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巨人と少年  作者: 暫定とは
四章『解放』
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 パラム大陸を発ったリリたちは、一週間と五日を費やして、アンモス大陸・造船の街ヴェッセルへと帰ってきた。

 船大工の頭領グリントと、そのアーツ・バトーに迎えられ、再会の喜びを噛み締めていた矢先、役場の職員が慌てた様子で港までやってきて、リリたちに国王からの速達を手渡した。至急、アルバティクスに戻ってほしいとの内容だった。

 一週間強を経て、帝都アルバティクスに辿り着いたリリたちを、ライラットは険しい面持ちで迎えた。

「トリュンマ大空洞(だいくうどう)に派遣した騎士団の偵察部隊から、大空洞への人の出入りが、日に日に頻度を増しているとの通達があった。どうやら先方は、間もなく動き出すらしい」

 リリは息を飲んで、次の言葉を待った。いよいよ、この時が来たのだ。その為に自分たちは、十分な力を付けてきた。

「トリュンマ大空洞へ向かってほしい。そして()のジークフリードを、打ち倒してくれ」

 すぐにでも出発するべきか、リリたちは相談した上で、この日は一晩、アルバティクスで休養を取ることにした。長い船旅の末、見事四大精霊の全てを引き連れて帝都に戻ってきたリリたちに、ライラットはすぐにでも出発するように、とは言わなかった。寧ろ、ライラットの言葉はその逆であった。

「こんなことを頼めるのはそなたらしかいないので、私もそなたらを頼らざるを得ない。然し分かっている通り、これは単純に、王の遣いというだけの話ではない。そなたらが(おもむ)くのは、命を懸けた戦の場だ。王の頼みだから聞かねばならぬ、などとは思わないで欲しい。一人の人間として、私はそなたらに依頼する。受託(じゅたく)するかどうか、一人の人間として、そなたら一人一人が、それぞれ考えて決めて欲しい。そなたらがこの件を辞退しようが、私はそなたらを責めぬ。明日の朝、怖気(おじけ)づいて逃げ出そうが、私はそなたらを追わぬ。いや、そなたらを責め、追い立てる権利を持つ者など、世界に一人としていない。……勇者たちよ。委ねることしか出来ない私を、許してくれ」

 勿論、リリの答えは決まっていた。ノームと交わした誓いもある。不安がないと言えばそれは嘘になるが、迷いや恐れというものは、リリの中にはなかった。そしてそれは、共に旅をしてきた仲間たちも同じだろう、とリリは思っていた。が、来たる決戦に向けて、憂慮(ゆうりょ)を隠し切れない人物は、一人だけいた。その晩の夕食後、彼女はそれを振り払うべく、小高い丘の上に作られた宿屋のベランダで、夜の風に吹かれるリリを訪れた。

「……リリ。……ちょっとだけ、いい?」

 夜空を埋め尽くすほどの星空を仰ぎ見ていたリリは、その声に振り返った。いつもなら左隣に立っている筈の土の巨人は、この時珍しく不在であった。紺瑠璃の髪をシニヨンに纏めたリリの幼馴染は、その顔一杯に不安を浮かべて、心細そうだった。鈍感なリリも、流石に彼女の表情の変化に気が付いて、心配そうに尋ね返した。

「ルチカ、……どうしたの?」

 ゆっくりとした足取りでリリに歩み寄ると、ルチカはその隣に並んで、先ほどまでリリがしていたのと同じように星空を見上げると、静かに語り出した。

「あのね――」


 同刻、アルバティクス繁華街の、とある路地。

 ドボロとヘルズを連れたバーンズは、最後となるであろう旅路に向けて、食材や消耗品の買い出しを行っていた。全ての買い物を済ませ、商店街から宿屋への道を戻る三人の腕には、大きな紙袋が幾つも抱えられている。二十時を前にした――菖蒲色(あやめいろ)と白を基調とした――アルバティクスの美しい街並みは、街灯に照らされて、一層幻想的な雰囲気を(かも)()していた。

