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更に一ヶ月ほどが過ぎた。エリザベスがジークを訪れることはなくなっていた。とはいえ、婚約が解消された、などというわけではない。いずれ彼女とは、再び顔を合わせなければならないのだ。それも相まって、ジークは変わらずに憂鬱な日々を送っていた。或る日の昼過ぎのことである。
「ジーク! ジーク!」
机に突っ伏して、昼食後の程良い満腹感にうとうととしていたジークは、自室の扉を強く叩く音と、野太いその声に目を覚ました。声の主はドボロだ。ジークは扉まで歩きながら、まだ寝ぼけたままの声で、「どうしたんだよ?」と尋ねた。
「リリーシアが退院しただ!」
ドボロの言葉に、ジークははっきりと意識が回復するのを感じた。ああ、ついにこの日が来てしまったのだ、と。
一件以来、ずっと弟とドボロを、そして父を、ジークは避け続けてきた。然し、リリーシアが目を覚ましている以上、いずれは退院の時は来る。弟がこの城に戻ってくるのは、ジークにとっては時間の問題だったのだ。そしてその時こそ、本当に自分の居場所はなくなるのだろうと、ジークは思っていた。
扉の前で、ジークはそれを開けるべきか否か、暫し迷った。その扉が地獄の門のようにすら、ジークには思えた。扉を開けば今度こそ、自分には本当に、何も残らないのかも知れない。然しそれは、父の反対を押し切って旅に出、安全性の確認を取らないままドボロを完成させた、紛れもない自分の責任だ。これ以上逃げ続けることは、目を背け続けることは出来ない。ジークは心を決めて、重い扉を開けた。
「兄さん、何て顔してんだよ」
ゲッソリと痩せ細り、真っ白な顔をしていたジークに、リリーシアはそう言って笑った。斯く言うリリーシアの顔は、火傷に右半分を赤く変色させたままだったので、お前が言うのか、とジークは思ったが、口にはしなかった。ジークの部屋に入って、三人はこれまでのことと、これからのことを話し合った。話が終わる頃には、ジークは時折、以前のような笑顔を取り戻すことが出来るようになっていた。
リリーシアはそもそも、ジークに対する怒りや憎しみなど、初めから持ってはいなかった。それどころかリリーシアは、責任を感じて塞ぎ込んでいたジークに対し、ドボロと〝共鳴〟して戦うことが気に入った、とまで言ってくれた。寧ろリリーシアはこの二ヶ月間、ジークがフォルス暴発についての対策を練っていなかった、ということに対して驚き、そちらのほうを咎めた。
「勘弁してくれよ。退院したらまたドボロと〝共鳴〟が出来ると思って、楽しみにしてたんだぜ? そうだ兄さん、今から始めようよ。思い立ったが吉日、善は急げだ!」
そして、ジークの研究活動は再開された。間の抜けた弟と、更に間の抜けたドボロと共に。初め、ジークは出来る限り分かりやすいよう、基礎の基礎から二人に解説したが、それでも勿論、リリーシアとドボロは殆ど使い物にはならなかった。今後造っていくアーツに搭載可能且つ、既に完成しているドボロに後付け出来るようなものを造らなければならなかったので、研究は困難を極めた。然し、初めて誰かと共にする研究に、ジークは胸の高鳴りを感じずにはいられなかった。あらゆる可能性を試行しながら、あっという間に毎日が過ぎていった。ジークたちは一週間に一度、研究の進捗と今後の課題、その週で達成出来たことなどをまとめ、国王に提出するように命じられたので、それに従った。開始から二週間と数日が経った或る日、その人物は訪ねてきた。
「お話は母君から聞いています。私にも、手伝わせて頂けるかしら」
彼女の顔を見た時、ジークは自分の目を疑った。それは単純に、自分に怒鳴り散らされて自分の前を去って行った人間が、再びここに現れたから、というだけの理由ではない。彼女の――エリザベスの表情は、以前に比べて幾らもはっきりとしていたし、その喋り方からも、ジークが抱いていた自信なさげな印象は消えてなくなっていた。目に見えて、彼女は変わっていたのだ。
「ジーク様に叱られて、反省しましたの」と、エリザベスは言った。「この一ヶ月余り、フォルスや精霊学についてみっちりと学んできました。ジーク様の研究の内容も、今なら或る程度理解出来るし、申し訳ないことをしたということも、はっきりと分かりました。本当にごめんなさい」
エリザベスの謝罪に、ジークは頭を下げ返した。
「こちらこそ、苛立ちに身を任せて大人げないことを言ってしまって、すまなかった。……協力、してもらえるだろうか?」
「勿論です」、とエリザベスは満足そうに笑った。リリーシアとドボロに、ジークはエリザベスを紹介した。それからジークはエリザベスに、敬語と敬称はやめるようにと頼んだ。戸惑いながらも、エリザベスはそれを受け入れた。こうして、ジークとエリザベス、リリーシアとドボロの四人による、アーツの開発研究は始まった。恋人と弟、そしてその相棒と共に踏み出す新しいスタートに、ジークは再び、アーツの持つ無限の可能性を感じ、心を躍らせていた。




