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巨人と少年  作者: 暫定とは
五章『宿命』
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 リリーシアの着任から一年弱が過ぎた。二十五歳になったジークは、リザと婚姻していた。リリーシアもまた、この頃には王妃として、従兄(いとこ)の娘を迎えていた。

 各地での有権者たちによる宣伝効果もあり、アーツの存在は徐々に人々に認知され始めていた。評判は上々だったので、ジークはハウルと共に、そろそろ一般向けにも展開していこうか、という話もしていた。セレーネの力もあり、ジークは以前のように、アーツの製造に於いて、著しく身体を疲弊させたり、倒れたりすることはなくなっていた。

 その日の午前四時、妙な胸騒ぎと共に、ジークは目を覚ました。東雲色(しののめいろ)に染まり始めた空はどんよりと曇っており、三月初旬の朝はまだ冷え込んだ。城から研究所に向かうと、既にハウルが到着しており、コーヒーを飲みながら朝刊を読んでいた。ジークの入室に気付くなり、ハウルは珍しく大きな声を出して、嬉しそうに言った。

「ジーク様! 見てください、今日の一面です! 大手柄ですよ!」

 ハウルから受け取った王都新聞の一面に、ジークは目をやった。『アーツの救助部隊、被災地で二百人助ける』と、そこにはあった。

 半月前、アンモス大陸の東側に存在する都市を、大地震が襲った。死者は百人を超え、行方不明者は五百人にも(のぼ)った。王都からも、騎士団を含めた数十人規模の救助部隊が編成され、被災地に向かう手筈になっていた。リリーシアに頭を下げ、ジークはこの部隊のうち六人の精鋭の出発を、二日遅らせた。彼らの波長に合ったアーツを急遽(きゅうきょ)製造し、ジークは彼らに同行させようとしたのだ。この頃にもジークはやはり、基本的に一日に二体もアーツを造れば体力的に限界だった。が、セレーネにも力を借り、ジークは与えられた二日間の猶予を寝ずに使い、死に物狂いで六体のアーツを生成した。後のこと――使い方や注意事項の解説、フォルスチェインの受け渡しなど――はハウルに任せ、ジークは彼らを見送ることなく眠ってしまったが、その努力が実を結び、彼らは期待通りに働いてくれたようだった。生成の後、一週間ほどは身体の倦怠感(けんたいかん)に悩まされたジークだったが、一面に書かれたアーツの活躍の模様に一通り目を通すと、無理をしてでも造って正解だった、と思えるようになっていた。

 その日の昼前、ジークの研究所には一人の男がやって来た。毎年、年度末になると受賞者が発表される『クアセルス名誉勲章』の審査委員長を名乗るその男は、ジークと同じく、今朝の朝刊でアーツの活躍を知ったらしく、開発者であるジークに、是非名誉勲章を贈らせてほしい、と話した。ジークやハウルら知識人は勿論、クアセルス国民なら誰もが一度は耳にしたことのある、由緒ある勲章だ。身に余る、とジークは断ろうとしたが、「誰もが認める世紀の発明ですし、それを惜しみなく善行に向けることは、誰にでも簡単に出来ることではない」と、男は引かなかった。

「良いじゃありませんか。苦労が報われたということですよ」

 ハウルはそう言って、受賞を勧めた。勿論ジークにとっても、それが自分に与えられるのは誇らしいことであったし、内心ではこの上ない喜びを感じていた。暫く悩んだ末に、「人々にアーツを知ってもらう切っ掛けにもなるだろう」と言って、ジークは受賞を受けた。本来であれば、ノミネートされてから受賞、という流れになるのだが、既に確定したものと思ってくれて構わないと、審査委員長は言った。

「その代わり、発表の日まではくれぐれも、ご内密にお願いします」

 そう言って、彼は帰っていった。ドアが閉まり切った途端、その場で飛び跳ねようかとすらジークは思ったが、ハウルがいたのでやめておいた。が、声が上ずってしまうのを、ジークは隠し切ることは出来なかった。

