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四年後。
ヒマロス大陸はヒュペルボレイオス山脈。年間を通して雪に包まれる世界最高峰を持ち、『神々の山麓』とも呼ばれるこの山岳地帯の、まさにその最高峰である『ラトモス山』に、ジークはリザと共に来ていた。衰弱し、痩せ細った身体には、麓の村で調達した分厚いコートを纏っている。
吹雪に見舞われながらも、やっとの思いで登頂したジークたちは、一本の大樹に迎えられた。ここを除けば一つとしてその存在を確認されていない、幻の神樹・ローレルの樹だ。その根元でしゃがみこんだジークは、革で出来た小さな巾着を、懐から取り出して雪の中に埋めた。袋の中には麓の村に生息する、――これもこの地方でしか見られない――全身が白い毛皮に包まれた『ラトモス牛』の角を粉砕した粉が詰められている。おぼつかない足取りのジークを、同じく分厚いコートを羽織ったリザは、その後方から不安そうに見つめていた。登頂を前にして吹雪は止んだが、辺り一帯には依然として、ごうごうという音と共に、風が吹き荒れている。
ゆっくりとその場に立ち上がると、呟くようにジークは言った。
「火神、水神、風神、地神……、招来」
その言葉に呼応するように、何処からともなく飛来した、紅蓮、水色、浅緑、山吹に輝く四つの小さな球体は、ローレルの樹を四角く囲うような位置取りに陣形を取って滞空し、その場でピタリと動きを止めた。と、それぞれが球体と同じ色の光を放ちながら、巨大な山椒魚、鯨、鳶、鹿へと姿を変える。四大精霊――サラマンダー、ウンディーネ、シルフ、ノームだ。ローレルの樹に身体を向け、祈るように目を閉じると、彼らは頭を垂れた。
「頼む」
背を向けたままそう言ったジークの言葉に頷き返すなり、リザはスゥッと息を吸い込むと、静かに歌を歌い始めた。
その歌詞は、この星の上には存在しない言語で綴られている。原始、まだ宇宙が生まれて間もない頃、対を成す二体の精霊によってその歌は作られたのだと、ジークはノームら四大精霊から聞いたことを思い出していた。
リザの美しい歌声を片耳に、ジークは腰の鞘から取り出した短剣で、自身の左手親指に、小さく切り込みを入れた。傷口からじんわりと滲む血の雫を、雪の中へと捧げるように、ジークは垂らした。刹那、二人と四大精霊の身体を包み込むように、その地からは銀色の光が、湯気のようにユラユラと立ち込めた。徐々に明るさを増していく光の中で、五つの節に渡るリザの歌を聞きながら、ジークはこの半年間での出来事に、思いを馳せていた。あれはジークが二十二歳の、秋のことだ。
活力を取り戻しこそはしないものの、国王はどうにか命を繋ぎ止めて生きていた。いよいよアーツ製造のプロセスを確立させたジークは、試作も兼ねて幾つかのアーツを、自らの波長に合わせて造り始めた。然し、この頃にはジークの肉体も著しく衰弱しており、そんな状態でのアーツの製造は、彼の身体に甚大な負荷をかけた。そして或る日、ついに訪れた体力の限界に、ジークは倒れた。アーツを造ることの出来ない自身の身体に、ジークは絶望した。兎に角十二分に栄養を摂って、ジークには体力が回復するのを、待つほかなかった。然し、やはり四体もの大精霊を従えることの重荷は大きかったらしく、元から弱かったジークの身体は、最早回復のしようもないほどに疲弊してしまっていた。もう打つ手はないのか、と諦めかけていた矢先、ジークは惰性で続けていたフォルスの研究中に、或る一つの違和感に行き着いた。
アシリアに宿るフォルスは、そもそも何処から生み出されたのか――今までそれは研究者たちにとって、当然のように自然現象として捉えられてきたが、改めてその真髄を探っていたジークは、それが〝この星に存在する四種のフォルスだけでは、絶対に成り立つ筈のない〟ものであることに気が付いた。精霊の祖と呼ばれる大精霊なら、その答えを知っている筈であると悟ったジークは、ノームを招来して、この件について問い詰めた。初めは話すのを渋ったノームだったが、最終的にはそれが、ジークの手助け、延いてはアーツ製作の手助けにもなるかも知れない、と思い、その内容を明かした。ノームら四大精霊がこの頃には、精霊術士としてのジークに心底信頼を寄せていたということも、その告白には手伝った。
「アシリアは四つのフォルスによって形成されている。これは周知の事実だ。然し、それはあくまでもアシリアに限っての話。国が違えば当然のように文化が違うように、アシリアを出れば、その常識も通用しなくなる。宇宙の誕生と共に生まれた、根源たる二種のフォルス。それがその他幾百もの種類のフォルスを生み出し、このアシリアを、そして我々――フォルスの流れの監視者たる四大精霊を生み出した」
