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当然、リリはバーンズにこっぴどく叱られた。そしてその怒りようは、リリの想像を絶していた。
「母さんが命を懸けて生んだ命を何だと思ってるんだ!!」と、バーンズは怒鳴り散らした。だがバーンズは、決してリリに決して手を上げることはなかった。バーンズの怒号を聞いて、ルチカの家の主人――ルチカの父のダグザが飛び出してきた。
ダグザとバーンズは古くからの友人で、共に青春時代を過ごし、喜びも痛みも分け合った仲だと、リリは聞いていた。そしてそれはお互いに家庭を持ち、子供を持った今でも変わっていない。ダグザはバーンズのことを村長として、人間として、そして男として、誰よりも信頼していた。
ダグザがバーンズを宥めている間に、リリは家を飛び出した。向かいの家の玄関から、寝間着姿のルチカが顔を覗かせていた。ドボロを連れているリリに驚いたようだったが、リリはすぐに目を伏せて、逃げるようにその場を去った。ドボロもそれに続いた。
「……そりゃそうだよ。怒られるに決まってた」
リリは何とも言えない気持ちになっていた。勿論、リリは謝った。それでもバーンズは怒鳴った。何度も謝れば良かったのか、それこそバーンズの言う『じっと聞いて堪えなければならない場面』だったのか。多分どちらでもない。父にも引くに引けない場面だったのだ。何度謝ろうが許してもらえるわけではない。でも事実として、自分はこうして無事に遺跡から帰ってきた。だから後は、バーンズの中で気持ちが落ち着くのを、時間が解決してくれるのを待つしかないのだろうと、リリは悟っていた。
「でもリリの父ちゃん、リリのこと心配してるみたいだっただ」
「そうだよ。でも父さんは不器用なんだ。思いっ切り怒るか、何も言わないかしか出来ないんだよ。で、今日は思いっ切り怒るくらいのことだったってこと」
そして逃げ出してしまった自分こそ、本当に不器用なのかも知れないとリリは思った。
月明かりに照らされる夜道を、二人はゆっくりと歩いた。何の気もなしに、リリはそのまま村の外へ出た。バーンズが長を務めるこの村には、今は居てはいけないような気がしたからかも知れない。
村の門にもたれかかるようにして、リリは腰を下ろした。ドボロもその隣に座った。
「僕が悪いんだ。父さんの言いつけを守らなかった僕が」
リリは膝を抱えて丸くなった。
「思い詰めるのはよくないだ。きっと明日になったら、父ちゃんも許してくれるだ」
そうだ。今はそれを待つしかない。でもダメだ。明日、父さんは帝都に発つ。
(どうしたらいい……)
リリは星空を見上げた。この晩は快晴で、星がよく見えた。眼前に広がる静かな平原には、虫の声と、浅い草を揺らす風の音だけが、薄らと響いている。平原を見つめながら、リリは何度か溜め息を吐き出してみた。それが諦めを意味しているのか、ただの呼吸なのかは、自分にも知れなかった。それでもそうしているうちに、リリの気持ちは少しずつ、一つの方向へと向いていった。
「もう一度、父さんに謝ってくる」
立ち上がったリリに、「分かっただ、オデはここで待ってるだ」とドボロは答えた。ゆっくりとした足取りで、リリは来た道を引き返した。
家の前に着くと、中からバーンズの喋り声が聞こえる。気付かれないよう、リリはそうっと玄関の扉を開けた。ダグザの気配はなく、既に帰ったようだった。だったらヘルズか、とリリは思ったが、ヘルズは既にドルミールの状態になって、作業場に置かれていた。
(じゃあ誰だ……?)
作業場の土で音を立てぬよう、リリはゆっくりと歩を進めた。バーンズは奥の居住スペースにいるようだった。リリがそちらを覗き込むと、バーンズは一人、祭壇の前に置かれた椅子に腰を掛け、背中を向けて項垂れていた。祭壇には、亡きリリの母が祀られている。
「どうしたらいい、俺は……。こんな時、お前がいてくれたら……」
確かに、リリの耳にはそう届いた。バーンズは、亡き妻に思いを馳せていたのだ。これを聞いてはいけない、と十三歳のリリにも分かった。リリは入ってきた時と同じ速度で、同じ道を戻り、玄関の扉をそうっと閉めた。そして結局何も出来ず仕舞いのまま、ドボロの待つコントゥリの門まで戻った。
「どうだっただ? 許してもらえただか?」
ドボロの問いに、リリは静かに首を振るった。
「明日の朝、もう一度謝りに行くよ。今日はここで寝よう」
幸い、夜の冷え込みは厳しくなかったので、リリはそのまま、ドボロと共にそこで眠りに就いた。無論のことながら、リリは良い夢は見なかった。