤシマに戻って各個撃破すれば問題がないと思うんだがね」
「それでは復興中のヤシマに大きな損害が出ます。復興が長引けば、我が国の負担が更に長引くことになるのです」
ドレイクが更に発言しようとした時、ハースが手を上げる。エルフィンストーンが発言を認めると、フォークナーに微笑んだ。
「作戦開始前の統合作戦本部の分析では、大兵力をもって帝国艦隊に損害を与えれば、敵はダジボーグ防衛に向かわざるを得ないというものではなかったかしら? それとも今回のチェルノボーグJP会戦の結果で、その分析結果が変わったのかしら?」
それに対し、フォークナーは即座に答えられなかった。政治的な理由で第九艦隊を外しているため、戦前の分析結果を左右するほどの情報が加わったわけではなかったためだ。
ハースもそのことを分かった上で質問している。そのため、フォークナーが答える前に発言を続けた。
「そもそも五個艦隊しか派遣しないというのは戦力集中の原則を無視しています。チェルノボーグJPの戦いでも分かるように、ロンバルディア、ヤシマの両艦隊に過大に期待することは危険すぎます。牽制程度に使うならともかく、王国艦隊が主体となって帝国艦隊と砲火を交えなければ、無用な損害を受けることになります。その点はどう考えているのかしら?」
フォークナーは空調が効いた会議室であるにも関わらず、額に浮いた玉のような汗を拭く。
「ヤシマの防衛が目的なのです。この星系を奪われたら本末転倒ではありませんか。ロンバルディア、ヤシマの艦隊の実力が低いからこそ、王国艦隊が残るべきなのです」
「話にならないわ。その前提であるストリボーグ艦隊がヤシマに向かう確率はどの程度と見ているのかしら。人工知能の解析結果があると思うのだけど。それを教えてほしいわ」
フォークナーは再び答えに窮した。
「参謀長、答えてくれんか」とエルフィンストーンが促すと、渋々と言う感じで答えていく。
「AIの判定では十四・五パーセントです。但し、帝国軍の将官の性格に関する情報が不足しているため、精度は低いと考えております」
十五パーセント以下という数字に司令官たちが呆れる。彼らの後ろにいる参謀長たちもフォークナーの説明に疑問符を浮かべていた。
「つまり、僅か十五パーセントのリスクで、それも充分に取り戻せる程度のリスクで、王国軍の将兵を危険に晒すと……総司令官閣下、このような作戦をお認めになるのですか」
ハースの言葉にエルフィンストーンは「無論認めぬ」と即答し、
「提督ならどうするのか教えてくれぬか」
エルフィンストーンもこの作戦に納得していなかった。再検討を命じたものの、時間がなく、司令官たちに修正案を出させるつもりで会議に上げたに過ぎない。
「小官ならチェルノボーグJPで損害が大きかった第五艦隊を除く七個艦隊でダジボーグに進撃します」
「なるほど。しかし、ダジボーグの残存戦力に対しては過剰な気がする。補給の問題もあるが、その点はどう考えるのだろうか」
エルフィンストーンもハースの案に賛成だが、あえて懸念を示すことで他の意見を促そうとした。
「ダジボーグの残存兵力が五個艦隊であれば、アルビオンだけで七個艦隊も出すことは過剰でしょう。ですが、スヴァローグ星系やストリボーグ星系から増援を受けている可能性は否定できません。今一度いいますが、戦力の集中は戦略の基本です。特に状況が不明な敵支配星系への進攻では可能な限り大兵力を投入し、柔軟に対応できる体制で挑むべきです」
そこで司令官たちが大きく頷く。
こうしてアルビオン王国軍の中では七個艦隊派遣という話で固まったが、ヤシマ、ロンバルディア、ヒンドの各司令官との話し合いの場で紛糾した。
紛糾の元となったのはヒンド艦隊司令官だった。ヤシマに残留し防衛作戦に就くことには賛成したが、練度が低く補修したばかりのヤシマ一個艦隊と損傷を受けているアルビオン一個艦隊だけでは不安であると訴えたのだ。
それに対し、エルフィンストーンやヤシマ防衛艦隊の総司令官サブロウ・オオサワ大将がロンバルディア方面からの帝国の侵攻の可能性は低いと説得するが、ストリボーグ艦隊七個が舞い戻ってきたら守りきることは不可能で、そのような状況に陥った場合、自分たちは祖国に撤退するとまで言い出した。
仕方なく、アルビオン艦隊を二個艦隊にすることで発言は撤回されたが、アルビオン艦隊は六個三万隻に削減されてしまった。
最終的にダジボーグへ進攻するのは、アルビオン艦隊が第一、第三、第四、第六、第九、第十の六個艦隊三万隻、ロンバルディア艦隊五個二万五千隻、ヤシマ艦隊二個一万隻で、それにヤシマ艦隊の輸送艦五千隻が同行する。
ヤシマ艦隊は輸送艦の護衛であり、アルビオンとロンバルディアの艦隊が帝国艦隊の相手をすることとなった。
旗艦に戻ったエルフィンストーンはハースに通信を入れ、愚痴を零す。
「無能な味方という言い方はよくないのだろうが、“有能な敵より無能な味方の方が厄介”という言葉は至言だと、つくづく思ったよ」
その愚痴にハースは微笑する。
「私もそう思いますけど、総司令官の宿命と思って諦めてください」
「私は艦隊司令官向きだと改めて思うよ。統合作戦本部や参謀本部と戦うなど思ってもみなかった」
ハースはその言葉に答えず、
「総参謀長はなぜあのような作戦を考えたのでしょう?」
「君への対抗心の表れだろうな。まあ、ゴールドスミス少将がいろいろと動いていたようだが」
