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巨人と少年  作者: 暫定とは
六章『約束』
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 同じ頃。デロス島大通りに面して建つ、とある宿屋の一室。

「コントゥリで暮らしてる頃、リリはあそこまで明るくはなかったのよ。特別暗いってわけでもなかったけどね」

 宿屋を利用する際、一行は普段、基本的にはファミリー向けの大部屋で、四人とドボロで揃って宿泊をする。四人で入れる大きな部屋がない場合には、一行はリリとルチカ、バーンズとシンの二組に分かれて部屋を取った。この日の宿は後者であり、夕食と入浴を終えたルチカは、リリの戻ってこないこの部屋で、ラメールと二人、リリとドボロについて語り合っていた。

「力の強い男子にからかわれたり、バーンズさんに叱られるばっかりで、リリはいつも、何となく塞ぎ込んでた。誰かに相談するほどのことでもないけど、誰にも分かってもらえないのが苦しかったんだと思う。だからかも知れない。同じような境遇の経験を持つドボロと出会ってから、リリがあんな風に変わったのは。リリ、よく笑うようになったし、自分の考えてることも、前よりもはっきり言うようになった」

 旅の中盤からパーティに加わったラメールに、ルチカはよくこうして、彼女が目覚めるよりも前の出来事を教えていた。その甲斐(かい)もあって、リリとドボロを取り巻く今の状況にも、ラメールは他の皆と同じかそれ以上に、彼らに対する憐憫(れんびん)に、胸の痛みを感じることが出来るようにまでなっていた。ラメールにとって、それは決して喜ばしいことではなかったが、理解出来ないよりはよっぽど良いと、彼女には思えていた。

 ベッドサイドのランプに火を灯して、二つのベッドにそれぞれ座り、ルチカとラメールは向かい合う形で話をしていた。二人の間を流れる空気は、勿論明るいものではなかった。二人とて、リリとドボロが離別しなければならないことを、素直に受け入れられるほど冷徹(れいてつ)ではなかったからだ。まるで自分たちが当事者であるかのように、二人は息苦しさをも感じていた。そんな中、その部屋の扉はノックされた。二人の下へとやってきたのは、ドボロだった。

「……リリに、酷いこと言っちまっただ。嫌われたかも知れない」

 寂しそうな顔でそう言ったドボロを、ルチカは部屋へと招き入れた。ルチカの隣に座ると、ドボロは砂浜でのリリとの会話の一部始終と、現時点での自分の考えを、ルチカたちに話した。

「オデだって本当は、リリとずっと一緒に居たい。でも今は、そんなこと言ってられる状況じゃないだ。オデとリリがやらなくっちゃ、この世界は本当に、ジークに滅ぼされちまう。でもリリは、泣いたり怒ったりするばっかりで、それを分かってくれないだ」

 想定していたよりも冷静なドボロの喋りに、ルチカは驚いた。泣きじゃくって反対するのはドボロのほうかも知れないと、ルチカは思っていたからである。然し、ドボロの言うことは必ずしも正解ではないとも、ルチカには思えた。

「でもね、ドボロ」

 穏やかな物言いで、ルチカはドボロを諭した。言葉は慎重に選んだ。その痛みの真髄(しんずい)には、決して自分の手が届かないことも、ルチカは知っていたからである。

「こんな時だからこそ、ゆっくり考えなくちゃいけないんだと、アタシは思う。自分の命を犠牲にして世界を救うっていうドボロの考えは、世間から見れば確かに正しいよ。世界中の誰もが、リリとドボロを称賛(しょうさん)すると思う。……でも今、リリとドボロに問われていることって、正しいか間違ってるかじゃあないと思うんだ。少なくとも、アタシはそう思う」

 悲しそうな表情をルチカに向けて、ドボロはその話を聞いていた。そんなドボロの表情を見て、ルチカの中には不意に、彼がこの世界から消えていなくなってしまうことの寂しさが込み上げた。それは単純に、旅立ちの時から一緒だったドボロに、自分が会えなってしまうことへの寂しさであると同時に、同じく旅立ちのあの日から、ルチカが間近でその絆を見守ってきた、掛け替えのない存在として互いを認め合うリリとドボロが、離れ離れになってしまうことへの寂しさだ。零れようとする涙を必死で(こら)えながら、ルチカは続けた。

「リリとドボロに憧れて、二人の背中を、アタシはずっと追ってきた。ラメールと出会ってからもそう。そんな二人が、離れ離れになるところなんて、アタシだって見たくない……! いつだって二人に、笑っていてほしい……! アタシはッ――」

 そこまでで、ルチカは涙を堪えることが出来なくなった。しゃくり上げながら、崩れ落ちるようにベッドから落ちてそこに膝をつくと、ルチカは向かいのベッドに座るラメールの膝に、顔を押し付けて泣いた。彼女を泣かせてしまったことに対して、「ルチカ、ごめんだ……」と、ドボロは謝罪した。ラメールはルチカの頭を撫でながら、泣き止まない彼女に代わって、その話の続きを引き取った。

