第十話
宇宙暦四五二二年六月三十日
ロンバルディア星系に凶報が届いた。
帝国領ダジボーグ星系との間にあるゴールロ星系に派遣されていた偵察艦から、帝国の大艦隊現るという情報が伝えられたのだ。
また、その直後、ダジボーグに帝国艦隊集結という情報もヤシマ星系経由で入ってきた。帝国軍はヤシマ経由での情報が先に入らないよう艦隊を急行させており、ロンバルディアにとっては寝耳に水だった。
ゴールロ星系に出現した艦隊の詳細だが、主力はストリボーグ艦隊で、八個艦隊約四万隻。更に兵員輸送艦が多数随伴し、ロンバルディアを併合しようとしていることは誰の目にも明らかだった。
迎え撃つロンバルディア艦隊だが、自由星系国家連合に属する国からの増援を得ることができず、六個艦隊約三万隻しかなかった。海賊などの取り締まりを行う巡視艇などが僅かにあるが、ほとんど戦力にはならない。
ロンバルディア国内は玉砕覚悟で帝国軍に立ち向かうか、それとも無条件降伏するかで国論が二分される。
首相であるエンツィオ・ドナーティは事態を収拾すべく議会に働きかけるが、衆愚政治と化しているロンバルディア連合議会は無駄な議論を繰り返すだけで、時間を浪費するだけだった。
その結果、ロンバルディア艦隊は帝国艦隊を有利に迎え撃つことができるジャンプポイント周辺に展開することができなかった。艦隊は居住惑星である第三惑星テラノーヴォと第四惑星テラドゥーエの軌道上に漫然と展開していた。
しかし、地上では兵員輸送艦と徴用された民間輸送船への地上部隊の搭乗が密かに進められていた。地上軍の兵士たちは目的を知らされることはなく、どちらかの惑星に戦力を集中し、地上戦による抵抗を行うものと考えていた。
二日後の七月二日。
ゴールロ星系ジャンプポイントに、帝国艦隊が次々とジャンプアウトしてきた。濃密なステルス機雷原が存在したが、八個艦隊という大艦隊を前に数隻に軽微な被害を与えただけで簡単に無力化されてしまった。
帝国軍総司令官であるストリボーグ藩王ニコライ十五世は、ジャンプアウト直後に星系全体に向けて降伏勧告を行った。
「ロンバルディア連合の市民諸君に告ぐ。余は銀河帝国ストリボーグ藩王国のニコライ十五世である。我々は宇宙の秩序を乱すゾンファ共和国の脅威に対抗するため、貴国との同盟を提案すべく来訪した……同盟を拒否する場合、強大な敵に対抗するため本星系政府の主権を一時凍結することになろう……同盟締結後、ロンバルディア星系にある武装・非武装を問わず、すべての航宙船はストリボーグ藩王国の指揮下に入ることとなる。直ちにすべての航宙船の動力炉を停止し、藩王国士官に指揮権を移譲することを勧告する……」
同盟の提案と言いつつ、その実は占領宣言であり、ロンバルディア国民は怒りに打ち震える。しかし、敵の戦力に対抗するにしても、既に不利な状況に追い込まれており、誰の目にも勝算がないことは明らかだった。
ドナーティ首相は非常事態を宣言し、連合議会を解散した。この超法規的措置により首相官邸に権限が集中する。
ドナーティはその権限を使用し、ロンバルディア連合艦隊の司令長官ファヴィオ・グリフィーニ大将に対して全軍の指揮権を与えると、文民統制の原則を無視し、以下のような命令を下した。
「ロンバルディア連合政府は二十四時間後に無条件降伏する。軍は一時的に政府の指揮下から離脱し、同盟国であるラメリク・ラティーヌ共和国に向かってほしい。これは祖国解放のための雌伏である。帝国軍の要求に屈することなく、祖国解放を果たしてほしい」
それに対し、グリフィーニは短い言葉で答えた。
「首相の勇気ある決断に敬意を表すと共に、ロンバルディア連合の一員であることを誇りに思う。我々は必ず戻り、祖国の解放を果たす」
艦隊内では家族を残すことや戦わずして祖国を捨てる行動に反対の声が上がった。
