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巨人と少年  作者: 暫定とは
六章『約束』
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 同日、午後十一時。

 デロス島西側のブロックに存在する、海水浴場から程近い海辺の砂浜に、リリはドボロと共にいた。辺りには灯りはなく、街のほうから漏れる光と、夜空を埋め尽くす星の輝きだけが、彼らの視界を照らしている。

 砂の上に、膝を抱えるようにして座り込んで、先ほどからリリは何時間も、こうして何も口にすることなく、ただぼうっと黒い海を眺めていた。そんなリリの隣で、ドボロは同じように膝を抱えて座り込み、リリが何かを喋り出すのを待っている。リリは時折、微かにしゃくり上げたり、涙を流したりした。

(お前がどちらを選ぼうと、儂は構わん。決心が付いたなら、もう一度呼ぶがよい)

 今から凡そ五時間前。島の東側のブロックに存在する古の祭壇で、アポロンはそう告げて姿を消した。西側のブロックに戻り、大通りに宿を取った一行は、夕食の時間まで自由行動、ということで一旦解散した。

「ドボロ、いこう」

 そう言ったリリに連れられて、ドボロはこの海辺にやってきた。そうしてこの場所に座り込むと、リリはそれきり、口を開かなくなってしまった。夕食の時間だとドボロが声を掛けても、仲間たちが探しに来ても、リリは微動(びどう)だにしなかったので、仕方なくドボロは、リリのほうから喋り出してくれるのを、気長に待つことにした。

 夜が二人の世界を(むしば)んでいく間、ドボロもこの先のことについて、自分なりに考えを巡らせてみた。長い時間を掛けることはなく、――アポロンと契約を結び、その先の未来を受け入れるという方向に――ドボロの決心は固まった。勿論、リリを溺愛(できあい)するドボロにとっても、彼との離別は深い悲しみとなって、その心を抉った。が、一度はこの命を散らすことにはなるとて、自分自身がアーツである以上、遠くない未来にはその肉体は再生し、リリとの再会を果たすことが出来るであろうことが、その決心を後押しした。

 アーツの特性上、再生の際には今のリリとの記憶は、ドボロから失われてしまうことにはなる。が、ドボロはそれをも(いと)わなかったし、理由はないが、ドボロにはそれを失わずに再生する自信もあった。仮に今、リリとの別れを惜しんでアポロンとの契約を受け入れなければ、ドボロはその未来すらも失うことになるのだ。それだけは、ドボロにはどうしても避けねばならなかった。

 ふと、右側に座っていたリリが、自身にもたれかかってくるのをドボロは感じた。ドボロがそちらに目をやると、リリはドボロの右腕に身を預けて、やはり茫然としたまま海を見つめていたが、それから間もなくして、漸くその口を開いた。

「このまま、二人で何処か、遠くに行っちゃおうか。ドボロ号に乗って、誰も――」

 小さく咳払いを挟んでから、リリは続ける。「誰も知らない、誰も居ない場所に」

 リリの苦痛は当然、ドボロにも痛いほどに伝わった。その痛みはリリだけでも、ドボロだけでもない、二人の手によって育てられてきたものだったからだ。それは二人が出会ってから今日までの、十ヶ月余りの月日の中で、二人が育んできた喜びや友情のその裏で、密かに、然し確かに積み重ねられてきた、同じ分だけの、別れへの痛みだ。

 然しドボロには、リリの言葉を受け入れるわけにはいかなかった。リリを(さと)すように、ドボロは語った。

「……リリ、考えてもみるだ。確かに、オデと出会った頃のリリは、からかわれたり、怒られることばっかりだったかも知れない。でも、今は違うだ。リリの周りには、沢山の仲間がいる。父ちゃんも、あの頃よりもずっと、リリのことを分かってくれてる。ジークを倒せば、村に帰ってもリリのことをからかったり、笑ったりする奴なんて、一人もいないだ。だから――」

 胸が締め付けられるように痛むのを感じながらも、ドボロは続けた。「隣にいるのがオデじゃなきゃいけない理由なんて、もう一つもないだよ」

 ドボロの言葉に、リリの心をも、同じ痛みが駆っていた。ドボロと出会ってから今日までの出来事に思いを巡らせながら、リリは返した。

「……君と出会ったから、コントゥリを旅立つことが出来た。……君がいてくれたから、どんな困難にも立ち向かってこられた。君のいる世界だったから、僕は命を懸けてでも守ろうと思えた。理由とか、理屈とか、もう、そんなんじゃないんだよ……! 僕は……!」

