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ネーデルラントの貴族学校では、中等部に上がると精霊学の授業がカリキュラムに組み込まれる。家庭教師による授業を受ける中で、ジークはこの精霊学という学問に、著しくのめり込んだ。
精霊学とは、読んで字の如く精霊に関する学問である。精霊とはアシリア形成の頃よりこの星に存在する、超原始的な生命体だ。その身体のほぼ全てがフォルスで構成されているフォルス体であり、自然に存在するフォルスと直接干渉することが出来る、唯一の生き物でもある。
惑星アシリア自身を含め、このアシリア上の全ての生命は、その身に元素たるフォルスを、生まれながらに宿している。フォルスには属性があり、これらはそれぞれ、火、水、土、風の四つに分けられる。生命に宿るフォルスは、基本的にそのうちのどれか一種類のみであり、これは精霊にも共通して言えることである。
それぞれの属性のフォルスには、最も強い力を持つ大精霊が一体ずつ存在し、それぞれ火のサラマンダー、水のウンディーネ、土のノーム、風のシルフと呼ばれ、これら四体を合わせて四大精霊とも呼ばれる。四大精霊は精霊の祖とも言われており、超原始的な生命体である精霊の中でも、最も古くから存在したものとされている。そして大精霊には、それ以下の中・小精霊とは全く異なる、特別な役割が存在した。
「アシリアに宿るフォルスは、常に流動して、その流れを保ってるんだ。アシリアはフォルスを生み出し、精霊は星の上に生まれる命に、それを分け与える」
或る晴れた日、王城の中庭で、ジークは暇を持て余すリリーシアに、精霊学について自慢げに語っていた。理解の追い付かないジークの話に、リリーシアは退屈していたが、ジークがこうして自慢げになれるのは、弟である自分の前だけだと分かっていたので、それが嬉しくて我慢していた。
「でもフォルスの流れっていうのは、勝手に動いているわけじゃないんだ。誰かがそれが流れるように、促してやらなきゃいけない。これが出来るのは、大精霊だけなんだよ」
精霊は普段、人や他の生き物の目には映らない。精霊の側から、そういう風になるようにフォルスを放出しているからだ。然し、精霊とて常にフォルスを放出し続けられるわけではない。長い歴史の中で、人は或る時、精霊の姿を垣間見ることが叶い、その存在を認知し始めた。初め、精霊は幻や想像の産物として人々の間に知れ渡り、見つけると幸せになれる、死期が近い者の目にのみ映る、などの噂も、実しやかに囁かれた。が、各地での目撃情報が増加するに連れ、次第に精霊の存在は、オカルトから現実のものへと昇華し、それを研究し始める者も現れた。これが、精霊学の興りである。
精霊研究の中で、人々は精霊たちが持つ不思議な力の存在に行き付き、これをフォルスと名付けた。どうにかして精霊と意思を通わせ、この力を借りることは出来まいかと、研究者たちは考えた。精霊たちのコミュニケーションを観察していると、彼らが意思疎通をする時に、言語のようなものを使用していることが判明した。然しこれは、人の耳で聞き取ることの出来ない特殊な言語だった。会話の波長サンプルを幾度となく回収し、研究を重ねるうちに、その言葉は人間から見ると〝精神的に深い位置〟で交わされているのだということに、研究者たちは気が付いた。彼らはこれを精霊言語と名付け、この研究を更に突き詰めた。結果、才ある者が修業を積めば、これを体得することが出来るという結論に、人々は行き着いた。
「そして凡そ三百年前、人類史上初めて、風の小精霊と言葉を交わして、そのフォルスを操った人物が現れた。彼の有名な精霊術士・ニルバニア博士だ」
「その名前は聞いたことある!」
漸く自分の知っている単語が出てくると、リリーシアは嬉しそうにそう言って、ジークに笑いかけた。
ニルバニア博士は、精霊と対話し、フォルスを借り受ける一連の流れを、契約と呼称した。同時に博士は、契約は自身の身に宿るフォルスの属性と共通の属性の精霊とのみ交わすことが出来る、という研究結果を発表する。精霊言語を理解し、精霊と契約を結び使役する技術を、博士は精霊術と名付け、これを扱うことの出来る者は、後に精霊術士と呼ばれるようになった。これは精霊学に於いて大きな躍進となり、これまで手探りの状態で行われていた精霊言語の修業は、徐々にその方法がセオリー化されていった。そして精霊学は、一つの転機を迎える。
「それまでは精霊学として一つの学問だったものが、精霊術の発展に伴って二つに分類されることになった。何と何だか分かるか?」
「逆に聞くけど、俺に分かると思う?」
ニヒルな笑みを浮かべてそう尋ね返すリリーシアに、ジークは「フ」と鼻で笑ってから答える。「愚問だったな」
この時代の精霊学には、二種類の学問が存在した。これが『基礎精霊学』と『精霊術学』であり、一般に、『精霊学』という呼び名を使用する場合、それは基礎精霊学のみを指しているか、その両者を同時に指している。
基礎精霊学は、元来の精霊学の流れをそのまま受け継いだ学問であり、精霊の生態や役割、歴史や種類、また人類や自然界との関わりをメインテーマとした学問だ。一方で精霊術学は、その名の通り精霊術に特化した学問であり、精霊言語の理解と習得、精霊との契約の方法、そして実際に精霊を使役する際のフォルスの扱いなどを主題として取り扱う。精霊術士を目指すのであれば、どちらも避けては通れない学問になってくる。