しかし、グリフィーニは冷静に説得した。
「諸君らの怒りはもっとなことである。しかしながら、帝国軍と戦っても敗北は免れ得ぬ。また、敵の総兵力は十三個艦隊にも及ぶ。仮にここで勝利を得たとしても後続の艦隊と戦うことは不可能だ。自由星系国家連合及びアルビオン王国と連携しなければ、祖国は帝国の手に落ちたままとなる。今は来るべき決戦に向け、雌伏の時と歯を食いしばって耐えてほしい」
訥々と語るグリフィーニの言葉に兵士たちも冷静さを取り戻していった。
用意周到なグリフィーニは僅か二十四時間で輸送艦を含め艦隊を再編し、ラメリク・ラティーヌ星系に向けて移動を開始した。これは秘密裏に立ててあった計画に沿ったもので、帝国軍に対応の余地を与えないほど完璧なものであった。
一方の帝国軍はロンバルディアの予想外の対応に後手に回る。
藩王ニコライ十五世は整然と遠ざかっていくロンバルディア艦隊を見送りながら、感情を爆発させる。
「どういうことだ! 今回の戦略目的はロンバルディア軍の撃滅であったのではないか! これでは皇帝より叱責を受ける。どうするのだ!」
その怒りに帝国軍の首脳は困惑するが、ストリボーグ艦隊の実質的な司令官であるティホン・レプス上級大将がなだめに回る。
「確かにその通りでございますが、我々は戦力を損なうことなく、ロンバルディアを併合したのです。地上軍を含め、抵抗勢力が残っていないということは今後の統治が容易になるということです。その点を考慮されてはいかがでしょうか」
おもねるような言葉に「何を言っておる!」と怒りを爆発させる。
「ここで敵を潰しておかねば、ヤシマは手に入らぬのだぞ! その程度のことも分からぬか!」
ニコライの言っていることは間違っていない。
ロンバルディア艦隊を殲滅し、自由星系国家連合軍の戦力を消耗させることが今回の最大の目的だ。
そのロンバルディア艦隊に自由を与えることは、ヤシマ攻略の際にロンバルディア星系にも戦力を残さねばならなくなる。そうなれば、ヤシマ攻略部隊を減らさざるを得ない。
「その点は重々承知しております。ですが、ロンバルディア艦隊はラメリク・ラティーヌに逃走しました。ヤシマ方面に向かえば、我らと接触するため仕方なくなのでしょうが、このことで彼の戦力を無力化できたのです」
「どういうことだ?」とニコライは訝しむ。
「ロンバルディア艦隊の目的は本星系の解放です。一方、ラメリク・ラティーヌ共和国は自国の防衛を優先するでしょうから動くことはありますまい。つまり、ロンバルディア艦隊単独で本星系に進攻することはないということです」
「確かにそうだが……」
「ですので、ヤシマ攻略作戦実行中に本星系を空にしても、ロンバルディア艦隊がその情報を知るのは我々がヤシマに到着してから半月程度後になります。ヤシマの攻略に時間を掛けねば、距離の関係で我らは充分に戻って来られるのです」
ロンバルディア星系とラメリク・ラティーヌ星系は十一パーセク(約三十六光年)離れている。この間の移動には最短でも十五日掛かる。
ヤシマ星系とラメリク・ラティーヌ星系の間は二十三パーセク(約七十五光年)離れている。この間の移動には三十日掛かる。
そして、ヤシマ星系とロンバルディア星系の距離だが、十二パーセク(約三十九光年)だ。この間の移動には最短でも十六日掛かるが、ヤシマ星系からラメリク・ラティーヌ星系に情報が行く時間を考えれば、一ヶ月程度の時間余裕があることが分かる。
「彼奴等がラメリク・ラティーヌに向かうとは限るまい。隣の星系に潜み、我らが動いた後に舞い戻ることもできるのだ」
「JP側に機雷を敷設しますので、偵察は不可能です。つまり、敵は一か八かの勝負を賭けなければ舞い戻ることはできません。艦隊数で劣り、更に機雷原に突入してくるような危険な賭けに出ることはないでしょう」