 消え入るような声でそう言いながら、リリは再び、自身の両膝に、額を乗せるようにして項垂(うなだ)れた。瞳から零れた数滴の涙が、駱駝色(らくだいろ)のガウチョパンツの膝に染み込んでいく。

「僕はただ、ドボロと一緒に居たいだけなんだ……」

 リリの後頭部を見つめながら、ドボロは優しい声色(こわいろ)で、それに答えた。

「オデも同じだ。リリの住む世界を、リリがこれからも生きていく世界を、オデは命を懸けてでも守りたい。……ノームとの契約の時に言った誓いの言葉、リリは覚えてるだか? あの時のリリ、すごくカッコよかっただ。リリのあの言葉、オデは嘘にはしてほしくないだ」

 ドボロの言葉にリリの脳裏には、精霊の里・ニルバニアの奥地にある岩窟で、シンによって目覚めさせられたノームと契約を交わした、あの日の光景が思い起こされた。

『ジークの野望を阻止する為に、どんなことがあっても立ち止まらずに進み続ける。これが僕の誓いだ』

 あの時自身が口にした、そんな誓いの言葉さえ、リリはうんざりするほどに覚えていた。項垂れて涙声のまま、リリは返した。「覚えてるよ。ドボロが覚えてるとは思わなかったけどね」

「オデはリリのこと、いつも見てるだ。リリの言うことも、いつも聞いてる」

 ドボロの声は心なしか自慢げで、嬉しそうだった。リリは顔を上げて、再び漆黒(しっこく)のアンモス海へと目を向けた。

 闇の向こう側をぼうっと見つめているうちに、リリは四大精霊を目覚めさせる為、船の調達に訪れたヴェッセルの街からの出発前夜、宿屋のベランダから、同じようにドボロと共に夜の海を眺めていた時のことを思い出した。あの時、リリはそこから見えた空と海の境目に、二つの世界の境界線を見出していた。それは自分たちが今生きているこの世界と、ジークの望む、アーツのない世界だ。そしてリリは、今の世界を守りたいと思った。そこにはアーツが――ドボロがいたからだ。

 然し今、目の前に広がる凡そあの時と同じ光景に、リリはその境界線を見つけることが出来なくなっていた。どちらを選んだところで、その先にはドボロがいないからである。例えドボロを犠牲にしてジークを倒し、いつか再生するであろうドボロのドルミールを、自分が目覚めさせることが出来たとしても、そのドボロには自分との旅の記憶は残っていない。それはドボロではあるが、ドボロではない誰かだ。リリにはそんなドボロに対して、今のドボロと同じように接することが出来るのかが分からなかったし、ドボロが記憶を失ってしまうことなど、リリは考えたくもなかった。

 リリの考えを見透かすかのように、ドボロは言った。

「なあリリ、オデはリリのこと、忘れたりしない」

「……そんなの無理だよ。リリーシアのことだって、君は何一つ覚えていなかったじゃないか」

「もしも忘れたとしても、会えばきっと思い出せる。思い出すことも出来ないんなら、リリが教えてくれればいい。オデとリリが出会ってから、二人が歩いて、戦って、手に入れて、失った、……全てのことを」

 その言葉に、ジンとニックに連れられて忍び込んだ巨大遺跡で、初めてドボロを目覚めさせた日のことを、リリは思い出した。

『オデ、ドボロって名前だ。リリと会えるのを、ずっと待ってただ』

 闇の向こう側から、その声は聞こえた気がした。零れ落ちようとする涙に、思わず閉じた瞼の裏側で、ドボロとの記憶が走馬灯(そうまとう)のように駆け巡ってゆくのが、リリには見えた。

