第十二話
宇宙暦四五二二年七月十三日標準時間一二〇〇
キャメロット第九艦隊を含むテーバイ星系派遣艦隊は超空間に突入した。
四日後の七月十七日、派遣艦隊とすれ違う形で、キャメロット星系に重大な情報が飛び込んできた。
テーバイ星系の先、緩衝宙域であるマヤーク星系において哨戒艦隊が帝国の大艦隊と接触したという情報だった。
帝国軍の数は五個艦隊、約二万五千隻。
想定される中では最少で、テーバイ派遣艦隊で充分に対処できる。その事実に統合作戦本部の責任者、マクシミリアン・ギーソン副本部長を始め、キャメロットに残る軍人は安堵する。
特に作戦を立案した作戦部長ルシアンナ・ゴールドスミス少将は自らの判断が正しかったことを内心で自賛していた。
(予想通りね。後はエルフィンストーン提督が敵を撃破してくれれば何も問題はないわ。それとも先手を打ってヤシマに増援を送った方がいいかしら。アテナから二個艦隊が戻れば、戦略予備をヤシマに投入しても問題ないはず……でも、過信は禁物ね。帝国も無策で来たわけではないのだから……)
ゴールドスミスはそう考え、ギーソンにその旨を伝える。
「帝国軍を撃破した後にヤシマに艦隊を派遣する方がよいでしょう。あり得ないこととは思いますが、帝国がどのような隠し玉を持っているか分かりませんので」
「しかし、それではダウランド提督の申し出を無視することになる。もし万が一ヤシマが陥落したら、私の責任問題に発展しかねん」
ヤシマ派遣艦隊の総司令官、第二艦隊司令官ナイジェル・ダウランド大将からは、帝国艦隊に対抗するため、艦隊の増派を求める上申書が届いていた。
「その点は問題ございません。五個艦隊がテーバイに向かっているということはダジボーグには最大でも八個艦隊しか残っていないのです。帝国の兵站能力から考えれば、あと二個艦隊を動かすことが限界でしょう。我が国が艦隊を派遣しているヤシマに対し、いきなり攻め込むリスクを帝国が冒すとは思えません」
「なるほど。確かに我が軍なら決戦を避けて時間を稼ぐことは可能だ。帝国もそのことを考慮するだろう……そうであるなら帝国がヤシマではなく、ロンバルディアに向かうと考えるのは合理的だ……そういうことか?」
「おっしゃる通りです。では、この方針で問題ありませんね」
ギーソンは「うむ」と大きく頷き、艦隊の派遣を見送る決定を行った。
■■■
テーバイ星系に向かったアルビオン艦隊は、七月十九日二二〇〇にジャンプアウトした。総司令官のエルフィンストーンは星系で警戒に当たっている哨戒艦隊からマヤーク星系に帝国艦隊が侵入したという報告を受ける。
「……帝国艦隊はアラビス星系に侵入し、本星系には最短で二十五時間後、七月二十日一九〇〇にアラビスJPにジャンプアウトすると考えられます……」
キャメロットJPからアラビスJPまでは約三百五十光分。星系内最大巡航速度の〇・二Cでは三十時間以上掛かる。
理論上の話だが、艦の損傷にある程度目を瞑り、星系内での限界速度である〇・三Cまで加速した場合は二十時間三十分で到着できる。
その場合、多くの艦が損傷を受け、応急補修中に敵が現れる可能性が高い。また、加速度の違いから艦隊陣形が大きく崩れ、艦隊の再編を行わなければならないだろう。
敵はジャンプ前に万全の体制を整え、更に光速の制限を受けずに攻撃が可能だ。ただでさえ不利な条件であるのに、更にハンデを負うことになり、数の優位を生かしきれない恐れがあった。
「帝国艦隊をアラビスJPで迎え撃つことは厳しいということか」
エルフィンストーンは参謀長のウィルフレッド・フォークナー中将にそう言ったものの、敵に自由に動かれるリスクを考慮し、アラビスJPに向かうよう命じた。しかし、敵の数が自軍より劣ることから、無理な速度ではなく、常識的な最大巡航速度での移動だった。
クリフォードは艦の指揮を執りながら、エルフィンストーンの命令について考えていた。
(敵がどのタイミングで現れるかは分からないが、主導権を握るために少しでも近づいておく方がいい。運が良ければJPに展開することも可能なのだから。一切逡巡しないところは“烈風”の名に恥じないな……)