「では、奴らはどうする気なのだ?」
「恐らくですが、ヤシマに向かい、自由星系国家連合艦隊としてロンバルディア解放を目指すのではないかと」
「弱兵とは言え、ロンバルディア、ラメリク・ラティーヌ、ヒンド、ヤシマの四ヶ国の連合艦隊となれば、二十一個艦隊にもなる。ラメリク・ラティーヌは自国の防衛を考えて艦隊を割かぬかもしれぬが、それを除いても十四個艦隊だ。それだけの数にアルビオンが加われば、我らとて大きな損害を受けることになるぞ」
「そのご懸念は不要かと」
「なぜだ? 奴らとてロンバルディア奪還が重要であることは分かっておろう」
「その通りでございますが、ヤシマを空にしてまでロンバルディアへ艦隊を送ることはあり得ません。ヤシマとアルビオンがそのようなことを認めることはないかと」
レプスの説明を理解したニコライは機嫌を直す。
「なるほど。つまり、我らは艦隊を損なうことなく、ロンバルディアを併合した。ヤシマにロンバルディア艦隊が行ったとしても、帝国の実力をもってすれば何ほどでもない。もし、皇帝がそのことで不満を漏らすのなら、臆病風に吹かれたという噂を流せばよいということだな」
「御意にございます」
ニコライはロンバルディア艦隊の動向に注意するよう指示を出した後、首都のあるテラノーヴォに向かって艦隊を進めるよう命じた。
ロンバルディア国民は進駐する帝国軍を苦々しく思いながらも、ドナーティ首相の指示に従い、無抵抗を貫いた。
ニコライはロンバルディアを掌握するため、綱紀粛正を徹底する。その結果、ほとんど混乱は発生しなかった。
しかし、それでも二十五億人の人口を抱える国家を掌握するには一ヶ月以上の時間が必要であった。
ロンバルディア艦隊逃走の情報は、半月後の七月十七日にダジボーグ星系にもたらされた。
一報を聞いた皇帝アレクサンドル二十二世は持っていたゴブレットを投げつけ激怒する。
「ニコライは何をしておるのだ!」
彼の傍らにいたダジボーグ艦隊司令官ユーリ・メトネル上級大将も皇帝の怒りに同調する。
「全くもって本作戦の目的すら理解しておらぬとは!」
メトネルは四十五歳でダジボーグ艦隊の総司令官に任命されるほどアレクサンドルに信頼されており、今回の作戦の立案にも深く関わっている。そのため、戦略目的を無視したような行動に怒りを覚えたのだ。
「これでヤシマ侵攻作戦が難しくなりました」
メトネルの言葉にアレクサンドルは憮然とした表情のまま黙っている。
アレクサンドルも今回のロンバルディア艦隊の撤退が計画されたものであり、その陰にはアルビオン王国がいることを感じ取っている。そうであるなら、帝国が次に狙うのはヤシマであることを看破されていると考えるべきで、当然ロンバルディア艦隊はヤシマに向かう。
現在ヤシマにはヤシマ艦隊四個、アルビオン王国艦隊三個の七個艦隊があるが、帝国はヤシマ艦隊の増強を把握しておらず、六個艦隊が存在していると認識している。
そこにロンバルディア艦隊六個とヒンド艦隊二個が合流すれば、十四個艦隊七万隻の大艦隊となり、帝国軍の十個艦隊五万隻を凌駕することになる。
「作戦の変更を検討いたしますか?」
「うむ。テーバイ方面艦隊の帰還を待ってダジボーグより八個艦隊でヤシマに侵攻する。これで数的には互角だ」
その案にメトネルが懸念を示す。
「アルビオンがテーバイ星系からダジボーグに向かう可能性があります。そうなれば、ゾンファの二の舞となることは必定」
「分かっておる。だが、その可能性は低い」
アレクサンドルの言葉にメトネルも頷く。懸念を示したものの、ロンバルディアでの状況を掴む前にアルビオンがダジボーグ侵攻作戦を行うとは考えがたい点では一致していたのだ。
しかし、更に危険性について指摘を行う。
