第十六話
宇宙暦四五二二年九月十一日標準時間〇三三〇
ヤシマ星系のチェルノボーグ星系側ジャンプポイントではアルビオン、ヤシマ、ロンバルディアの連合艦隊と帝国艦隊が死闘を繰り広げていた。
濃密な機雷原と倍近い艦での待ち伏せという好条件にも関わらず、自由星系国家連合に属するロンバルディアとヤシマの艦隊が足を引っ張り、互角に近い攻防が続いていた。
連合艦隊側の実質的な総司令官であるアルビオン艦隊のナイジェル・ダウランド大将は、無様に変形した艦隊陣形に心の中で自嘲する。
(何という無様な戦いだ。ロンバルディアとヤシマがこれほど使えぬとは思わなかった。特にロンバルディアは酷すぎる……しかし、そうも言っていられない。このままでは敵がジャンプで逃げてしまう。何としてでも大きな損害を与えなければ……)
超光速航行にはさまざまな制限があるが、その一つにジャンプアウト後、一定時間経たないと再び超空間に突入できないというものがある。標準的には一時間程度で、それより短い時間で強引に超空間に突入すると、正常なジャンプができなくなり、艦は超空間に消えてしまう。
帝国艦隊が不利な状況でも即座に撤退しなかったのはこれが理由だが、逆に言えばあと三十分耐えれば大きな損害を被ることなく、撤退できることになる。
防衛側の思惑は圧倒的な大兵力をもって帝国艦隊に大きな損害を与え、その勢いをもってダジボーグに逆侵攻し、ロンバルディアを解放するというものだ。しかし、ロンバルディア艦隊の猪突により、その戦略は無に帰そうとしていた。
側面に回り込もうとしていた第九艦隊はこの動きに完全に取り残されていた。現状では無様に広がったロンバルディア艦隊が邪魔になり、敵の後方に回ることはおろか、上方にも下方にも簡単に回り込めない状況だった。
そこでハースは参謀たちに意見を求めた。
「この状況を何とかしなければなりません。参謀長、よい案はありませんか?」
まず、戦術家として卓越した力量を持つ参謀長のセオドア・ロックウェル中将に意見を求めた。
「ダウランド提督の手腕で何とか戦線の崩壊は食い止められたという状況です。もう一度、全艦隊で大攻勢を掛けるくらいしか思いつきませんが、ヤシマとロンバルディアに期待はできないでしょうな」
更にその横にいる副参謀長のアルフォンス・ビュイック少将も同意するかのように頷いていた。
「首席参謀の意見は」とレオノーラ・リンステッド大佐に意見を求める。
「ダウランド提督が敵を上手く拘束しています。この隙に後方に回り込み、敵補助艦艇群に攻撃を仕掛けましょう」
敵艦隊後方には輸送艦などの補助艦艇があり、それらを殲滅するだけでも帝国軍の継戦能力は一気に低下し、最低限の目的は達せられる。
「回り込む時間はないわ。クリフ、あなたの意見は?」
そう言った後、リンステッドの視線を感じ、「今は緊急事態よ。権限がどうのといっていられる状況ではないわ」といって釘を刺す。
旗艦インヴィンシブル89の艦長クリフォード・コリングウッド大佐は艦の指揮に集中していたものの、すぐ後ろで行われている議論も耳に入っていた。
司令部に属していない彼は艦の指揮に集中するという理由で意見を言わないつもりでいたが、言わざるを得なくなった。
「ロンバルディア艦隊の後方からステルスミサイルでの攻撃を仕掛けてはいかがでしょうか。それに合わせて各艦隊も一斉に攻勢を仕掛けます」
「そんなことをしたら、ロンバルディア艦隊に被害が出るわ。そんな作戦できるわけがない」
リンステッドが呟くと、ロックウェルも渋々と言う感じで頷く。
「首席参謀の言う通りです。敵味方識別装置によって標的にならないとは言え、密集している艦隊の中にステルスミサイルを通過させるのは事故の危険があります」
それに対しクリフォードは首を横に振る。
「同じ艦隊であれば中央部から前衛を回避してミサイルを撃つことは珍しいことではありません。それが大規模になったと思えば大きな問題はないと考えます」