「何もこんな時に、新しいフライパンまで買う必要があるのかよ、バーンズ」

 右腕に抱えた袋の一つを覗き込みながら、ヘルズは文句ありげに、然し何処か嬉しそうにそう言った。

 「こんな時だからこそだよ」、とバーンズ。「フライパンはボロボロになってきてたから、大きな街に立ち寄れれば買うつもりだったんだ。戦いが終わり、旅が終わるということを念頭に置いて行動をすれば、必ず何かに(つまづ)く。特別なことが起こる時こそ、普段通りの行動を取るべきなんだ。焦らず、慌てずにな」

 ふん、と鼻を鳴らすと、ヘルズはその頬に薄らと笑みを浮かべながら、「そうかよ」とだけ言った。

 ふと、バーンズは思い出したように、後方を歩いていたドボロを、立ち止まることはなく、顔だけで振り返って言った。「そういえば、ずっとドボロに言おうと思ってたことがあったんだ」

「ンだ?」

「お前たちがコントゥリを旅立った時の約束、守っていてくれてありがとうな」

 その言葉にドボロは、リリとルチカと共に、コントゥリの皆に見送られて旅立った時のことを脳裏に思い浮かべた。神妙な面持ちで、『リリとルチカを頼む』と言ったバーンズに対して、ドボロは『命に代えても守る』と答えていたのだった。

 横に長い口を縫い合わせるようにピッタリと閉じて、ドボロはニンマリと微笑んだ。が、その笑みはすぐに消えてしまった。それどころか、ドボロは珍しく、口を(すぼ)め、眉間に皺を寄せて、頗る寂しそうな顔になった。

「どうしたんだ? ドボロ」

 そう尋ねたのはヘルズだった。ドボロはゆっくりと、その口を開いた。

「……オデはリリのこと、守ることは出来てる。でも、父ちゃんとヘルズを見てると、それだけでいいのか分からなくなるだ」

 バーンズが足を止めてドボロを向き直ったので、ヘルズとドボロもそれに合わせて、歩を止めた。俯き加減だったドボロは、その顔を上げると、バーンズとヘルズを見つめて続けた。

「二人が話してる時、二人からは、強い……、絆みたいなものを感じるだ。何も言わなくても、お互いに言いたいことが分かってる、みたいな感じだ。オデは、リリが考えてる難しいことなんて、よく分からない……。こんなんで、リリのパートナーって言えるのか、時々不安になることがあるだ」

 何かを見定めるように、細い目でドボロを見つめていたバーンズは、ふと「でもな」と言った。「ドボロはリリのこと、大好きなんだろ?」

 ドボロは頷き返す。「ンだ」

「リリを見ていれば分かる。リリもドボロのことが大好きなんだってな。絆の形ってのは人それぞれなんだ。俺とヘルズは、もう三十年近くも一緒の時間を過ごしてる。だから何も言わなくても、お互いに何を考えてるか、或る程度なら分かってしまう。でもそれは良いことだけじゃない。……三十年もあれば、喧嘩もする。お互いの悪いところだって見えてくる。嫌いになりかけたことも、使役者をやめてやるって思ったことだってある」

 バーンズの背後から、ヘルズは鋭い目付きでその背中を見つめながら、「ふん」と鼻で笑った。そこにはきっと、色んな意味が含まれているのだろう、とドボロは感じた。

「リリとドボロは、まだ出会って一年も経ってない。だから、お互いに分からないことも沢山あるかも知れない。でもそれは、これから先の長い付き合いの中で、ゆっくりと理解していけばいいんだ。俺からしてみれば、大好きかって聞かれて、素直に大好きだと答えられるお前たちだって、十分羨ましいよ。そう思ってたって、いつかそんなことを、素直に口に出来なくなる時が来る」

 それを聞いて、ドボロは幾分か気が楽になった。沈んでいた表情も、いつものように明るくなった。それから、バーンズは最後に付け加えるように言った。「お互いの考えてることが分かるってことだけが、絆なわけじゃない。それが出来るから、パートナーってわけでもない。リリとドボロが、お互いに大好きだと信じ合えるから、そこに絆が生まれるんだ。お前たちは、(れっき)としたパートナーだよ」