 出会った日、ドボロの肩の上から初めて見た、広い世界。父さんに叱られて、村の外で二人で朝まで過ごしたこと。ルチカと三人で、村の皆に見送られて旅立った時のこと。バウムの森で大樹の魔物に襲われた時、ボロボロになりながらも僕たちを守ってくれたこと。死闘の中で発動した、初めての〝共鳴(チェイン)〟。アルバティクスに到着した日は、宿が取れなくて大変だったっけ。納物祭の舞台では、ぎこちないながらも、君は一緒に納物をしてくれたね。そこへ現れたミドとバロンとの戦い。シンとクーランとの出会い。盗まれたクーランを取り返すべく、訪れたトリュンマ大空洞でハウルと戦ったこと。ライラット王との出会い。ファンテーヌではフランクさんに、精霊のことを教えてもらったよね。君はあんまり、理解出来てはいなさそうだったけど。王立学院のドルミール安置室では、ルチカがラメールを目覚めさせた。リザとサフィーの襲撃と、助けに駆け付けてくれた父さんとヘルズとの合流。そこに姿を現したジーク。ニルバニアに向かう山道(さんどう)では、雨でぬかるんだ地面を君は固めてくれた。ノームとの契約、ノームから聞くことが出来た、ジークの本当の目的。海に出る為に訪れたヴェッセルで、出発前日の夜、君は僕に、『兵器である自分がここに居ていいのか』って聞いたよね。『居なくちゃダメだ』って僕の答えは、今も変わらないよ。でも、『何を犠牲にしてもジークを止める』だなんて、言わなければよかったって今ならば思う。完成したドボロ号で、初めて海へ出た日のこと。『でっかい水溜りだな』って言ったのを覚えてる? きっと海を見る度に、僕はその言葉を思い出すよ。リヴィールから川を(のぼ)った先にあった、ウンディーネの神殿。ルチカとウンディーネの契約と、ミドとバロンとの二度目の戦い。言ったことなかったけど、〝共鳴(チェイン)〟するのに君と拳をぶつけ合う時、すごい温かい感じがして、僕はそれが、すごく好きなんだ。サラマンダーとの契約の為に渡ったクラスィア大陸では、砂漠越えが(こた)えたよね。辿り着いたルドニークでは、鉱山長のジャンヌさんに、父さんがプロポーズされててビックリした。パラム大陸、ヴィントミューレ大高原(だいこうげん)でのシルフとの契約の時、シンは『最後まで諦めてはいけないことを僕に教えられた』って言ってくれたけど、僕が諦めずにいられたのだって、君がいてくれたからだ。そして帰ってきたアンモス大陸、トリュンマでのジークとの戦い。やっぱり君は不屈だった。僕が諦めそうになった時、君は言ったよね。『諦めちゃダメだ、オデを信じてくれ』って。君のその言葉があったから、僕は立ち上がることが出来た。助けに来てくれたミドからは、君の過去のことも聞くことが出来た。バーグニクスを越えた先の、ヒュペルボレイオス山脈・ラトモス山では、崖から落ちかけた僕を助けてもくれたね。君は鼻水を、氷柱みたいに凍らせていた。それから、僕たちはアポロンとの契約の為に、このデロス島にやって来た。昼間、ドーナツ食べてる君は幸せそうだった。僕が君の笑った顔、すごく好きだって君は知ってる? 横に長い口を、縫い合わせるみたいにぴったり閉じて、君は幸せそうに笑うんだ。そんな君の笑顔を、僕はきっと、何度も何度も夢に見る。笑顔だけじゃない。恥ずかしそうに頭を掻く仕草も、悲しい時に綺麗な八の字になる眉間も、僕を守って戦う大きな背中も、僕はきっと、いつまでも忘れられずに思い出す。忘れられないよ。忘れられるわけがないし、忘れたくもない。でも何よりも、僕は君に、君の心に――、

「忘れられたくないよ……!」

 込み上げる悲しみを、ドボロへと当て付けるように、リリは叫んだ。

「ドボロは勝手だよ! 消えるのが自分だからって、そんな都合の良い事ばかり言って! 君のいなくなった世界に取り残される僕のこと、考えてもみろよ!!」

 決壊(けっかい)した自身の心を、リリには止めることが出来なくなっていた。我儘(わがまま)だと分かっていながらも、涙に顔を歪ませながら、海に向かってリリは吠えた。

「君がいない世界を生きるくらいなら、死んだほうがいい!」

「記憶のない君と生きるくらいなら、蘇らないほうがいい!!」

「君が居なくなる世界なら、守る価値なんてない!!」

 そこまで言い終えてから、リリは漸く、我に返った。そして左隣に座る、ドボロの表情を仰ぎ見た。「リリ……」とその名を呼びながら、少しだけ悲しそうに、ドボロは表情を失っていた。

「リリ、本気でそう思ってるだか? それがリリの本心なら、どっちみちオデは、そんなリリと一緒に居ることは、……出来ないだ」

 そう言って、ドボロは立ち上がった。自分がここに居ては、リリは(くすぶ)ったまま、いつまで経っても決心を付けられない――、そう悟ったからである。

「ドボロ、待っ――」

 心を鬼にして、街のほうへと歩き出しながら、リリの言葉を遮る形で、ドボロは言い放った。

「もう、コントゥリを旅立った時とは違う。冒険ごっこは終わっただよ。何が一番大切なことなのか、頭を冷やして、もう一度よく考えるといいだ」

 その背中を、リリは追えなかった。たった一人、夜の闇の中に取り残されて、リリは叫ぶように泣いた。抗えぬ運命を、自身の境遇を、強く呪いながら。

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