「少し外に出るので、留守を頼む」

「ええ、どちらへ?」

 ハウルの問いに、何と答えるべきか暫し迷ってから、ジークは正直に「城だ」と言った。その意味を理解してか、ハウルはその頬に笑みを浮かべて、「ああ」と答えた。

「特に関係はありませんが、近頃はお父上、国王陛下のご意向で王立病院に移ったと聞きます。お気を付けて」

 「フ」と鼻で笑ってから、ジークは返す。「君は何でもお見通しだな。では関係ないが、こちらも行き先を訂正しよう」

 ニヒルな笑みを浮かべると、ハウルは尋ねた。「どちらへ?」

「王立病院だ。……留守を頼む」

「ええ」

 病院まで、ジークは小走りで向かった。遂にアーツの開発が、公的に評価される時が来たのだ。

 焦ってはいけないと思って、じっと静かに、その日が来るのを待っていた。そして今日、それは意図せず不意に、そして漸く訪れた。あなたはこの報告に、どんな顔をするだろうか。この功績に、どんな言葉をくれるのだろうか。一時期と比較すればその影は薄くはなれど、それでも変わらずに、僕とあなたの間に存在し続けた深い溝を、これで漸く、僕は自信を持って渡ることが出来る。

「――父上」

 病室の扉を開けながら、ジークは父を呼んだ。ノックをし忘れたと気付いたのは、室内へと足を踏み入れてからだった。

 ジークの視界には、ベッドの前で膝を突く、母の姿が映った。母の足元には紙のコップが倒れており、そこに注がれていたのであろう水が、床に零れ出してしまっている。何が起こっているのか、ジークには初め、理解が出来なかった。数歩歩み寄ると、母がすすり泣いているのが分かった。皮肉なことにこの日の翌日、父の病気への特効性を持つワクチンが完成した。ジークには最早、何の意味もない情報であった。

『水を汲んで来てくれ』

 それが、父の最後の言葉だったという。

 リリーシアは泣いていた。ドボロも泣いていたし、リザも、勿論母も泣いていた。人が死ぬと、どうして人は泣くのか、ジークにはよく分からなくなった。それらがあくまでも形式ばった、社交辞令的な涙にしか感じられず、何故この人たちがこれほどまでに悲しんでいるのか、ということを、ジークは空っぽの心で考えた。そこで漸く、ジークは自身の心が空っぽになっていたということに気が付いて、泣いた。子供の頃にもしなかったような情けない泣き方で、大声を上げて泣いた。怒鳴るように、そして張り裂けるように泣いた。それからやっと、ジークは気が付いた。自分は、自分の研究が無駄ではなかったと父に認めさせたかったわけではなく、ただ単純に、昔のように父からの愛が――褒め言葉が欲しかっただけなのだ、と。

 アシリア歴一〇二九年、三の月九の日。ジークの父はこの世を去った。六十四歳だった。

 身内での葬儀とは別に、父の追悼式(ついとうしき)はネーデルラントの大広場で、大々的に行われた。参列した大勢の人々の涙に、ジークは父が、如何に偉大で、愛された王だったのか、ということを思い知らされた。細い雨に降られながら、黒い服を着た母は、誰に向けてともなく、遠い目をして言った。

「あの人、いつも言っていたわ。ジークの発明は素晴らしい、あの子は本物の天才だ、ってね。リリーシアの治める国が、ジークの発明で栄えていくところを、生きて見届けたかったって、毎日毎日、呪文(じゅもん)みたいに言っていた。教えてあげられなくて、ごめんなさいね」

 自分がジークを褒めていることは本人には伝えるな、と、父は母に口止めまでしていたという。「口止めするくらいなら初めから言わなければいいのに」と、困ったように笑いながら、母は続けて言った。

「でも、自分の息子はすごいんだって、誰かに言わないと気が済まなかったんでしょうね。私くらいにしか言えなかったのでしょうけど」

 母の言葉に、ジークはもう一度だけ、静かに泣いた。くだらない理由で距離を置いて、自分たちはお互いに強がっていただけだったのか、と。後悔が先には立たないことを、ジークは痛感した。