 同刻、バルド教修道院内、シンの自室。

 旅立ち以来、久々にこの部屋を訪れたシンは、テーブルに添えられた椅子に座り、小さなランプに灯りを一つ付けて、部屋に届いていた自分宛ての手紙を読んでいた。その向かいのベッドでは、そこに腰掛けたクーランが、シンが手紙を読み終わるのを待っている。深緑のフードの向こう側で、ランプの光を反射したクーランの両目と(くちばし)は、暗い部屋の中に浮かぶように輝いていた。

 手紙の差出人はフランクだった。手紙の内容を一通り読み終えたシンは、「ふーっ」と長い溜め息を吹き出すなり、手紙を机に置いた。それから、自身の膝に肘をついて両手を結び、考え込むようにして、結んだ両手に額を乗せた。クーランは何も言わずに、シンが喋り出すのを待った。言葉を探すように、数十秒間、眉間を押さえたり、「うーん」と唸ったりしてから、シンは漸く、その重い口を開いた。

「……王立ファンテーヌ学院への、入学申請書類だ。ご丁寧にフランクの推薦付きで、試験はパス出来る」

 変哲のないその言葉に、クーランは逆に驚いた。もっととんでもないものが飛び出してくるものかと思っていたからだ。

「良いじゃないか。今までは殆ど独学だったんだ。一度しっかりとしたところで基礎から学べば、学問の幅も広がるし、今後の道も見えてくるだろう」 

 「今後、か……」と遠い宙を見つめると、シンはこれからの人生に思いを馳せた。

 旅が始まる前、シンは修道院で暮らしながら、ライラットの手足として細かい雑務を手伝ったり、騎士団や家臣を動かすほどのことではない小さな頼まれごとを熟しつつ、時間を見つけては、勉学や内職に励んでいた。それがいつまでも続くものだと、シンは何となく思っていた。自分を拾ってくれたライラットへの、せめてもの恩返しになるなら、と。然し、旅が始まってからの半年余りで、それは大きな変化を遂げていた。アルバティクスから殆ど出たことがなかったシンは、この世界の広さと、ファンテーヌという、研究者にとっての聖地を知ってしまったし、そこに強い憧れを抱くようにもなっていた。が、それはあくまでも、遥かに霞む理想郷(りそうきょう)のように、シンには感じられていた。そんなところへ、この入学申請書類は届いてしまったのだ。都合の良いことに、王立学院への片道切符まで同封して。

 シンは苦悩した。手紙の中でフランクは、シンの才能を眠らせておくのは非常に惜しいとした上で、あらかじめライラットからの許可は取ってある、とまで言っていた。フランクもライラットも、自分の背中を押してくれているのだ。が、シンの中から導き出された答えは、ノーだった。

「やっぱり駄目だ。俺はまだ、陛下に全てを返しきれてはいない」

 その言葉に、クーランは首を傾げた。「シン、お前にとっての全てとは何だ?」

「……分からない。然し、せめて陛下が退役するまでは――」

 煮え切らないシンの言葉は、クーランの再びの問いに遮られた。

「何に怯えることがある? 何を(くすぶ)ってる? シン」

 クーランの声色には、苛立ちすら感じられた。シンは驚きに目を見張りながら、クーランの顔を仰いだ。クーランの眼光は、確かに自分を睨んでいた。

「旅立つ前のお前は、きっと飛べない鳥だった。地を這いながらも研究心に突き動かされて、羽ばたく機会を伺っていた。周りの全てに牙を剥いて、(みじ)めな自分を隠すように強がっていた。然しあの頃のお前には、確かに翼があった。目の前にこんな好機が転がってきたら、きっと陛下のことなど省みずに跳び付いた筈だ」

「……クーラン」

 きつい口調で、クーランは続ける。

「でも今のお前はどうだ? 自分は幽霊じゃなかったと口では言いながら、ずっと何かから逃げるように怯えている。自分の才能に気付くと同時に、世界の広さに怖気づいたのか? そんな複雑な話じゃないよな。自覚はないかも知れないが、俺には分かる。お前の翼をもいだのは、陛下じゃない。世界の広さでもない。ずっと後ろのほうにいると思っていたのに、ものすごいスピードでお前に近付いてきて、しまいにはお前を軽々と追い抜かしていった――」

