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巨人と少年  作者: 暫定とは
一章『邂逅』
8/93

8

 翌朝、村の人々の喧騒で、リリとドボロは目を覚ました。どうやら様子がおかしい。何か騒ぎでもあったようだった。

「……どうしたんだろう」

「何かあっただか?」

 不審に思ったリリは、ドボロと共に、騒ぎの中心へと向かってみた。本来であればバーンズとルチカの、納物祭への見送りが行われていて然るべき時間帯であった。まさか責任感の強いバーンズが、その時間に遅れる筈がない。

「本当か? まさかあいつがやられるなんて……」

「はやくはやく! こっちだ!」

「先生……、どうなんですか……」

 或るところで、特に人だかりが大きくなっていることに気が付き、リリはそこで足を止めた。村の大人のほぼ全員が集まっているようで、その奥で何が起こっているのかは分からないが、それはリリの家の前だった。異様な光景に、リリは胸騒ぎを覚えた。

(まさか……)

 人混みをかき分けて、リリはその向こう側へと進んだ。リリの嫌な予感は、的中してしまった。

 家の中では、村で唯一の医者、ロダンによって、居住スペースの縁でバーンズが手当てを受けているところだった。見たところ出血はないようだが、仰向けに倒れたバーンズの顔は、苦痛に歪んでいる。その傍らには、バーンズの顔を心配そうに覗き込むルチカと、その父ダグザの姿もあった。作業場に立ったヘルズもが、不安そうにバーンズを見つめている。

 ロダンは初老(しょろう)の男で、短く揃えられた黒髪の多くは白髪(しらが)になっていた。白衣を身に纏い、鼻の下には髪と同じく白い髭を蓄えている。また小さな丸眼鏡を、彼は掛けていた。

「父さんッ」

 最後の人だかりを押し切って、リリはバーンズとロダンたちの元に辿り着いた。後ろから何名かが、「リリだ」と言うのが聞こえた。リリを見るなり、ルチカは「リリ」、と小さく、呟くように言った。

 苦しそうな細目でリリの姿を捉えると、バーンズは静かに口を開いた。

「リリ……、心配するな。ただの火傷だ」

 ロダンはバーンズの右腕を冷やしていた。その腕は、軽く()(ただ)れているようだった。まさかヘルズと喧嘩でもしたわけではあるまい。仮に喧嘩をしたとしても、ヘルズはその力をバーンズに向けたりなど決してしない。

「どうして……、……何があったの?」

 バーンズはそれに答えようとしたが、痛みに喘ぎ上手く喋れないようだった。質問にはロダンが答えた。右手の中指で、眼鏡のブリッジを押さえながら。

「今日の未明、何者かがバーンズを襲った」

 「一体誰が!」と、人混みの中から誰かが声を上げた。

 ロダンは続けて答えようとしたが、バーンズがそれを遮った。

「待ってくれ。すまないロダン、もう大丈夫だ」

 そして辛そうに、ゆっくりと上体を起こす。その様子から、リリはバーンズの火傷が、腕だけではないらしいことを悟った。

「大丈夫なわけなかろうが。安静にしていなければ――」

「大丈夫だ」

 ロダンの制止を振り切って、バーンズはその場に胡坐(あぐら)をかいて座ると、言った。

「みんな、騒がせてすまなかった。一旦家に戻ってくれ。納物祭への出発も含め、詳しい情報は後から伝える。ロダン、ダグザ、ルチカ。それからリリだけ残ってくれ」

 バーンズの声に、村の皆はぞろぞろと、それぞれの家に帰っていった。心配そうにバーンズを見つめる者、「無理しないでね」と声を掛ける者、中には帰されることに納得のいかなさそうな者もいた。全員が去り、指名した者だけが残っていることを確認すると、バーンズは一度深く呼吸をしてから、疑問符を付けずに尋ねた。

