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巨人と少年  作者: 暫定とは
四章『解放』
41/93

41

 ウンディーネとの契約を結び終えて神殿を後にした一行は、再び入り口の大瀑布へと辿り着いていた。

「全員渡ったわね。滝も戻しちゃうわよ」

「うん」

 全員が洞窟の外に出、リリとドボロの作った橋を渡り終えたことを確認すると、ルチカとラメールはフォルスの放出を止め、滝に向けていた両手を下ろして一息を吐いた。と、二人の水のフォルスによって、暖簾(のれん)のように中央から左右へと押し退けられていた滝は、再び滝壺へと真っ直ぐに流れ落ちていく形となった。土で出来た橋は一瞬にして砕け散り、滝壺の中へと消えていく。

 これほどの水量と勢いで流れ落ちる滝をルチカが操作出来るのも、共鳴術を学び、緻密(ちみつ)なフォルスコントロールを身に着けたから、というものである。少しずつではあるが、一同はその実力を伸ばし続けていた。

「それじゃ、リヴィールに戻ろうか」

 リュックサックを背負い直しながら、リリはそう言った。その時である。

 晴天の霹靂(へきれき)(ごと)く突如として、若い男性の、悲鳴にも似た叫び声が、辺り一帯に響いた。

「マ――――イ・スイ――――ト・エンジェ―――――ル! リ――リ――――――ッ!!」

 リリはその声に聞き覚えがあった。が、それが何処で聞いたもので、誰のものだったかまでは思い出せなかった。その上、リリは初め、それを上手く聞き取ることが出来ず、何を意味する言葉なのか、理解に苦しんだ。然し、上空から重力に従って落下し、背中を向けて自分たちの目の前に着地したその人物の姿を見て、それが自分に対する愛情表現の言葉だったのだと、リリは理解せざるを得なくなった。

 毛先があちこちに向いている、菜種油色(なたねゆいろ)の短髪。黒のタンクトップに重ねられた、白い薄手のカーディガン。そして焦げ茶のサルエルパンツ。服屋で見栄を張ったのか、はたまたこれが流行なのか、ということはリリには分からなかったが、その全ては本来彼が着るべきサイズよりも一つか二つ大きく、だらしなくダボついている。

「あ、アンタは確か……」

 ルチカは怪訝(けげん)そうな表情を浮かべながら、その背中を見つめてそう言った。

「オレの名前? 忘れちゃった?」

 振り返った少年の瞳は緑青色(ろくしょういろ)をしており、目尻は強く釣り上がっている。納物祭の舞台で、ジークの手先として一番初めにリリたちの前に姿を現したその少年の名前を、リリはしっかりと記憶していた。

「……ミ」

「――そーう、ミドだ! ミド様だ! 流石だよリリちゃん、今日も世界で一番可愛いよ、そして聡明(そうめい)だ!」

 まだ言い終えてない、と思いながらも、リリはそれを口にすることはやめておいた。話がどんどん長くなりそうだし、後方のバーンズから向けられている疑念(ぎねん)の目を、リリは背中に突き刺さるように感じていたからだ。

「や、やあミド、久し振り。僕たち急いでるんだ。それじゃ……」

 勢いに任せて、リリはミドの横を通り過ぎようとした。が、クルクルと回転しながら追い付いてきたミドに、リリはその行く手を阻まれる形となった。

「ちょっとちょっと~、折角このオレが身体を張って登場してるのに、それはないでしょ~リリちゃん」

 歪んでいた表情を更に歪ませて、ルチカは尋ねる。「アンタ、飛び降りて登場する為だけにこの崖を登ったわけ?」

「ご名答!」

 指をパチン、と鳴らしてそのままルチカを指差すと、ミドは囁くように続けた。「格好付ける為の努力は惜しまない。それが愛の伝道師であるこのオレが掲げるモテテクなのだよ……」