 その人物の後ろ姿を、シンは容易に想像することが出来た。半年前には視界に映らないほど、遠く後ろにいた筈なのに、今は彼の姿は、遥か前方に霞んで見える。

 彼はいつも真っ直ぐに、前だけを見つめていた。彼は自分を省みずに、周りの人々に手を差し伸べてきた。それを馬鹿馬鹿しいと思っていた筈なのに、いつの間にか自分も、一緒になってそうしていた。彼は葡萄色(えびいろ)のケープを羽織って、駱駝色(らくだいろ)のガウチョパンツを履いている。彼のクリーム色の癖毛は、一房だけが立ち上がって風に揺れている。彼の名前は――。

「リリの幻影さ」

 自覚がないわけがない、とシンは思った。ちっぽけで〝へっぽこ〟だったリリは今や、確かに自分の前に立ちはだかっている。それを超えられない壁として、自分は認識している。その壁の前で羽ばたこうともがくのが、みっともなくて恥ずかしいと思っている。陛下への恩返しを盾にして、無様な姿を見せることを避けようとしている。

「でもそれは幻影でしかないと、本当は気付いている」

 リリは自分が羽ばたくのを邪魔したりはしないと、当然のように知っている。然し見向きもされないんじゃないかと、心の何処かで怯えている。それはきっと、かつてリリを見向きもしなかった、自分自身の弱さなのだ。

「クーラン、俺は……、俺はどうしたらいい?」

 シンの黒い瞳から、一筋の涙が零れた。それが何を意味するのかは、シンには分からなかった。

「今のお前は、リリへの劣等感から勘違いをしてるだけなんだ。他人(ひと)を頼り、他人(ひと)に愛されるリリを、相対的な存在である自分と比較すること自体、本当は間違ってる。リリにはリリの、シンにはシンの良いところがある。昔のお前はそれを知っていた筈だ。そして、一匹狼である自分に誇りを持っていた。仲間たちとの慣れ合いのうちに、お前はそれを失ってしまった。でもお前が元々持っていた、お前の良いところは、本質的には何も失われちゃいないし、何も変わっていない。お前には才能がある。そして今や、仲間を思いやる優しさも持っている。何よりも本当は、お前は一人でも飛び立てるだけの、大きな翼を持っているんだ。それを広げることを恐れているうちは、お前はいつまでもリリの幻影に惑わされる。一生懸命にやって、失敗してもいいんだ。笑われたって笑い返せばいい。それでもどうしようもなく、孤独に打ちひしがれた時には、俺がいる。俺がお前の隣で、お前の味方をする。だから――」

 一拍を置いて、クーランは続けた。「羽ばたいてくれ、シン。きっと陛下も、それを望んでいる」

 クーランの激励(げきれい)に、シンの心は揺れ動いた。暫し黙りこくって、シンは今一度、ファンテーヌ行きを考えた。

 本当は、研究に打ち込みたい。精霊学も、アーツ研究も、まだまだ解明されていないことが沢山ある。自分ならそれを解明することが出来るいう自負すら、シンにはあった。その為の時間とフィールドが、今までは不足していただけなのだ。そしてそれは今、自分の目の前に転がっている――。

 シンは心を決めて、フードの向こう側に隠れる、クーランの瞳を見つめ返した。

「付いてきてくれるか、クーラン」

 シンの言葉に、クーランは漸く笑みを浮かべた。それでこそ自分の使役者だ、とでも言うように、シンの目を真っ直ぐに見つめると、クーランは強く頷いた。

「どこまででも行こう。シン」


「――あのね」

 宿屋の屋上で、静かな夜の風に、濃紺のワンピースの裾を膨らませながら、ルチカは静かに語り出した。

「本当は、ずっと怖かった。リリやシン、バーンズさんが傷つくのも、自分が傷つくのも、誰かを傷つけるのも。……弓矢を構えると、いつも少しだけ手が震える。これが誰かの命を奪うんだと思うと、自分が何をしてるのか分からなくなる。正義が何なのか、正しいって何なのか、生きるって何なのか、分からなくなる。それから怖くなる。一瞬の油断で、自分の人生だって終わってしまうんだ、って」

