88
ネーデルラント城、謁見室。
(分かってはいたけど――)
初め、リリはどうにか、アポロンの力を使わずに戦い抜くことは出来ないだろうか、と考えていた。地神招来を発動し、ドボロと共にその瞳に山吹色の輝きを宿したリリは、白銀の光を纏うジークとリュンヌに対し、素早い連撃を以て立ち向かった。が、やはりというべきか、その攻撃の全ては無力化され、どれだけのダメージを与えようと、ジークは刻のフォルスを以て、一瞬にしてその全てを回復して見せた。
(――使うしかない。宙のフォルスを)
ジークの放った杖剣による横薙ぎに、後方へと吹き飛ばされたリリは、空中で体勢を立て直して着地すると、時を同じくして放たれたリュンヌの攻撃に、自身の左隣まで吹き飛ばされてきたドボロの横顔を、素早く仰いで言った。
「ドボロ、……やるよ」
リリに視線を返すと、「ンだ!」とドボロはそれに頷き返す。迷いを払うように、短く溜め息を吐き出してから、リリは左腕を天へと伸ばして、その掌を、天上へと向けた。リリの行動の意味を察知したジークは、指し示すように左手を差し出すと、同じくその掌を、天へと向けて見せた。
「太陽神――」「月光神――」
リリとジークが唱えた、極精霊への呼びかけの言葉は、重なり合うようにして響き、この謁見室に木霊した。
「――招来!」
刹那、黄金と白銀の輝きを放ちながら、天空より飛来した二つの小さな光の球体は、謁見室の天井をすり抜けて、リリとジークの掌の中へと落ちていった。また、この時黄金の光球はその周辺に、赤と金に輝く、小さな光の欠片を幾つか纏わせてもいた。ジークの真紅の瞳は白銀に、リリの――ノームの力によって山吹に輝く両の瞳のうち――左の瞳は黄金にその色を変え、強く光を放ち出す。
黄金の光球が纏っていた、赤と金の小さな光の欠片たちは、ドボロを囲うように浮遊し、間もなくしてその身体の周りを、8の字を描くように旋回し始めた。旋回はその速度を徐々に速めていき、数秒間に渡る回転の後で、ついには光の欠片たちは、吸い込まれるような高音と眩い閃光を放ちながら、ドボロの肉体の各所――額、右腕、左腕、胸部、腹部、背中、右脚、左脚――へと、それぞれ消えていった。あまりの眩しさに、思わず腕で目元を覆ったリリが、次に目を開き、その姿を確認した時、宙へと浮かび上がったドボロの肉体は、――アポロンの力が宿っていることを示すのであろう――鎧のような赤と金の装甲に覆われていた。またその背には、ライラット王からの贈り物である緋色のマントを、威風堂々と翻している。
「ド……、ドボロ……」
驚きに目を見張るリリの隣に着地すると、ドボロは恥ずかしそうに笑って見せた。
「へへ……。オデ、かっこいいだか?」
その姿はリリの目に、今までに見たどんなアーツよりも格好よく、そして厳かに映った。大きく頷き返すと共に、リリは嬉しそうに返す。
「うん。すごくカッコいいよ……! それに――」
身体が嘘のように軽くなり、また自身の中から、今までにない新しい力が生まれ出てくるのを、リリとドボロは共に感じ取っていた。確かめるように自身の左手を見つめ、数度に渡って握ったり開いたりしてから、リリは再び、ドボロへと目をやった。
「この力なら、十分に戦える……!」
リリの言葉に、「ンだ!」とドボロは頷き返す。
一方で、二人を見つめるジークの目には、その姿は不思議な光景として映っていた。話を聞くのみで実物を目にしたことのないリリとドボロは、勿論それに気付くことはなかったが、鎧を纏ったドボロの姿は、かつてリリーシアと共に、ジークの前に立ちはだかった宙のアーツ・ソレイユのものに酷似していたからだ。
ファンテーヌのドルミール安置室で、初めてリリたちと顔を合わせた時から、当時十三歳だったリリと、その隣に立つドボロの姿に、ジークは十三歳の誕生日に、自分からドボロを受け取った直後のリリーシアの面影を見出していた。そしてそこに――無邪気だった頃の弟の姿に――、ジークは哀愁を禁じ得なかった。それが今、ジークの目の前で、リリに限っては少年の姿のまま、その隣には、ソレイユにしか見えないアーツが立っている。違和感に動揺を覚えると共に、自身が辿ったものとは違う歴史の可能性をも、ジークはそこに垣間見てしまった。