 ふと、シンは後方の滝を振り返って仰ぎ見た。滝の周りは断崖になっており、途中に人が立てるような足場はないし、滝の高さは一〇〇メートル弱はあるように見える。呆れ顔になって、シンは言った。

「或る国の(ことわざ)によれば、馬鹿と煙は高いところが好きらしい」

 隊列の最後尾で、眉間に(しわ)を寄せて話を聞いていたバーンズは、痺れを切らして尋ねた。

「すまないが、話が読めない。彼は敵なのか? 味方なのか?」

「前にも話した、ジークの手先の一人だ。リリのことを女だと勘違いした上で、リリに恋をしている。土のアーツ使いだ」

 仕方なさげにそう言いながら、シンは腰の(さや)から、柳葉刀を引き抜いて構えた。

 「そういうことか」とバーンズも、同じように背中に背負った大剣(たいけん)を引き抜くと、数歩間合いを詰め、ルチカを自分の背中に回した。

 父の誤解を解いて納得してもらえたことに対して、嬉しいのか悲しいのか分からない感情を抱きながらも、リリは戦闘が避けられないことを悟って後方へ後ずさると、ドボロの隣に並んで短剣を引き抜いた。ルチカもそれに続いて弓矢を引き抜く。シンとバーンズはホルダーのドルミールに手を触れ、それぞれクーランとヘルズを目覚めさせた。

「喧嘩はあんまり、好きじゃないんだけどなァ」

 言いながら、ミドは背中の金鎚(かなづち)をホルダーから外して構える。不可解の表情を浮かべてミドを睨むように見つめると、ルチカは言った。

「喧嘩を売りに来てるのはそっちでしょ?」

「和解の選択肢がないわけじゃない。ジークの望む世界を、君たちが受け入れるならね」

 リリは姿勢を低くして短剣を構え直すと、軽口を叩くミドを、強く睨み付けた。「受け入れるわけないだろ。僕たちも、世界中の人たちも」

 「じゃあ仕方ない」と、ミドは滝の上を見上げると、そこに待機していたらしい、自身のアーツを叫ぶように呼んだ。「カモーン、バロン!」

 空気を切る音を立てながら、土のアーツ――バロンは、流星のように落下し、轟音と共に、リリたちの立つ、滝壺に面した岩場を深く穿(うが)って着地した。振動にバランスを崩されないように保ちつつ、衝撃に絶命でもするのではないか、とリリは思って、土埃の向こうのバロンの姿を探った。が、彼は何でもなさそうに、太い指で自分のこめかみを掻いていた。

 ドボロを更に太らせたような体型に、異常にしゃくれた下顎、前頭部から生えた枯草色(かれくさいろ)の毛、そして白い瞳と鈍色(にびいろ)の肌。それがバロンの特徴であった。その身体には前回と同じく、ベージュのローブを羽織っている。

「バロン、お前な……。もう少し格好よく着地出来るだろ! だからお前はモテないんだよ!」

「……ゴめン」

 人間らしさを欠落したようなバロンの喋りは、一瞬でリリの深層の記憶と強烈に結びついて、リリはあの日の戦いのことを、段々と鮮明に思い出せるようになってきた。

「四対一じゃ流石に分が悪いし、今回は初めから、こっちで行かせてもらうよ」

 (おもむろ)に、シルバーの大振りな指輪を取り出したミドは、右手中指に嵌めたその指輪に、胸の前で左手を重ねると、不敵な笑みを浮かべて言った。

「〝第二共鳴(セカンドチェイン)〟」

 刹那(せつな)、ミドとバロンの身体は、ゴウッ、という太い音と共に、山吹色の強烈な光を放ち出した。

「いくよ、ドボロ」

「ンだ!」

 リリとドボロは互いに拳を突き合わせ、バーンズは自身の左胸を強く殴った。ルチカは右耳のピアスに、シンは右腕のバングルに手を(かざ)す。声を揃えて、四人とドボロは唱えた。「〝共鳴(チェイン)〟ッ!」