「さてロダン。俺の火傷、どのくらいで完治する」

 その声色(こわいろ)からは、苛立ちのようなものが感じられた。自身の不甲斐無(ふがいな)さを、父は悔んでいるのだろうとリリには分かった。少なくとも、昨晩のリリに対する怒りを抱いているまま、というわけではなさそうだった。

「火傷自体は浅い。それでも一ヶ月だ。だが痛みが完全に引くのに、一年はかかるかも知れない」

 バーンズは火傷を負っていない左手で、自分の腿を殴った。

「クソッ、最悪のタイミングだ。今日にもコントゥリを発たなければ、納物祭には間に合わない」

「バーンズ」

 ダグザが口を開く。黒鳶色(くろとびいろ)の短髪を、ダグザはオールバックにしていた。バーンズよりも背は低いが筋肉質で、腕っ節の良いのが見て取れる。また黒い半袖シャツの袖を、肩まで捲り上げて着用しており、とび職を思わせる、ダークブラウンのニッカーボッカーズを、彼は履いていた。

「一体何者なんだ。お前を襲って、重傷まで負わせるような奴は」

 ダグザの疑問は尤もだった。バーンズは体格が良く、力が強い。そして武術を(たしな)んでもいた。並大抵の人間では、バーンズに怪我を負わせることすら出来ないだろう。魔物だとしても、この近辺に棲むような魔物なら、ヘルズの力を借りずとも、バーンズは普段、一人で対処することが出来ていた。

 バーンズはそれに答えるべきか、慎重に考えているようだった。先の様子から、ロダンは既に知っているようだったが、バーンズがそれを村の皆に聞かれることを拒んだことを受けてか、口にしようとはしなかった。数秒間の沈黙の後で、バーンズは漸く、重い口を開いた。

「……青い火を纏った巨人だ。あれはどう見てもアーツだった」

 その言葉に、リリは驚いた。噂は本当だったのだ。そして父の目にも、それはアーツに見えたという。リリだけではない。ルチカとダグザも、驚きを隠せずに目を見張った。

「あの噂は本当だったってのか!?」

 声を張り上げて、ダグザは言った。バーンズはダグザに一瞥(いちべつ)をやると、『声が大きい』とでも言うように左手の人差し指を口元に当てた。それから、それを認めなくないかのように表情を顰めながら、バーンズは次のように言った。

「噂は本当だ。そして、アーツがアーツとして活動しているということは、何処かに使役者であるアーツ使いが居る、ということでもある」

 青い火のアーツを使役している人物は、村の中にいるかも知れない。それが、バーンズが皆の前でその話をすることを躊躇(ためら)った理由だった。辺境の地であるこのコントゥリに、わざわざ近寄る者はそう多くなく、村の誰かが使役者である可能性は、極めて高かったのだ。

「でも誰が……、それも何の目的でバーンズさんを……」

 ルチカは未だ、状況を信じられないようだった。バーンズのリーダーシップは、それほどまでに強かったからだ。文句を言う人物が一人もいないわけではないにせよ、そう思っていても口にしない人物が殆どだった。バーンズが誰よりも苦労を買っていることを、皆が知っていたからである。

 バーンズはその心当たりについて、一通り考えを巡らせているようだった。左手で口元を覆うように押さえながら、彼は静かに、「ふん」と漏らした。それが溜め息なのか呟きなのかは、リリには定かではなかった。然し、その左腕の向こう側で、火傷が胸や首にまで及んでいることを、リリは見つけていた。普通の人間なら喋ることも出来ないほどの痛みが、バーンズを襲っているのかも知れない。事実、バーンズの声は少しだけ擦れていた。

 口元から手を放してダグザを仰ぎ見ると、バーンズは言った。

「……この話はひとまず後だ。すぐにでも帝都に向けて出発せねば、納物祭に間に合わない」

 バーンズは言い終わるのと同時に、立ち上がろうと試みた。が、ダグザとロダンがそれを制止した。

「おいバーンズ」

「バーンズ、今は無理だ。……他の者に頼むのが賢明だろう」

 丸眼鏡の奥から、ロダンはバーンズを僅かに睨み付けているようだった。そうでもしなければ、この男が無理をしてでも自ら帝都に(おもむ)こうとすることを、旧知の仲であるロダンにも分かっていたからだ。