もしもあの日、少年だったリリーシアの隣にソレイユが居たとしたら、少しは違う結末を、自分たちは迎えることが出来ていたのではないだろうか。それが可能性などではなく、単なる後悔と渇望によるものなのだと、ジークには分かっていた。あの時代に、自分がソレイユを造り出すことなど出来た筈もないのだし、いずれにしてもフォルスの枯渇は、起こるべくして起こったのだから。
千年を生きてきた自身の行動に対し、後悔、などという語が過ぎったことに、ジークは面白ささえ感じ、「フン」と小さく笑みを溢した。
(宿命……か)
こちらへと真っ直ぐに目を向けるリリとドボロに対し、それに応えるように見つめ返すと、ジークはゆっくりと口を開いた。
「その力、確かにアポロンのもののようだ。これで少しは、楽しませてくれるのだろうな」
「これを発動させた以上は、もう今までのようにはいかせないよ。今度こそ本当に追い詰めて、確実にあなたを倒す」
自信ありげなリリの言葉に、「甘く見られたものだな」とジークは笑って見せた。
「然し、確かに宙のフォルスが相手では、こちらも本気を出さざるを得ない。このようなことになるのなら、やはりあの日、芽は摘んでおくべきだったか」
嘆くように、宙を見つめてジークはそう言った。『あの日』が初めて会った日を指しているのか、トリュンマでの戦いの日を指しているのかは、リリには分からなかった。が、確かなことがリリには一つだけあった。小さく首を振るうと、「いや」とリリは言った。
「あなたほどの力を持つ精霊術士が、僕の中に宿る宙のフォルスを、見逃す筈がない。自分を倒し得る可能性であることを理解した上で、あなたは僕を生かしたんだ。……そうでしょう」
疑問符は付けずに、リリは尋ねた。ジークは珍しく、虚を衝かれたように目を丸くした。数秒間の沈黙の後で、不敵な笑みを浮かべると共に、ジークは再び、「フン」と小さく笑った。
「その憶測が、真実かどうか。そして本当に、そなたが私を倒し得る存在なのかどうか。この戦いの結末と共に、その目で確かめることだな……!」
そう、ジークは言い放つと共に、杖剣を構え、横に振るいながら、刻のフォルスによる共鳴術技を放った。宙のフォルスを込めた共鳴術技で、リリはこれに応じた。
「〝月影、刻雨衝!〟」
「〝日輪、虚空閃!〟」
杖剣から放たれた、白銀に輝く無数の光線が、リリへと襲い掛かる。リリが短剣による横薙ぎから放った、黄金に輝く一閃の衝撃波が、その全てを空中で打ち砕いた。リリとジーク、ドボロとリュンヌは、互いに向かって同時に跳躍し、拳による強烈な一撃の打ち合いと共に、二組の戦いは再開された。
『宙のフォルスと刻のフォルスは、アシリアに宿る四種のフォルスとは存在自体が別格である』――熾烈極まる打ち合いの最中、ミドの語りの中のそんな一文を、リリはふと思い出すと共に、今まさに自身が繰り広げるこの戦いの中に、それを実感していた。身体は驚くほどに軽いが、そこから放たれる一撃は、嘘のように重い。その感覚を何かに言い換えることは難しかったが、強いて言うならリリはそれを、マッチを軽く擦る程度の力で、街を一つ焼き尽くすほどの大火を生み出すように感じていた。また、初めて扱うこの大きな力に、リリとドボロは初め、戸惑いを隠すことが出来なかったが、力のほうから身体に馴染んでいくように、思ったよりも早く、自分たちがこれに慣れていくのをも感じた。アポロンの協力が、そこにはあったからかも知れないとリリには思えた。
宙のフォルスの扱いに慣れ、元来の冷静な判断力の中に置かれたリリは、アポロンからの助言の一つ一つを、その脳裏に思い浮かべた。まず――。
(まず、宙のフォルスと刻のフォルスは、厳密には同等の存在ではない。それぞれ昼と夜の世界を司ろうと、所詮月というのは、太陽の光を浴びて輝く、虚ろなる存在でしかないということだ。加えて、人間と精霊が契約を結ぼうと、その力の何処までを人間に貸し与えるか、ということは、常に精霊の側に委ねられているということを、忘れずに覚えておけ)
