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一年半の月日が、更に流れた。ジークは十四歳に、リリーシアは十一歳になっていた。
あれ以降、ジークの声を代弁したリリーシアの度重なる抗議により、ジークの外出に関する規制は、或る程度緩和されていた。外出に際して父の許可は必要なくなったし、護衛は二人に減り、医師が同行することもなくなった。リリーシアから、人目を避けて城から街に出る抜け道を教えてもらったジークはそれ以来、時折その抜け道を利用し、護衛を付けずに外出することも覚えた。勿論、リリーシアとは違い、素直で従順だったジークはその都度、良心の呵責に苛まれた。
ジークはリリーシアに宣言した通り、精霊に代わって人とフォルスを仲介する『何か』を開発する為の研究を進めていたが、これは酷く難航した。幾ら神童だ、天才だと言われても、やはり自分は十四歳の子供に過ぎないのだということを、ジークは痛感していた。誰かの為した研究結果を上からなぞるのと、誰も立ち入ったことのない領域に足を踏み入れるのとでは、わけが違うのだ、と。
ジークは具合の良い時には、学校で行われる授業にも顔を出すことが叶うようになった。然し、家庭教師による授業で、学校のものよりも幾らも進んだ範囲を既に学んでいたジークにとっては、学校の授業はおさらい程度にしかならなかったことは、言うまでもない。必要のない学校の授業に顔を出しては、知った顔で教師と小難しい話を交わすジークは、他の生徒からの反感を買い、結果、クラスでは孤立した存在となってしまっていた。が、そんなジークにも向こうから歩み寄ってくる人間が、一人だけ居た。
「面倒なもんなんだな。次期国王ってのも」
王国騎士団長の息子・ヴェイグは、貴族学校の食堂の片隅の机で、昼食のサンドウィッチを齧りながらそう言った。オールバックにしたショートヘアの白髪と、赤茶の瞳を、彼は有していた。ジークにも同年齢とは思い難いほどの高身長に、がっしりとした体格、そして厳つい顔付きから、彼もまた、クラスの皆からは近寄りがたい存在として認識され、孤立していた。共通の孤独を抱える二人は、すぐに意気投合した。
水分のないパンを口に含みながら、ジークは鬱陶しそうに、表情を顰めて答える。「面倒なんてものじゃないよ。今はマシになったほうさ」
「うちの親父も、俺には騎士になれって五月蝿いけど、そこまでじゃないぜ」
「そうだろ。心底羨ましいよ」
十四歳ともなると、先に述べた理由をなしにしても、ジークは王子という立場から、他の生徒からは敬遠された。人目に敏感だったジークは、それを苦痛と感じないではなかった。クラスメイトに敬語を使われる度、ジークは不可解な感覚と共に、言いようのない寂しさに襲われた。が、自由奔放な性格の持ち主であったヴェイグだけは、身分や立場の一切を気にせずに、ジークの懐にズカズカと入り込んできてくれた。ジークはそれが心地好くて、ヴェイグと共に行動をすることが多くなった。今まではリリーシアにしか話さなかったような家族への不満や、自身のしている研究の内容やその進捗を、ジークはヴェイグになら、自然と話すことが出来るようになっていた。無意識のうちに二人はお互いを、親友として認識するようになっていった。
「でも、ヴェイグなら良い騎士になれると思うよ。堂々としているし、体格も良い」
「ジークだって、きっと立派な王になるぜ。国や人を思う気持ちも、それをどう行動に移すかを考える力も、お前には備わってるんだからよ」
ヴェイグとの親交が深まると、ジークは徐々に学校に通うのが楽しくなった。そしてその傍らで、精霊に代わる何かの研究を、少しずつ進めていた。十五歳を迎え、中等部三学年に進級したジークは、日々の研究と計算、そして幾度もの試行の結果、或る二つの結論に達していた。
当初ジークは、ブレスレットのような装飾品にフォルスを定着させ、それを媒介としてアシリアに宿るフォルスに干渉することを思い描いていたが、結論から言ってこれは不可能だった。無生物である装飾品の類はフォルスを通しにくく、媒介として使用するには非常に不安定だったからだ。これを打開する為に、ジークは多少の利便性を諦め、媒介を生き物とすることに決めた。然し計算上は、精霊のように身体の殆どがフォルスで構成されるフォルス体でもなければ、フォルスの流れに干渉することは難しい。そしてそんな生き物は、精霊を除いてこの世界には存在しない。一つ目の結論としてジークが辿り着いたのは、フォルス体であり、尚且つ人語を解する生命体を、人工的に造り出さねばならない、ということであった。言葉が通じなければ、使役に精霊言語を必要とする精霊と、機能性として何ら変わりなくなってしまうからである。
また、微量のフォルスしか持たない人間の力のみで、これを造り出すことは出来ないと、ジークは研究を開始してすぐに悟っていた。この〝名もなき生命体〟の生成には、大量のフォルスが必要になってくる。ジークはその為に、何頭もの精霊と契約をして、その力を借りる覚悟は決めていた。然し、徐々にその完成形が見えてくると、これを造り出すには、ジークが予期していたよりも遥かに多くのフォルスが必要になってくることが明らかになった。そしてその規模は、いよいよ中・小精霊が幾ら集まっても難しいレベルのものになってしまった。ここでジークは、もう一つの結論に辿り着く。
(――大精霊クラスの力がなければ、これを完成させることは出来ない)