 「わお」と感嘆の声を漏らすと、それぞれ山吹、紅蓮(ぐれん)、水色、浅緑(あさみどり)の光を放つ四組のアーツ使いとそのアーツに、ミドは皮肉めいた拍手を送った。

「カラフルカラフル。だけどそれくらいなら――」

 言いながら、ミドは何処からか取り出した、黒と紫の禍々(まがまが)しい紋様の入ったグローブを右手に嵌め、バロンのローブを勢いよくめくりあげた。ローブの内側のホルダーには三つのドルミールが備えられており、ミドはこれに、グローブを付けた右手で、表面をなぞるように触れた。

「こっちも用意してないわけじゃない」

 シンの脳裏には、苦い記憶が蘇っていた。ミドが右手に嵌めているグローブは、かつてクーランを意のままに操った男――ハウルが使っていたグローブと、全く同じものだったからだ。

 三つのドルミールは紫紺(しこん)の光を放ちながら、活動体である巨人の姿へと変化し、リリたちと向き合う形を取ったミドとバロンの背後に、横一列に並んだ。三体のアーツはそれぞれ、火、水、風の属性を思わせる風貌をしている。また、斜めに地面を見つめたまま動かない彼らの目には、生気、といったものが全く見受けられなかった。

「さあ、ショウの時間だ」

 ふざけやがって、とリリは思いながら、ぎり、と右の奥歯を噛み締めた。使役者との絆を引き裂いた上に、その自我を奪って無理矢理に使役して、それをショウとのたまうミドに、リリは激しい怒りを覚えていた。

「行け!」

 ミドの声を合図に、三体のアーツたちはこちらに向かって駆け出した。シンとバーンズは、クーラン、ヘルズと共にこれに応戦し、ルチカは即座に共鳴術技の詠唱(えいしょう)を開始した。リリは自分に向かって突進してくる火のアーツをギリギリまで引き付け、軽やかな跳躍でそれを受け流すと、そのままミドとバロンのほうへと向かって走った。ドボロもそれに続く。

「父さん、一体そっちに!」

「ああ!」

 水のアーツと対峙するヘルズと背中合わせになったバーンズは、リリにそう返すと、自身に向かって跳躍する火のアーツの、巨大な拳による強烈な一撃を、大剣の峰で受け止めた。耳を刺すような金属音を立てて、大剣は大きく震える。

「バーンズ! こいつらは操られているだけで、元の使役者がいる! 可能な限り傷を付けずに、身体の何処かに付いている紫の宝石を外すんだ! そうすれば正気に戻る!」 

 クーランと共に風のアーツの連撃を柳葉刀で受け止めながら、シンはバーンズにそう言い放った。「分かっている!」とバーンズ。と、詠唱を終えたルチカの、水の共鳴術技が発動する。

「〝大いなる渦動(かどう)よ、我に仇成(あだな)す者を喰らい尽くせ〟」

 バーンズと剣戟(けんげき)を交わしていた火のアーツの足元に、青い魔法陣(まほうじん)が出現する。大剣に力を込めてアーツを押し返すなり、バーンズはすかさずバックステップを踏んで距離を取った。

「〝ボルテクス・ウェイブ!〟」

 術の名を叫んだルチカの声を合図にするように、火のアーツは青白い膜を持つ球体の中に閉じ込められた。球体の内部は瞬く間に水で溢れ返り、水は数秒間に渡り、球体の中で激しく渦を巻いてアーツを襲った。


 一方、ミドへと詰め寄ったリリは、息つく暇も与えずに素早い連撃を繰り出していた。同じくドボロはその後方で、バロンに対して攻撃を仕掛けている。が、リリとドボロの動きは、そのほぼ全てを見切られ、(かわ)されるか、受け止めきられるかの繰り返しだった。

