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ザザァ、という音と共に、土煙を立てながら後方へと地面を滑るシンの身体には、浅緑の光が纏われている。十段ほどある階段の上から、その姿を見下すハウルの身体もまた、浅緑の光によって包まれていた。その上空ではクーランとヒエンが、刀と刀の打ち合いによる、熾烈な戦いを繰り広げている。
古の栄都・ネーデルラント、入出門広場。戦いが始まって数十分、両者はお互いに、息を切らし始めていた。
「流石に、前回とは違いますね。少しは腕を上げたようだ」
「一年弱もあればな。それに今回は、初めからクーランがいる」
鋭い眼光で階段上のハウルを睨みつけながら、シンは言った。
(とはいえ、前回はクーランを操られて戦っていた以上、向こうの本領はまだ分からない。油断は出来ないが、温存も必要だ。フォルスコントロールを怠ることは出来ないな)
自分の中に残っている力を確かめるように、シンは柳葉刀の柄を握り直す。体力はまだ十分に、シンの中には残っているようだった。そんなシンに目をやって、ハウルは溜め息交じりで、仕方のなさそうに言う。「まあ、初めから様子見など必要ありませんでしたね。そろそろ、本気を出させていただくとしましょう」
右手に握ったループタイのアグレットを、懐中時計のハンターケースように開くと、ハウルはそこに、左手を翳した。
シンは上空のクーランを仰ぐと、「クーラン! 上限を解放するぞ!」と彼に向かって叫んだ。「ああ!」とクーランは答える。天上へと、シンは左手を向ける。シンとハウルの声が、重なって広場に響く。
「風神、招来!」「〝第二共鳴〟!」
天から飛来した浅緑の小さな球体が、シンの手の中へと落ちると共に、シンの瞳はその色を、黒から浅緑へと変えて輝きを放ち出した。と、シンとクーランは身体が軽くなったのを感じると共に、扱えるフォルスの量が上昇するのを覚えた。二人の身体から放たれる煙のような光は、みるみるうちにその勢いを増していく。
同じく、〝第二共鳴〟を発動したハウルとヒエンの身体からも、先ほどまでとは比べ物にならないほどの眩さで、その浅緑の光は湧き起こっていた。
キッ、と強い目付きで、シンがハウルを睨み付けると、それに応えるように、ハウルもシンのことを、同じように睨み付けた。柳葉刀を振り翳し、シンは叫びながら跳躍する。それを迎え撃つ形で、ハウルは前へと差し出した、開いた両の手を交差させた。
「行くぞ! ――〝風虎裂空爪!!〟」
「〝断空壁!!〟」
風神招来と〝第二共鳴〟を発動させた二組の戦いは、更に激しさを増していった。風のフォルスの使い手にとって、強さの真髄はその素早さだ。シンの柳葉刀と、ハウルの両手に携えられたナイフは、互いに弾き弾かれ合い、目には追いようのない凄まじい速度で、剣戟に剣戟を重ねた。時に不意を突き、時に不意を突かれ、またクーランとヒエンの戦いとも入り混じりながら、二人の戦いは延々と続いた。ほぼ同時に放った、最大級の共鳴術技を相殺し合ったところで、シンとハウルは互いに、一旦その手を止めた。
「なかなか、やるようですね。ジーク様の封印を解いただけのことはある。お若いのに、頭もよくキレるようだ。……なのに」
一呼吸を挟んで、ハウルは続ける。「不思議なものですね。何故あなたほどの知恵者が、圧倒的な力を持つジーク様に楯突こうというのか、私には分からない。どちらについたほうが賢明かは、目に見えて明らかな筈ですが」
息を切らしながらそう言ったハウルに対し、シンは構えを解きながら、「そういえば」と返す。「アンタも研究の道に生きてきたんだってな。しかも、アーツの開発という卓越した舞台を生き抜いてきたんだろう。だったら一度や二度くらい、経験がある筈だ。損得や労力を度外視しても、思い描いた理想の結果に辿り着きたいともがき苦しんだ、そんな経験が」
目を伏せて鬱陶しそうにしつつも、ハウルはシンの言葉に耳を傾けた。その脳裏には千年の昔、ジークと共に栄光を追いかけた、苦くも失い難い、青春の記憶が思い出されていた。然し今、ハウルの目の前にある現実は、当時の状況とは遥かにかけ離れている。ハウルもまた、夢である研究と、恭敬するジークの両者の、方向性の不一致の間で苦しみ、自分自身を縛り付けてしまった者の一人だったのである。
「確かに、ジークの力は強大だ。旅立つ前の俺なら、こちらには勝機がないものと決め付けて、ジークについていたかも知れないな。……俺は今、もがいているところなんだよ。幾ら自分たちが絶望的な状況であろうと、俺の心は、人とアーツの生きる世界を望んでいる。どれだけ大きな壁にぶち当たっても、運命を敵に回しても、あいつは――リリは諦めなかった。馬鹿正直にもがき続けるリリに、俺は賭けてみたくなったのさ。だから俺は、リリと共にもがき続ける。リリが諦めない限り、俺は諦めない」