この頃精霊学者たちの間では、大精霊と契約を結ぶことは不可能である、というのが通説になっていた。大精霊にはフォルスの流れの秩序を守るという、特別な役割があったからだ。勿論、ジークもそのことは知っていた。然しジークには、自分になら大精霊と契約を結ぶことが出来るという、確固たる自信があった。大精霊との契約に向けて、ジークは入念な準備を開始した。
古の時代からの目撃情報を元に、ジークは大精霊の棲み処を割り出し、念の為、精霊言語も一から学び直した。道中の魔物との戦闘に備えて、ジークはヴェイグによる凡そ二ヶ月間の指導の下、――杖の先端に鋭利な刃の付いた――杖剣と呼ばれる武器の扱いを身に着けた。この頃にはジークの体調はかなり安定してきており、修行の成果もあってか、ジークの身体は以前よりも、かなりガッチリとしてきていた。ヴェイグと共に、アンモス大陸の東の山脈へと、ジークは旅立つつもりでいた。然し二人の旅立ちは、国王であるジークの父によって、遮られる形となった。
「ダメだ」
両親の言うことに普段は従順なジークも、これには流石に反発した。自分が進めている研究について、初めて父に明かし、これは今後の研究に必要なことなのだと、ジークは力説した。そしてこの研究は、必ずクアセルスやこの世界を、大きな繁栄に導くことが出来るのだ、と。生まれて初めて、ジークは父に口答えしたし、怒鳴りもした。父は初めて目の当たりにする、息子の怒る姿に、初めは少しだけ怯んだように見えたが、やはり「ダメだ」の一点張りで、譲る気配すら見せなかった。
「自分の身体の弱さを忘れたのか。危険すぎる」
「然し、父上――」
「然しではない。ダメだ」
「――……ッ!!」
怒りに身を任せて、ジークは城を飛び出した。城の外で待たせていたヴェイグの手を引いて王都の外まで走ると、ジークは息を切らしながらも、ヴェイグに「行こう」とだけ告げ、その勢いのまま、王都ネーデルラントから東の方角へ向けて旅立った。ヴェイグは初め戸惑ったが、状況を察し、最早自分にジークを止めることは出来ないと悟ると、諦めてジークの背中を追うことにした。用意していた荷物の殆どを、城の自室に置いていく形となってしまったが、ジークはそれをも厭わなかった。然しそんな強気は、勿論長続きはしなかった。後悔の念に苛まれ、父の激怒する様を夢に見ながらも、凡そ二ヶ月の期間を要して、ジークとヴェイグは、亡きニルバニア博士の故郷であり、古くからの精霊信仰の文化が残る、精霊の里・ニルバニアへと辿り着いた。深い山間に形成されたニルバニアの住人たちの、土色の肌とプリミティブな革製の民族衣装に、ジークは教科書や学術書で幾度となく目にした、ニルバニア博士の肖像画を思い出した。
「ノームはいつでもいるわけではない。会えるかどうかは分からぬぞ」
里の者の案内で、ジークたちはニルバニアから更に山を登った先に存在する、土の大精霊・ノームが祀られている神殿のある、巨大な岩窟へと赴いた。里の者によれば、ノームは人々の祈りに応え、時折この神殿に姿を現すのだという。石で出来た舞台の前に辿り着いた時、ジークはそこに、凄まじい物量のフォルスを、確かに感じ取った。これはジークの精霊術士としてのレベルが高く、フォルスへの感応度が高いことに由来していた為、ヴェイグや里の者たちに関して言えば、特に何かを感じるということはなかった。
「土の大精霊・ノームよ。我の声に耳を傾けたまえ。我は精霊術士ジークフリード。ノームが我と契約を結び、その力を我に貸し与えることを望む者」
ジークは精霊言語を以て、そこに存在する、大いなる力の持ち主に語りかけた。その呼びかけに対し、〝彼〟が初め、戸惑いの様子を見せたように、ジークには感じられた。そしてそれはノーム本人から言わせれば、紛れもない事実であった。それは普段、里の者たちから捧げられる祈りの言葉と形式が異なっていたから、というだけの話ではない。
ジークが持つ、ただならぬ〝何か〟の気配のようなものを、ノームは感じ取っていたのだ。
名誉欲しさや遊び心で、ここを訪れて契約の言葉を口にする精霊術士は、ノームは今までに幾らも見てきた。然し、彼らが少なからず持っている野望じみた感情を、ノームはジークの中からは一切感じなかった。その代わりに、ジークが内包している、或いはジークの背後に聳えている何かは、全く違う種類の危険性を孕んでいるように、ノームには感じられた。それは野望や遊び心とはかけ離れたところにある、純粋さそのものなのかも知れない、とノームは思った。それは何処までも深く、美しい闇のように、ノームの心を魅了した。ジークに付いていくことが、精霊として自然の摂理に従うことのようにすら、ノームは感じた。
暫しの沈黙の後、小さな光球として姿を現したノームは、眩い光と高音を放ちながら、山吹色に輝く巨大な鹿の姿となって、ジークの前に立ちはだかった。
(如何にも、我は土の大精霊・ノーム。そなたが我と契約を結ぼうとする、理由を聞きたい)
ノームの問いに対し、現在自身が進めている研究の内容と、それを成し遂げる為に大精霊の力が必要なのだということを、ジークは淡々と説明した。ジークの話を聞き終えると、ノームは暫しの黙考の後で、それを受け入れた。こうしてジークは、人類史上初めて、大精霊と契約を結ぶという偉業を成し遂げることとなった。この栄誉は学者たちだけではなく、国内外を問わず世界中の人々から称賛されたが、ジークは勿論、そんなものには興味はなかった。ジークにとってノームとの契約は、あくまでも通過点でしかなかったからだ。
いよいよこれで、フォルスを操る人工生命体の開発に着手出来る。そしてそれが人々の手に行き渡れば、人類は未曽有の繁栄を迎えることになる筈だ。輝きに満ちた未来のビジョンが、ジークの頭の中にははっきりと思い描かれていた。




