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巨人と少年  作者: 暫定とは
一章『邂逅』
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4

 終業の鐘が鳴る。

 終業の鐘、とは言っても、これは村全体で生活時間の目安となるように鳴らしているものであり、二時間に一度、その鐘は村の中央広場に設置された時計台から鳴る。十四時の鐘を学校では、終業の合図として利用していた。

「はい、それでは今日の授業はここまで。みんな気を付けて帰るようにね」

 女性教師はそう言うと、教室の左後ろの端の席に座るルチカに視線を向けた。しっかり者のルチカは、クラスの号令係を担当していたのだ。

 女性教師の目配せに頷き返すなり、ルチカは言う。「起立」

 生徒たちが立ち上がる。続けて「礼」と言おうとしたルチカの声を、女性教師は何かを思い出したように、「あ、そうそう」と遮った。

「最近、遺跡に大型の青い魔物(まもの)が棲み付いてしまったようだから、くれぐれも近寄らないように注意してね。ルチカ、ごめんね」

「いえ。……礼」

 女性教師と生徒たちは、揃って頭を下げる。「さようなら」

 そもそも、巨大遺跡には子供だけで立ち入ってはいけないという決まりが、コントゥリにはあった。

 この惑星アシリアには、動植物の類でありながら、家畜などの穏和な種族とは一線を画した、『魔物』と呼ばれる種が広く生息している。その多くは人に対して凶暴性を持っており、姿形は多様だ。小さいものはネズミ程度のものから、大きなものは十メートルを越えるものもいる。人の集まる場所に近寄る魔物は多くなく、コントゥリのように或る程度の人数がまとまって暮らしていれば安全だとされているが、村から少し離れれば、野生の魔物が無数にうろついている上、特に人の手の行き届いていない巨大遺跡には、危険な魔物も多く棲み付いていると言われており、特別な用事がなければ、村の大人たちも近付くことは避けていた。

 午前の授業中の失態を思い出し、溜め息を漏らしながら再び席に着くと、リリは帰り支度を始めた。やんちゃな男子から、我先にと教室を出て行く。いつもならそれに同調し、ジンとニックも走って帰っていくのだが、今日の彼らは違った。

「よう、おとこ女」

 そう言いながら、ジンがリリの机へと近付いてくる。その後ろからは、ニックがキツネ顔を覗かせながら、「よォ~おとこ女~」とジンの言葉を復唱していた。

 焦げ茶の荒れた短髪と、同じく焦げ茶の瞳を、ジンは持っていた。一方のニックは、ブロンドの髪を首の中ほどまで伸ばしており、その前髪は真ん中で分けられている。瞳は緑色だった。

「なんだよ、ジン」

 ジンの瞳を、リリは強く睨み付けた。それが気に入らなかったのか、ジンは喋ろうとしていたことをやめたらしい。顰め面になってリリの机を軽く蹴ると、「お前のせいで俺たちも怒られたんだからなッ」と、彼は強気に啖呵を切った。教室に残っていた数名のクラスメイトの視線が、リリたちに注がれる。

 「そうだそうだ!」とニックも続く。「そっちがちょっかいかけて来たんだろ」と、リリは言い返そうとした。が、それは別の声によって、遮られることとなった。

「――やめなさいよ!」

 ジンとニックが後ろを振り返ると、そこには帰り支度を終え、白いポシェットを肩から下げたルチカが、両腕を組んで仁王立ちしていた。

 それを見たジンは、薄ら笑いになりかけていた顔に、再び詰まらなさそうな表情を浮かべると、口をへの字に曲げた。かと思えば、今度は嬉しそうに口角を上げて、からかうように彼は言う。「なんだよルチカママ~、今日もリリの御守りで……」

 言いながら、ジンはルチカの後ろに回り込むと、その背中を両手で軽く突き飛ばしながら続けた。

「大変だなッ」

 ヒャハハハ、と高笑いをしながら、二人は逃げるように教室を出て行く。

「あっ、ちょっとアンタたち!」

 二人の後ろ姿を追うべきか、ルチカは(しば)し迷ってやめた。どうせ追い付けもしないし、馬鹿にかまけるのは馬鹿馬鹿しい。そう思ったからである。リリも同じように思ってか、細く短い溜め息を吹き漏らした。然し、リリの溜め息にはもう一つ、別の理由があった。

