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特別なアーツであるソレイユに対抗する為、ジークは急遽、〝もう一体の特別なアーツ〟の開発を始めた。自身が使役する刻の極精霊・セレーネが持つ刻のフォルスをその身に宿す、刻のアーツ・リュンヌだ。一週間での完成を目標として、ジークは研究所に立て籠もり、作業を開始した。
災害の原因がアーツにあったことが判明して以来、ジーク率いるアーツの研究機関は、事実上の解体となっていた。研究所に出入りする人間は、ほぼジークのみとなっており、客人といえば、ジークを案じたハウルが時折、顔を見せてくれる程度だった。が、ジークもハウルも、何を話すべきで、何を話さないべきなのか、お互いに分からなくなっており、ハウルの足も自然と遠のいていった。アーツによって繋がっていた関係は、アーツが悪となったこの世界では、あまりにも脆弱だった。
〝彼〟との再会は突然だった。が、後になってみれば、それは導かれて然るべき再会であるかのようにも、ジークには感じられていた。リュンヌの開発が始まって、四日目の暮れのことだった。
夕闇に染まるネーデルラントを、そしてそこに生活する全ての人々を、始まりの地割れから四年目にして初めて、直下型の大地震が、突如として襲った。
ジークはこの時、街での食材の買い出しを終え、一人研究所へと向かって歩いているところだった。揺れは長く続いた。縦にとも横にともなく、ジークは足元の地の揺れに合わせて、転ばぬようにバランスを取った。路地は危険だと判断したジークは、広場へと駆け抜けた。土埃の立ち込める広場には、幾らか人が集まっていた。建物の崩れる轟音と、人々の悲鳴が、辺り一帯には響き渡っていた。小さな揺れがまだ続いていた。どうしていいのか、ジークには分からなかった。父なら、そしてリリーシアならどうするだろうかと考えを巡らせたが、答えは出なかった。揺れが落ち着いてくるに連れて、徐々に冷静さを取り戻したジークは、研究所に戻らねばならない、という考えに至った。研究資料や道具の類を、すべて放ったまま出て来てしまっていたのだ。広場から研究所のほうへ続く路地へと、ジークは駆け足で向かった。そして路地に足を踏み入れたそのタイミングで、二度目の揺れが起こった。
(ああ、死ぬのだな)
真正面から脳天に向かって、一直線に街灯が倒れてくるのをスローモーションに感じながら、ジークは思った。そして、それも悪くないかも知れない、とも、ジークには思えてしまった。今この瞬間、リリーシアを変えることが出来たとして、明日の朝、戦争が終わっていたとして、いずれにしても、この世界に救いようがあるのかどうか、ジークにはもう、分かっていなかった。こんな世界を見ずに済むのなら、それはそれで幸せということになるのかも知れないと、ジークは心の何処かで欲していた魂の解放を、思わず受け入れそうになった。が、運命がそれを許しはしなかった。街灯は、すんでのところで防ぎ止められたのだ。一人の男が使役する、一体のアーツの手によって。
「無事か!」
男の声に、ジークは聞き覚えがあった。が、それが誰のものであるのかまでを、思い出すことは出来なかった。ゆっくりと顔を上げてその姿を確認すると、それはジークの記憶の中に、褪せることなく存在し続けた、若き日の親友の姿と重なった。
「ヴェ、……ヴェイグ、なのか……?」
驚きに目を見張ってそう言ったジークの顔を改めて認識するなり、男――ヴェイグは、同じく虚を衝かれたように、赤茶の瞳を持つ切れ長のツリ目を丸くして、次のように尋ね返した。
「ジーク、か……?」
当時から逞しい体格だったヴェイグは、この年齢になって、更に屈強で厚みのある身体へと変わっていた。背中の中ほどまで伸ばされた、荒々しく長い白髪は、前髪を含めたその全てが、後頭部で一つに纏められており、それは彼の持つ厳めしい雰囲気を、より一層際立たせていた。ヴェイグとそのアーツと共に研究所へと移動したジークは、三十年の空白を埋める意味も含めて、暫し談話した。とはいえこの状況下での再会だ。二人の間を流れる空気は、久しく会わずにいた親友との運命的な巡り合わせ、というようなものでは、決してなかった。
「成程な。なら陛下は――弟君は、そのソレイユってアーツを連れて、再び戦場に向かってる可能性が高い、ってところか」
ヴェイグと疎遠になってから、自分の周りで起こった全てのことを、ジークはありのまま、彼に打ち明けた。父との確執、ドボロの誕生、リザやハウルとの出会い、セレーネとの契約、リリーシアの王位継承、アーツの量産化、父の死。アポロンとの契約とソレイユの開発、バルド教の発足。それから、ここ数年に於ける災害の頻発と、その原因の解明、戦争への発展と、リリーシアとの対立。――その全ては自分が招いたことであり、自分にはそれらの問題を収集する義務があるのだ、と。
一方でヴェイグの口からは、ジークにとって重要な情報が語られた。
