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時は再び、現在。
ジークとリリたちとの戦いから三日後の昼下がり。光の帝都・アルバティクスを目前にして、ミドによる語りは凡そ終わった。が、リリたちにとってその話は、勿論俄かには信じがたいものであったし、実際にリリはその話の全てを、聞いた傍から事実として受け入れるということは、流石に出来ずにいた。
「……それじゃあ、この服が」
話の終わる幾らか前から、ずっと丸くしたままの目で、リリは自身の着用する、太陽を模した金の刺繍の施された、葡萄色のケープに視線を落としてそう言った。先頭を歩くミドは、振り返ることはせずに答える。
「服だけじゃないさ。クリーム色の髪に濃紺の瞳、ドボロとの波長の合致、そしてリリという名前。まさかこれだけ揃ってて、リリーシアとは赤の他人でした~なんて、オレにはそっちのほうが信じられないけどね。……バーンズさんって言ったっけ? リリちゃんの親父さん、この服は何処で?」
白い学生ランダの腕を組み、顰め面になって最後尾を歩いていたバーンズは、ミドの問いに静かに答えた。「亡きリリの母で俺の妻、リリアの家に伝わるものだ。リリの髪と瞳の色も、リリアから遺伝している」
やはり、とでも言いたげに、何処か自慢げな表情を一瞬だけ浮かべてから、ミドはあっけらかんとして言った。
「まあ、ここまで語り尽くしておいてなんだけど、ジークを主人公とするこの物語に於いて、一通り聞いてご存じの通り、オレはかなりの脇役だ。この話も殆どが、ジークやハウル、リザたちから又聞きしたものに過ぎない。だから信じるか信じないかは、君たちに任せるよ。仮に君たちがオレの話を信じてくれるとして、これから君たちがしなくちゃいけないことは……、みなまで言わなくても、もう分かるよね?」
リリは、ジークとの戦いに乱入して自分たちを助けてくれた際に、ミドが言っていたことを脳裏に思い浮かべた。当時、意識は朦朧としていたが、リリの頭にはその言葉は、しっかりと刻み込まれていた。
『オレにはアンタは倒せない。その代わり、アンタを倒すことの出来る可能性を、生かして逃がすことは出来る』。そう、ミドは言っていた。その時リリは、その言葉が何を意味するのかまでは、理解することは出来ていなかった。が、ミドの話を聞いた今、その答えはリリには、はっきりと分かった。呟くように、リリは言った。
「宙の極精霊・アポロンとの契約……」
そう、リリの中にバルドリリーシアの血が流れているとするならば、彼に宿っていた宙のフォルスもまた、リリに受け継がれている可能性はあるのだ。ミドの言う『ジークを倒すことの出来る可能性』とは、まさしくリリ自身のことであった。
ミドの話にもあった通り、また三日前の戦いでもそうであったように、火・水・風・土の四種のフォルスでは、ジークの持つ刻のフォルスに対抗することは出来ない。仮に攻撃を当てることが出来たとしても、ジークの意識が僅かでも残っていれば、彼は刻のフォルスを使うことによって、自身の肉体の状態を戦闘開始前まで巻き戻すことが可能なのだ。少なくとも、ジークに対して四種のフォルスが通用しないということだけは、リリたちも身を以て思い知らされており、明らかだった。
「でも」とルチカ。「どうしてアタシたちにそんなことを教えるの? アンタ、ジークに二度も助けられたって言ってたじゃない」
ルチカの問いは、リリにとっても尤もだった。やはりリリたちを振り返ることはなく、ミドは答える。「本当は分かっていたのさ。ジークのやり方が間違ってることなんて」
無造作にカーディガンのポケットに手を突っ込むと、ミドは虚空を見つめて続けた。