「……ルチカは過保護なんだよ」

「何よ、リリまでそんなこと言うの?」

 「事実だからね」と言いながらリリは立ち上がると、すたすたと教室の戸口に向かっていく。その後ろを駆け足で追いながら、ルチカは唇を尖らせると、「ひっどーい」、と文句ありげに言った。

 小さい頃、ジンとニックにからかわれては、リリはしょっちゅう泣いていた。それを見かねたルチカは、いつからか彼らがリリに近付こうとすると、今まさにそうしたように、それを未然に防いでくれるようになった。然し、それが有り難かったのも今は昔。ルチカの行動は今や、リリにとってはおせっかいにしか感じられなくなってしまっていたのだ。

「折角追い払ってあげてるのに」

 それが、リリの日常であった。ジンとニックにからかわれ、先生に叱られ、ルチカが二人を追い払う。ルチカは、『ジンは自分が苦手だから、自分が何か言えば逃げていく』と思っているが、それは違うとリリには分かっていた。ジンはルチカのことが好きなのだ。だからジンはルチカに対しては、あまり強気には出られないし、ジンがリリをからかう大きな理由は、リリが女顔だから、とか、身体が小さいから、とかではなく、単にリリとルチカの仲が良いからだった。

 そしてリリの日常には、忘れてはいけないことがもう一つあった。

「ただいま~」

「リリ、ちょっとこっちへ来なさい」

 父、バーンズによる説教だ。

「……は~い」

「返事が長い」

「……はい」

 作業場から、バーンズはリリを呼んだ。

 リリの家には玄関を入ってすぐに、床が土のままになっている、広い作業場がある。バーンズは普段、ヘルズと共にそこで仕事をしていた。

 一階部分の奥側にはリビングを始め、台所や洗面所、風呂、そしてバーンズの寝室があり、二階はリリの部屋と広いベランダになっていた。ヘルズの寝室は、というと、アーツは基本的に眠らず、食事もしない生き物だった。眠ったり食べたりすることが不可能というわけではないが、必ずしもそうする必要はない。強いて言えば、活動の必要がない時にはドルミールの姿になって休眠することは出来るが、厳密には眠っているわけではなく、ドルミールの状態でも、使役者に対して語りかけるなどすることは可能だった。

 バーンズに呼ばれたリリは、渋々そちらへ赴いた。ヘルズの目前を通った際、彼は何も言わなかったが、不憫(ふびん)そうな目をして、重い足取りのリリを見つめていた。これもいつものことだった。

 ヘルズは三メートルを越える大型のアーツで、ガタイがよく横にも幅があった。この家はヘルズの身長に合わせて、バーンズが一度改築していると、リリは聞いていた。

 巨人、とは言っても、多くのアーツはどちらかと言うと、人というよりも二足歩行の魔物のような姿をしている。ヘルズに関して言えば、彼はところどころに亀裂の入った、岩山のようなゴツゴツとした赤茶色の身体を持っていた。亀裂からはマグマのような赤い光が覗き、時折それは、強く輝いた。それがアーツに宿る不思議な力の証なのかも知れない、とリリは思っていた。また、ヘルズはその顔面に、黄色く鋭い目と、横に広い口を持ち、鼻はなかった。顔は後ろにやや長いが、前面は平たい。初対面ならばヘルズの見た目を怖い、と感じる人もいるかも知れないが、リリにとってヘルズは、父と共に憧れの存在であったし、その見た目についても、リリは格好良いと思っていた。

 焼成炉をいじっているバーンズの傍――作業場とは高さで区切られた、居住スペースの(へり)――に腰掛けて、リリは項垂(うなだ)れた。炉はごうごうと音を立てて燃えている。その熱は数メートル離れているリリにも、間近にいるかのように感じられた。

「今日も、学校で先生を困らせたようだな」

 バーンズは一旦手を止め、作業用の遮光マスクを外すと、リリに顔を向けるなり、首に掛けていたタオルで顔の汗を拭いながらそう言った。

 昼間廊下に立たされているところを、通りかかった父に見られていたのだと悟ると、リリはばつの悪そうな表情を浮かべた。

「……うん、でもあれはジンが」

「ジンは関係ない」

 バーンズの声は低く、威厳があった。彫りの深い顔には、母のそれを遺伝したリリとは違い、共に黒い瞳と髪を有している。前髪の一房だけが垂れていることを除けば、ミディアムショートの髪は荒々しく踊っており、それは獅子の(たてがみ)のようにも見えた。上半身には白い包帯を、彼は巻いており、その上には学生ランダを思わせる、白く裾の長い詰襟(つめえり)の衣服を、前を開き、腕を捲って着用している。バーンズはそれを作業着にしていた為、全体的に黒ずんでいるほか、裾のほうには焼け焦げた跡も見受けられた。下半身にはタイトな黒いパンツを履いており、それは一八〇センチを超える長身と、長い手足を持つ彼のスタイルの良さを、一層際立たせてもいた。また、その両手にはバーンズは――これも作業用の――、革製の黒い指無しグローブを嵌めている。