「そうね。それに奇襲効果は魅力的だわ。我が艦隊のミサイル攻撃力は王国軍一。それにステルス機雷の処理がまだ終わっていないのだから、敵に大きな混乱を与えることができるわ」
その意見にロックウェルも「確かにそうですな」と賛同する。ビュイックや他の参謀もそれならばと賛意を示した。しかし、リンステッドだけは更に反対する。
「もしロンバルディア艦隊に被害が出れば国際問題となります。その点を考慮すべきかと」
「この危機的な状況を作ったのはロンバルディアです。彼らの気質を考えれば問題にはできないでしょう」
そう言ってダウランドに通信を入れた。
「ロンバルディア艦隊の後方から攻撃を仕掛けます。グリフィーニ提督に連絡を。それからミサイルで混乱したタイミングで総攻撃の命令をお願いします」
常識的な戦術家であるダウランドだが、即座にハースの意図を理解する。また、ロンバルディア艦隊に損害が出る可能性があるが、それは帝国の野望を打ち砕いた後に自らが負えばよいと割り切ることにし、問題にしなかった。
「了解した。こちらからも同時にミサイルを放つ。作戦開始は〇三四〇。以上だ」
ステルスミサイルの加速力は二十kG。それだけの加速力を持ってしても十光秒の距離を進むのに百八十秒掛かる。これ以上議論をしていると、攻撃の効果が出る前に敵が超光速航行で逃げるため、ダウランドは司令官権限で作戦を決めた。
既に第九艦隊はロンバルディア艦隊の後方に位置しており、その時間でも問題はなかった。
標準時間〇三四〇
アルビオン艦隊のステルスミサイル保有艦から一斉にミサイルが射出された。帝国側でもその動きを察知する。
「敵のミサイル攻撃だ。機雷の処理に合わせて適正に対処せよ」
帝国軍総司令官リューリク・カラエフ上級大将は至って常識的な命令を下した。
現状では倍する敵に対し有利に戦いを進めており、勝利は得られないものの大きな損害を被ることなく撤退できそうな見通しだ。そのため、アルビオン艦隊が最後の足掻きで少しでも損害を与えようとしていると考えたのだ。
四万基近い数のミサイルが帝国軍の前方から襲い掛かる。しかし、予め到達時間などが分かっており、帝国軍に焦りはなかった。
「敵ミサイル第一波接近中。迎撃システム作動開始……」
旗艦ウルイールの戦闘指揮所では戦術士官の冷静な声に情報士官の悲鳴が被る。
「右舷方向よりステルスミサイル多数接近! その数八千以上!」
「ロンバルディア艦隊か!」
「いえ! アルビオンの左翼艦隊です! ああ! 右翼が!」
右翼側の艦が次々とミサイルの餌食になる表示が映し出される。
更にメインスクリーンが真っ白に発光した。前方のアルビオン艦隊から一斉砲撃が加えられたのだ。
「アルビオン艦隊砲撃開始! ロンバルディア、ヤシマの各艦隊も砲撃に参加し始めました!」
カラエフは士官たちの混乱に対し「落ち着け!」と一喝すると、
「ミサイルの迎撃に集中しろ! 小型艦は回避機動を継続!」
カラエフの指揮で司令部は落ち着きを取り戻したものの、艦隊全体の混乱は容易には収まらない。
ダジボーグ艦隊司令官ユーリ・メトネル上級大将が一方的に通信を送ってきた。
「我がダジボーグ艦隊が敵を引き付けます。その間にスヴァローグ艦隊は撤退準備を。皇帝陛下のことをお願いします」
そして、すぐに「ヤシマ艦隊を殲滅する! 突撃!」と叫ぶと通信が切れた。
残された形のカラエフは「メトネル提督」と呟くものの、即座に命令を発した。
「ダジボーグ艦隊が撤退までの時間を稼ぐ! 我々は防御に徹するのだ!」
メトネルはここで無為にスヴァローグ艦隊を失えば、未だに不安定な帝都スヴァローグ星系に動揺が起き、敬愛する皇帝の政治基盤が危ぶむと考えた。
そのため、麾下の艦隊でスヴァローグ艦隊を逃がし、カラエフに恩を売ることで皇帝を守ろうと思い立つ。
この時帝国艦隊は連合艦隊側からの激しい攻勢を受け、一万隻近くが損害を受けていた。しかし、左翼にあったダジボーグ艦隊がヤシマ艦隊に襲い掛かったことで、再び連合艦隊側の足並みが乱れる。
そして、戦線は再び膠着した。