「あの背の高い男の人ッ、リリちゃんのお父さんなんだねッ? 後で、ちゃんと挨拶をしないと!」

「後でなんて、ないよ! お前は今日、ここで倒すッ!」

 そうは言いつつも、リリは徐々にペースを乱されていた。リリが少しでも隙を見せれば、ミドは容赦なく、(つち)による一撃を振るってくる。とはいえ前回アルバティクスで対峙した時よりは、リリの動きはかなり良くなっており、リリ自身も戦いの中でそれを実感していた。然し、幾ら肉体を鍛え、共鳴術を学ぼうが、やはり〝第二共鳴(セカンドチェイン)〟が相手では限界がある。リリはドボロと目配せをすると、一旦ミドとの間合いを取り、天に向かって右手を伸ばした。

「――地神招来!」

 と、遥か上空から凄まじい勢いで、山吹色の光の球体――ノームが、リリの右手に吸い込まれるように落ちていく。リリは右手を握り締めると、強く目を閉じた。そして手の平を広げると同時に、リリは刮目(かつもく)した。その瞳は、山吹色に輝いている。リリと〝共鳴(チェイン)〟で繋がっているドボロにも、この特徴は(あらわ)れた。リリとドボロは、扱えるフォルスの上限が解放されたのを感じると共に、或る確信を持ってお互いに見つめ合うと、口角を上げて頷きあった。

(これなら、いける――!)


「〝裂旋牙(れっせんが)!〟」

 柳葉刀を握った右手に、フォルスを強く集中させながら、シンはそれを∞の形に振るった。その軌道を追うようにして現れた風のフォルスが、逆巻(さかま)くような牙を持って、風のアーツを襲う。クーランのほうへと大きく吹き飛んでいくアーツの、(ひるがえ)った(たてがみ)の生え際に、シンはアーツを操っている紫色の宝石を見つけた。

「クーラン、鬣の内側だ!」

 「承知!」と唸るような低音で答えると、クーランは風のフォルスで生成した浅緑の小刀(こがたな)を手に、自身に向かって飛んでくるアーツを迎え撃つような形で跳躍した。寸前で激突を回避したクーランは、すれ違いざま、鬣の生え際に付けられた宝石の位置をその目に確認すると、空中で大きく身体を(ひね)らせた。逆手(さかて)に持った小刀の(かしら)で、クーランはその宝石を、強く打つ。と、激しく地面に打ち付けられると共に、宝石は砕けて四方に飛散した。

「やったぞ、シン!」

 嬉しそうなクーランの声に、シンは自分まで嬉しくなっていることに気が付いた。それから、顔も知らない使役者の為に、わざわざアーツを傷つけないように努力していることが、突然不可思議に感じられた。

 今のシンにとって、それはごくごく自然な発想ではあった。が、半年前の自分に聞かせたら、きっと鼻で笑われるのだろうとも、シンは思えた。そして、自分がこんな風に考えるようになったのは、きっと損得を度外視して人助けに走るリリの姿を、間近で見てきたからなのだろう、と。


 ノームを招来したリリと、〝第二共鳴(セカンドチェイン)〟を使用したミドの攻防は、当初はほぼ互角の流れだったが、或るタイミングを以て、リリが僅かに押し始めた。リリの不意の一撃が生んだミドの大きな隙に、リリは込められるだけのフォルスを込めた、中級の共鳴術技を打ち込んだ。

「〝穿孔掌底破(せんこうしょうていは)!〟」

 ミドの腹部に掌底(しょうてい)を押し込んだリリは、超高密度の土のフォルスを発生させ、その場で爆裂(ばくれつ)させた。痛みに呻き、その表情を歪めながら、ミドは後方へ強く吹き飛んだ。が、着地の寸前に空中で体勢を立て直し、よろめきながらも二本の足で着地すると、矢庭(やにわ)にリリを向いて構えるなり、ミドは言った。

「リリちゃんたちが大精霊を探してるって、風の噂で聞いたもんで、ちょっくら後を追わせてもらってたんだ。まさか、海まで渡ることになるとは思わなかったけどね。それに共鳴術技まで身に着けているとは……。どうやら君たちは、本気でジークを止めようとしているらしい」

