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一件があってから、ジークと国王の間にあった溝は更に深さを増していた。リリーシアは翌日には目を覚ましたらしいが、ジークは見舞いに行くことが出来なかった。弟にすら軽蔑されるのではないか、という危惧が、心の何処かにあったからだ。リリーシアにまで拒絶されてしまえば、最早自分には、この世界の何処にも居場所はないとすら、ジークには思えていた。ジークは落ち込み切っていた。食事の殆どは喉を通らず、ジークはみるみるうちに痩せ細った。あれほどまでに熱心に取り組んでいた、アーツの開発研究に対する意欲をも失くしてしまい、弟と研究を失えば、自分には何も残らないのだと、ジークは思い知らされていた。そんな折のことである。
「ジーク、入るわよ」
自室の椅子にかけ、ぼうっとしたまま、ルーチン的にノートに計算を殴り書きしていたジークの下に、母である王妃が、一人の娘を連れてやって来た。
「あなたの従妹のエリザベスよ。小さい頃に一度会っただけだから、覚えていないかも知れないけれど……」
腰まで伸ばされた――美しいウェーブを描く――金髪を持ったその娘は、ツヤツヤとした素材の、紺碧のワンピースをその身に纏っていた。銀の淵の眼鏡の奥には、くりっとした蒼い瞳が見える。ジークは彼女のことを覚えていた。幼い頃、自分かリリーシアの誕生日か何か、祝いの席で初めて顔を合わせ、同じように母に紹介されたのだ、ということも。自分の一つ年下で、叔母の娘だった筈であると、ジークは何となく思い出していた。
「覚えています、母上」
半分眠ったままの頭で、ジークは答えた。母の斜め後ろで、エリザベスは照れ臭そうに、そして何処か自信なさげに、建前的な笑顔を浮かべている。それが何を意味するのか、そもそも意味を持っているのかどうかすら、この時のジークには理解出来なかった。
「エリザベスは、あなたの許嫁なの。将来、あなたの伴侶となる人なのよ」
俯いたまま、頬を赤く染めながら、「エリザベスです。ジーク様、よろしくお願いします」と彼女は言った。高く、可愛らしい声である筈だったが、ジークの頭はそのことを、あくまでも情報として認識するのみで、エリザベスに対する特別な感情というものは、一切湧いてこなかった。
そもそもジークは、傷心の中にあることを除いても、これまでの人生に於いて、常に研究と勉学に重きを置いてきた為、恋愛には無頓着であった。この時も同様に、ジークはエリザベスに、延いては女性と関係を持つこと自体に、全くと言っていいほど興味がなかった。が、そんなジークの思いとは裏腹に、二人の交際は始まった。
本来であれば、凡そ半年後、ジークが十八歳になってから二人を会わせる予定だったところを、憔悴しきったジークを見かねた王妃の提案により、その時期を早めることになったということは、ジークには後になって聞かされた話である。
ジークによるアーツとフォルスの研究に、エリザベスは強く興味を持ち、それをただ一人の手で為しえたというジークに、心底惚れ込んでいた。一方のジークは、というと、兎角この時は一人になりたい一心であったし、元よりジークにとっては、知識を持たない人間に評価されることなど侮蔑のようにしか感じられなかったので、エリザベスの褒め言葉は、ジークにはただただ鬱陶しいだけであった。が、母の気遣いにも何となく気が付いていたジークは、特に文句を言うことはしなかった。エリザベスは週に数度、――ドボロの製作にあたって城の地下に増設されていた――ジークの部屋兼研究施設を訪れては、ジークの話を聞いて、頻りに感心していた。
「ジーク様は本当に頭が良いのですね。私には思い付かないようなことばかりです」
然し、ジークが自分に対して無関心であることは、エリザベスも常々感じていた。自分から話を振らなければ会話は続かないし、ジークの答えはいつも説明的で、ぶっきらぼうだった。それこそジークと同様に、恋愛経験など皆無だったエリザベスは、ジークの無機質な返答に、度々心を痛めていた。どうすればジークに心を開いてもらえるのか、エリザベスには分からなかった。
初めて顔を合わせてから一ヶ月が過ぎた頃の或る日、エリザベスはふと気になって、ジークにとって決して他人には触れられたくなかったことを、何の気もなしに尋ねてしまった。
「ドボロ以降の新しいアーツは、今は造っていないのですか?」
その言葉に、ジークの脳裏には、積もらせていたエリザベスへの不満と、思い出したくもない弟の姿が、稲妻のように閃いた。必死で繋ぎ止めていた何かがプッツリと弾けるのを、ジークは感じた。勢いよく椅子から立ち上がりながら机を拳で叩くと、ジークは捲し立てるように怒鳴った。
「君はいつもそうだ! 何も知らない癖に、どうして僕の研究がすごいなどと言える!? 知識のある大人が見れば、何でもないものかも知れないじゃないか! 私には思い付かないようなことばかり? だったら何故、君は自分で学ぼうとしない? 何も知らない君に、僕の何が分かるって言うんだ!!」
言い終えてから我に返ったジークは、後悔の念に駆られた。然し、謝ることはしたくなかった。その言葉は紛れもない、ジークの本心でもあったからだ。初めて目にするジークの激昂に、エリザベスは動揺し、言葉を失っていた。蒼い瞳には涙を滲ませている。数秒の後、エリザベスは「ごめんなさい」とだけ言って、部屋を出て行った。無論のことながら、言いたいことを言ったからと言って、ジークの気が晴れることはなかった。寧ろその逆に、ジークは自分の不甲斐無さを、より一層、思い知らされるだけだった。




