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時は流れ、一ヶ月と半月前。
ニルバニアを発ったリリたちは、ノームとの契約の顛末、そしてジークフリードらの目的をライラット王に報告すべく、アルバティクスへと向かった。
フランクやシン曰く、大精霊はそれぞれの属性のフォルスに対して一体ずつ存在しており、それら全てを含めて四大精霊と呼ばれる。
この惑星アシリアには、広大な海を隔てて四つの大陸が存在しており、そのうちの一つが、リリたちのいるアンモス大陸だ。ノームによれば、原始の頃より四大精霊は、フォルスの均衡を保つ為、別々の大陸にそれぞれ棲み付いているという。残る三体の大精霊、火のサラマンダー、水のウンディーネ、そして風のシルフと契約を結ぶ為には、このアンモス大陸を除く三つの大陸――クラスィア、ヒマロス、パラム大陸に渡る必要があった。サラマンダーはクラスィア大陸、ウンディーネはヒマロス大陸、シルフはパラム大陸にそれぞれ棲み付いているが、何処に棲み処を持っているかということまでは、ノームは知らなかった。
「造船の街ヴェッセルの船大工たちに、急遽一隻、帆船の製造を開始するよう勅諚を出した。完成までにひと月以上は掛かってしまうだろうが、皆は先にヴェッセルへ向かってくれ。私は私で、フランク殿とも情報を交換しながら、各大陸で大精霊の伝承や伝説が残っている地域を絞り込んでみよう。判明し次第、ヴェッセルに鳩を飛ばす」と、ライラット王は言った。
「本来であればこのような世界的な危機には、帝国騎士団を始め、国家の戦力を以て対抗すべきだが、アーツの、そして大精霊の力もが必要となってしまった以上、そなたらを頼るほかない。リリ殿、ドボロ殿、ルチカ殿、バーンズ殿、そしてシンよ。頼まれてくれるだろうか」
「乗りかかった船、という奴です。それに、私もこの子たちも、目の前で世界が終わらせようとされているのを、みすみす見逃すことは出来ません。そしてたまたま、私たちはそれに対抗する術にも恵まれていた。それだけのことです。それを私に気付かせてくれたのは、この子なんですよ」
バーンズはそう言って、リリの頭に右の手を乗せた。
父の仕事風景を普段から間近で見ているリリは、それが非常に大きな手であることを知ってはいたが、実際に頭に乗せられてみると、その大きさに改めて驚いた。そして普段は自分を褒めない父が、人前で、ましてや国を統べる王に対してそう言ったことを、リリは誇らしく感じると共に、口角をニヤリと押し上げて、左後方に立つ父の顔を見上げた。
「リリ殿はお若いのにしっかりしていてご立派だ。母君も、喜んでおられるでしょうな」
その言葉に、バーンズはかつて一度だけ、妻が亡くなったことを納物祭で会った際にライラットに話したことを思い出した。そして、他愛もない一般市民の家族の話を、事細かに記憶しているライラットに対し、敬意を覚えた。
「では皆の衆、改めてよろしく頼む」
頭を下げて、ライラットはリリたちを送り出した。それから一週間余りを有して、リリたちはヴェッセルに辿り着いた。
ヴェッセルでは、既に――後にリリによって『ドボロ号』と名付けられる――帆船の製造が進められていた。何十何百といるヴェッセルの屈強な船大工たちの姿に、リリは初め、厳格さのようなものを感じて慄いた。が、実際に言葉を交わしてみると、彼らの多くは気さくで気前がよく、旅立ちまでにリリたちのことを、存分に持て成してくれた。
出発までの一ヶ月の間、リリたちは入念な準備と、そして共鳴術の修業に明け暮れた。中でもリリとシン、ドボロとクーランは、実際に短剣と柳葉刀を何度も交え、互いに高め合い、競い合った。リリは数度、ノームを招来してその力を借り、実際に戦闘で使用するという想定のトレーニングも行った。通常の〝共鳴〟時の倍以上のフォルスを扱うことになる為、身体には勿論大きな負荷がかかり、初めのトレーニングの翌日、リリは猛烈な筋肉痛に襲われた。が、何回かを繰り返すうちに、ノームの力を操ることにも、リリは慣れることが出来た。