「リリは分かってくれない、って、ドボロは言ったわね」

「ンだ」

「ドボロはリリの話、ちゃんと聞いてあげた? リリだって、『ドボロは分かってくれない』って思ってるんじゃないかしら」

 優しい口調でそう言ったラメールの言葉に、ドボロはハッとした。確かに、先の会話の中で自分は、――ジークの設けた猶予の日付が迫っていることに対する焦りに囚われて――結論を急ぐあまり、燻るリリを()かすようなことばかり言ってしまったかも知れない、と。苦い顔で後悔を噛み締めるドボロに、「図星みたいね」とラメールは言った。

「ルチカも言ったように、世間の大多数から見た正解は、二人がアポロンと契約を結んで、きつい言い方だけど、ドボロがその命を犠牲にして(そら)のフォルスを使い、ジークを倒すことよ。でも中には、それだけが正解じゃないかも知れない、と思う人もいる。私たちみたいにね。そしてその誰もが、リリとドボロにそれを強要することは出来ない。何よりも、大切なのは〝どうすることが正解か〟じゃない。〝リリとドボロがどうしたいのか〟よ。二人が何を選んだとしても、私たちはその選択を受け入れる。でも、消去法や焦りに身を任せて出した結論には、私たちは――少なくとも私は、従いたくはない」

 ラメールの話を聞きながら、ドボロはリリの心中に思いを馳せた。そして、自らのリリに対する発言を(かえり)みもした。と、ドボロの胸中にも、先のリリと同じく、これから失われてしまうであろうリリとの思い出が、燃え盛る炎のように込み上げた。

 出会った日。旅立った日。戦い。成長。その中で育まれてきた、自分たちの絆。どれも昨日のことのように思い出せる、掛け替えのないパートナー・リリの、笑った顔、怒った顔、考える顔、泣いた顔――。リリだけではない。ルチカやシン、バーンズと、アーツの仲間たち。旅の中で出会った、世界中の人々とそのアーツたち。ドボロにとっては、そのどれもが忘れ難い、大切な記憶だった。痛みや苦しみも数え切れないほどにあったが、それを踏まえてもドボロには、ここまで歩んでこられてよかったと思える旅路であった。そして、その隣にはいつだってリリがいた。何もかも、二度と思い出せなくなるのだと思うと、ドボロは途端に、世界に一人ぼっちにされたような気分になった。

 戦いの痛みも、悩むことの苦しみも、味わってよかったと思えるものばかりだった。達成する喜びや、分かち合える幸せ、何気ない会話の一つ一つが、ドボロには今、どうしようもなく愛しかった。アポロンの力を使ってジークを倒せば、自分にはそれを守り抜くことが出来る。大切な仲間と、これまでに過ごしてきた全ての時間を。そしてそれは、自分の本望でもあった。然し、その先に生まれ変わった新しい世界では、自分はもう、何を思い出すことも出来なくなってしまうのだ。リリの笑顔も、それが愛しかったことも、それを守りたかったことも。

 気が付くと、ドボロは大声を上げて泣いていた。こんなに沢山の悲しみが、何処から湧いてくるのかドボロには分からなかった。心臓が握り潰されるように、胸の奥が繰り返し、何度も痛むのを、ドボロは感じた。

「リリと、一緒に居たい。離れ離れになんか、なりたくない。リリのこと、皆のこと、忘れるなんて、絶対に嫌だ……!」

 泣き止みかけていたルチカは、涙声でそう言ったドボロに感化され、再び声を荒げて泣き出した。二人の泣き声は狭い部屋の中で、時に激しく、時に静かに、寄せては返す波のように、暫く続いた。ラメールはルチカの頭を撫でながら、何も言わずに、二人が泣き止むのを待った。


 数時間後。同宿屋、別室。

「いつまで戻らないつもりだろうな、リリの奴」

 宿屋二階のこの部屋の、窓際に立ったシンは、窓の外――宿屋前の大通りを見つめながら、ぼやくようにそう言った。時刻は午前二時を回っている。リリの帰りを待ちながら、シンとバーンズは二人、リリとドボロのことや、これまでのこと、これからのことについて、取り留めもなく語っていた。

「こんな時、リリアが居てくれたらな」

 ビューローに添えられた椅子に深く腰掛けて、項垂れながらそう言ったバーンズに目をやると、シンは「フ」と鼻で笑ってから、「またそれか?」と(あざけ)るように尋ねた。

「アンタ、リーダーシップや剣技に関しては申し分ないし、学も料理も人並み以上に出来て、加工の腕だって上等らしいのに、自分の息子のこととなると、案外頼りにならないよなあ」