指揮官用コンソールを操作しながら、艦隊の航路を確認する。
(直進するとして、最速で敵が現れるとすると、アラビスJPまで約九十光分の位置か。時刻は七月二十日二〇三〇……敵艦隊が現れた直後に減速するとして……この辺りに展開するはずだな……)
航法長のギルバート・デッカー中佐に対し、
「航法長、すまないが二十二時間後に敵艦隊を視認するとして、そこから一旦減速し、第五惑星に向かうパターンの航路の計算をやってくれないか」
「了解しました、艦長」と答え、すぐに計算を始めるものの、なぜその計算が必要なのか疑問を口にする。
「その計算の意味を教えていただけないでしょうか?」
「恐らくだが、司令部からその計算を依頼されるはずだ。我々がアラビスJPに展開する前に敵が現れるとなれば、敵がどこに向かおうとするか確認する必要がある。キャメロットJPならその場で迎え撃てばいいし、留まるならアラビスJPにそのまま向かえばいい。問題はスパルタンJPに向かうケースだ。この場合はヘラクレスの軌道に沿って追撃するよう命令が来るはずだ。できれば敵の出現のタイミングを変えた数パターンで計算してくれると助かる」
アラビスJPに現れた敵艦隊が採り得る選択肢は三つあるとクリフォードは考えていた。
一つ目はジャンプアウト後にアルビオン艦隊が優勢であると認識し、そのままアラビス星系に退却するケースだ。これが最も可能性が高いとクリフォードは考えている。この場合、アルビオン艦隊はそのまま進み続けるか、キャメロットJPに向かうだけであり、面倒な航路設定は不要だ。
二つ目のケースはキャメロット星系に向かうというものだが、この場合もアルビオン艦隊に向かってくるだけなので、敵に合わせて減速するだけで済む。このケースは何らかの策略がない限り現実的ではないとも考えていた。
三つ目のケースはスパルタンJPに向かうケースだ。これはアルビオン艦隊を誘引するための行動だが、アルビオン艦隊はアラビスJPから敵が離れたところで追撃に入ることが望ましい。その場合、ヘラクレスの軌道に沿う形で追撃することになる。
ただ、このケースも敵に何らかの策略がない限り、採る可能性は低いと考えていた。
(常識的に考えればアラビスに戻る。私ならアラビスに罠を仕掛けて誘い込むように見せる……)
クリフォードの予想通り、司令部から航路計算のチェック依頼がきた。その依頼に即座に対応したことで、艦隊の航法を司る運用参謀が驚く。
「既に計算してあったとは……提督から指示でもあったのか?」
その問いにデッカーは「いや、艦長の命令だよ」と笑いながら答えるが、内心ではクリフォードの先を読む能力に感嘆していた。
(さすがは艦長だな。提督が何を考えているのかきちんと理解している……私には到底無理な話だ。一瞬でも嫉妬した自分が恥ずかしい……)
彼はクリフォードが着任してきた当時、自分は指揮官に推薦されなかったのに年下の彼が旗艦艦長になったことに嫉妬した。しかし、ストイックなまでの仕事ぶりに今では尊敬の念を抱いている。
「十五パターンのシミュレート結果を出しておいた。参考にしてくれ」
そう言って通信を切った。
七月二十日一八〇〇
帝国艦隊のジャンプアウト予想時刻の一時間前、ハースは戦闘指揮所に入ってきた。
しかし、まだ戦闘準備は命じられておらず、CICは通常のシフト中だった。そのため、指揮官シートには副長のジェーン・キャラハン中佐が座っている。
キャラハンはハースの姿を認めるとすぐに立ち上がり、きれいな敬礼で迎え入れる。
ハースは答礼を返しながら、「ご苦労様」と労い、
「艦長はどこかしら? もう来ていると思ったのだけど」
「艦長はお食事中です。一九〇〇にCICに入られる予定ですが、こちらに向かうよう連絡いたしましょうか?」
「いいわ。そう言えば先ほど放送が入っていたわね。シフトについている者以外は夕食だと……私もご相伴にあずかろうかしら。戦闘前にクリフが用意した食事が出されるのでしょ?」
そう言って笑いながらCICを出ていった。