 ミドの物言いに、リリは違和感を覚えた。まるで、幾ら努力をしようが、どんな力を手に入れようが、ジークを倒せないことなど当然であるかのような。そしてリリは、リザの言葉にも同じ違和感を感じていたことを、ふと思い出した。『アンタたちが幾ら足掻(あが)こうが、ジークを止められるわけない』。王立ファンテーヌ学院地下のドルミール安置室で、彼女はそう言っていた。

 確かに、ジークが(まと)っていた雰囲気は、はっきり言って人間のそれではなかった。それが何であるのかは分からないが、今となっては、千年間を生き抜く力を持っているだけのことはある、とリリには思えていた。然し、どんな力を持っていようが、人間は人間だ。倒せないわけなどない。だからこそ、ミドやリザの言葉が、リリの胸には引っ掛かった。

「どういう意味?」

 痛みに数度、腹を(さす)ると、ミドは呼吸を整え、体勢を立て直しながら言った。

「こっちの話だよ。それより、リリちゃんが本気なら、オレも本気で相手をしないと失礼、って奴だよね。久々だから、上手く出来るか分からないけど……」

 そう言いながら、ミドは身体の右下に鎚を振り被った。リリとの距離が数メートルあるのに対し、鎚の柄は一メートル弱だ。そのまま振り上げるだけでは、当然攻撃は届かない。ミドの動きを不審に思いながらも、リリは身構えた。

「〝岩砕(がんさい)――〟」

 矢尻のように鋭く尖った、二十ほどの石塊(せっかい)が、ミドの構えた鎚の頭を中心に顕現(けんげん)する。それは濃い山吹色の光を纏っていた。(やばい)、とリリには分かったが、避けるのは間に合わないと判断し、咄嗟に地に手を着いて、強くフォルスを込めた。ごう、と風を切る音と共に、ミドは鎚を勢いよく振り上げた。

「〝――鐵鋼弾(てっこうだん)!〟」

 鎚から放たれた石塊は、凄まじい勢いを持って、リリに向かって一直線に飛来した。リリは地中から岩壁を出現させたが、僅かに防ぎ切れず、一発の石塊が左肩を掠めた。呻き声を上げて、リリは痛みに地面を転がった。血の滲む左肩を押さえながら、立ち上がろうと試みるが、ミドは既にこちらに向かって走り出している。それに気付いたドボロは、地を殴って出現させた岩の柱で、バロンの顎に鋭いアッパーを喰らわせると、駆け足でリリの下に駆け寄るなり、広げた両手を前方に突き出して、ミドの前に立ちはだかった。

「邪魔だよ、おデブちゃん!」

「させないだッ!!」

 ミドは速度を緩めることなく、ドボロに跳び蹴りを繰り出したが、ドボロが出現させた土のフォルスによる半透明なシールドで、それは防がれた。着地したミドは、そのまま素早く二連の回し蹴りと一発の打擲(ちょうちゃく)を繰り出し、シールドの破壊を試みたが、ドボロの強い意志に応えるように、シールドは小さくヒビを入れられるのみで、その全てを防ぎ切った。「チィッ」と大きく舌打ちをしながら、ミドは二度のバックステップで距離を取ると、痛みに顎を押さえて、しゃがみ込んだまま動かないバロンの横に並んだ。

「バロン、立てるか?」

「い、いたイ……。アいつ、きラい」

 ゆっくりと立ち上がりながら、強くドボロを睨み付けるバロンの瞳は、僅かに潤んでいるようだった。

「ああ、嫌いな奴は倒せばいい。まだ戦えるか?」

 ミドの言葉に、バロンは納得した様子で頷き返す。「たおス……、たタかう」

 左肩の激痛に堪えながら立ち上がったリリの後方からは、ルチカによる治癒の共鳴術技の詠唱が届く。

「〝天霊(てんれい)の祝福纏いし聖水(せいすい)の癒しよ、ここに〟」

 リリとドボロの体を覆うように、青い光を纏った無数の水泡が現れる。

「〝エンジェルヒール!〟」

 水泡が弾けるのと共に、リリとドボロは身体の痛みが和らいでいくのを感じた。そればかりか、戦闘が始まる前のように、身体の奥底から力が湧いてくる。痛みが完全に消えたわけではないが、リリの左肩の傷口は塞がって、流血は止んだ。