ヴェイグはその後、持ち前の意志の強さとその腕前を以て、順調に騎士団内での地位を上げ――少年時代の一件があったこともあり、騎士団長とまではいかないものの――、現在では第一師団の師団長まで上り詰めているのだという。上官や同僚、部下からも共に厚く信頼を置かれ、国王の――つまりはリリーシアの取り決めにより、騎士団内では五十体までしか保有を許可されていない、兵器としてのアーツの所持をも任命されているのだとか。それが彼が今も連れており、先にはジークを助けてもくれた青い火のアーツであるのだが、その『ハデス』というアーツの生成には、ジークには覚えがあった。
いつ頃だったかまでは流石に記憶していなかったが、王国騎士団の名義で、兎に角巨大なものを造ってほしい、という注文を受け、ジークは可能な限りの大きさを尽くして、数あるアーツの中でも唯一、四メートルを超える超大型のアーツを生成していた。青い火を操るそのアーツに、古語で『冥界の主』を意味するハデスという名前を付けたことも、ジークはしっかりと覚えていた。
ヴェイグはハデスと共に、先日の中央アンモス平野での戦闘にも参加していたという。四百のアーツを前にして一時は戦意を喪失したものの、結果として自分たちの出る幕はなかったと、ヴェイグは語った。リリーシアとソレイユが、宙のフォルスを以て敵軍を一掃したからである。その凄惨さたるや、ヴェイグは吐き気すら催し、〝正義〟と呼んでいたものが一体どういうものだったのか、分からなくなった、とも言った。
そして、現在。パラム・クラスィアの二大陸の諸国連合軍が、今度は五百近いアーツを引き連れて、アンモス大陸へ向かっているとの情報を、騎士団はキャッチしていた。が、襲撃を前にして、騎士団はその機能の一切を、国王の勅命により予告なく凍結され、ヴェイグは今現在、自宅謹慎を命じられているのだという。以来騎士団は、国王であるリリーシアとはコンタクトが取れなくなっており、リリーシアは消息を絶っている。ジークの話と照らし合わせて考えれば、リリーシアはソレイユと二人だけで連合軍の迎撃に向かっていると見られ、ヴェイグによれば連合軍の上陸は、凡そ四日後の昼頃、ということだった。
「ありがとうヴェイグ。私はリュンヌの開発を急ぐ。連合軍の上陸前に、何としてでもリリーシアを止めねばならない」
ヴェイグを見送るべく、ジークは立ち上がりながらそう言った。が、椅子に深く腰掛けたヴェイグは、腕を組んだまま宙を見つめて、そこを動かなかった。
「ジーク。こんな時だが、今日は久々にお前に会えて嬉しかったぜ。長いこと、大変だったみたいだな」
相変わらずに身分の違いを気にしないヴェイグの物言いは、ジークに少年時代の日々を思い起こさせた。その上で、自分の行いを軽蔑するでもなく、ただただ労ってくれる彼の言葉に、ジークは僅かながらも、心の安らぎというものを覚えてもいた。
「私もだ。今は落ち着いて話をしている時間はないが、いずれまた落ち着ける時が来たら、こうして会ってくれるだろうか」
ジークの言葉に、ヴェイグは答えなかった。その代わりに、赤茶の瞳だけを動かしてジークの目を見つめると、静かに尋ねた。
「なあジークよ。覚えてるか? 俺が最後に言ったこと」
ヴェイグが貴族学校を去った日のことを、ジークは思い浮かべた。『王になってくれ。俺はお前の治める国を守りたい』。ヴェイグはそう言っていた。いつもは堂々として勇ましい後ろ姿が、あの日は少しだけ、切なげだった。
「ああ、そのことなら済まなかった。やはり私には、王よりも研究者として生きるほうが、性に合っている」
「どうでもいいんだよ。肩書きなんてのはな」
言いながら、ヴェイグは漸く立ち上がると続けた。「アーツを造った時も、災害の原因が分かった時も、お前はいつも国と民を思って動いてきた。王になった者が民を思うんじゃない。民を思う者が王になれるんだ。だから、もう一度言う。ジークよ」
それから一拍を置くと、ジークに向かって右手を差し出し、その瞳を真っ直ぐに見つめて、ヴェイグは言った。
「王になってくれ。俺は、お前の治める国を守りたい」
ヴェイグの言葉に、ジークは狼狽えた。確かに、自分はアーツの開発者として一度は脚光を浴び、人々を繁栄へと導いてきた。が、それも過去のこと。今や自分は、無知により世界を混沌に陥れた、愚かな罪人に他ならない。そしてその無知は、あれほどまでに国と民を愛し、信頼を築き上げてきた弟すらも変えさせてしまった。この責任は重い。然しそれ以上に、ジークの中では、自分を信じてくれているヴェイグの期待に応えたいという気持ちが、次第に強く、大きくなっていった。
勿論、ヴェイグは実際に、自分にクアセルス王国の王座に着いてほしい、と願っているわけではない。肩書きなどどうでもいいと、彼は言ったのだから。親友として、彼は自分に、今一度人々を導いてほしいと言っているのだ。そして彼自身は騎士として、王であるジークフリードに仕えたい、と。
迷いが決意へと変わると、ジークは一度だけ息を飲み込んでから、差し出されたヴェイグの右手を、自身の右手でしっかりと握り返した。
「ヴェイグ、……付いてきてくれるか」
「地獄の果てまで付き合うぜ。相棒」
ヴェイグはそう言うと、ニヤリと口角を上げて笑った。三十年越しに目にする親友の笑みに、世界はまだどうにかなるのかも知れないと、ジークは思えるようになってきていた。開け放たれた窓からは、一日の終わりを告げるように、煌々と西日が差しこんでいた。