 背中には大きな火傷痕(やけどこん)があり、火傷をした際に包帯を巻いて生活していたのに慣れてしまって、現在でも、常に包帯を巻き、それを肌着代わりのようにしているのだと、リリは聞いていた。実際にリリは、その火傷痕を見たことはなかった。

「例えジンがお前にちょっかいを出していようが、お前が先生を困らせたことは事実だ」

 父にはそう言われてしまうことを、リリは分かっていた。それでもリリは父に、ああしないと彼らの悪戯(いたずら)はエスカレートしていくのだと、聞いて欲しかっただけなのだ。バーンズとて、それを理解してはいた。が、父として、そしてコントゥリの村長として、バーンズはリリの言い訳を、認めるわけにはいかなかった。

「お前は将来、俺の後を継いで、この村の加工業を担い、村長になるべき人間だ」

 父がこの話をするのは、初めてではない。リリはいつも、この話が始まると口を(つぐ)んだ。理解は出来るが納得はしていないという、意思表示のつもりだった。

 リリには決して、バーンズのような威厳やリーダーシップがあるわけではない。リリにはそれがコンプレックスだった。小柄で女顔の自分が。そして、リリと言う中性的な名前すらも。

「上に立つ者が幾ら苦労をしていても、周りからは楽しくやっているように見えるかも知れない。だから周りの人間は、悪口も要望も、好き放題に言いたいだけ言う。然し上に立つ者には、それをじっと聞いて堪えなければならない場面が、何度もあるんだ」

 それは、バーンズの愚痴でもあるのかも知れないと、リリは思っていた。事実、バーンズがそんな話をするのはリリに対してだけであったし、そのつもりはなくとも、本人すら、息子にしか()けない愚痴である可能性は否めなかった。いずれにしても、バーンズがリリの今後を真に思っていることだけは、確かなことだった。

「明後日から、俺は村の加工品を持って、帝都(ていと)納物祭(のうもつさい)に向かわなければならない。一人でもやっていけるように、もう少ししっかりするんだ。分かったな」

「……うん。分かってるよ」

「なら良いんだ」

 立ち上がりざまにリリの頭を掻き撫でると、バーンズは再び作業に戻った。(しばら)く黙って項垂れた後で、二階の自室に上がるべく立ち上がったリリに、ヘルズが耳打ちした。

「……リリ、バーンズは色んなものを背負ってる。理解してやってくれ」

「分かってるよ、ヘルズ」

 自室に上がると、リリは捨てるように鞄を適当なところに投げ、ベッドに寝転がった。

(納物祭か……。楽しいのかな、帝都って)

 コントゥリから二週間ほど歩いたところにある、フォックシャル帝国の帝都アルバティクスでは、毎年五の月の中旬になると、国中のあらゆる町や村から、その地の特産品を持ち寄って国への捧げものとする、『納物祭』という行事が行われていた。コントゥリからは毎年、特産である土器と金属加工物、そして村に伝わる歌を捧げることになっている。本来なら大人が数名がかりで運ぶ量の荷物なのだが、ヘルズの体格があれば一人で運ぶことが出来る為、ヘルズを使役出来るバーンズは、村長でありながら毎年その運び役を買って出ていた。歌の捧げ物は、毎年村の若い娘が担当することになっており、今年の担当はルチカと決まっていた。運び役の者は、魔物や盗賊などからその娘の護衛もしなければならない為、アーツ使いであるバーンズは、尚更に都合が良かったのだ。

 リリは納物祭に、()いては村の外の世界に、強い憧れを持っていた。この村で生まれ、村の外には数えるほどしか出たことのないリリにとって、狭い村での生活は、牢獄のようにも感じられていた。

(早く大人になりたい……。いつ、大人になれるんだろう……)

 ぼんやりとそんなことを考えているうちに、リリは眠ってしまっていたようだった。数時間後、夕食の準備を終えた父が自分を呼ぶ声に、リリは涎を拭きながら、慌てて応じた。

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