ハースが言った通り、クリフォードは軍の糧食以外に私費で食材を購入していた。画一的な糧食は栄養価や安全の観点では問題ないが飽きやすい。軍の食事ではないというだけで乗組員たちの人気は高いが、彼は高級な食材こそ用意していないもののプロの調理人に調理を依頼していたため、この食事を待ち望む乗組員は多かった。
これはクリフォードのオリジナルではなく、多くの艦長が行っていることだが、彼の場合は他の艦長より質の良い物を多く準備していた。
もちろん、食中毒などのリスクを考え、同じ食事を全員に出しているわけではない。それでも何度かに分けて全員に当たるよう工夫されている。
キャラハンはハースの後姿を見ながら、ここに来た目的について考えていた。
(艦長がここにおられないことは分かっていらっしゃったはず。だとすれば、必ず意味がある……)
そこで意味ありげに笑い、肘でつつき合う下士官たちの姿に気づく。
(CICにいる下士官たちに聞かせたかったようね。そうすればこの噂は艦隊中に一気に広がる。提督が“同じ釜の飯”を食べたという話が広まれば下士官たちとの連帯感は一層強くなるわ。さすがは賢者、抜け目がないわ……)
彼女の予想通り、ハースは下士官兵たちの食堂デッキに向かっていた。
狙いもキャラハンが考えた通りで、艦隊の下士官兵の士気を上げることを目的としている。
キャラハンはクリフォードの個人用情報端末にハースがメスデッキに向かったという情報を送った。
情報を受け取ったクリフォードはハースの狙いに即座に気づくものの、特に反応しなかった。
ハースが下士官兵たちの食堂に現れると、全員が起立する。更に敬礼しようとしたため、
「食事を続けて頂戴。それとできればだけど、私にも艦長が用意した食事をいただけないかしら。結構おいしいという評判を聞いているから、フフフ」
一人の若い技術兵が「了解しました、提督!」としゃちこばって敬礼し、食事を取りにいく。
すぐに当番兵からトレイを受け取り、「これが本日の夕食であります!」といって、ハースの前に置いた。
「あら、本当に美味しそう。クリフは王太子殿下と一緒だったから結構美食家なのね。では、私もご一緒させて頂くわ」
彼女の言う通り、クリフォードの用意した食事は一流レストランに準備させたものだ。白身魚のソテーや温野菜のサラダなど、冷凍保存されているとはいえ、“ディナー”というにふさわしいものだった。
ちなみにアルビオン王国軍では夕食を“ディナー”、昼食を“ランチ”と呼んでいるが、四交替体制の関係から質に差はなく、兵士たちはその言葉を聞くたびに同僚と意味ありげな笑みを浮かべることが多い。
ハースがメスデッキで食事をしたという噂は艦隊内に一気に広がった。公式には何も発表されていないが、下士官たちが持つ独自のネットワークが威力を発揮したのだ。
下士官兵たちの反応はおおむね良好で、ハースは大艦隊同士の戦闘を控えピリピリとした雰囲気を和らげることに成功した。
標準時間一九〇〇
クリフォードは予定通りCICに入った。予定ではあと一時間半ほどで敵艦隊を視認するということで、CICには緊張感が漂っている。
キャラハンから指揮を引き継ぐと、その直後に参謀長らを引き連れたハースが入ってきた。クリフォードが敬礼をもって出迎えると、ハースは笑みを浮かべて答礼する。
「美味しかったわ、艦長。これからは私の分も用意しておいてくれるかしら」
「了解しました、提督。何かご希望があれば伺っておきますが」
「そうね。今日は魚料理だったから、次は鶏料理がいいわね」
「了解です。しかし、高価なものではありませんから、その点はご了承ください」
半ば笑いながらクリフォードがそう言うと、ハースもそれに合わせるように彼をからかう。
「あら、私はあなたほどグルメじゃないわよ。今日のディナーくらい美味しければ充分過ぎるわ」
敵の大艦隊が現れる前のCICとは思えないほど暢気な会話だった。
そんな会話をCICの下士官たちが耳にし、横にいる同僚たちと笑い合っている。
ハースはCICの緊張感を軽減しようとし、それにクリフォードが乗った形だが、見事に成功した。
クリフォードは表情を引き締めると、自分の席の後方にある司令官用のシートに座るハースに向かって話しかけた。