何百種類もののフォルスが存在するという事実に、ジークは勿論驚いた。然しそれ以上に、ジークはその『根源たる二種のフォルス』が一体何なのか、ということが気になって尋ねた。ジークの問いに、ノームは再度口を閉ざしたが、暫しの沈黙の後で、ついにはそれを語った。
「時間と空間を形成し、それらを司る二つのフォルスだ。刻のフォルスと宙のフォルス――……我々はそう呼んでいる」
続けて、ノームは解説した。「アシリアを形成する四種のフォルス、それを司り、その秩序を守る我々四大精霊がいるように、刻と宙のフォルスにも、それぞれを司る特別な精霊が存在する。彼の者たちによってアシリアは生み出され、四種のフォルスと共に我々四大精霊は生み出された。そして彼の者たちは、我ら四大精霊に、アシリアに宿る四種のフォルスの秩序を守るよう命じた」
大精霊とは比較にならないほどの強大な力を持つその二体の精霊を、ノームは『極精霊』と呼んだ。
「彼の者たちの名は、宙の極精霊・アポロンと、刻の極精霊・セレーネ」
アシリアを巡る四種のフォルスの秩序を守る大精霊と同様に、彼らは宇宙を巡る二種のフォルスの秩序を守っているのだという。勿論、大精霊や他の精霊と同様に、彼らはそれらのフォルスの流れに干渉し、それを顕現する力を持つ。とはいえ時間と空間を司るその力はあまりにも強大で、彼らがその力を振るうことは、基本的にないらしいのだが。
時間を操ることの出来るセレーネの力に、ジークは興味を持った。その力があれば、自身の肉体を衰弱する前の状態に戻し、アーツの製造を続けることが出来るのではないか、と考えたからだ。セレーネに会う方法はあるのか、というジークの問いに、ノームはまたしても言葉を濁した。が、結果的にはジークに押し負けて、ノームはその全てを、包み隠さずに語ることとなった。「決して簡単な方法ではないぞ」と、ノームは言った。
アシリアの形成に際して、セレーネはヒュペルボレイオス山脈、ラトモス山に降り立った。そこで四大精霊に向けて、こう言ったのだそうだ。
『この星に於ける生命の育みは、今後あなた方に一任します。もしも私の力が必要になった時には、粉状に砕いた聖獣の角と、贄となる者の血、そしてこの歌と共に、その四身を以て、この地から祈りを捧げなさい。アシリアとあなた方に、幸があらんことを……』
そして、セレーネは歌った。原始の時代に、アポロンと共に作った契りの歌を。それは精霊同士が会話をする際に本来使っている、本当の意味での〝精霊言語〟で綴られているのだそうだ。ヒトとコミュニケーションを交わす際、精霊たちはこちらの言語に合わせて会話をすることが出来、普段そうしてくれているのだと、ジークはこの時初めて知った。そしてジークはそれからというもの、セレーネ召喚の儀式の為に、この日まで着々と準備を進めてきた。リハビリを重ね、少しずつ体力を取り戻したジークは今日、健常者のリザでも相当に堪えるこのラトモス山の登頂を、気力と根性で成し遂げた。全ては、アーツの開発の為に。
(久方ぶりですね。四大精霊たち)
脳内に響くその声と共に、銀色の光はローレルの樹の上空に収束し、ただでさえ巨大な四大精霊たちの、更に倍ほどの大きさもある、白銀に輝く超巨大な動物の姿となって降臨した。
一見して馬のような体躯に、竜の頭部と、そして鱗の皮膚を、その光の生命体は持っている。その姿はジークに、神話に語られる幻獣――麒麟を思い起こさせた。刻の極精霊・セレーネだ。
セレーネとの対話の末、ジークはその肉体を、衰弱する前の状態に戻してもらうことが叶った。それどころか、四大精霊の全てを従え、その上の次元に君臨する自分たちの存在に気が付いたジークに、セレーネは興味を示し、自分とも契約を結んではみないか、と、向こうからジークに持ちかけた。が、セレーネがジークに興味を持った一番の理由は、ジークがその身に、生まれながらにして刻のフォルスを宿していた、ということである。元を辿れば四種のフォルスも、刻と宙のフォルスから生み出されている為、可能性として突然変異的に、人体に刻のフォルスが宿ることは有り得なくはない、とした上で、然しそれは天文学的な確率の低さであり、そんなジークとここで巡り合えたことはきっと運命の導きなのだと、セレーネは語った。
(私の力を必要とする時には、『月光神招来』とお呼びなさい。あなたの下へと馳せ参じ、この力を貸し与えます)
今後もアーツの開発を続けていく以上、いずれ再び体力の限界は訪れる。そう考えていたジークにとって、セレーネの提案は願ってもいないことだった。セレーネを招来し、刻のフォルスを操ることが出来れば、これから先、今までのように身体の弱さに悩まされることもなくなるからだ。こうしてジークは、刻の極精霊・セレーネとの契約を交わした。ジークの容体が回復したことで、アーツ量産に向けての膳立ても、凡そ整った。高まる未来への期待に胸を躍らせながら、ジークはリザと共に、ラトモス山を後にした。