「然し、皆には皆の仕事がある。家族もある」

「それはお前さんだって同じだろう。誰もお前さんを責めたりは出来ないよ」

 ロダンは厳しい声色で、然し優しい言葉でバーンズを宥めた。が、バーンズはまだ納得がいかなさそうだった。何か言いたげにしているが、先と同じく、それを言うべきか吟味(ぎんみ)しているようだ。

 「なあバーンズ、俺とガイで行こう。ガイは力が強い。奴なら信頼も置けるだろう」と、ダグザが提案した。

 ガイは村一番の腕っ節で、バーンズとダグザの二つ年上の男だった。バーンズはそれを聞いて暫く考えたが、やはりその提案を受け入れなかった。

「ダメだ」

 そして、言うべきか悩んでいた言葉をも、バーンズはそのまま、続けて口にした。「現状、誰がアーツ使いなのか判断のしようがない。そして今は、アーツ使いの目的も分からない。もしもガイがアーツ使いだった場合、同行するルチカやお前が危険に晒される可能性だってある。そして最悪――」

 最悪、帝都に納物をすることも叶わず、コントゥリは帝都による制裁を受けることになる、とバーンズは続けようとした。激昂(げきこう)したダグザが、それを遮った。「テメエ、ガイまで疑おうってのか!」

 ダグザはバーンズの胸ぐらを掴んだ。ルチカが「お父さんッ」と声を荒げる。ロダンがダグザの肩を押さえて、それ以上を差し止めた。ダグザは鼻息を荒くし、怒りを(あら)にしていた。

「……ダグザ、手を離せ」

 バーンズはドスの利いた声でそう言った。然しダグザの怒りは収まらない。

「うるせえ! この野郎、もういっぺんガイを――」

 今度はロダンが、ダグザの声を遮る。「落ち着けダグザ! バーンズは怪我人だぞ!」

 ハッと我に返ると、ダグザはその手を放した。

 ダグザは情に厚い男だった。古くからの友人や家族を、とても大事にしていた。だからこそバーンズも、ダグザを誰よりも信用出来た。が、バーンズにしてみれば、今は『信頼が置けるからアーツ使いではない』とは割り切れないのが現状であった。村長であるバーンズにとっては、村の全員が家族のようなものだ。信じる時には全員を信じるように、疑う時には全員を、バーンズは疑わねばならなかった。

「す、すまねえ」

 バーンズは左手で、ダグザに掴まれた部分の皺を叩きながら静かに言う。

「万が一、だ。俺だって、ガイを疑いたいわけじゃない。然し、何かあった時では遅いんだ。分かってくれ、ダグザ」

 その言葉に、ダグザは理解を示してくれたようだった。

「そうだよな……、すまない」

 ダグザから手を引いたロダンが、溜め息交じりに続く。「然し、問題は依然解決しないな。誰が帝都に荷を運ぶ? 何か考えがあるのか、バーンズ」

 バーンズは再び、左手で口元から顎にかけてを(さす)りながら、うーんと唸った。彼とて、何も解決策があるわけではなかった。解決策を絞る為の条件が多すぎたのだ。

 一方で、リリには一つ、考えがあった。然し、それを発言することは躊躇われた。リリの耳には昨晩の父の怒号が、こびり付くように聞こえていたし、それに関して未だ、後ろめたさを感じてもいた。

 誰も口を開かぬまま、数分が経過した。迷いを払うように、閉じていた目を開くと、父の目を真っ直ぐに見つめて、リリは言った。

「父さん、僕が行くよ。ドボロなら十分に荷物を運べるし、ルチカの護衛だって出来る」

 それはリリの提案であると同時に、外の世界を見てみたいという願望でもあった。そして昨日の遺跡侵入への、贖罪(しょくざい)ですらあるのかも知れなかった。兎角、リリは願望だけが前面に出ないよう、声は強張らせた。