「だけどあの時は、……千年前のあの日は、それも正解だと思った。あそこまで壊れちまった世界は、一度徹底的に叩き潰すしかないんだってね。だからジークに付いていった。でも本当は、オレってアーツのこと、結構好きだったりするんだよ。バロンもいるしね」
言いながら、ミドは左の手で、腰のホルダーに収められた、鈍色のドルミールに触れた。と、ドルミールは光を放ちながら巨大化し、リリの目にも見慣れた土の巨人――バロンの姿となって、ミドの隣をのっそのっそと歩き出した。ミドの横顔を見つめるバロンの顔は、心なしか嬉しそうに、リリには見えた。
アーツと使役者の絆に、善悪は関係ない。自分がドボロを思い、ドボロが自分を思っているように、バロンもきっとミドのことが大好きなのだろうと、リリには思えた。
「ジークのやり方には、常々疑問は抱いてきた。でもオレは、一度は付いていくと決めた身だ。助けられた恩もある。それにジークの下を離れたところで、オレには行く当てなんてなかったからね。なあなあのまま、何となく居ついて、気付いたら千年経ってた。人類が復興し始めていることには、何となく気付いてたよ。ジークも同じだと思う。世界は何処へ向かうんだろう、オレたちは何をしているんだろう、って考えながら、変わらない日常を過ごしてた。そして、今から一年くらい前の或る日、ジークはオレたちに言ったのさ。世界中のアーツを、片っ端からかき集めろ、ってね」
一拍を置くと、ミドは続けた。「千年前の再現を、ジークはしたいらしい。今度は自分の手でアーツの軍隊を作って、アーツによって人の世が滅ぶところを、もう一度見たいんだってさ。あいつはもうダメだ。狂ったまんま、こっち側には戻ってくる気配がない。……ウンディーネの神殿前でオレが使って見せた、アーツの波長をズラすグローブ。正確には、各アーツに合わせた波長をグローブから発生させることで、あたかもそこに使役者がいるかのように、アーツに錯覚させるものなんだけどね。あれは今回の計画の為に、ジークがハウルに命じて造らせたものだ。ついでに言えば〝第二共鳴〟も、既存のアーツに後付けする形で、ハウルが独自に開発したものだよ。腐っても研究者だね。ハウルも本当は、アーツの研究を続けたかったらしい。でもジークの手前、ハウルにはそれは躊躇われた。だからあいつは、今後の戦いに向けて役に立つようなものを、という形での研究で妥協したんだ。あいつはそれでも楽しそうだったけど、たまに寂しそうな顔をする。ハウルもハウルで、あいつは今でも、アーツの平和利用を望んでるのかも知れない。……話が逸れたね、元に戻そう」
一呼吸を挟んで、ミドは更に続けた。
「オレは戸惑いながらも、ジークの命令に従った。やりたくなんてなかったけど、建前上は一応、オレはジークの部下だ。従わないことはジークへの反逆を意味するし、そうなればジークにとって、オレとバロンを消すことなんて、造作もないことだからね。……千年経った今でも、バロンには戦争のトラウマが刻み込まれたままだった。初めはこいつ、てんでダメでさ、怒鳴ったこともあったし、殴ったこともあった。まあ、オレみたいなチビが殴ったって、こいつはウンともスンとも言わないんだけどね。魔物との戦いで少しずつ慣らしていって、バロンはどうにか、最低限自分の身を守れるレベルで戦えるようにはなった。でも、そんなバロンの成長とは裏腹に、オレはずっと迷ってた。オレが怒る度に、世界の終わりみたいに悲しそうな顔をするバロンを見てると、そうまでしてジークに協力する意味が何なのか、分からなくなった。ジークの下を去ることも考えた。でも今のオレは、所詮はジークの刻のフォルスで生かされてるだけの身だ。ジークから離れれば、この命はもたない。オレ自身はそれでも構わなかったけど、バロンを残すことが気掛かりだった。……使役者を失ったアーツがどうなるか、誰か知ってるかい?」