 皮肉めいたシンの物言いに、バーンズは顔を上げると、参った、とでも言いたげに、表情を歪ませた。

「言うなよ。これでも気にしてるんだ」

「なら、気にならなくなるまで言ってやる」

「勘弁してくれ」

 ここまでの道中に於いても、今夜のように二人で過ごす時間があると、シンとバーンズは自身の生い立ちなどについて、互いに語り合うことがしばしばあった。リリやルチカと同じ子供とはいえ、彼らよりも三つ年上であり、尚且つその年齢にしては達観していて、落ち着きもあるシンに、バーンズは旅の仲間として、強い信頼を寄せていた。一方のシンも、やはり旅の仲間として、唯一の大人でもあるバーンズには特別の信頼を寄せるほか、バーンズとの時間には、パーティの先頭に立って苦楽を共にする者同士ということもあり、リリやルチカと過ごす時間とは異なる種類の、心の安らぎのようなものを覚えてもいた。

「リリアは器用だった。こんな時、間違いのない言葉を選ぶことが出来た。……俺はてんで駄目だ。リリの父として、あいつに父親らしいことなんて、俺には出来た試しがない」

 遠い目をして宙を見つめながら、バーンズはそう言った。再び窓の外に目をやると、「確かにアンタは不器用かもな」とシンは返した。

「でも、父親らしくないなんてことはないさ。誰かを助ける為だけに、コントゥリからファンテーヌまで一週間で移動するなんて、簡単に出来ることじゃない。それに……」

 数秒の間、シンは口ごもった。これから紡ごうとしている言葉は、シン自身にとっても、デリケートな問題でもあったからだ。然し、シンはこの旅の中で起こった、自身の考え方の変遷(へんせん)と共に、その問題についても、徐々に克服することが出来るようになっているのを、確かに感じていた。意を決して、シンは口を開いた。

「どんな局面でも、清く正しく美しく、正解を教えられるのが親ってわけでもない。俺は顔も見たことのない両親から、そのことを学んだ。……誰かを傷つけるのが怖くて触れられない時、それでもどうにかしてやりたいと思えるのは、確かに間違っちゃいない。でも、無理をしてまで触れる必要が、必ずしもあるわけではない。正解も間違いも、幾つだって存在するんだろうが、少なくともアンタの選択は、間違いではないと俺は思うよ」

 今でこそ、殆ど完全にそれを克服してはいるが、かつてはシン自身、自らの置かれた境遇を呪っていた時期もあった。(ろう)せずに学問の道へ進んでいく同年代の者を見ると、シンは世の中の不平等さを、(しげ)く嘆いてきた。が、リリやルチカと出会い、共に旅をするうちに、そんなことは些細な問題なのだと、シンは思えるようになっていた。生まれや境遇に不平を垂れて塞ぎ込むよりも、自分がどうしたいのか、その為に、今何が出来るのかを考えるほうが、よっぽど前向きで建設的な考え方であり、結果的にはそれが、望んだ行き先へと自分を導いてくれるのだ、と。

 シンの話に、バーンズは幾らか心が安らぐのを感じた。「いずれにしても」とシンは続ける。「こんな状況下で、アイツに何か言ってやれるとしたら、それはアンタの奥方のように、途轍(とてつ)もなく器用な奴か、途轍もなく配慮のない奴くらいだろう」

 その言葉に、同感、といった様子で、バーンズは諦めのような表情を浮かべると、「……そうだな」と呟くように言った。

 窓枠にもたれ掛っていたシンは、ふと身体を起こすと、首や腕の関節をポキポキと鳴らしつつ、部屋の扉のほうへと歩きながら言った。

「さて、ちょっと出てくる」

 「何処へだ?」とバーンズ。

「……アンタも野暮なことを聞く」

 扉を開いて敷居(しきい)(また)ぐと、顔を半分だけバーンズを振り返りながら、シンは答えた。

「不器用な父親に代わって、途轍もなく器用で配慮のない奴が、アイツを励ましに行くって言ってるんだよ」

 シンはそのまま外へ出て行き、扉はすぐに閉まってしまったので、バーンズにはシンに、礼を言うことが出来なかった。シンが戻って来たら言おう、とバーンズは考えながら、リリは良い友人を持った、と心底思った。そして十ヶ月前のあの日、リリを納物祭に向かわせたのは正解だった、と。

 それから朝日が昇るまでの間、バーンズは旅の最後に、息子が乗り越えなければならない大きすぎる壁に、今一度思いを馳せてみた。

 アーツと使役者との関係は特別だ。人間の友人や恋人に向けるものとは全く違う種類の絆が、そこには芽生える。今、自分が同じ境遇に置かれたとしても、簡単にヘルズを手放すことは出来ないだろうと、バーンズには思えた。そして十四歳のリリが、ドボロと共に過ごしたこの一年弱の月日の中に、この先の人生で幾度(いくど)も見出すであろう煌めきと、今も彼の胸を襲っているのであろうその情熱と耐え難い苦悶(くもん)を、バーンズもまた、父としてそれを呪い、その切なさと()()()さに、朝を告げる光の中、一筋の涙を溢した。

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