アポロンはこの戦いに、基本的には協力的だ。だからリリとドボロの体力が許す限り、最大限の力を貸し与えるつもりでいる。また同じく、セレーネがジークに対し非協力的であると仮定するならば、彼女はジークには、最小限の力しか貸し与えない筈である。このことから、この戦いは初めから、どちらかといえばリリとドボロにハンディキャップのあるものと思っていいらしい。但し――。
(やはり危惧すべきは、お前と小僧の経験値と、その体格の差だろう。初めて宙のフォルスを扱うお前に対し、小僧は刻のフォルスの扱いは、存分に心得ている筈だ。だからハンディキャップについては、実質的には五分五分のものと思ったほうがいい。寧ろお前に劣勢であると考えていたほうが、結果的には身の為かも知れぬな)
ミドの話にもあったように、リュンヌの生成に当たって、セレーネがリュンヌに分け与え、リュンヌと共にジークが扱える、刻のフォルスによる能力は大きく分けて四つだ。『自分の肉体の状態を、これまでに過ごしたことのある状態に巻き戻すこと』、『他人の肉体の状態を、その人物がそれを望んでいる場合に限り、これまでに過ごしたことのある状態に巻き戻すこと』、『無生物の状態を、これまでに過ごしたことのある状態に巻き戻すこと』、そして『自身の周りを流れる時間の速度を遅めることによって、相対的に超高速での行動を可能とすること』。
アポロンが初めに言ったように、宙のフォルスは厳密には、刻のフォルスよりも優れている。宙のフォルスが持つ〝空間の力〟によって、刻のフォルスの効力は或る程度までなら抑えることが出来るという。
(お前が儂を招来したら、まず初めに、儂がその場一帯に特殊な空間を作り出す。これは目には殆ど見えぬから気を付けろ。この空間の中では、小僧が本来扱える四つの能力のうち、前者三つについては無効化することが出来る。……よく覚えておけ、小僧が特殊空間に気付く前に、何か一つでもいい。大きなダメージを与えることだ。小僧は巻き戻しを行うだろうが、これは発動しない。この時点で特殊空間に気付いた小僧は、戦いに消極的になるだろう)
アポロンの言葉に従って、リリはジークがそれを察する前に、上級の共鳴術技による一撃で、その左肩に重傷を負わせることに成功した。利き腕に当てられなかったのは惜しかったが、結果的にはこれは、先方の大きな戦力の低下には繋がった。ジークは勿論、これを回復させようと刻のフォルスを発動したが機能せず、そこでこの空間の効力に感付いたようだった。アポロンの読み通り、ジークはそれ以降、接近戦に消極的になり、距離を取っての戦闘にシフトチェンジした。
(上手くダメージを負わせたところで、漸く五分五分の戦いと思ったほうがいいかも知れぬ。あとは小僧の使う超高速移動に気を付けて、こちらも瞬間移動で対抗することだ。かつてリリーシアは、空間ごと切り取る力をも使って見せたが、これは反動と負担が大きい。身体の小さなお前は、やめておいたほうがいいだろう。最後になるが――)
リリとドボロの持つ土のフォルスは、宙のフォルスとは相性が良い。大地と空間を司る両者の力を、上手く混ぜ合わせて使うことが出来れば、そこには『星の力』が生まれる。星の力とは即ち『重力』や『大気圧』といった自然のエネルギーだ。この大きな力を操ることが出来たならば、新たな活路も生まれるかも知れない。そう、アポロンは最後に付け足した。ジークやリュンヌの隙を見つけては、土のフォルスと宙のフォルスを練り合わせて放つことを、リリとドボロは試みたが、すぐには上手くはいかなかった。
アポロンを招来してから数十分、リリとジーク、ドボロとリュンヌは、圧倒的なスピード感を以て続くこの戦いに、互いに疲れを見せ始めていた。峻烈極まる剣戟の中、口を開いたのはジークだった。
「少しはッ、やるようだな! それにこの空間、アポロンめ、小賢しい真似をしてくれるッ!」
空中に滞空するジークの、杖剣による神速の連撃を、同じくその場に滞空して短剣で防ぎ止めながら、リリはそれに答える。