 無意識に震える声を、ルチカは隠し切ることが出来なかった。初めは声のみに留まっていた震えは、徐々に全身に広がっていき、ついにはルチカは、その萌黄色の瞳から、大粒の涙を溢し始めた。ずっと自分の内側に溜め続けてきた言葉たちは、まるで着々と準備を進めていたかのように、ルチカ自身もその円滑(えんかつ)さに驚くほど、すらすらと流れ出た。

「ジークフリードって奴、少ししか顔を合わせてないけど、それだけでもすごい威圧感だった。正直、ラメールとウンディーネと力を合わせても、倒せる自信がない。明日が、自分の命日になるかも知れないと思うと、どうしようもなく、怖い……!」

 十三年間の人生の殆どを、彼女と共に過ごしてきたリリは、幼少期以来に目にする、取り乱し、声を荒げて泣くルチカの姿に、初めは戸惑った。が、それとほぼ同時に、普段は気丈に振る舞う彼女も、少し気が強いだけの、何処にでもいる普通の女の子なのだということを思い出し、それについて、これまで気を遣ってやれなかった自分を、不甲斐無く思った。

「ルチカ……」

「どうしたらいい? どうしたら、リリみたいに強くなれる? リリは、……死ぬのが怖くないの?」

 溢れ出る恐怖心の全てを、ルチカは当て付けるようにしてリリにぶつけた。

 大精霊との契約が結ばれる度、『やったね』、『あとちょっとだね』と口では言いつつも、それが失敗すればいいと願う自分が、心の何処かにはいたことを、ルチカは知っていた。いよいよすぐそこまで差し迫ってしまった明日が訪れるのを、呪い続ける自分がいたことにも気付いていた。それが自分の弱さなのだと知っていたから、口にすることは決してしないと誓っていた。が、この日の夕食を、ルチカの胃は全く受け付けなかったばかりか、夕食後、部屋に戻ったルチカは、暗い海の底に沈められたように息が苦しくなり、パニックに陥った。ルチカはラメールを頼らなかったし、頼れなかった。この痛みを癒すことが出来るのは、きっとリリだけなのだと、ルチカは何となく理解していた。ラメールもそれを分かっていたから、ルチカが自分を頼ってくれないことに対して、寂しさのようなものは感じなかった。ルチカの心に巣食う闇を取り除くことが出来るのは、姉としての役割を持つ自分ではなく、ルチカが幼い頃から好意を向け続けている、リリだけなのだろう、と。

 リリは暫し、その答えに悩むようにして黙りこくってから、静かにその口を開いた。

「……僕だって、死ぬのは怖いよ。戦うのだって、本当は怖い。でもね、ルチカ」

 ルチカに向けていた視線を、リリは再び夜空に向けて言った。

「生きていくっていうことは、進み続けることなんだって、僕は思うんだ。進み続けることは、必ず何かとの摩擦を伴う。それは食べることかも知れないし、眠ることかも知れないし、生きる為に、誰かを殺すことかも知れない。それが何であれ、僕たちはお互いに擦り減る。擦り減ることで傷つくのかも知れないし、綺麗な形に整っていくのかも知れない。でもどっちに転ぶのかは、擦り減ってみないと分からない。ジークとだって、もしかしたら分かり合えるのかも知れない。だから僕は、これからも色んな人と関わっていきたいと思ってる。例えそれが、どんな痛みを伴うことだったとしても」

 涙を拭いながら、ルチカは震える声で、「うん」と頷いた。リリは続ける。

「正義が常に正しいわけじゃない。正しいと思うから、それが自分の正義になるんだ。だからジークのことを、僕は悪だとは思わない。彼がそれを正しいと信じているのならば。僕たちには僕たちの正義が、ジークにはジークの正義がある。ジークはアシリアを守る為に、人類とアーツは滅ぼさなくてはならないと信じている。僕たちは、そうじゃない道もあると信じている。だから僕たちは、それがどういう形であれ、彼とは戦わなくてはいけない。言い合いで済むのならそれに越したことはないけど、ジークが強行に出るのなら、僕には彼を殺してでも、それを止める覚悟と理由がある」