 遠目にその様子を観察していたミドは、リリの傷が塞がったことに気が付くと、苦い表情を浮かべて言った。「厄介だね~、彼女。アーツを手に入れるどころか、治癒の共鳴術技まで習得してるなんて」

 ドボロと共に、改めてミドとバロンに向き直って短剣を構えると、リリは答える。

「僕たちだって、何もしてなかったわけじゃない。前回とは違う。お前たちの……、ジークの思い通りにはさせない!」

 リリはミドに向かって、ドボロはバロンに向かって走り出す。

「やれるもんならやってみなよ!」

 ミドとバロンは一瞬腰を屈めて、足にフォルスを集中させると、リリとドボロを迎え撃つ形で飛び跳ねた。リリとミドの声と共に、それぞれ土のフォルスを込めた二組の拳が、激しく打ち合う。

「〝月壊拳(がっかいけん)!〟」

「〝轟天衝撃(ごうてんしょうげき)!〟」


 リリたちの後方では、残る火と水のアーツを相手に、バーンズたちが善戦していた。

 火のアーツを挟み込む形を取ったバーンズとヘルズは、相手が可能な限りの軽傷で済み、尚且つ反撃を起こさせないようにフォルスの出力を調節しつつ、炎を纏わせた右の拳を放った。

「〝(ごう)爆炎(ばくえん)(けん)!〟」

 強い光を纏った炎は、数度の爆裂を伴ってアーツを襲った。痛みに地を転がるアーツの尾の付け根に、紫の宝石がチラリと見えたのを、ラメールと背中合わせになって弓矢を構えていたルチカは見逃さなかった。

「ラメールお願い!」

 強く引き絞った矢を、間髪を入れずに放つ。アーツに刺さってはいけないというプレッシャーは、なかったわけではない。然し、ラメールがそれを防いでくれるという確信の下で、ルチカは遠慮なく矢を射ることが出来た。

 ルチカの言葉に頷き返すと共に、ラメールはルチカの矢に、ゲル状の身体の一部を纏わせていた。獲物は小さな宝石の一粒だ。それを遠距離から矢で狙い撃つのには限界がある。ルチカは(せん)だって、この方法をラメールに提案していた。

 ラメールはその身体の特性上、或る程度の距離と時間の範囲内であれば、ゲル状で流動性のある身体の一部を、切り離しても自由に動かすことが出来る。それを利用して、ルチカは矢の行く先の寸分のコントロールを、ラメールに任せたのだ。(はやぶさ)のように滑空した一閃(いっせん)の矢は、見事に火のアーツを操っていた宝石に命中し、それを打ち砕いた。ルチカはラメールとハイタッチをしようと手を差し出したが、それをシンの叫びが遮った。

「ルチカ! そっちに行ったぞ!」

 ルチカは慌てて後ろを振り返った。シン・クーランが交戦していた水のアーツが、シンの僅かな隙を突いて、ルチカとラメールに向かって突進してきていたのだ。驚きに判断が追い付かずに、ルチカは目を閉じてしまった。