「敵は予定通り現れると思われますか?」
ハースは未だに笑みを消すことなく、「ええ、私はそう思っているわ」と答える。
「では、このまま直進でしょうか?」
クリフォードはそう聞くものの、ハースの答えは何となく分かっていた。彼もそうだが、ハースも敵艦隊が自分たちを視認したら、一旦アラビス星系に引き返すと思っている。
「恐らくそうなると思うわ。敵が本当に五個艦隊だけなら引き返すしかない。数で劣り、地の利がないのに戦いを挑むようなことはないでしょうから」
「そうなると追撃ですか?」
その問いにハースは僅かに間を置き、
「どうかしら。私なら追撃しないのだけど。それにこの距離だと追撃しても敵に準備の時間を与えることになるわ。もし私が追撃するとしたら一日程度時間を置いてからね。でも、エルフィンストーン提督はどうお考えになるか微妙なところ」
クリフォードも同じことを考えていた。“烈風”と呼ばれるほど神速の用兵を駆使するジークフリード・エルフィンストーン大将が総司令官であり、間を置かずに追撃を命じる可能性は否定できない。
「罠はどうでしょうか? 敵があえて五個艦隊しか送り込まなかったことが気になります。もし、マヤークに現れた艦隊がすべてでないとすると、優勢な敵に待ち伏せされる可能性があります」
言っているクリフォードもその可能性は低いと考えているが、CICにいる参謀や部下たちに聞かせる目的で質問したのだ。
「それはないと思うわ。帝国は我々がどのタイミングでどの程度の戦力を送り込んだのか知らないのだから、アラビスジャンプポイントで我が軍が待ち伏せすることを考えて最大兵力で向かってくるはず。そうしなければ各個撃破されるだけだから」
超光速通信が存在しないため、連絡手段は情報通報艦のリレーによる原始的な方法に頼らざるを得ない。そのため数日程度の伝達の誤差は充分にあり得る。もっとも最短時間は星系間の距離で決まってくるため、理論上の限界はどの国でも把握できる。
但し、別の要因で艦隊を動かすことは充分にあり得る。特に敵国、または仮想敵国との緩衝宙域付近では大規模な演習を行うことが多く、ここテーバイ星系でも五個艦隊程度の演習を何度も行っており、その情報は帝国にも伝わっていた。
そのため、大艦隊が思いもよらぬタイミングでいる可能性があり、偵察が難しい敵国の支配宙域に入る場合は最大戦力をもって進入することが軍事上の常識だった。
二人の会話に副参謀長のアルフォンス・ビュイック少将が加わってきた。
「だとすれば面倒ですね。どこまで敵を追い掛けるかはエルフィンストーン提督のお考え次第ということになりますから」
「そうね。統合作戦本部もこの状況はあまり考慮していなかったようね。戦略目的が明確じゃないから提督は苦労しそう」
そう言いながらもハースは今回の戦略目的はある程度明確であると考えていた。
彼女の考えでは敵を自由に動かせないようにすること、もっと端的に言えばテーバイに現れるであろう帝国の五個艦隊をヤシマに向けさせないことが今回の目的となる。しかし、敵が逃げていく場合は対応が難しいとも考えていた。
(エルフィンストーン提督はともかく、フォークナー中将がそのことをどう考えるかね。もし、テーバイ星系を守ることに固執するようなら帝国の思惑に乗せられることになるわ。敵が撤退するなら、さっさとヤシマに増援を送った方がいいのだけど……)
ハースは内心ではそう考えるものの、そのことは口にせず、参謀長であるセオドア・ロックウェル中将に別の話を振る。
「敵を追撃する場合、我が艦隊が先鋒になると思うわ。陣形はどうしたらよいかしら?」
その問いにロックウェルは即座に答える。
「巡航戦艦を前衛とした紡錘陣形が望ましいでしょう。もちろん補助艦艇は切り離すことになります」
「そうね。それがいいわ。ではエルフィンストーン提督からの指示が来る前にその検討を進めておいてちょうだい」
一時間半後の標準時間二〇三〇。
帝国艦隊は予想された時間通りにアラビスJPにジャンプアウトした。その数は二万五千隻でこれも情報通りだった。