ミドの問いには、シンが答えた。「契約者の死と同時に精霊契約が破棄されるのと同様、アーツの使役者が死ねば、使役者とアーツの繋がりは絶たれる。使役者のいないアーツは活動体として存在することは出来ない為、アーツは一旦、アシリアを巡るフォルスの流れへと還る。数年後、世界の何処かのフォルススポットから、ドルミールとして再生し、次の使役者足り得る者が目覚めさせてくれるまで、待ち続ける……」
「教科書みたいな回答だね」とミドは笑いながら言った。「でも正解だ。そして、兄弟も子供もいないオレの波長に合わせて造られたバロンを、目覚めさせることの出来る人間はまずいない。ともすれば、バロンはドルミールのまま、永遠に眠り続けることになる。仮に波長の合う人間がいたとして、そいつがバロンのドルミールに出会う確率は、限りなくゼロに近い。それでももし、その天文学的な低さの確率で、バロンが再び目覚める日が来たとする。でも知っての通り、こいつはかなりのポンコツだ。新しい使役者と上手くやっていけるかどうか、分かったもんじゃない。――誰にも、……勿論バロンにも相談出来ずに、この一年間、ずっとそんなことを悩んでた。そこへ、君たちは颯爽と現れた」
アルバティクスの納物祭で、ミドと初めて出会った時のことを、リリは脳裏に思い浮かべた。彼はあの時から、悩みながらも戦っていたのか、と。そしてウンディーネの神殿前で再び会った時、『どうしてそうまでしてジークに協力するのか』という自分の問いに対して彼が見せた、不可解だった苦い反応の意味も、今ならばリリには、はっきりと理解することが出来た。
「納物祭で初めて会った時には気付かなかった。なんたってオレは、千年前のリリーシアやドボロには、直接会ったことは殆どなかったからね。リリちゃんとドボロの名前には不思議な聞き覚えがあったから、オレはジーク本人や、ハウル、リザから聞いていた、ジークの過去の話を洗い出した。二度目に会った時には確信した。リリちゃんには間違いなく、リリーシアの血が流れてる、ってね。それからまた悩んだ。仮にリリちゃんに宙のフォルスが宿っていて、アポロンがもう一度人間に力を貸してくれ、奇跡的にジークを倒すことが出来たとする。ただいずれにしても、ジークが死ねばオレは死ぬ。その先の世界で、バロンが孤独に生き抜いていくしかないことに、変わりはないんだ。でも、今リリちゃんに賭けなければ、次のチャンスはきっとない。ジークは今度こそ本当に、世界を破滅させるだろう。人類は滅び、全てのアーツは目覚める可能性を、永遠に奪われることになる。それだけは避けたかった。そんな世界で自分たちだけが、のうのうと生き延びていくことにこそ、オレは耐えられる気がしなかった。……オレは心を決めて、ずっと悩み続けてきたことを、バロンに打ち明けた」
そう言いながら、ミドは左手の親指でバロンを指し示した。「こいつは相当なバカだけど、バカなりに考えてくれたよ。オレと離れたくない、って泣きながらも、最終的にはオレの提案を受け入れてくれた。それが他のアーツを助けることになるのなら、ってね。そして、三日前のトリュンマ大空洞に話は繋がる。……これでこのお話はお仕舞いだ。今のところはね。でも結末は、まだ迎えていない。この先の物語が何処に向かうのかは、君たち次第だ」
ここで漸く、ミドはリリたちを振り返って、したり顔になった。久々に見る嬉しそうなミドの表情に、リリは安らぎさえ覚えた。この三日間、悲劇を語り尽くし、そして今も尚悲劇の中にいるミドに、リリは心底同情し、彼の幸せを願わざるを得ないまでになっていたのだ。どう足掻いたところで、彼にはもう、最愛のバロンと離別する結末しか、待っていないのだから。