 ガキィン、という鈍い音に、ルチカが目を開くと、水の大剣を生成したラメールが、それを縦に構えてアーツの攻撃を防ぐ形を取り、ルチカの前に立ちはだかっていた。

「ルチカ、戦闘中は何があっても目を閉じてはダメと言った筈よ。一瞬の油断が命取りになるわ」

「ご、ごめんラメール! ありがとう!」

 「フンッ」と唸り声を上げながら、ラメールは水のアーツを押し返した。続けて横薙(よこな)ぎを放つが、素早い身のこなしで躱される。が――。

「〝翔破(しょうは)絶影扇(ぜつえいせん)!〟」

 後方で柳葉刀と小刀を手に構えていたシンとクーランによる攻撃が、水のアーツを襲った。二人は一度しか剣を振るわなかったが、光を纏って出現した風の刃は、幾重(いくえ)にも重なって怒涛(どとう)の連撃を繰り返し、その最後にはXの文字を(かたど)った斬撃(ざんげき)が、凄まじい風圧を以て水のアーツを吹き飛ばした。

「バーンズ、腕に巻かれた鎖の先だ!」

 吹き飛んだ先で待ち構えていたバーンズは、「おう!」と答えながら、大剣を勢いよく振り上げた。凄まじい熱を持って紅蓮に輝く剣先が、宙を舞うアーツの腕輪を掠める。鉄で出来た鎖は、熱を前にしてあっけなく融け、その先端に付けられた紫の宝石と共に、金属音を立てながら地面に落ちた。鈍い音を立てて地面を転がるアーツの身体を、ヘルズの腕が抱き止めた。大剣を背中の鞘にしまいながら、バーンズはその頬に笑みを浮かべた。

「俺の本業が金属加工だってこと、忘れてもらっちゃ困るな」


 リリとミドの戦いは、佳境を迎えていた。リリが気付いた時には、皆はもう周りにはいなかった。戦闘に集中しすぎて気が付かなかったが、どうやら自分たちは、随分と離れたところまで来てしまっているらしい。これによりルチカの治癒術にも期待が出来なくなったリリは、攻めることに消極的になってしまい、防戦一方の戦いに、体力を消耗してきていた。一方のミドも、長引く戦闘に疲弊(ひへい)を隠し切れなくなってきており、時折大きな隙を見せた。リリはそれを見つけては強い一撃を打ち込んだが、直前で防がれるか、避けられるかの繰り返しで、勝負はなかなか決着がつかなかった。

 岩場を抜けて森の中に入り、その中に見つけた開けた草原の上で、二人の攻防は続いた。お互いに〝共鳴(チェイン)〟も解けてしまい、四人の体を覆っていた山吹色の光は、既になくなっていた。ノームの力も上手く扱えなくなったリリの瞳は、濃紺に戻ってしまっている。

「そろそろ、限界が来てるんじゃないの? リリちゃん」

 冗談交じりの声色で、ミドは言った。息を切らしつつも、その顔に笑みを浮かべる程度には、ミドのほうにはまだ余裕があるようだ。リリはいつまでも消えないその不敵な笑みに、うんざりしていた。

「ミドのほうこそ……、白旗上げたって、いいんだよ。バロンだって、もう、疲れ切ってるじゃないか」

 お互いにアーツの体力も限界ギリギリを迎えており、細かいフォルスコントロールは愚か、アシリアからフォルスを受け取ることすら、ドボロとバロンには難しくなってきていた。然し、フォルスを使えようが使えまいが、どちらかが倒れるか降参しない限り、この戦いは終わらなさそうだった。

 つい先ほど、ドボロがミドの鎚を破壊してくれたのは大きなアドバンテージになった、とリリは思っていた。あれから五分ほどが経過しているが、ミドがフォルスで新しい鎚を生成する様子は見られない。それだけの力がバロンには残っていない、ということだ。然し油断は出来なかった。何故なら――。

「オレとバロンが、ハンマーを作り出せるだけのフォルスを残して戦っていて、自分が隙を見せた瞬間に、作り出したハンマーで(とど)めを刺されるかも知れない……、そう考えてるね?」

 丸切りの図星に、リリは笑いさえ零れた。一度大きく息を吐いて、体勢を整えると、ミドは両手を広げて笑った。

「そうしたいのは山々だけど、残念ながらバロンには、もうフォルスを受け取るだけの力は残ってない。でも、それは君のドボロだって同じなんじゃないかい? こうなったらあとは、肉体と肉体、どっちかが滅びるまで、殴り合い続けるだけだ」