ミサイルを撃ち込んだ第九艦隊は帝国艦隊に止めを刺すべく、最大加速度でロンバルディア艦隊の下方に向かう。
「主砲を発射!」とクリフォードは命じた。
戦術士であるオスカー・ポートマン中佐は「了解しました、艦長!」と大声で了解すると、メインスクリーンに陽電子の束が空間物質と反応してできる光の帯が映し出される。
「まだ距離が遠いですが、撃ち続けますか」とポートマンが確認すると、
「敵小型艦には充分に効果がある。思いも寄らぬ方向からの攻撃は全軍に混乱をもたらす。今は敵を一隻でも沈めることが重要だ」
クリフォードの的確な指揮により、インヴィンシブル89は二隻の戦艦にダメージを与え、一隻の重巡航艦と二隻の駆逐艦を沈めている。これにはステルスミサイルの戦果は含まれていないため、旗艦としては充分過ぎる戦果だった。
旗艦の果敢な攻撃は僚艦たちの戦意も高揚させ、倣うように攻撃を加えていく。帝国艦隊は第九艦隊によって更に出血を強いられていった。
帝国艦隊にとって長い十五分間が過ぎた。
「全艦超光速航行へ移行! 我に続け!」
そう命じると超空間に撤退していった。
メトネルは旗艦ガヴィリイールのCICでその状況を確認し、「よし、我々も撤退するぞ!」と陽気とも言える口調で命じる。
最後まで善戦していたダジボーグ艦もその命令に従い、次々と超空間に逃げ込んでいく。しかし、ガヴィリイールは最後まで戦場に残り続けた。
そして、「撤退する」といった瞬間、複数の砲撃に刺し貫かれ、ガヴィリイールは爆散した。
ガヴィリイールの爆散と共に帝国軍の組織的な抵抗は終わった。対消滅炉や超光速航行機関にダメージを負った艦は降伏し、チェルノボーグJP会戦は終結した。
連合艦隊は会戦初期のロンバルディア艦隊の暴走により、想定以上の損害を受けていた。
アルビオン艦隊は喪失百二十隻、大破百五十隻、中破三百八十隻、小破二千五百隻と喪失数こそ少なかったものの、十パーセントを超える損害を被った。
混乱の原因を作ったロンバルディア艦隊だが、アルビオン艦隊の支援が功を奏し、喪失二千五百隻余りと思ったより損害は大きくなかった。それでも中小破三千八百隻あまりと、二十パーセント以上の損害を出し、運用できる艦隊は五個艦隊に減っている。
そして最も割を食ったのがヤシマ艦隊だった。
喪失千五百隻、中小破三千隻あまりと三分の一が損害を受けていた。
連合艦隊側の総喪失数は四千隻を超え、一個艦隊分の戦闘艦を失った。また、中破以上の損害を受けた艦も六千隻を超え、一万隻以上が損傷を受けている。有利な条件で戦闘に突入したにも関わらず、これほど多くの損害を受けたことに連合艦隊の司令部には重苦しい空気が漂っていた。
一方の帝国軍だが、カラエフ率いるスヴァローグ艦隊の損害は降伏を含む喪失三千隻余。脱出できたもののダメージを受けた艦は五千隻に上り、三割以上の損害だった。それでもダジボーグ艦隊が殿を務めなければ喪失数は倍に跳ね上がった可能性が高い。
悲惨だったのは最期まで戦い続けたダジボーグ艦隊だ。
一万五千隻のうち、チェルノボーグ星系に脱出できたものは半数の七千五百隻に過ぎず、ほぼすべての艦が損傷を受けていた。更に司令官のユーリ・メトネルが戦死し、組織としても大きなダメージを負っている。
チェルノボーグ星系に辿りついた帝国艦隊は約二万九千隻。うち戦闘艦は二万五千隻強、その半数が何らかの損傷を受け、侵攻前に比べ戦力は半減した。
チェルノボーグJP会戦は連合艦隊側の勝利に終わったが、戦略目的から言えば微妙なところだった。
そのため、帝国艦隊を追撃すべきという声が上がったが、ツクシノJPに七個艦隊が現れたことでその声は消える。
ダウランドはヤシマ艦隊に機雷の再敷設と降伏した敵艦の収容を依頼した後、第三惑星タカマガハラの防衛に向かうべく、戦闘可能な艦に転進を命じた。
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ニコライ十五世率いるストリボーグ艦隊、ロンバルディア方面艦隊はジャンプアウトした直後に激しい戦闘になると覚悟していた。しかし敵艦の姿がなく、肩透かしを食らった格好になった。
