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ネーデルラントに戻るまでの道中で、ジークは徐々に正気を取り戻していった。これから先の世界を、自分たちはどういう方向で導いていくべきなのか、ジークは頭の中で、繰り返し試行した。
現実問題、どうしたところで今の世界から、アーツの使用を完全に撤廃することは難しいだろう。然し、戦争で多くのアーツが失われた今なら、即時に全アーツの稼働を停止しなくとも良いのではないかと、ジークには思えてきていた。少しずつでも人々の意識を変えていき、徐々に稼働数を減らしていくことが出来れば、恐らくフォルス総量の回復は、災害頻度の減少という形で、目に見えるものになってくる。そこまで辿り着くことが出来れば、人々はアーツの使用にも、諦めが付いていくことだろう。リリーシアとの戦いが世界的に知れ渡れば、リュンヌの力は不本意ながらも、戦争の抑止力にもなる筈である。国際社会の輪は、クアセルスが中心となって、これから先少しずつ、築き直していければいい。
(みんながいてくれる。リザやハウル、そしてヴェイグが)
ジークの目には再び、未来への希望が見え始めていた。然し――。
(……なんだ、あれは)
現実は、余りにも非情であった。地平線に故郷を見つけた時、ジークは蜃気楼ではないかと疑った。今少し近付くと、ジークはそれが蜃気楼などではなく、現実に存在している王都の姿なのだと悟った。リュンヌと〝共鳴〟をし、超高速移動を用いて、ジークは王都へと駆け付けた。時刻は、午後四時を回るところだった。
「……どうして」
その話を、ジークは後になって、ハウルやヴェイグの口から聞くこととなった。
この日の午前五時頃、ヒマロス大陸から二百のアーツを引き連れた軍隊が押し寄せた。リリーシアもジークも不在であったこの街は、瞬く間に制圧された。見せしめに、多くのアーツと使役者たちが殺された。
「……どうして」
ネーデルラントは、燃えていた。先ほどまで見えていた未来への希望は、それこそ蜃気楼のように、ジークの中から消えていった。
王都の入り口に立ち尽くして、ジークは動けなくなった。燃え盛る街並みを、その向こうに聳える王城をぼんやりと見つめながら、ジークは自身の中で、どうにか保ち続けてきた理性が、一斉に崩れ落ちていくのを覚えた。
「どうして……!!」
ジークに与えられた水のアーツ・サフィーと共に、街の消火活動を行っていたリザが、ジークに気付いて駆け寄ってきた。何度も名前を呼ばれているような気がしたが、ジークの耳には夢の中で聞くような、曖昧で不明瞭な音声としてしか、それは届かなかった。ジークの人格は、壊れてしまった。彼は狂乱した。
「あああああああああああああああああああああああああああああああ」
次に正気を取り戻した時、ジークは或る民家のベッドにいた。そこではリザとハウル、そしてヴェイグが、彼が目を覚ますのを待っていた。一週間ぶりに目を覚ましたジークは、自分でも理解出来ないほどに冷静だったし、自分がしたこともはっきりと覚えていた。
狂気に囚われたジークは、目に映るもの全てを、刻のフォルスを以て破壊し尽くした。ネーデルラントの街並みも、人も、アーツも。ジークの狂気は、王都から人々を避難させた。ジークを恐れたヒマロスの軍勢も、何処かへと撤退していった。丁度日が落ちて、混乱が静まり返る頃になると、ジークは体力を使い果たしたかのように、その場に倒れたのだという。生き残っていた僅かな人々と協力して鎮火活動を終えたリザたちは、焼けずに残っていた空家を見つけて、そこにジークの身体を運んだ。それがネーデルラントの街外れにある、この民家だということだった。
次に取るべき行動を、ジークはもう迷わなかった。最早この世界がどうにもならないことは明白だったし、どうにかする気にも、ジークにはなれなかった。何よりもジークはこの時、既に心を失った、抜け殻に他ならなかったのだ。彼の中に残った憎悪と怨恨だけが、彼を突き動かした。
旅立ちの前に崩壊した街並みを散策していたジークは、スラム街の跡地で一人の青年と、そのアーツとの再会を果たした。当時五歳の少年だった彼は、二十四歳の大人へと成長を遂げていた。が、生活は相変わらずに厳しかったようで、彼の身体は痩せ細っていた。路地裏に座り込んで、アーツと共に毛布に包まっていたその青年と、ジークは無言で暫し見つめ合った。もう終わりを待つだけのこんな世界で、どうしてやるのが彼にとっての幸せなのか、ジークは思いを巡らせていた。初めに気付いたのは彼のほうだった。声を掛けられて初めて、ジークは彼が、父の追悼式で出会った、菜種油色の髪をした少年――ミドだということに気が付いた。