シンの言葉に、ハウルは当時の自分の状況を重ねてみた。あの頃、師であるジークもまた、リリと同じく諦めずに、活路を探ってもがいていた。災害にも戦争にも、どうにか立ち向かおうと努力していた。初めから、ハウルはジークに賭けていたし、出来るだけの協力はしてきたつもりだった。それでも、最早手の打ちようのないところまで、世界は腐敗してしまったのだ。その結果が今のジークを生み、研究から自分を遠ざける、この状況を生んだ。
「分かりませんね。あなたはまだ、真の絶望というものを味わったことがないんだ。だから諦めずにいられるのですよ。本当の意味での行き詰まりを知った時、人は生ける屍と化すのです。ジーク様の刻のフォルスによって、ただひたすらに生き長らえる、今の私がそうであるように。言うなればそう、探究心と研究心が、服を着て歩いているだけの、幽霊のような存在なのですよ、この私は……!」
両の手を差し出すように広げながら、ハウルはそう言った。細い目をこじ開けるように括目し、その鋭い眼光はシンの瞳へと、真っ直ぐに向けられている。
(幽霊、か……)
シンもまた、そんなハウルの言い分に、過去の自分を重ね合せていた。同じ道を歩み、また同じ壁に苦しんだ自分たちは、よく似ているのかも知れない、と。
「かつて、俺もそうだった。でもそれは言い訳でしかなかったんだと、今ならば分かる。不格好でもみっともなくても、進み続けることで道は開けるのだと、リリは俺に教えてくれた。だから俺は、歩き続けることが出来た。……アンタは立ち止まってしまった。それと同時に、見失ってしまったんだ。ずっと追いかけ続けていた筈の、希望の先の光を」
シンの言葉に、ハウルは混乱させられた。千年も生きているのだから、自分のほうが経験も豊富で、物事をよく理解しているのだという思い込みが、ハウルにその混乱を齎したのだ。思い返してみればこの千年、ハウルは何かに夢中になったり、何かを新しく追及することを避けて生きてきた。考えることを止め、ひたすらに年を重ね続けてきた。ジークに従い、彼の右腕として生きることを、ハウルはいつしか、枷のようには感じながらも、それを受け入れるほかないのだと、当然のように知っていた。それは間違いなのだと、堂々と語るシンを前にして、ハウルはそうでなかった可能性に、思いを馳せざるを得なくなった。ずっと見ない振りをし続けてきた、研究に生き、研究に死んでいく、本来あった筈の自分の人生に。
取り乱したハウルは、シンへと距離を詰め、ナイフと手足による連撃を打ち込みながら、怒鳴るように叫んだ。
「経験があるから苦しいのです! 無心に生きるほうが余程楽なのだと! いつかあなたも気付く日が来る!!」
錯乱に身を任せるハウルの剣筋を躱し続けることは、最早シンには難しくなかった。蹴りの一撃を外したハウルに生まれた大きな隙に、シンは左の拳で、圧縮させた風のフォルスを乗せたストレートを、その腹部へと打ち込みながら叫んだ。
「楽に生きることになんて、ハナから興味ないって言ってんだよ!!」
後方へと大きく吹き飛ばされながらも、ハウルは空中でどうにか体勢を立て直し、二本の足で着地した。拳を打ち込まれる寸前に、ハウルが腹部に空気の膜を纏わせていたことが、シンにも分かった。衝撃は幾らか吸収されたらしい。沈黙の中で数秒間睨み合った後、二人は再び、激しい剣戟へと身を投じた。
シンの優勢に戦況は進んだが、ハウルもまた、打ち合いの中で本来の冷静さを取り戻して健闘し、途中からはほぼ五分五分のものへと、その形勢は変化していった。斬り斬られ、殴り殴られ、ついには二人の体力は、時を同じくしてほぼ尽きかけ、両者は共に最後の一撃に、勝敗を任せる運びとなった。クーランとヒエンも息絶え絶えで、二人はそれぞれの使役者の、最後の一撃に力を貸すべく、その隣へと寄り添っている。初動は、ハウルが先だった。
「真の絶望を、お教えしましょう……!」
天へと向けられたハウルとヒエンの掌からは、巨大な翼を持つ剣を模った、鮮緑の光が放たれた。十メートル以上距離を取っているシンにも、振り下ろされれば直撃しそうなほどにそれは大きい。不敵な笑みを浮かべながら、ハウルは唱えた。「〝極光・叛羽天鳳翼!〟」
しゃがみ込んでいたシンは、その場に立ち上がると、覚悟を決めるように目を見開き、共に戦う、アーツと精霊の名を呼んだ。
「クーラン、シルフ、力を貸してくれ。最後の攻撃だ」
「任せろ」
(オッケ~)
足元の地に柳葉刀を突き立てて、シンは唱える。「〝風神・旋破滅絞陣〟」
柳葉刀を中心に、浅緑の光を放つ魔法陣が、一帯の地面に広がっていく。シンの背後ではクーランが、その背中へと両手をあてがっている。「絶望なら……」と、シンは俯き加減に呟くと、柳葉刀の柄を握る両の手に、強く力を込めながら叫んだ。シンの声に呼応するように、魔法陣からは無数の風の刃と共に、眩い光が放たれる。唸り声と共に、ハウルとヒエンは鮮緑の剣を、シンとクーランに向けて振り下ろした。光の中で、二組の力は拮抗した。
「――俺は乗り越えてここまできたんだよ!!」




