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「……遅かったか」
四日後、夕刻。
ネーデルラントより東に五〇キロほど進むと、そこには広大な平野が開けている。辺りには村や街はなく、アンモス海を臨む――緩やかな曲線を描く――海岸線を有してもいることから、この場所は戦時下には、敵国の上陸を許しやすい場所にもなっていたという。が、彼の王による統治があってからは、それも昔のことだとジークは聞かされていたし、そう信じていた。この中央アンモス平野が、再び戦火の舞台となる日など、もう二度と来はしないのだろう、と。
「……遅いな。あなたはいつも遅い」
ソレイユと共に、リリーシアは切り立った海岸線の向こう側で、海面から上空一〇メートルほどの地点に、背中を向けて浮遊していた。左手には太い両刃を有する一本の剣を持ち、その身体には煙のような黄金の光を――宙のフォルスを纏っている。
本来であればここに辿り着いている筈であった連合軍の兵士と、そのアーツたちの姿は、そこにはなかった。その代わりに、ジークの眼前に広がるアンモス海の海面には、原型も分からないほどに破壊しつくされた何十隻もの船が、残骸となって浮かんでいた。一帯の海水は、ところどころにどんよりと、血の赤を滲ませている。
「アンモスの大地を、蛮族の血で汚したくはなかったのでな。上陸前に船ごと焼き払ってやった」
感情の籠っていない声でそう言いながら、リリーシアはソレイユと共に身体を翻し、断崖に立つジークを見下ろした。
ソレイユは、三メートルほどの身の丈にがっしりとした図体を持ち、鎧のような金と赤の装甲を身に纏ったアーツだった。鎧兜を思わせる頭部の左右両側からは斜め上に向かって突き出た角が、中ほどから直角に折れ曲がって天を向いている。彼を生成する際、ジークはドボロのデザインを踏襲しつつ、長身のリリーシアと並んだ時に見栄えが良いよう大型のものとし――宙のフォルスを定着させる為には大きな器が必要だったことも、その理由の一つである――、またリリーシアと共に民衆の前に立ち、彼らを導いていけるように、荘かで高雅なデザインを心がけた。結果としてその思いは成就し、ソレイユはジークの思い描いた通りに民衆の目に映り、リリーシアと共に、彼らの人生の道標となった。が、最早それも間違いだったのかも知れないとすら、ジークには思えていた。
「肝心なところで、いつも詰めが甘い。あなたのその詰めの甘さが、かつてはドボロによるフォルスの暴発を、そして今は、フォルスの枯渇を、延いてはこのアーツ戦争を招いたのだ。問題点に気付くのが遅いから、対応は必然的に後手に回る」
見下すようにジークを睨み付けながら、リリーシアはそう述べた。右の拳を強く握り締めて、ジークは答える。
「ああ、そうだ。私は、取り返しのつかないことをしてしまった。だから……、だから今度こそ……」
発言が躊躇われたのは、〝これ〟が受け入れられなければ、ジークにはもう、リリーシアを殺して止める以外の選択肢がなかったからだ。迷いを振り払うと共に、心に決めていたその言葉を、ジークは解き放った。
「――私は失敗はしない。リリーシア、もう一度私を信じてくれ。私には、そしてこの世界には、……まだお前が必要なのだ」
ジークの真紅の瞳は、変わり果ててしまったリリーシアの中で僅かに息づく、純粋に国と民を愛していた頃の彼だけに、真っ直ぐに向けられた。
表情を消し去って、リリーシアは暫し沈黙した。短い溜め息を吹き出してから、「フ」と笑みを溢すと、リリーシアはジークの腰に掛けられた、青と銀を基調とした、まだ真新しいドルミールを、右手の人差し指で差して言った。
「ならば、何の為にそれを造った? もう分かっているのだろう、兄よ。この世界は終わっている。せめてクアセルスだけは、この大地と空と、そこに生きる家族だけは、俺は守り抜きたいのさ」
一拍を置いて、リリーシアは続けた。「然し、あなたは勿論、そんなことはさせないと言う。……初めから決まっていたんだよ。俺たちはここで、どちらかが死ぬまで、殺し合わなくちゃいけない。いや、…………そうするべきなんだ」
リリーシアは、遠い目をしていた。そこには安らぎさえ垣間見えたし、一瞬でも、ジークはそこに、かつての彼の面影を見つけることすら出来た。リリーシアの声は余りにも儚く、切なげであった。
が、そんな弟の言葉に、ジークは素直に諦めが付いた。彼の言うとおり、ジークも心の何処かでは、そうしなければならないことを、初めから悟っていたからかも知れない。最早、そこに正義と悪はなかった。あるのはただ、言葉にしようのない二つの信念のみだ。覚悟を決めるように長い溜息を吹き漏らすと、ジークは背中のホルダーから、右の手で杖剣を取り外しながら、左の手でそっと、腰のドルミールに触れた。
「往くぞ、リュンヌ」
眩い白銀の光を放ちながら、ドルミールは活動体である巨人の姿へと、変化を遂げた。
リュンヌの生成に当たって、ジークはソレイユのデザインを活かしつつ、それとは対になるようなイメージで造形を行った。ソレイユと同じく三メートルほどの身の丈に、凡そ人間のそれに近しい、細身の体格。これもソレイユを意識した、鎧のような青と銀の装甲。そして鎧兜を思わせるその前頭部からは、斜め上前方に向けて一本の角が生えている。それが、刻のアーツ・リュンヌの特徴だった。
「〝共鳴〟」
杖剣に備えられたフォルスチェインに手を翳しながら、ジークがそう唱えると、二人の身体は瞬く間に、白銀の光に包まれた。煙のようなその光を身に纏ったジークとリュンヌは、同じく黄金の光に身を包む、リリーシアとソレイユを見上げて、四人はお互いに、暫く見つめ合った。嵐の前の静けさのように、吹き荒れていた風が唐突にピタリと止んで、辺りは一斉に静まり返った。惜しむように、リリーシアは口を開いた。
「あなたは常に、俺の良き兄であり、友であり、一番の理解者だった。愛すべき相棒でありながら、乗り越えるべき壁でもあった。いつもいつも、あなたは俺の一歩前を歩いていた。羨ましかったし、鬱陶しかった……! だけど……、それも今日で終わりだ」
リリーシアの言葉を合図にするように、風は再び、強く吹き荒んだ。
二人はお互いに、武器を持っていないほうの手を前へと差し出して、その掌を天へと向けた。リリーシアは右手を、そしてジークは左手を。鏡に映した自分自身のように、二人の動きはシンクロした。呟くようにして、二人は言った。「太陽神――」「月光神――」
「招来」
刹那、天上からは稲妻の閃くが如く、それぞれ黄金と白銀の光を放つ二つの光の球体――アポロンとセレーネが飛来した。アポロンはリリーシアの、セレーネはジークの、差し出されたそれぞれの手の中に、吸い込まれるように落ちていく。と、リリーシアの濃紺の瞳は黄金に、そしてジークの真紅の瞳は白銀へと色を変え、輝きを放ち出した。
切っ掛けは、どちらからともなかった。ピンと張り詰めた空気が、何かの拍子に崩れ落ちるように、二人の意識は重なった。ジークはリリーシアへと跳躍し、リリーシアはジークへと降下した。剣戟が一つ、この平野に木霊した。
「――いざ!!」