 一呼吸を挟むと、リリは言った。「僕はこの世界が好きなんだ。この世界で生きている人たちが。だから、それを守りたい。その為に僕は戦う」

 リリの言葉は、ルチカの胸に空いた穴に、驚くほどぴったりと収まって、少しずつそれを埋めていった。ルチカは次第に落ち着きを取り戻しながら、余りにも真っ直ぐに星空を見上げるリリの、その純粋な眼差しに、どうして自分がこの人を好きでいるのか、分かってしまったような気がした。

「怖くない、なんて言ったら嘘になる。でも、怖さよりも守りたい気持ちのほうが、好きだって気持ちのほうが、ずっと強い。ドボロも、父さんも、ヘルズも、シンも、クーランも、ラメールも。勿論ルチカも」

 自身の心臓が強く脈打つのを、ルチカは感じた。

 物心ついた時には、ルチカはいつも、何となくリリを目で追っていた。突拍子のない行動や、落ち着きのない言動が、危なっかしくて気になっていた。が、それだけでは到底説明がつかないほどに、リリのことを知りたがっている自分がいることに、或る時ルチカは気が付いた。それが何なのかを知りたくて、リリと一緒に行動をするようになった。或る日、リリが別の女の子と楽しそうに話しているのを見て、自分の中で突如として燃え上がった邪心(じゃしん)に、ルチカは確信せざるを得なくなった。自分はリリに、恋をしているのだと。

 ルチカのほうに身体を向けると、リリは更に続けた。

「僕は皆を信じてるんだ。僕一人の力じゃ太刀打ち出来なくても、皆と一緒なら、きっとジークだって倒せる。それに……」

 くしゃりと顔を歪ませて、リリは笑った。

「もしも僕たちが傷ついた時には、ルチカが癒してくれるでしょ」

 彼が時折見せる、屈託のないこの笑顔が、ルチカは昔から好きだった。そして、この後リリが必ず真面目な表情に戻ることも、ルチカは知っていた。この日もそれは例外ではなく、リリはふと、真剣な眼差しをルチカに向けて言った。

「だから、ルチカは僕が守るよ」

 胸の高鳴りに、心臓が止まるのではないかとすら、ルチカは思った。ルチカの胸を覆っていた深い恐怖心は、初めからなかったかのように消え去っていた。この人なら、きっと本当にジークを倒せると、ルチカは思えるようになっていた。

「だからルチカも、僕を信じて欲しい。明日をルチカの命日になんて、僕が絶対にさせない」

 真っ直ぐに自分を見つめてそう言うリリに、ルチカの鼓動は、胸が張り裂けそうなほどに激しく高鳴った。ずっと言えなかったことを、今なら言えるかも知れないとすら、ルチカには思えた。

「……リリ、……あたし、ずっと――」

 と、リリは視界の端――宿屋の脇を通る細い路地に、買い出しから戻ってきたドボロとバーンズ、ヘルズの姿を見つけると、突如として屋上の柵から身を乗り出して、嬉しそうに大きく手を振った。

「あっドボロ! 父さんとヘルズも! おかえり!」

 リリの声に気付いて屋上を見上げたドボロは、そこにリリの姿を見つけるなり、その表情に満面の笑みを浮かべて答えた。「リリ、ただいまだ!」

「じゃあルチカ、明日もよろしく! 気合い入れてこう!」

 唐突なムードの変化に、茫然として立ち尽くすルチカに早口でそう告げると、リリは足早に階段を下って、ドボロたちの出迎えに行ってしまった。取り残されたルチカは、不完全燃焼に終わった、モヤモヤとした行き場のない気持ちを抱えながら、とりあえず、「が、ガンバロー」とだけ呟いておいた。ルチカの腰にドルミールの状態で携えられ、話の一部始終を聞いていたラメールは、この恋は実らないかも知れない、と感じながらも、ルチカが余りにも不憫(ふびん)だったので、言葉にすることはやめておいた。

 決戦前夜となったこの日、それぞれが新たなる決意をその胸に、リリたち四人は眠りに就いた。リリの寝顔を見つめながら微笑みを浮かべるドボロにも、もう迷いはなかった。ジークの野望を阻止する為に、立ち止まらずに進み続ける、とリリは言った。それなら自分は、立ち止まらずに進み続ける掛け替えのないパートナーを――リリを守る為に、迷うことなく全力で、その力を振るうだけだと、その心に強く、ドボロは誓っていた。

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