 バーンズは驚きと、僅かな怒りの形相(ぎょうそう)を浮かべると、然し否定をする前に、その提案について考えてみることにしたらしい。「少し、考えさせてくれ」と、バーンズは言った。

 確かにリリの提案は、バーンズにとってもあながち的外れではなかった。リリが昨日目覚めさせたという土のアーツ・ドボロは、ヘルズより一回り小柄ではあったが、荷を運ぶのには十分な体格を持っている。そして昨日目覚めたばかりだというから、ヘルズのようにその力を操れはしないかも知れないが、アーツであることには違いない。或る程度の魔物とも渡り合えることだろう。何よりも、バーンズが毎年の護衛役を買って出るのには、もう一つの理由があった。

 通常、この世界を渡り歩こうとすれば、魔物や盗賊が行く手を阻む。盗賊は勿論のこと、人が寝静まった夜を狙う、狡猾な魔物も少なくはない。その為、旅人は基本的に二人組以上で、どちらかが寝ずの番をしなければならなかった。片や、眠らなくとも生命活動を維持出来るアーツには、それを容易に(こな)すことが出来る。それが、バーンズが護衛役を引き受ける、もう一つの理由だった。

 バーンズが思案を巡らせているその間、ルチカはドボロについて、リリに聞いてみることにした。

「本当に、リリが目覚めさせたの? リリのアーツなの?」

 少しだけ自慢げになって、「そうだよ」とリリは答える。「遺跡の奥でずっと眠ってただ」とドボロがそれに続いた。

 その言葉に、ロダンが声を荒げた。「遺跡!? リリ、巨大遺跡に入ったっていうのか!?」

 ドボロについて、昨晩ダグザから或る程度聞いていたルチカも、そのことは聞いていなかったようで、これには驚いていた。

「ごめん、ジンとニックに誘われて……。でもそのお陰で、ドボロに会えた」

 言いながら、リリは自身の後ろに立つ、ドボロの顔を見上げた。大きい黒目がギョロリ、とリリを見つめ返して、ニッコリと笑った。

 それで昨日はジンに追い返されたのか、と納得しながらも、悪びれないリリに呆れたルチカは、顰めた眉間を右手で押さえながら、溜め息を吐き出すと言った。

「呆れた……。ホントに悪いと思ってるの?」

「悪いと思ってるよ。だから、それを行動で示したい。父さん」

 今一度、リリはバーンズを見つめた。バーンズの考えは既に固まっていたようで、彼はこちらの話が終わるのを待っていた。

「僕に行かせてほしい。荷物もルチカも、何があってもドボロと一緒に守り抜く」

 リリの言葉に、ルチカは微かに、心臓が高鳴るのを感じた。ルチカは幼い頃から、リリに恋心を抱いていたのだ。鈍感なリリは、そのことを微塵(みじん)にも感じ取ってはいなかったが。

 険しい面持ちを浮かべたバーンズは、低く重々しい声色で、次のように言った。

「リリ。これは遊びじゃないんだ。冒険に行くのでもない。これはこの村にとって大きな、そして大切な仕事なんだ。そのことは分かっているな」

 父の言葉に、リリは唾を飲んだ。分かってはいたが、父がそれを口にすることで、それは思っていたよりも大きなプレッシャーとなって、リリに()しかかった。心を決めると、静かに一度だけ、リリは頷いた。

 ロダンもダグザも、バーンズの判断を黙って待っていた。今一度、バーンズは重い口を、静かに開いた。

「……止むを得ない。リリ、この仕事、頼まれてくれるか」

 一拍を置いて、バーンズは続ける。「村長の、……俺の代役として」

 その言葉に、リリは(いささ)か驚いた。父はそれを受け入れないと思っていたからだ。例え受け入れられなかったとしても、リリは父を説得するつもりであったのだが。

 濃紺の瞳を輝かせて、リリは一つ、大きく頷き返した。

「うん―――」

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