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時は遡り、凡そ二ヶ月前。
(ジークが千年前から考えを改めていないのであれば、彼奴の目的はただ一つ)
リリたちは精霊の里・ニルバニアから、山道を上って二時間ほどの地点に位置する、土の大精霊・ノームの祀られる神殿で、まさにそのノームの口から、驚くべき事実を耳にしていた。
(人類とアーツの歴史を……、今度こそ完全に、終わらせることだ)
その言葉に、リリたちは勿論、己の耳を疑った。
ジークフリードは千年前――即ち太陽王の時代から生き長らえている。そして『人類とアーツの歴史を今度こそ完全に終わらせようとしている』というノームの言葉は、同時に彼が『かつて人類とアーツの歴史を終わらせようとしたが、未遂に終わっている』ことを意味している。信じろというほうが、凡そ無理のある話であることは明白だった。が、リリの頭に思い浮かべられた人類史の中の〝或る空白〟に、その事実は解き掛けのパズルの一ピースのように、驚くほどピッタリと収まった。
「太陽王の時代、終幕の背景……」
呟くようにそう言ったリリを、シンはハッとした表情で振り返った。「……まさか」
(太陽王と呼ばれた、絶大な影響力を持つ男が、この世界を治めていた頃の話だ)
ゆっくりと斜め右上の虚空に顔を向けると、ノームは一度深い呼吸を挟んでから語り始めた。
(ジークフリードは、天才的な精霊術士だった。大人でも習得が困難な精霊術を、十二歳にして己が物としたと聞いている。そして十五歳の或る時、彼奴は我の前に姿を現した)
ノームの声は実際に空気の振動として鼓膜に触れることはなく、それはテレパシーのように、リリたちの頭の中に直接響いていた。但し、精霊言語を習得してノームと言葉を交わすことが出来るシンに、それがどういう形で聞こえているのか、ということは、リリには勿論知る由もない。然し事実として、山吹色に光り輝く巨大な鹿の姿を取ったノームが、――リリは原理が気になったのでノームの口元を執拗に観察していたのだが――言葉に合わせてその口を動かすことは、一度もなかった。
シンに視線を移すと、ノームは尋ねた。(フォルスの循環については知っているか?)
「研究が進められているが、実証はされていない。が、天下の大精霊がそう言っているということは、それも実在するということだな」
(いかにも)、とノームは言った。(我ら四大精霊には、この星を巡るフォルスの循環を監視し、その秩序を守る役割がある。そして中精霊、小精霊と呼ばれる者共には、小さな地域ごとの監視を任せている。太陽王が現れるよりも昔、人々により精霊術が開発されると、精霊たちは人々と契約を結び、その力を貸し与えるようになった。中精霊、小精霊には代わりが利く。然し大精霊は唯一無二の存在だ。我らが人と契約を結ぶわけにはいかなかった。人々の間でも、大精霊と契約を結ぶことは出来ないというのが通説になっていった。が、ジークフリードが持つ不思議なオーラに、我は導かれた。そして契約を結んでしまった。例えどんな人物であろうが、所詮は一人の人間だ。我のフォルスを借り受けるにも、その容量には限度がある。彼奴に力を貸し与えながらでも、秩序を守ることに支障は出ない、そう思っていた。事実、多少の歪みはあれど、フォルスは問題なく巡っていた。然し、これが全ての過ちの始まりだったのだ)
続く言葉に、リリたちは更に驚愕した。
(一年後、ジークは精霊の生態系を基に、アーツと呼ばれる人工生命体を開発した)
目の前で語られる事実は、最早リリたちにとって、物語の中の出来事のようにしか感じられなくなっていた。混乱し、戦慄し、自分たちが倒さねばならぬ相手へのただならぬ強大さを感じながらも、リリはその史実に、胸の高鳴りをも覚えていた。
現代では誰も知り得ない空白の歴史を、自分たちは当事者の口から、直接耳にしている。そしてその内容は、誰もが耳を疑うであろう、別次元の話そのものなのだ。リリの好奇心は、既に留まるところを失っていた。
(精霊が持つ、フォルスを操る能力は、その時代の人類に大きな繁栄を齎した。然し如何せん、精霊術は習得が非常に困難で、扱える人物は限られた。精霊術を扱えない者でも、精霊術士と同じようにフォルスを扱えるようになることを、ジークは願っていた。そしてアーツを造った。然し、土のフォルスからは土のアーツしか造り出せない。ジークは四大精霊の全てと契約を結び、各属性のアーツの開発を次々と進めていった。研究機関は徐々に拡大し、当初は有権者を対象に開発されていたアーツは、次第に一般の市民にも行き届くようになった。大量のアーツが開発されるに連れ、人々の生活は豊かさを増していった。輝きに満ちた時代だった。アーツにより人類は繁栄し、国々は互いに支え合い、高め合った。争いはなかった)