「流石のあなたも、力を無効化されれば堪えるでしょうッ! 諦めて、降参したっていいんだよ!」
「笑止! 愚かなる人類とアーツを滅ぼすまでは、我が刃は止まらぬ!」
と、ジークは杖剣を、大きく振り被ってから放った。「喰らえッ!!」
咆哮と共に放たれた、刻のフォルスを込めた強烈な一閃を、リリは防ぎ切ることが出来ずに、後方の地へと吹き飛んだ。その背中でステンドグラスの窓を割り、謁見室の外――広大な中庭へと放り出されるも、両の足で地を抉りながら、リリはどうにか、二本の足でそこに着地して見せた。空中から床へと降り立ったジークも、リリを追うようにして、中庭へと姿を現す。よく整備されていたのであろうこの中庭には、浅い芝生が広がっており、その表面は風にそよいでいた。時刻は十八時を回った頃だろうか、辺りは夕闇に包まれている。
建物の三階部分に位置するその中庭は、先ほどまでリリたちのいた、謁見室を持つ王城を始めとし、同様の建造物によってその周囲を囲われている。その建造物の全てが、王城と繋がっているのかどうか、ということは、一見してリリには分からなかった。また中庭を取り囲むそれらの建造物は、――三階に位置するこの中庭から見ても――一貫して高層であり、ここからは地上の景色を垣間見ることは出来ない。不思議な空間であると、リリには思えた。
体勢を立て直し、ジークへと向かって歩き出しながら、「違うね、ジーク」とリリは言う。
「あなたも本来は、アーツによる人類の発展を望んでいた。自分のことを、愛ゆえに壊す者だとあなたは言ったけど、それは嘘だ。現にあなたは、王国とアシリアへの愛ゆえに、アーツを造っている。言い分を摩り替えようとも、その本質は変わらない」
細めた目でこちらを見つめるジークへと、更に歩を進めながら、リリは続ける。「愚かなる人類と、繰り返しあなたは言う。そして自分自身も愚かだった、と。でもそれだって、本当は嘘だ。そう信じたいから、そうなんだと、自分自身に言い聞かせているだけなんだ。あなた自身を騙すことは出来ても、僕には分かる。あなたは――」
リリの身体に纏わりつく、煙のような黄金の光が、徐々にその激しさを増していく。ジークはそこに、リリーシアだけではなく、かつての自身の面影すら、感じずにはいられなかった。そしてそんなリリに対し、ジークは確かに恐怖していた。右手に強く、杖剣を握り締めながらも、その手はリリに対する慄きに、微かに震えていた。
ジークの瞳を真っ直ぐに見つめると、リリは言い放った。その上空では、装甲と共に黄金の光を纏ったドボロが、打擲による凄烈な一撃を、リュンヌに対して決めたところだった。
「――あなたは諦めただけだ。世界を変えることを」
それはかつて、リリーシアに相対したジークが、弟に対して放った言葉に違いなかった。そしてその言葉は、ジークにとっても否定し難い、自分自身にも隠し通してきた、紛うことなき真実に他ならなかったのだ。恐怖と焦燥、そして怒りに身を任せ、ジークはリリへと駆け出すと、杖剣による連撃を放ちながら、叫ぶように言った。
「黙れ! そなたとて同じだッ! そなたとて! いずれは諦めざるを得なくなる! 人の愚かしさを知らぬからッ、そのような戯言が吐けるだけだッ!!」
「――諦めないッ!!」とリリは吠えると、ジークの杖剣を強く弾き返し、防戦に徹していたその形成を逆転させた。短剣の連撃を見舞いながら、リリは続けて叫ぶ。
「僕は絶対に諦めない! ノームとアポロンと、ドボロに誓ったから!! 僕だけじゃない! シンも、ルチカも父さんもッ、クーランもラメールもヘルズも! アーツと共に生きる世界を実現することを、誰も諦めやしない! だからお前は! お前だけはッ!! この僕が倒すッ!!」
咆哮と共に放たれた、リリの蹴りによる一撃をその腹部に受け、ジークは後方へと吹き飛んでいく。立ち上がったジークと、リリは互いに向かって、雄叫びを上げながら走り出し、戦いは再び、更に激しさを増して続けられた。