その言葉にハースは湧き上がる怒りを何とか抑える。
「面倒なことですね。そんなくだらないことで多くの将兵の命を賭けるなんて」
エルフィンストーンとの通信を終えたハースは天井を見上げて溜め息を吐く。
そして、両手で頬をポンと叩き、クリフォード・コリングウッド艦長を呼び出した。
五分後に司令官室にやってきたクリフォードは疲れた表情のハースを見て、気を引き締める。
「聞いていると思うけど、九月十五日の零時にダジボーグ進攻作戦が開始されます。前回より不利な状況での戦闘になるでしょう。艦隊の各艦の手本となるよう旗艦を万全な状態に保ってちょうだい」
「了解しました、提督」ときれいな敬礼と共に答える。
クリフォードは出ていこうとしたが、ハースは彼の背中に声を掛ける。
「帝国はダジボーグに増援を送っているかしら」
いつもの明るい口調ではなく、何となく愁いを帯びているとクリフォードは思った。
「情報が少なすぎて分かりません」
「そうね。愚問だったわ」といい、それ以上何も言わなかった。
クリフォードは自らの懸念を伝えることにした。
「問題はロンバルディアに戻った帝国艦隊です。ダジボーグでの戦闘が長引けば、ロンバルディアから戻ってくる艦隊と挟撃されてしまいます。戦略目標を明確にしておくことが重要だと考えます」
「そうね……で、戦略目標はどうしたらいいと思う?」
クリフォードはハースの頭に答えはあると考えたが、それに素直に答えた。
「第一に帝国艦隊の撃破、第二にエネルギー供給基地などの軍事インフラの破壊です。もちろん状況によりますが、チェルノボーグJPから撤退した艦隊だけであれば、敵は時間稼ぎを行ってきますから、その二つの目標のいずれかを達成した後に帝国と停戦交渉に持ち込むべきでしょう」
「有人惑星は目標から外すのね。それはどうしてかしら」
「ダジボーグは皇帝アレクサンドルの出身地です。その後の帝国での内戦を考え、皇帝やダジボーグ軍人の怒りを我々に向けさせないことが重要です」
クリフォードは帝国が再び内戦状態に陥る可能性を考え、外に意識を向けさせるべきではないと考えた。
「確かにそうね。ありがとう。参考になったわ」
しかし、クリフォードは司令官室を出ようとしなかった。
「まだ何かあるのかしら?」
「はい、提督」と答えた後、僅かに逡巡する。
「懸念があるならはっきり言っておくべきよ。これは王国軍人としての責務です」
「了解しました、提督。戦後の処理のことで考えておくべきことがあります」
「戦後のこと……なるほど、確かにそうね」と頷くが、目で先を促す。
「ロンバルディアから帝国艦隊が戻ってきた後、停戦交渉となります。しかし、帝国艦隊が合流した後で自由星系国家連合が何を言っても帝国は突っぱねるでしょう。ですので、ダジボーグ進攻に合わせて、国家元首級の人物と外交関係の役人を同行させ、艦隊による圧力を掛けつつ、交渉するべきと考えます」
「国家元首級? 具体的にはサイトウ首相ということかしら?」
「はい、提督」
「確かに帝国が弱気になっている状況で交渉に臨んだ方がいいわ。それにサイトウ首相なら胆力もあるから適任ね」
クリフォードはダジボーグでの戦いの後のことを考えていた。
ダジボーグで勝利したとして、王国軍やFSU軍が長期に渡って居座るわけにはいかない。しかし、一旦艦隊を引き揚げさせると、帝国は強気に出ることは容易に想像でき、交渉は不利になる。最悪の場合、交渉を長引かせてうやむやにすることすらあり得るだろう。
それを防ぐためには艦隊が残っている間に帝国と交渉を行い、その場で補償などを受け取ってしまうことだ。
帝国としても約束を反故にすれば大兵力で蹂躙される恐れがあるし、長引けばスヴァローグやストリボーグで反乱が起きる可能性は否定できない。
「それに皇帝と交渉する必要はないわね。交渉相手をニコライ藩王にするという選択肢もあるわ」
「はい、提督」
ハースは皇帝アレクサンドルと藩王ニコライの反目を利用して交渉を有利に進めるとともに帝国内に内乱の種を蒔くつもりでいた。
「他にも何か言い忘れたことはあるかしら?」
「いいえ、提督」
クリフォードはそう言って敬礼した後、司令官室を出ていった。
残されたハースはクリフォードの出ていった扉を見ながら、今のやりとりを思い出していた。
(私が思い付かなければいけないことなんだけど、司令官をやっているとどうしても視野が狭くなってしまう。エルフィンストーン提督の言葉ではないけれど、私は司令官向きじゃないわ……)
そして、クリフォードと彼の父親であり士官学校の同期であるリチャードのことを考えていた。
(それにしても本当に凄い子だわ。あの直情的なディックの子だとは思えないほど……ディックが参謀というのは想像できないけど、彼も偉大な将官になったかもしれないわね……でも、今回のことでよく分かったわ。この先、動乱の時代になる。彼は王国にとって必要不可欠な人物になるわ。くだらない派閥争いで潰されないように注意しなければ……)
クリフォードは司令官室での出来事を忘れ、愛艦を最高の状態にすることに専念する。僅か二日間しかないが、乗組員たちに半舷上陸を許し、リフレッシュさせた。自身は愛妻ヴィヴィアンに手紙を書き、心を落ち着かせていった。
九月十五日標準時間〇〇〇〇
アルビオン艦隊三万隻を主力とするダジボーグ進攻艦隊七万隻はチェルノボーグ星系に向けて超光速航行に突入した。