 その言葉に安堵すると共に、リリは酷い疲れからか、いつもなら何とも思わないようなことを、ふと疑問に思って尋ねた。

「どうして、ミドはそうまでしてジークに味方するのさ? ボロボロになって、フォルスも使えないのに、それでもどっちかが滅びるまで殴り合い続けなきゃいけない……、そうまでしてミドを駆り立てるものって、……一体何なの?」

 リリの言葉に、ミドは(きょ)()かれたように目を丸くした。それから、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて数秒間、黙り込んで視線を泳がせた後で、睨み付けるような眼つきになって、リリを見つめた。見たこともないようなミドの顔と、続く言葉に、リリは驚いた。

「……お前に、何が分かる?」

 低く冷たい声でそう言い放つと、次いで「(きょう)()めた」と言って、ミドは(きびす)を返した。

 バロンはリリたちのほうと、ミドの後ろ姿を、交互に数度伺うと、ミドに向かって尋ねた。「タたかい、おワり?」

 バロンの声は心なしか嬉しそうに、リリの耳には届いた。

「ああ、そうだよ」

 ミドはそれだけ言って、向こうに向かって歩き出してしまった。バロンもそれに続いて、のっそのっそとミドの後ろ姿を追っていく。

 戦う気を失った人間に、後方から不意打ちを掛ける気には、リリはならなかったが、ミドの突然の戦意喪失には、戸惑いを隠せずに呼び止めた。

「ちょっとミド! まだ決着は――」

 勢いよく振り返りながら奇妙なポーズを取ると、ミドはリリの声を遮る形で「決着は!」と言った。足を開いて身体を大きく(ひね)らせ、右手人差し指でリリを鋭く指差しながら、右目はウインクさえしている。その顔には、先の気分の悪そうな表情は、一切浮かんでいなかった。

「次までお預けだよ、子猫ちゃん。必ず再び君の前に現れる。そしてその時は今度こそ、君をオトしてみせるよ、愛しいリリ……。またなッ!」

 そう言い残すと、ミドは駆け足で森の中へと消えていった。「みド、ハやい」と呟きながら、バロンはドスドスと足音を立ててそれを追った。

 仲間たちが探しに来るまでの数分間、リリとドボロは茫然(ぼうぜん)と立ち尽くしたまま、何を言うことも出来ずに、ミドたちが消えていった森の中を見つめていた。突如として浮かべた見たこともないような暗い表情、そして何事もなかったかのように陽気に戻った去り際の表情。ミドが見せた二つの顔のギャップに、リリは混乱と、言いようのない戸惑いを覚えていた。

「リリ! 無事か!」

 リリに駆け寄りながら、そう言ったのはシンだった。

「シン……。うん、ところどころ痛むけど、大丈夫」

「そうか、……ミドはどうなった?」

「森の中にいなくなったよ。……ごめん、止めは刺せなかった」

 「仕方ない。こっちこそ、助太刀(すけだち)に来られずにすまなかった」と、シンは言った。一時間弱の休息を挟んでから、一行は再び、リヴィールへの道を歩み始めた。

「リリ、どうしたの? 何かあった?」

 道中、茫然としたままのリリを心配したルチカが尋ねたが、リリには「分からない」としか答えようがなかった。実際に、ミドの中でどんな心境の移り変わりがあったのか、リリには分からなかったし、ミドの行動の内容すら、今はリリは、上手く説明出来る気がしなかった。

「ドボロは? 何か分かる?」

「オデは……、難しいことは、分からないだ」

 ドボロさえも、ミドの変わりようには動揺を隠せずにいた。二人の言動に不信感を覚えながらも、「そっとしておいてあげたほうがいいかも知れないわ」とラメールが言ったので、ルチカはそれ以上を詮索することはやめておいた。

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