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(――ドボロはどう思う?)
遺跡の村・コントゥリから、北に歩くこと凡そ一時間。巨大遺跡、地上。
(君を犠牲に手に入れた世界で、のうのうと暮らす、こんな僕を)
土の採取を終えたリリは、夕闇に燃ゆるアンモスの空を見つめながら、ふと、言いようのない虚無感に襲われていた。
この場所に来ると、リリは彼との出会いを、よく思い出した。巨大遺跡の入り口へと目をやるが、今はもう、それも虚しいだけだった。
十数メートル離れた、遺跡群の入り口のほうから、ジンがリリへと声を掛ける。
「おーいリリちゃん、そろそろ戻るぞ! 日が暮れちまう!」
彼もまた、三年前と比べると幾分背が伸びており、元々良かった体格は、更にガッチリとしたものに成長していた。
「うん! いま行くよ!」
名残惜しそうに、遺跡の入り口を暫し見つめてから、リリはジンを振り返った。彼はもう、ここにはいないのだ――。
駆け足で、リリがジンの隣まで追い付くと、二人はコントゥリに向けて歩き出した。頭の後ろに手を組むと、ジンは歌うように言う。「きょーうの晩飯なんだろな~」
「当てようか、カレー」
「良いねえカレー! でも残念でした。お袋が魚って言ってたの思い出したわ」
と、その時である。
(……リ)
テレパシーのように、リリの脳内に聞き覚えのある声が響いた。初め、リリは余りに微かだったその声を、気のせいのようにしか思わなかった。然し――。
「うちは昨日からカレーなんだ。それも激辛カレー。父さんったら、辛いもの大好きで――」
(リリ)
再び脳内に響いたその声に、リリは確かな違和感を覚えた。それが気のせいなどではなく、何者かが目的を持って、自身の脳内に呼びかけている声なのだ、と。
括目し、その足を止めると、リリは遺跡の入り口を振り返った。
「リリちゃん? どうした?」
心配そうに、ジンはリリの顔を覗き込む。「ごめん、ジン」とリリは、自身の荷物をジンへと託すと、巨大遺跡の入り口へと走り出した。
「先に村に帰ってて!」
巨大遺跡に来ることはあっても、土を取るのは基本的に屋外で、その内部へと入るのは、リリはあの日以来だった。あの日――、十三歳だったあの日。途方もなく広く見えた遺跡入り口の大広間は、幾らか縮んだように、リリには見えた。
リリの聴覚記憶に間違いがなければ、声の主は間違いなく〝彼〟だった。高揚を隠すことが出来ずに、リリは走って、然し転んだりはしないよう慎重に、〝その場所〟へと向かった。色褪せるあの日の記憶を頼りに、あの日の通路を辿って、リリは遺跡の地下へと降りた。牢屋の脇を通り抜け、土埃の被る木製の扉をその瞳に映すと、あの日の記憶はリリの脳裏に、強烈な印象と共に蘇った。
(……ここだ)
唾を飲み込むと、リリは恐る恐る、その取っ手に右手を掛けた。軽く引いても、少し軋むのみで動かないので、リリは思い切って、その取っ手を両手で握り、それを渾身の力で引いた。ギギギ、と今にも壊れそうな音を立てながら、その扉は開いた。
目測で五〇メートルほどの、暗く狭い通路の向こう側には、光の漏れる別の空間が見える。天井に頭をぶつけぬよう気を付けながら、リリはその通路へと足を踏み入れた。
四年前、頭を少し屈める程度で問題なく通れたその通路を、リリは今、しっかりと腰を曲げねば通れなくなっていた。
通路を進んでいくに連れて、リリの記憶は鮮明になった。長い通路を越えて、やがてその先の光へと、リリは辿り着いた。
吹き抜けになっている、遺跡入り口の大広間程の広さはないが、そこには広間が広がっており、その奥には祭壇のようなものがあった。祭壇の後ろには巨大な壁画が描かれている。天井からは地上の光が漏れていて、空気中に浮遊する粉塵は、その光を反射して、きらきらと輝いている。埃っぽさに軽く咳を払いながら、リリはその祭壇に近付いた。
その景色に、リリは見覚えがあった。
(……ずっと)
そこには、対になった二本の角の生えた、褐色の楕円体が一つ、祀られていた。左側の角は先が欠けてしまっており、経年に依ってか、表面には苔が生えかけてしまっているほか、ところどころから小さな植物が芽を出している。
(……ずっと、君を待ってた)
リリはゆっくりと、その楕円体に近付き、そして両の手で、そっと触れてみた。
刹那、楕円体は眩い光を放ち出すと共に、言い表しようのない高音を立てながら、ずんずんと肥大化を始めた。広間を覆うほどの眩い光に、リリは目を閉じてしまっていたので、その光景を見ることは叶わなかった。迸る光の中で、瞼の内側からその様子を想像しながら、リリは光が収まるのを待った。
(聞かせたいこと、見せたいもの、沢山あるんだ。君の帰還を、きっとみんなが、心から祝うよ――)
『彼を目覚めさせない』という選択肢が、リリにはないわけではなかった。約束を交わしはしたものの、彼にはやはり、かつての記憶が残っている道理がないからである。
それでも尚、リリは再会を望んだ。万に一つ、何かの間違いでもいい。彼に記憶が残っているようなことがあるとすれば、それはリリにとっても望むべき結果であったし、仮に記憶が残っていなかったとしても、彼は彼だ。もう一度、一から二人で歩き始められればいい――三年の歳月の中で、リリはいつしか、そう思えるようになっていた。
音と光が止み、肥大化が止まったことを察すると、リリは恐る恐るゆっくりと、その目を開いてみた。
リリの目の前には、土のようにザラザラとした質感で褐色の肌を持つ、ずんぐりむっくりとした体型の巨人が立っていた。二メートルほどの高さを持つ身体には、背中を始めとし、あちこちから苔や植物の芽が生えている。上半身には美しい緋色のマントを、下半身には浅縹色のズボンを、彼は纏っており、左の足首には金に輝く足輪を付けていた。太ましい手から生える五本の指は、それぞれがリリの頭程の大きさもある。頭部も大きく四頭身ほどで、顔は横に広い。黒くて大きい目はギョロリとしており、半開きの口はやたらと横に長く、芥子色のボテッとした鼻は、褐色の顔の真ん中で、後から付け加えられたかのように目立っていた。頭の両脇から斜め上に向かって突き出た角は、中ほどから先が直角に折れ曲がっている。が、左側の角はドルミール同様に先が欠けてしまっている。そして、彼は出べそだった。
正面に伸ばしたままだったリリの手は、巨人の両手に掴まれていた。黒い瞳を真っ直ぐに見つめるリリに応えるように、彼もまた、リリの瞳を真っ直ぐに見つめている。喜び、切なさ、愛しさ――様々な感情にその胸を駆られ、リリはその頬に、一筋の涙を零した。
「――おかえり、ドボロ」
横長の口を、縫い合わせるようにピッタリと閉じて、土の巨人は満足そうに、ニンマリと笑った。
「――ただいまだ、リリ」
巨人の手を、少年は振り払うと共に、その胴へと勢いよく抱き付いた。彼がもう、何処かへ行ってしまわぬよう。彼をもう、二度と失ってしまわぬよう。彼と過ごした、一年間の旅の記憶を、彼と共に再び、強く噛み締めるよう――。
完