動揺に、一時は劣勢に傾いたジークだったが、打ち合いの中で平静を取り戻し、それからはまた、二組の戦いはほぼ互角の状態で続いた。全身全霊を以て、四人は戦いに身を投じ、その体力の限界は、ほぼ同時に訪れた。戦いが始まってから、一時間強が経過していた。息を切らし、憔悴しきった状態で向かい合った二組には、互いに次の一撃に、全てを託すほかなくなっていた。リリはドボロと共に、ジークはリュンヌと共に構え、それぞれその身に、土と宙のフォルスと、刻のフォルスを集中させていく。
「〝太陽神――〟」
「〝月光神――〟」
静寂の中、暫し見つめ合った二組は、意識が重なり合ったその刹那、それぞれに向かって跳躍し、残す全ての力を乗せた究極の共鳴術技を、互いに放ち合った。
「〝――ブリリアント・ナックル!!〟」
「〝――ジークハイル・エッジ!!〟」
リリとドボロは、握った両の拳による連続の打擲を、ジークとリュンヌは、手に持った杖剣と刀による連続の斬撃を、それぞれが打ち放つ。戦いの中、土と宙のフォルスを混ぜ合わせることを習得したリリとドボロの打擲には、自然のエネルギーもが加わり、ただでさえ強烈なその技の決定力を、それは後押しした。
リリとドボロの拳から放たれた、黄金の光を纏う、拳を模した千の岩塊と、ジークとリュンヌの刃から放たれた、白銀の光を纏う千の衝撃波は、迸る輝きの中で、相殺に相殺を重ねた。力の拮抗は、長く続いた。眩い光が治まると、そこには地に転がる、ジークとリュンヌの姿と、数メートル離れた地点に立って、息を切らしつつもそれを見つめる、リリとドボロの姿があった。リリたちの勝利が、決まった瞬間だった。
ぜえぜえと息を切らしながら、リリはジークへと歩み寄る。彼は、まだ死んではいなかった。が、身体は動かないらしい。擦れたか細い声で、「リリーシア」と彼は言った。それが自分を呼ぶものなのか、リリーシアを呼ぶものなのか、リリには分からなかった。また、はっきりとした意識が、彼にあるのかどうか、ということも。然し、それを聞き届けることが、きっと自分に出来る最後の慈悲なのだろうと、リリには思えた。ジークの脇に膝を突いて、リリは彼の言葉に耳を傾けた。夜の闇に染まる空を真っ直ぐに見つめながら、ジークは言った。
「この兄が……、間違っていたのか。……リリーシア、私が……、愚かだったのか」
その問いに、リリは答えなかった。答える資格が自分にあるのかどうか、リリには分からなかったからだ。
「ぐぅッ」と苦しそうに呻くと、数度に渡って咳き込んだ後で、彼は続けた。
「……許せよ、ヴェイグ、リザ、ハウル。そして……、ミド」
言い終えると、ジークはその頬に、安らかな笑みを浮かべた。千年余りの人生の最後に、彼は言った。
「父上、リリーシア……。今、そちらに……」
ピタリ、と彼がその動きを止めてから、〝それ〟が始まるまでは早かった。初め、リリは目を疑ったが、数秒を以て、それが何なのかを理解した。刻のフォルスによって若く保たれていたジークの身体は、その死と共にリュンヌ、セレーネとの繋がりを失い、〝本来の姿へと戻った〟のだ。彼の遺体は、急速にその顔に皺を湛え始めたかと思えば、髪が縮れ、肉体が萎み、融け、骨になり、骨は粉状に変化し、白銀の輝きと共に、ふわりと風に舞った。
リリたちの後方で、使役者を失ったリュンヌの身体もまた、白銀に煌めく光の粒子となって、風に舞い上がっていく。
アポロンの声が、不意にリリたちの脳内に響いた。
(リリ、ドボロ。セレーネは解放された。礼を言う。済まないが、儂の力もそろそろ限界だ。お前たちの身体を、離れなければならない)
リリの瞳と、ドボロの身体に宿っていた黄金の光が、少しずつ飛散していく。アポロンとの契約は、ジークとの戦いが終わるまでだ。そしてそれは同時に、リリとドボロの別れをも意味していた。アポロンの言葉に頷き返すと共に、リリとドボロはそれぞれ、互いに向き合った。
黄金の光と共に、ドボロの身体を覆っていた赤と金の鎧は消え失せ、ドボロは本来の、リリには見慣れた土の巨人の姿となって、そこに立った。リリの瞳も本来の濃紺へと、その色を変える。悲しげな笑みをその頬に浮かべて、ドボロの表情を仰ぎながら、仕方のなさそうに、リリは言った。
「それじゃ、ドボロ――」