すぐにチェルノボーグJPに戦力が集中していると知り、今後の方策を検討し始める。
「思った以上に敵の戦力が強力だ。特にアルビオン艦隊が六個もあることは想定外だな。さて、この状況で我らが採るべき方策だが、余としては計画通りタカマガハラに向かうべきだと考えるが、何か意見はあるか?」
ニコライの言葉に実戦部隊の司令官であるティホン・レプス上級大将が反対を表明する。
「未だにカラエフ、メトネルの両艦隊は姿を現しておりませんが、あれほどの艦隊に勝利することは難しいかと。ここで待機し、カラエフらの艦隊の対応を見てから動いてもよいのではありますまいか」
それに対し、ニコライは「動いた実績が重要なのだ」と言い、
「皇帝の命を受けたカラエフの艦隊が敗北した時、我らが命令どおりに動いた実績がなくば、こちらの責任とされかねん。計画通り進んでも支障はなかろう」
レポスもその程度のことは分かっていたが、ニコライに追従するため、あえて反対した。そのため、即座に「さすがは藩王閣下。ご慧眼にございます」と頭を下げる。
スヴァローグ艦隊は最大加速度で加速し、星系中心部に向かった。しかし、四時間後にカラエフ艦隊が撤退したため、同様に撤退を開始した。
「あれだけ痛めつけられたのだ。カラエフの艦隊が再侵攻することはあるまい」
「その通りでございます。ロンバルディアまで撤退すべきかと」
「ロンバルディアで迎え撃つ用意をせねばならんが、どのように敵を迎え撃つかだ」
ニコライの問いにレポスは恭しく頭を下げる。
「ロンバルディアには向かわぬのではないかと。恐らくはカラエフ艦隊を追撃すると愚考いたします」
レポスはハースの戦略をほぼ正確に見抜いていた。しかし、それはダジボーグを攻撃することでロンバルディアを解放するという考えではなかった。
「なぜだ? あれほど猪突したロンバルディア軍が納得するとは思えんが?」
「ロンバルディアを解放したとして、アルビオンに益はございません。今の状況を利用し、ダジボーグを攻め落とせば、アルビオンは新たな領土を得ることができます。自由星系国家連合としてもアルビオンに恩を売りつつ、我が帝国の防壁を作ることができます」
「分からぬでもないが、我らの存在を無視するわけにはいくまい」
「此度の会戦でダジボーグの艦隊は大きく戦力を落としております。更に我らが合流するには時間が掛かりすぎます。各個撃破のよい機会と考えるのではありますまいか」
レポスの説明にニコライは考え込むが、
「卿の言には聞くべきところがある。その上で更に聞きたいのだが、我らの採るべき行動はいかなるものか」
レポスはもう一度恭しく頭を下げ、声を低くして説明する。
「ロンバルディアに帰還後、直ちにダジボーグに向かいます。ここで重要なことは皇帝陛下からの要請を受ける前に行動を起こすことです。これにより藩王陛下が帝国を第一に考えておることを臣民に示され、誰が至高の座にふさわしいかを明らかにされてはいかがかと」
レポスは藩王の尊称を意図的に“陛下”とした。帝国において“陛下”の尊称を使えるのは皇帝ただ一人。もし意図的に使えば不敬罪に問われる。
「なるほど。先を見て動けということだな」とニコライも声を低くして笑う。
そして、全将兵に対し、演説を行った。
「これよりロンバルディアに帰還する! 帰還するが、祖国防衛のためダジボーグに直ちに移動せねばならん。諸君らには負担を掛けることになるが、帝国のために余に力を貸してほしい!」
ニコライは帝国のために自分に力を貸してほしいと宣言した。彼の指揮する艦隊はストリボーグ人で構成されており、ほとんどの者がその言葉を文字通りではなく、皇帝の座を狙うと受け取った。
そして、多くの艦で歓声が上がる。
小国であるダジボーグ人に皇帝の座を奪われたことに納得していない者が多かったためだ。
こうして帝国に大きな亀裂が入ることになった。