一方でシンは、出会った時には明らかに自分よりも格下で、まさに『へっぽこ』だったリリが、この三ヶ月と少しの間にその実力を大きく伸ばし、自分と肩を並べるか、時折それ以上のものを見せるようになったことに対して、焦燥のようなものを感じていた。その上リリは、今やノームとの契約さえ結び、その力を使われれば、到底自分の力の及ばぬところにまで到達してしまっている。パーティ全体としての戦力が上がっていることを喜ばしく思う反面で、シンはリリに対する劣等感を、感じずにはいられなかった。地の能力が高く頭のよいシンは、その劣等感を共鳴術の修業へと当て付け、フォルスコントロールの腕をめきめきと上達させた。
ルチカはルチカで、弓矢と組み合わせた共鳴術技を着々と習得していったほか、バーンズの言うところの『治癒の力』を持った共鳴術技をも、少しずつではあるが自分のものとしていった。アーツ使いとしてのスタートが最も遅かったルチカは、そのことについて焦りを感じないではなかったが、冷静沈着なラメールの助言を受けながら、一歩一歩確実に、確かな技術を身に付けた。
三人の成長を見守りながら、バーンズは勿論、それを眺めていただけではない。バーンズなりに改めて、共鳴術を基礎から学び直し、ヘルズと共に、彼は自らを更なる高みへと押し上げていた。
ドボロ号製作の進捗が七割程度まで進んだ或る日、リリたちの宿泊していた宿屋に、ライラット王からの鳩が届いた。ドボロ号の完成までに、ライラットが本当に大精霊の神殿を見つけられるのかどうか、リリは危惧していたが、それは杞憂に終わった。流石は一国の主、とでも言うべきか、ライラットは残る三体の大精霊が眠る場所の情報について、かなり古いが信憑性のある資料と共に送付してくれていた。シンとバーンズは相談の上で、生息する魔物の危険度や、進路の険しさなどを鑑みて、ヒマロス大陸のウンディーネ、クラスィア大陸のサラマンダー、パラム大陸のシルフの順に契約をすることに決めた。
滞在時間が長かった上に、ヴェッセルはアンモス大陸第三の都市として、アルバティクス、ファンテーヌに次いで栄えていたので、この間にリリたちは、服や武器を新調したり、十分な休息を取ることも叶った。落ち着いた環境の中で、ゆっくりと修練を積むことも。出発の数日前には、リリとルチカ、そしてシンは散髪もしてもらい、伸びてきていた髪をさっぱりとさせた。
「いよいよ、明日から新しい旅の始まりだね」
出発の前夜、リリは宿屋二階のベランダで、湿気を帯びた温い潮風に吹かれながら、ドボロと共に夜の海を眺めていた。この日も空はよく晴れ渡っており、空気も澄んでいたので星がよく見えた。海面に反射したそれは頗る幻想的で、リリは海の中にもう一つの宇宙があるかのような錯覚を覚えていた。
リリの後頭部の癖毛は、海からの風を受ける度に、リズムを取るように規則正しく揺れたので、ドボロはそれが面白くて、何となく見つめながら、明日からのことを考えた。と、ドボロはノームの言葉の中に、気にかかっていた点が一つあったことを、ふと思い出すと言った。
「なあリリ。一つ、気になってることがあるだ」
不意の言葉に、リリは目を丸くしてドボロを振り返った。ドボロが改まってこんなことを言うのは、非常に珍しいと感じたからである。「どうしたの?」
「うーん」と唸りながら、考え込むように眉間を顰めて、ドボロは言葉を濁した。リリは急かしたりはせずに、それを待つことにした。数秒の後で、ドボロは再びリリの目を真っ直ぐに見つめると、少しだけ寂しそうにして言った。
「オデは、ここに居ていいんだか? ノームはアーツのことを、『壊しても再生する兵器』って言ってただ。それに、オデは戦うのにこの星のフォルスを使っちまう。それが原因で、ずっと昔に戦争が起こった……」