「アンタ、すごい人だったんだってな。あの時はバロンを貰えたことが、家族が出来たみたいで嬉しくて、何も分かってなかったけどさ。感謝してるよ」
昨日の戦闘でスラム街の仲間たちを殺され、それがトラウマになったバロンはそれ以来、ずっと震えたまま、言葉を発さなくなったのだという。ミドの語り口調は落ち着いていたが、それはきっと、今の自分と同じ、絶望の果てにある落ち着きなのだろうと、ジークは理解した。話を聞くうちに、ジークはミドの中に、自分と同じ孤独を見つけて、彼に感情移入した。
「すごい人ならさ、どうにかしてみてよ。ぶっ壊れちまったこの世界を。あの日、オレの人生に意味を与えてくれたみたいにさ」
それからジークの心には、ミドに対しての居たたまれない気持ちが湧き起こった。ここにミドを捨て置いて、餓え死にさせることが躊躇われたジークは、彼を旅の道連れに誘った。
「私と共に来るか」
ジークの問いに、ミドは暫しの沈黙の後で、「うん」とだけ頷いた。
ミド、リザ、ハウル、ヴェイグと、彼らのアーツであるバロン、サフィー、ヒエン、ハデス。そして自身のアーツ・リュンヌと共に、ジークはアンモスを始めとする四大陸を巡り、街という街を焼いた。人もアーツも、ジークは数え切れないほどに殺した。刻のフォルスを操るジークには、敵はいなかった。皆は何を言うでもなく、ただそれを見守っていた。
呪われた生命体であるアーツの再生を僅かでも遅らせるべく、ジークはフォルスの流れの秩序を守る四大精霊に封印を掛け、その流れを滞留させた。凡そ一年後、全てを終えてネーデルラントへと戻ったジークは、忌まわしきアーツ研究が、二度と掘り起こされることのないよう、自身の研究施設を徹底的に叩き潰した上で、改めて自らの手で、故郷をも焼いた。
「お前たち、本当にこれで良いのだな」
ごうごうと火柱を上げる王城を見つめながら、ジークはふと、そう言った。道中でもジークは、何度かこのようにして、四人の判断を仰ぐことがあった。が、旅立ちのその時から、彼らの答えは揺るがなかった。
「アンタはオレを二度も救ってくれた。恩は必ず返す」
恩情が、ミドをそうさせた。
「アタシはあなたに付いていくわ。その先に何があったとしても」
愛が、リザをそうさせた。
「共に何処まででも行きましょうと、言った筈ですよ」
恭敬が、ハウルをそうさせた。
「言っただろ。地獄の果てまで付き合うってな」
友情が、ヴェイグをそうさせた。
一度だけ頷くと、ジークはその場でしゃがみ込み、地に手を着いた。そしてそこに、強く刻のフォルスを込めた。ジークを中心に、辺り一帯の地面からは、白銀の光が湧き起こった。
ジークの持つ刻のフォルスには、四種のフォルスを無力化する力が備わっている。ジークは各地を巡りながら、この力を用いて、その地に生き残るアーツたちに宿るフォルスを解放し、彼らを破壊してきた。ネーデルラントに生き残っているアーツがいるとすれば、彼らもこれで破壊されることとなる。勿論、ミドら四人のアーツにはそれが及ばぬよう、ジークは力をコントロールした。
同時刻。ネーデルラント城地下二階、収監場。
国王の勅命により、戦争が始まるのと同時にここでの仕事を命じられていた一体のアーツが、そこにはいた。
彼に命じられた仕事は、牢番であった。その内容は、『国王自身が彼を迎えに来るまで、何が起こっても絶対にここを離れずに、収監場の門を守り続けること』だ。収監場には騎士団に勤める屈強なアーツたちも、度々出入りしていた為、彼の仕事は他のアーツたちからは、『役立たずにしか回ってこない、哀れな仕事だ』とよく馬鹿にされた。が、彼は誹謗に屈することなく、その任を全うし続けた。それは自身の使役者でもある国王との、大切な約束でもあったからだ。
震災と戦争の混乱の最中、何かの拍子に扉の鍵が壊れ、収監者たちは脱走してしまっていた為、彼には最早、守るべき門など存在しなかった。が、『絶対にここを離れずに』という国王からの託けを守るべく、彼はただひたすらに、そこで迎えを待ち続けた。『明日こそは迎えに来てくれるかも知れない』と思い続けて、ついには一年が経過した。脱走者たちとの揉み合いで、彼が纏っていた緋色のマントは引き千切れてしまっていたし、また震災の際には瓦礫の落下を受けて、彼の二本ある角のうちの左側の一本は、先が欠けてしまっていた。それでも尚、来る日も来る日も、彼は祈るように、国王が現れるのを待った。
(リリーシア……、お仕事、まだ終わらないだか……?)
そして今日、彼の祈りは終わった。ネーデルラントを包み込む白銀の光と共に、ドボロの肉体は、消滅した。