「ミドの話を信じるのなら、俺たちが向かうべきはヒュペルボレイオス山脈、ラトモス山の頂にあるローレルの樹、ということになるな。皆はどう思う?」
シンはあくまでも冷静だった。が、その物言いに冷たさを感じることは、リリにもルチカにももうなかった。出会った頃の彼が同じことを言えば、或いはそう感じていたかも知れないが、シンは当時とは見違えたし、何よりも彼の冷静さは、この面子には不可欠なものだと、今ならばリリたちには思えるようになっていた。
「信じても良いんじゃないか? 俺たちの攻撃がジークに通用しなかったことは事実だ。ミドの話には、或る程度の信憑性がある」
険しい剣幕で腕を組んだまま、バーンズは言った。「アタシもそう思う。リリは?」と、ルチカはリリを振り返った。
ミドが抱えてきた悩みや悲しみを、リリは今一度、脳裏に描いてみた。それと向き合って生きていくことは、容易いことではないとリリにも分かった。俯いていた顔を上げると、リリは真っ直ぐに、ミドの緑青色の瞳を見つめて言った。
「僕も、ミドを信じたい。ミドは危険を冒してまで、僕たちを助けてくれた。今までしてきたことの全てを、簡単に許すわけにはいかないけど、ミドならこれからの行動で償ってくれると、僕は思う」
それからリリは、左隣を歩くドボロの表情を仰いで、「ドボロはどう思う?」と尋ねた。いつになく真剣な眼差しをミドに向けると、ドボロは答えた。
「オデも、アーツを思うミドの気持ちは本物だと思うだ。リリが信じるのなら、オデもミドを信じる」
「決まりだな」と、シンは少しだけ嬉しそうになって言った。彼とてミドのことを、疑っていたわけではなかったのだ。続けて、シンは尋ねる。
「それで、お前とバロンはどうする? 何処かへ身を隠すのか、それとも、俺たちと共に来るのか」
シンの問いに、ミドは改まって答えた。
「まずはありがとう。オレたちを信じてくれて。そして、済まなかった。リリちゃんの言う通り、許されないことをしたと思ってる」
それから一拍を挟むと、ミドは続けた。「さっきも言った通り、ジークから離れている以上、刻のフォルスに生かされてきたこの命がいつまでもつか、もう分からない。償いの為にも、オレとしては皆の旅に同行したい。いざって時には、身代わりくらいにはなれるからさ」
シンはそれには答えずに、ただリリを振り返った。判断はリリに委ねる、ということらしい。静かに一度だけ頷くと、その場で一旦立ち止まって、リリは言った。
「一緒に行こう。だけど、身代わりになんてさせないよ。バロンの為にもね。……これからよろしく」
ミドに向かって、リリは右手を差し出した。心底嬉しそうに瞳を輝かせると、ミドはリリの手を取って跪いた。
「この命尽きるまで、お傍でお役に立ちます。マイスイート……」
そのまま手の甲に口付けをされそうな勢いだったので、リリは慌てて、ミドの手を振り払った。
「あのね! 僕は男だって、何度言ったら分かるのかな!」
「またまた照れちゃって。でも初心なところもステキだ!」
やはり、というべきか、自分を女性だと信じて疑わないミドに呆れながらも、新たな旅の道連れに、リリは胸の高鳴りを抑えることは出来ずにいた。リリだけではない。シンもルチカもバーンズも、ミドの旅への同行に対し、戦闘に於ける単純な心強さを感じると共に、彼の持つ陽気な人柄が齎す賑やかさへの期待に、胸を膨らませていた。が――。
「シンにルチカに、バーンズさんだよね。これからよろしく!」
喜びの時間は、そう長く続きはしなかった。一人のアーツ使いと、そのアーツの物語は、間もなく終わりを迎えようとしていた。この時、彼らはその気配に気付くこともなく、ただ純粋に、新たなる仲間との新たなる出発を、祝うのみであった。