「我が軍は二方向からの分進合撃となります。敵が両方に分散して待ち構えてくれればよいですが、一方に戦力を集中させた場合、二倍の戦力とステルス機雷原で戦うことになります」
「敵は烏合の衆だ。アルビオンだけに注意しておけばよいが、僅か三個艦隊では大したことはできぬ。それに待ち伏せるならロンバルディア側であろう。一定以上の損害を与えた上で追撃し、ロンバルディアを解放することができるからな」
「おっしゃる通りですが、それでもヤシマ侵攻作戦は失敗に終わります」
「ニコライも無能ではない。ストリボーグ艦隊であれば、烏合の衆である自由星系国家連合軍が主力の艦隊に対して時間稼ぎくらいはできよう。あのJPには機雷を敷設する時間も資源もないだろうからな」
ヤシマ星系のロンバルディア側、すなわちツクシノJPは同盟国との接続JPということでステルス機雷は敷設されていなかった。
予備の機雷を敷設することは可能だが、七個艦隊に脅威を与えるほどの数を短期間で揃えることは工業国ヤシマであっても難しい。
メトネルはそれでも更に注意を促した。
「敵は我々の戦略を看破している可能性があります。ヤシマを確実に攻略するのであれば、一時的にロンバルディアを放棄し、ダジボーグから十五艦隊で攻め込むべきでしょう」
「それはできぬ」とアレクサンドルは即座に否定する。
「ニコライ藩王閣下への配慮でしょうか」とメトネルがいうが、アレクサンドルはそれに明確には答えず、
「一度手に入れた星系を手放すことは軍の士気に関わる。ロンバルディアに戦力を集めることも同様だ」
メトネルが懸念した通り、アレクサンドルは政治的な配慮からロンバルディアを放棄することができなかった。
ニコライに植民星系とすることを約束したこともあるが、弱兵の集まりである自由星系国家連合軍に対し、必要以上に恐れているような行動を示すことは皇帝の権威を揺るがすことにもなりかねない。
そのため、当初の計画を破棄し、ロンバルディアに戦力を集中させるという作戦も放棄せざるを得なかった。
アレクサンドルは心の中で再びニコライに悪態をついた後、作戦の変更を参謀に命じた。
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ロンバルディア星系から撤退したロンバルディア艦隊は七月十七日に無事ラメリク・ラティーヌ星系に辿り着いた。
司令長官グリフィーニの卓越した指導力と不屈の意志により、不平を持っていた士官や兵士たちも今では現実を受け入れている。
グリフィーニはラメリク・ラティーヌ星系到着後、燃料の補給のみでヒンド星系に向けて出発した。
同盟国であるとはいえ、他国の星系での移動は航路情報が完璧でも気を使う。それが三万隻以上の大艦隊ということで、航法担当士官たちは神経を使いすぎ、胃を痛める者が続出するほどだった。
しかし、グリフィーニは機関の不調などがない限り、停止することを認めなかった。
「帝国が早期にヤシマに侵攻する可能性は否定できない。ロンバルディア併合の混乱を無視してヤシマに侵攻する場合、我が艦隊が間に合わなくなるのだ。それでは祖国を見捨ててまで戦力を温存した意味がなくなる……」
その言葉に将兵は納得し、不平を言うことがなくなった。
実際、グリフィーニは焦っていた。
アデル・ハースらが考えた作戦は千尋の谷の上で綱渡りをするような際どいものだ。帝国が電撃的な侵攻を企てた場合、ヤシマ、ヒンド、ラメリク・ラティーヌと連続して陥落することもあり得ると考えていた。
(皇帝と藩王の権力争いがどの程度かにもよるが、帝国人とて愚かではない。一時の不満に目を瞑り、手を結ぶことは充分にあり得るのだ……)
グリフィーニはその思いを表に出すことなく、黙々と指揮を執っていた。