リリは違和感を感じていた。時代の流れとしては至って自然だが、ここまでにジークフリードという男は、一切の悪事を働いていなかったからだ。それどころか、アーツを開発し、この時代の立役者として、人々を良い方向へと導いている。
同じ違和感を抱いていたシンは、疑いのような細い目をノームに向け、彼に尋ねた。
「そして……、何が起こった?」
一度、こっくりと深く頷いてから、ノームはリリたち一行を見渡すようにして、その空間を広く見つめた。
(フォルスはこの星の形成と共に生まれ、長い時間をかけてその厖大な量を培ってきた。一度使用されたフォルスは、不完全な状態でフォルスの流れに戻り、また長い時間をかけて純粋な状態に修復される。長い目で見れば無限ではあるが、短期間に大量のフォルスが使用されれば、勿論その総量は低下する)
ノームは一度話を区切った。リリたちが頷き返したのを確認してから、次を続ける。
(アーツは精霊と同じく、フォルスの流れに干渉し、それを操る能力を持つ。そして中精霊、小精霊が操るフォルスとは違い、アーツによって使用されるフォルスは、我ら四大精霊の感知の及ばぬところにある。それでもその速度が或る程度であったならば、我々にも打つ手はあった。然し、我々が想定していたよりも遥かに速いスピードで、アーツの普及は進んでしまった。気が付いた時には手遅れだった。莫大な量のフォルスが、アーツによって使用されていたのだ。フォルスが完全に枯渇すれば、アシリアはその形を保つことが出来なくなる。星も生き物だ。滅ぼされるのを黙って待ちはしなかった。大地は割れ、海は荒れ、山は燃え、風は竜巻となり、その全てが、人々に牙を剥いた。アーツの使用を早急に停止するように、我々はジークに申し出た)
栄光が、一瞬にして絶望へと崩れ落ちる様を想像しながら、リリはその惨酷さに思いを馳せると、言葉を失って括目した。
(ジークはこれを受け入れ、人々に声明を発表した。然し、人々はこれを聞き入れなかった。国内外を問わず、既に全世界に輸出されていたアーツは、最早人類にとって、必要不可欠な存在となっていたのだ。人類はアーツの持つ力に憑りつかれていた)
ノームの話の全ては、現代に於ける精霊学の研究の内容と合致しており、リリはその整合性の高さに驚いた。
大精霊は実在した。そしてフォルスの流れの存在も、実際に秩序を守る役割があることも、その口から直接聞くことが出来た。太陽王の時代、精霊を基にアーツが開発されたことも、大精霊と契約を結んだ超人が存在したことも、天変地異が頻発していたという事実も。そしてその背景には、『フォルスの枯渇』という要因があったということも。
自分が携わった研究ではないにせよ、先人が熱意と時間を費やして行った研究――今もフランクを含む研究者たちが一生懸命に取り組んでおり、何よりも、シンもがかつて取り組んでいた研究が、内容も理解していないような連中に蔑ろにされたということを、リリは酷く、悔しく思っていた。ノームの話への驚愕とは裏腹に、その研究結果が、長らく存在を実証出来なかった大精霊の、まさにその張本人の口から目の前で論証されているということに、リリは言いようのない喜びを感じていた。が、その感動も束の間、続くノームの言葉に、リリの喜びは打ち砕かれた。
(そして、戦争が始まった)と、ノームは目を細めながら言った。(アーツとフォルスを奪い合う戦争だ。アーツも戦線に立たされたことから『アーツ戦争』と呼ばれた。自国のみがアーツを、そしてフォルスを扱えればよいという身勝手な動機を、民の生活を守る為という肩書きで塗り隠し、各国が日夜、必死の闘争を繰り返した。昨日まで味方だった国が、日が明ければ敵になることもあった。裏切りが裏切りを生み、狂気に走る者も現れた。あれほどまでに美しかった世界は、たった数日で混沌そのものと化した。アーツが造り上げた文明を、アーツが破壊するのだから皮肉なものだ。しかもアーツは精霊と同じく、破壊されればフォルスの流れに戻り、フォルススポットから再生する。壊せど壊せど再生する兵器を、全ての国が所持した上で始まった戦争だ。泥沼化することは、どの国も危惧していた。然し、幸か不幸か、戦争はそう長くは続かなかった。一ヶ月足らずのうちに、一人の男の手によって幕を閉じたのだ)
その凄惨さを思い浮かべながら、リリは居たたまれない気持ちになった。一方で、その男の名はリリには、最早想像するに容易かった。結果的に、リリの予想は的中した。