貴族学校の中等部では、これら二つの学問を総合して精霊学として、広く浅く学ぶ形のカリキュラムとなっている。それぞれの学問に関して更に知識を掘り下げたい場合、本来であれば高等部以降に存在するそれぞれの授業を選択し、それらを学ぶ形になる。が、十二歳のジークには、高等部に上がるまでの三年間を、大人しく待ち切ることは出来なかった。
「見ていろよ、リリーシア」
父と母、そして家庭教師に頼み込み、ジークは高等部で精霊術学を教えている教師を城に招いて、それを教えてもらっていた。大人でも理解が難しく、多くの精霊術士志望が挫折する精霊言語の習得をも、ジークは記録史上最年少でやってのけ、神童の称号を欲しい儘にしていた。そして――。
「地霊、招来」
右手の平を前に差し出して、ジークがそう言うと、柔らかな輝きを放つ山吹色の小さな球体が、何処からともなく飛来した。球体はジークの周りを数度、舞い遊ぶように旋回してから、差し出されたジークの右手の中に、吸い込まれるように消えた。と、ジークの真紅の瞳は、球体と同じ山吹色に変化し、光を放ち始める。
「……す、すげえよ兄さん……! 俺、精霊を操る人って、教科書以外で初めて見た……!」
驚きに、激しく目を見張るリリーシアに、ジークは満足げな表情を浮かべると言った。「まだ父上たちには言ってないんだ。絶対に秘密だからな」
「どっ、どうして!? こんなにすごいのに!」
表情を歪ませるリリーシアに、ジークは口元に人差し指を突き立てると、苦い表情になって答えた。
「僕の身体、少しずつ普通の子と変わらないようになってきてるのに、あの人たちはずっと心配してるからさ。気を遣われると面倒だし」
親として、一度は病魔に殺されかけた息子の身を、父と母が案じるのは当然のこととは分かっていても、十三歳になったジークには、それが徐々に鬱陶しく感じられるようになっていた。事実、ジークは父の許可がなければ外出することすら叶わなかったし、外出には必ず、四人の護衛騎士と一人の医師が付いた。王族であるがゆえ、という理由もあった為、謙虚で控え目だったジークはそれに関して文句を言うことはなかったが、年頃からの両親への反抗心も手伝って、ジークの心の拠り所は、勉学と、弟であるリリーシアのみになっていった。
「それよりリリーシア、これを見てくれよ」
ジークはその場にしゃがみ込むと、中庭の土に手を着いて、そこにフォルスを集中させた。と、ジークの目の前の地面はゆっくりと隆起し、そこに表面が美しく削られた、立方体の岩を出現させた。中腰になってそれに見入っていたリリーシアは、目の前で突如として繰り広げられた、手品のようなその光景に、再び目を見張って言葉を失った。
立ち上がり、たった今出現させた岩を右手で指し示すと、ジークは語った。
「今の僕の力ではこのくらいが精一杯だけど、修練を積めばもっと大きなものを作り出すことも出来るようになる筈だ。この力は、建築や道路整備にも応用が利く。今までは殆ど戦争の道具としてしか使われてこなかったけど、精霊とフォルスの力には、もっと色々な可能性がある。僕はこの力で、このクアセルス王国を、いや、世界中の人々の暮らしを、もっともっと豊かなものにしていきたいと思ってる」
岩に向けていた手を下ろすと、視線を宙に移して、ジークは続けた。
「多くの人がこの力を使えるようになれば、それはきっと難しいことじゃなくなる。でもそれを実現する為には、精霊術は習得が非常に困難だし、敷居が高すぎるんだ。遠くない未来、フォルスは人々のステータスになる。精霊術を使えない人でも、精霊術士と同じようにフォルスを扱えるようになるべきだと、僕は考えてる。その為には、精霊術に代わって、フォルスと人々を仲介する何かが、必ず必要になってくる」
一拍を置くと、ジークはリリーシアの瞳を見つめて言った。「――僕はそれを造りたい」
日頃、一緒になって冗談を言い合う兄とはかけ離れたその言葉や眼差しに、リリーシアはジークに何かが憑りついてしまったのではないか、とすら思った。が、それと同時に、弟として兄の夢を応援したいという気持ちと、王の息子として、自分も兄のように、国や民への想いを培っていかなければならないという気持ちが、一斉に沸き起こってくるのを、リリーシアは感じた。
真っ直ぐにジークの瞳を見つめ返すと、リリーシアは強く頷いた。
「……――うん」
ジークを初めて『神童』だと言ったのは、他でもない、ジークに精霊術を教えた、高等部の教員だった。然しその決定打となったのは、ジークが十二歳にして精霊言語を習得したこととも、実際に精霊と契約を結び、それを使役したこととも違っていた。
人体に宿っている微量のフォルスを検出し、その属性を割り出す技術は、この時既に開発されていた。ジークが行く行くは精霊術士を志すであろうことを推知したこの教員は、最初の授業の日の帰り際、ジークの髪の毛を一本抜き取り、専用の装置を使ってその身に宿るフォルスの属性を検査した。そしてその結果に、驚愕の表情を浮かべるや否や、そこに国王と王妃を呼び出して、二人にこう告げた。
「ご子息は神に選ばれておいでです。落ち着いてお聞きください。ジーク様のお身体には、四つの属性、全てのフォルスが宿っている。二種類の属性のフォルスをその身に宿すケースは極稀に存在しますが、一万人に一人、いるかいないかだと言われています。四属性の全てを宿すなどと、前代未聞です。間違いありません。ご子息は、神童です」
ジークとリリーシアの間には、柔らかな風が吹き渡っていた。