悲しそうにそう言いながら、ドボロは悩ましい表情で、板張りの床を睨むように見つめた。
リリはドボロの言葉に驚いた。いつもニコニコと何も考えていないようで、ドボロはそんなことを考えていたのか、と。そして、ドボロがそんなことを考えていたことを寂しく思うと共に、そう考えさせてしまった自分への不甲斐無さを、リリは覚えた。それから、リリはドボロが毎日眠らずに夜を過ごしていることを思い出した。日中、幾らニコニコとしていようが、彼には物を考える時間は、存分に与えられているのだ。自分たち人間にとっては、そして精霊にとっては何気ない一言かも知れないが、確かに当の本人からすれば、兵器呼ばわりされるのは決して気持ちの良いものではないだろう。然しリリとて、ノームの口からその言葉が放たれた背景について、何も考えていなかったわけではない。
「ノームも悪気があってそう言ったわけじゃないよ。……僕も考えてたんだ。僕たちは本当に、ジークフリードと戦わなくちゃいけないのか、って」
「……リリは、あいつを許すんだか?」
「そうじゃないよ」
ドボロに向けていた身体を海に向き直して、ベランダの手すりに再びもたれると、リリは続けた。「あいつは、……ジークは根っからの悪人ってわけじゃないじゃない。人々の繁栄を祈ってアーツを開発して、問題が判明した時には解決しようと努力もしてる。その為の強行策が飛躍しすぎちゃっただけなんだ。そしてあいつは、自分で自分に呪いをかけてしまった」
リリはジークを案じていた。彼は人を愛し、精霊を愛し、アーツを愛し、そしてこのアシリアを愛していた。その愛が、自分を含めた全てを、壊してしまったのだろう、と。
「ノームは言ってたよね。大精霊の協力なくしてアーツを造ることは出来ないから、これ以上アーツが増えることはないし、当時の使役者の血を継いでないとアーツを目覚めさせることは出来ないから、今後アシリアのフォルスが再び枯渇する可能性は、限りなくゼロに近いって。だったらジークはもう、人類やアーツを滅ぼす必要なんてないと思うんだ。僕たちは、……分かり合えるのかも知れない」
ノーム曰く、太陽王の時代の末期、世界中に存在するアーツの総数は四千を超えていたという。そしてフランクの言うところによれば、現在ファンテーヌの研究室が把握している再生済みのドルミールは千個強あり、そのうち使役者と巡り合って目覚めたアーツは七百程度だ。つまり、太陽王の時代の四分の一以下のアーツしか、現代では稼働していないことになる。今後それが増えたとしても、千に及ぶことはないと言われているとも、フランクは言っていた。
「戦わないで済むなら、オデもそっちの方がいいだ」
全てを理解出来てはいないであろうドボロが、あっけらかんとしてそう言うので、リリは左隣に立つ彼の顔を見上げて、静かに微笑んだ。ドボロは尋ねる。
「オデもジークに造られただか? あいつはオデのことを知ってただ」
「そういうことになるね」
そのことについても、ノームは語っていた。アーツを造る為には、大精霊の協力だけではなく、特別な技術と知識が必要になる。これを扱えるのは太陽王の時代から現代までに、世界で唯一ジークのみだったので、開発機関が幾ら拡大しようが、実際のアーツの製造自体はジークが一人で行っていたのだと。ともすれば、ジークがドボロのことを覚えているのは、自然的だが不自然でもある。『自身で造ったのだから覚えている』という考え方はないではないが、四千以上も造ったアーツの中の一つを、たまたま覚えていたというのでは、流石に無理がある。ドボロは特別な役割を持ったアーツだったのではないか、とリリは考えていた。その理由は三つだ。