(……ジークフリードだ。彼奴は独自に開発した特別なアーツの力を用いて、半ば無理矢理に戦争を終結させた。が、残念ながらジークの行動は、それだけには収まらなかった。彼奴の中で、何かが弾けてしまっていたのだろう。ジークは自身の使役するアーツと共に、当時の世界の全てを焼き払った。こうして、太陽王の時代は終わった。フォルスの流れを乱すことで、アーツの再生を少しでも遅らせるべく、ジークは我々四大精霊の力を封じ込めた。そして、千年の時が過ぎた。ジークの魔手から逃れ、僅かに生き延びていた人々は少しずつ復興を果たし、現在のそなたらに至る。ジークは特別なアーツの力を以て生き長らえ、人類と共に復活の兆しを見せるアーツを、再び滅ぼそうと動き出している、というところであろう)
全ての話を聞き終えた一同は、暫し絶句した。事実であることは受け入れざるを得なくとも、一度にことの全容を知ってしまったリリたちの頭は、酷く混乱した。
ジークが使役する、特別な力を持つアーツがどういったものなのか、そして『リリーシア』なる人物が何者なのか、ということについて、ノームは語ることが出来ない、と言った。然し、語ることが出来ないということは、少なくとも或る程度の知識を有してはいる、ということでもある。
シンは〝第二共鳴〟や、波長をズラす技術についても聞いてみたが、これについてノームは一切の知識を持っていなかった。ジークのアーツが持つ特別な力とは別物であるとした上で、(恐らくこの千年の間に開発された新たなる技術ではないだろうか)と、ノームは答えた。
(大精霊として初めてジークと契約を結んでしまった我にも、人類にこのような道を歩ませてしまった責任はある。ジークに再び同じ過ちを犯させるわけにもいかない。我に掛けられた封印を解いてくれたことにも、感謝している。そなたらが望むのであれば、精霊術士シンを仲介にリリと契約を結び、この力を貸し与えよう)
シンは真っ直ぐにノームの瞳を見つめると、一度だけ頷いて静かに言った。「頼む」
シンに頷き返すと、ノームは球体から鹿の姿に変わった時のように、その形を歪ませ、流動的な光の姿となると、そのままリリの周りを数度旋回し、リリの胸の中へと吸い込まれるように消えていった。
リリは自分の中に、一つの魂のようなものが入ってくるのを感じた。僅かな差異はあるものの、それはドボロと〝共鳴〟している時の感覚と酷似していた。然し、今までに枷のように感じていた、自分に扱えるフォルスの量の上限が、明らかに倍以上に膨れ上がったのを、リリは感覚で理解した。またこの状態ならば、自分の声が直接ノームに届く、ということも。
「すごい……、力が漲ってくる……」
両の手を見つめて握ったり開いたりしながら、嬉しそうに呟くリリを見て、ルチカは彼の身体の或る変化に気付くと、驚くように言った。
「リリ、瞳の色が変わってる……!」
濃紺だった筈のリリの瞳は、ノームがその身体に宿っていることを示すかのように、山吹色に輝いていたのだ。
「この力があれば〝第二共鳴〟にも勝てるかも知れない……! いや、きっと勝てる!」
大精霊が持つ力の大きさを確かめるように、リリは繰り返し頷きながらそう言った。
(過信と慢心は命取りになる。決して敵を侮らず、常に自らを省みることだ、リリ)
「うん。これからよろしく、ノーム」
と、ノームは先と逆の動きでリリの胸から飛び出し、数度リリの周囲を旋回すると、今度は神殿の舞台に溶け込むように消えていった。リリの瞳の色は元の濃紺に戻り、また軽く感じていた身体がズン、と重くなるのをリリは覚えた。
(我にはフォルスの秩序を守るという役割もある。常にそなたの身体に宿っているわけにはいかない。必要のある時、『地神招来』と呼び賜れよ。この星の上ならばいずこにでも駆け付け、そなたの力として共に戦おう。これが我の誓いだ。そなたの誓いを聞かせよ)
「誓い?」とリリ。シンが答える。「精霊との契約には、互いに誓いを交わすことが必要なんだ。誓いが破られた時、契約は終わる」
リリは考え込むようにして項垂れ、右手で口元を覆い隠すと、数秒間悩むように唸った。それから、「うん」と頷きながら、改めてノームが消えていった舞台に顔を向けると、言った。
「ジークの野望を阻止する為に、どんなことがあっても立ち止まらずに進み続ける。これが僕の誓いだ。……これで大丈夫?」
(リリの誓い、確かに聞き届けた)
こうして、リリとノームの契約は結ばれた。
不明瞭だったジークらの思惑が判明した上に、大きな力を手に入れることも叶った。この神殿での出来事は、自分たちにとって非常に大きな前進であると、リリは心から感じていた。




