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ドボロの誕生から凡そ一年後、事件は起こった。
ジークは現場に居合わせたわけではなかったので、その内容は全て、後になって父やリリーシアの口から、伝え聞かされて知ることとなった。
王都ネーデルラントから遥か東、アンモス大陸の中央から南寄りの辺りに栄えた或る都市で、過激派組織によるクーデターが発生した。国王は一個大隊の騎士団を派遣し、これを鎮静化させた。街や市民へのダメージは少なく済んだが、国王は念の為、事態が落ち着いたのを見計らって視察に出向いた。これに、リリーシアも同行した。
この頃になると、王室やその近親の間では、次期国王にはジークフリードではなく、バルドリリーシアのほうが相応しいのでは、という声が上がり始めていた。ジークは地位については興味がなかったので、大人たちによって勝手に繰り広げられるその話を、特に気に留めてはいなかったが、曰く、ジークは身体が弱く病気がちだし、人脈が少ないのに対し、リリーシアは勉強は苦手だが活発で、現国王と同様にカリスマ力がある。そして彼らの言葉で言うところの『極め付け』は、ジークと国王の間に存在する、実体のない溝だ。クアセルス王国の古くからのしきたりで、次期国王の人選は現国王に委ねられる。現国王がどちらを選ぶかは、火を見るよりも明らかだ、と親族が話しているのを、ジークは何となく耳にし、何となく理解していた。自分に気を遣ってか、噂話は常に密かに行われた為、ジークはそれが鬱陶しかった。が、その内容についてはジークも尤もだと思っていたし、仮に自分が国王になり、アーツ研究に当てられる時間が少なくなるのは、ジークは出来ることなら避けたかったので、リリーシアが国王になることは、ジークにとっても寧ろ都合が良かった。国王が視察にリリーシアを同行させたことで、噂話は更に盛り上がった。それを尻目に、ジークは研究に打ち込んだ。ところが――。
「ジーク、ちょっと来なさい」
その日の正午頃、視察からネーデルラントの王城に戻っていた父は、夕刻ジークの部屋を訪れてそう言った。父がこうして自分の部屋を訪れるのなどいつ以来だろう、と思いながら、ジークは父に連れられて城の外に出た。夕闇に赤く照らされる、ネーデルラントの街並みと父の背中に、ジークは古い記憶の中に存在した近しい光景を思い起こし、そこに哀愁を禁じ得なかった。然し、父の案内で辿り着いた王立病院の病室で、ベッドに仰向けに倒れる人物の姿を目にすると共に、その哀愁はジークの頭から、欠片も残さずに消し飛んだ。
ベッドの手前側には、ドボロが立っている。そしてベッドに倒れている少年は、紛れもない自分の弟――リリーシアであった。
「……嘘だろう」
振り返ったドボロは、ジークに気付くなり瞳を潤ませると、震える声で言った。
「ジーク……、オデのせいで……、オデのせいでリリーシアが……」
矢庭に、ジークはベッドに駆け寄った。リリーシアは眠っているようだった。その顔には生気もある。然しリリーシアの身体は、右手の焼け爛れを中心に、ほぼ右半身全体に、広く火傷を負っていた。
弟の惨状を理解すると、ジークの頭と、そして心は、怒りの感情に支配された。沸々と込み上げる憤りに、ジークは両の拳を固く握り締めながら言った。
「父上、一体何が……、誰がリリーシアを!」
勢いに任せて怒鳴りながら振り返り、父の顔を仰ぎ見ると、ジークは驚愕し、錯乱した。父はジークのことを、蔑むような目付きで睨み付けていたのだ。確かに、一件があってからというもの、父から向けられる視線は常に痛かった。然し、今向けられているこの視線は、それとは違う。父の目からは明らかな、憎悪と軽蔑が見て取れた。何が起こったのか、ジークには分からなかった。が、続く父の言葉に、ジークはその意味を、理解せざるを得なくなった。
「リリーシアをこの姿にしたのは、ドボロの力だ。……お前の研究が、この結果を招いたのだよ」
ジークは唖然として、言葉を失った。感情の籠っていない無機質な声色で、国王は事の顛末を語った。
視察は無事に終わったが、王都への帰路で強大な魔物に襲われ、護衛の騎士団はほぼ壊滅した。そこでリリーシアは、自分がドボロと〝共鳴〟をして戦う、と言ったのだそうだ。
精霊術は戦闘にも使用される。そんな精霊を基に造っている以上、アーツ――ドボロの能力もまた、戦闘に使用されることを或る程度想定して、ジークは開発を進めていた。
父は初め、危険だと反対したが、最早他に頼れる術もなかった為、最終的にはリリーシアの戦闘への参加を許してしまった。そして、惨劇は起こった。
リリーシアとドボロは善戦した。初めて目の当たりにするアーツの力に、父は驚いたという。精霊術を使えない筈のリリーシアが、精霊術と同等かそれ以上のフォルスを、ドボロと共に顕現していたからだ。然し、戦闘が中盤に差し掛かると、リリーシアは時折、何もないところで大きくよろめいたり、倒れかけたりするようになった。瀕死の魔物に止めを刺すべく、リリーシアは右の掌底から、強いフォルスを込めた一撃を放った。が、魔物に向かって放たれる筈だったそのフォルスは、リリーシアの右手から放出されることなく、その場で大きく爆裂したという。風船が破裂するが如く、力の大きさに、リリーシアの身体が耐え切れなくなったかのように見えた、と父は言った。リリーシアは大きく仰け反って気を失い、その場に倒れ込んだ。魔物への止めは、ドボロが刺した。不幸中の幸いと言うべきか、王都に戻るまでにリリーシアは意識を取り戻し、今は眠っているだけだが、医師によれば暫くは安静にしている必要があり、体力が回復しても火傷痕は残るかも知れない、とのことだった。
「お前に、この怪我の責任が取れるのか?」
国王の言葉は、胸に突き立てられるようにジークには感じられた。と同時に、ジークの心は深淵のような孤独に見舞われた。まるで、世界に一人ぼっちでいるような。父にとって、息子と呼ぶべき存在は、王子と呼ぶべき存在は、最早この世に、バルドリリーシアただ一人だけなのだと、思い知らされるような。
父に研究を拒絶されることが、これほどまでに鋭利な痛みとなって自分の胸を襲うのだということを、ジークは初めて知った。後の言葉は、もうジークの耳には入ってこなかった。
「お前の研究を野放しにしていた私にも責任はある。但し、今回のようなことがあった以上、今後お前の研究には監視を付けさせてもらう。何らかの対策が取れるまでは、ドボロがリリーシアにフォルスを貸し与える行為も禁止する。勿論、今後も研究を続けるのであれば、アーツは〝安全であること〟を、最優先事項とするように。……分かったな」
「はい」と力のない声で、ジークは返した。国王は静かに、病室を出て行った。
言いようのない悔しさと、悲しさと、遣る瀬の無さに、ジークはベッドの前で崩れ落ちるように両膝を付き、静かに泣いた。
ジークにとって十七歳の、リリーシアにとって十四歳の、夏の出来事であった。