一つ目は先に述べた通り、ジークが四千以上存在したアーツの中の一つでしかないドボロを、どういう理由からか覚えていること。二つ目は、ドボロが他のアーツとは違い、フォルスチェインを使わずに自分と〝共鳴〟が出来ること。そして三つ目は、ジーク一味やノームの言葉の中に見え隠れする『リリーシア』という謎の人物の影だ。リリは恐らく、これが自分の祖先であり、ドボロのかつての使役者だったのではないかと推測していた。
「じゃあジークは、オデの父ちゃんだか?」
「違うよ」と返して、リリは笑った。「でもそう考えると、僕はジークに感謝もしなくちゃいけない。彼がいなかったら、僕はドボロに出会えてないんだから」
リリの言葉に、ドボロは口を縫い合わせるように閉じると、両の口角をゆっくりと上げた。
「リリ、オデと出会ってよかっただか? 大変なことに巻き込まれて、迷惑に思ってないだか?」
「そんなわけないよ。君はあの日、僕を村の外の世界に連れ出してくれた」
「初めて出会った時のこと、ちゃんと覚えてるだか?」
「うん、よく覚えてる」
静かに頷きながら、リリは凡そ四ヶ月前のあの日の光景を、脳裏に思い浮かべた。恐る恐る開いた扉の向こうで、初めてドボロのドルミールを見つけた時のこと、そしてそれを目覚めさせた時の胸の高鳴りを。と、リリの身体は不意に、ふわりと宙に持ち上げられた。「うわっ」
ドボロがリリの身体を、右手で抱き上げたのだった。そしてそのままリリの身体は、ドボロの肩に肩車の形で乗せられた。リリはバランスを崩さぬように、慌ててドボロの角を掴んだ。
旅の道中、ドボロは時折、こうしてリリを肩に乗せて歩いた。リリはいつもドボロの角を掴んでバランスを取った。リリはドボロの肩から見る景色が好きだった。ここからは色んなものが見えるし、いつもと違う景色が見える。何よりも、肩の上で感じるドボロとの一体感が、リリは好きだった。こうしていると、ちっぽけな自分でも、世界のどんなところにも行けるような気がしてくるのだ。
ドボロと一緒なら、どんな相手にも負けない。半人前の自分と、半人前のドボロで、漸く一人前になれる。そんな感覚が、リリは好きだった。
「リリがオデを目覚めさせてくれた時、本当に嬉しかった。ずっと一人で寂しかったから、すごく嬉しかっただ」
「うん」
「オデ、リリのことが大好きだ。これからも、リリとずっと一緒にいたい」
それを聞いた時、深い闇の向こう側に、海と空の境界線を見つめながら、リリはふと、そこに二つの世界を見た。一つは、自分たちが今生きている現実の世界。もう一つは、ジークの望むアーツのない世界、つまりドボロのいない世界だ。それは静寂と鬱憂に塗れた世界だった。たった四ヶ月の間に、リリの中でドボロの存在は、それほどまでに重要なものとなっていたのだ。
「僕も、ドボロとずっと一緒にいたい。……だから、『ここに居てもいいのか』なんて言わないでよ。居ていいに決まってる。居なくちゃダメなんだ」
「ごめんだ」
謝りながらも、ドボロはリリにそう言ってもらえたことが嬉しくて微笑んだ。顔を突き合わせていなくとも、リリはそれをドボロの声色で理解した。少しだけ笑ってから、リリは再び真剣な眼差しを、海の向こう側に向けて言った。
「皆で一緒に居る為にも、僕たちは絶対に、ジークを止めなくちゃいけない。それが例え、何を犠牲にすることだったとしても」
リリの濃紺の瞳は、決心に燃えていた。それから、身体を乗り出してドボロの顔を覗き込むようにすると、その頬にニッコリと笑みを湛えて尋ねた。「これからも、僕に力を貸してくれる?」
ドボロはリリの身体を再び床に下ろして自分のほうに向けると、リリの小さな両手を、自らの両手で包み込むようにして微笑んだ。
「勿論だ」
巨大遺跡でドボロを目覚めさせた時、目覚めたドボロがこうして自分の手を握っていたことを、リリは思い出した。そしてリリは、屈託のない彼の笑顔を、これからも守りたい、決して絶やしてはいけないと、改めて心から思った。