 参列者に挨拶をして回っていると、ジークの目には、一人の少年の姿が止まった。この場面には似つかわしくない、ボロ布のような白いタンクトップに身を包んだその少年は、細い路地の隙間から、緑青色(ろくしょういろ)の悲しげな瞳で、大広場のほうをジッと見つめていた。彼のことが気になったジークは、そっと近付いて声を掛けてみた。

「僕、どうしたの?」

 ジークの言葉に、少年は黙ったまま俯いてしまった。まだ五歳くらいだろうか。菜種油色(なたねゆいろ)の短髪は、くるくるとカールを描いている。スラム街の子なのか、近付いてみると、彼の服は全体的にボロボロで、身体もところどころが汚れているのが分かった。今一度、ジークは尋ねた。

「お名前は?」

 俯いたままで、少年は静かに言った。「……みど」

「ミドくん、お父さんとお母さんは?」

 ジークの問いに、漸く顔を上げた少年は、人々が集まる大広場の、凡そ中心を指差した。が、人だかりの中に、それらしき人物は見当たらない。少年――ミドは言った。

「おうさま。いつもごはんくれた。でも、しんじゃった」

 その言葉に、ジークは衝撃を受けた。『この街のスラムには、届けの出されていない孤児が何人もいるようなので、早急(さっきゅう)に対応しなくてはならない』と、つい先日リリーシアが話していたのを、ジークは思い出した。

 ネーデルラントに蔓延(はびこ)る貧富の差は、父が現役の頃から問題視されており、父もその解決に向けて懸命に取り組んでいたが、問題が先延ばしになるだけで、直接的な解決には至らなかったという。そして父は恐らく、実現可能な政策だけではどうすることも出来ない部分を、非公式に、自らがグレーゾーンを歩くことで清算していたのだろう。

 ジークは不思議に、父の意志を継がねばならない、という気持ちになった。後付けの責任感のように堅苦しいものではなく、寧ろそれは、元から自分の中に存在していたもののように、あくまで当然の発想として、ジークには感じられた。母の言葉があったからかも知れない。家族のいない彼が、せめて一人で寂しい思いをしないようにと、ジークは研究所へとミドを連れ出し、彼の波長に合わせたアーツを、その場で生成した。ミドは終始、不思議そうにその様子を伺っていた。

 父が亡くなって以来久々の生成だったからか、それとも知らず知らずのうちにストレスでも溜まっていたのか、ジークはこの日、珍しくアーツの生成に失敗した。完成した土のアーツには、言語障害の兆候が見られた為、ジークはすぐにそれを破棄して新しいものを造り直そうとした。が――。

「これがいい」

 ミドがそう言って譲らなかったので、ジークは仕方なしに、指輪型のフォルスチェインと共に、そのアーツをミドへと贈った。ジークはそのアーツに、古語で『守護者』を意味する、バロンという名前を付けた。

「バロン、これから先、どんなことがあってもミドのことを守り抜くんだ。いいね」

「わかっタ。ミど、まもル」

 それからジークはミドに、「もしもどうしても頼れる人がいなくなったら、自分のところに来るように」と告げて、彼らを見送った。ミドはバロンのことを大層気に入ってくれたようで、二人は手を繋いで、研究所を出て行った。切なくも(たくま)しい二人の後ろ姿に、ジークは自分の中で、何かが強く、揺れ動くのを感じた。父の肉体から抜け出た魂が、自分の中に入って来たかのようにも、ジークには感じられた。父亡き今、父に代わって自分に出来ることは何だろう、とジークは考えた。母の口から聞くことが叶った、生前の父の言葉がジークの脳裏を過ぎった。

『リリーシアの治める国が、ジークの発明で栄えていくところを、生きて見届けたかった』

 涙を流すことは、ジークはもうしなかった。自らの心の中に、偉大な王の姿を見つけられたからかも知れない。父がいなくとも、彼の夢見た未来を創り出すこと――アーツの力を以てこの国を繁栄に導くことが、きっと自分の生まれてきた意味なのだろうと、ジークは強く感じ、その実現を、しかと心に誓った。

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