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巨人と少年  作者: 暫定とは
四章『解放』
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 アシリア歴二〇四八年、八の月二十の日。

 リリと土の大精霊・ノームの契約から、(およ)そ二ヶ月が経過しようとしていた。リリたち一行はこの一ヶ月余りの間、光の帝都(ていと)アルバティクスから、湖上(こじょう)の研究都市ファンテーヌを挟んで更に南東に位置する、『造船の街・ヴェッセル』に滞在していた。

 アルバティクスを始め、アンモス大陸各都市の海の玄関口としての役割も務めるこのヴェッセルは、橙色の石畳に、鼠色のノコギリ屋根と白煉瓦(しろれんが)の建築が立ち並ぶ、海に面した巨大な造船工場が特徴の街である。

 ヴェッセルではこのひと月の間、リリたちの海を渡る旅路の為に、フォックシャル帝国現帝王ライラットからの勅命(ちょくめい)で、腕っ節の良い船大工(ふなだいく)たちによって、二本のマストと五〇メートルほどの全長を持った、一隻(いっせき)帆船(はんせん)の製造が、急ピッチで進められていた。そして昨晩、遂に完成を迎えたその船は、この日の早朝には港に浮かべられ、出発の時を待ち詫びていた。

「ここから、新しい旅が始まるんだね」

 潮の匂いのする風にクリーム色の癖毛を揺らしながら、リリは帆船のデッキから、眼前に広がる広大な海を見つめてそう言った。いつも通りにその左隣に立ったドボロは、横長の口を縫い合わせるようにピッタリと閉じて、ニンマリと微笑みながら返す。「ンだ。オデ、海は初めてだからちょっぴり怖いけど、リリと一緒だから楽しみだ」

 出発のこの日、リリたちは肌が痛むほどの晴天に恵まれた。八月の強烈な日差しを反射して、海面(うみも)は――一度丸めて広げられた銀紙のように――細かく(きら)めいている。

「余計なことを言っている暇があったら、出発の準備を手伝ったらどうなんだ。リリ」

 木箱に詰められた船旅の荷を、船室へと運び入れながら、シンは細めた黒い目をリリに向けて言った。彼は少し前から、リリのことを『へっぽこ』と呼ぶことをやめていた。彼なりに心境の変化があったのだろう、とリリは受け止めていた。

 リリとノームの契約が済んだ後、シンはあれほど存在を否定していた大精霊を、自らの手で目覚めさせたことに酷く驚き、動揺していた。そしてニルバニアを去る際、族長のカレタカに突然頭を下げて、彼は言ったのだ。『この里に伝わる大精霊の情報は、精霊学の発展に必要不可欠だ。どうかファンテーヌに行って、フランクという男に力を貸してやってほしい』、と。リリとルチカは、シンの行動に驚愕した。カレタカは、自分は族長なので、ニルバニアを離れるわけにはいかない、と前置きをした上で、『私の友人を遣わせよう。彼は精霊に関しては私よりも深い知識を持っている』と言ってくれた。カレタカの娘のマカは、最後にはリリたちを、笑顔で見送ってくれた。

 荷積みが終わったのは昼前だった。日差しは昼にかけて、どんどん強くなっていく。

 ヴェッセルの船大工の頭領(とうりょう)グリントと、グリントの右腕として彼の仕事を支える水のアーツ・バトーを始め、世話になったヴェッセルの人々に礼を告げると、リリたちはいよいよ船に乗り込んだ。

「グリント殿、バトー殿。本当に世話を掛けた。ありがとう」

「バーンズさんよ、必ず無事で戻ってくれよな。またアンタと美味い酒が飲めるの、楽しみにしてっからよ」

 太い指で、赤く大きい鼻の頭を(こす)りながら、グリントは少し恥ずかしそうにそう言った。グリントは五十代半ばほどの、背の低い筋肉質な男で、前頭部から頭頂部にかけて禿げており、左右の側頭部には白髪(しらが)交じりの茶髪が、短く切り揃えられていた。

「ああ、俺も楽しみにしている」

「リリとシンの坊主も、ルチカの嬢ちゃんも、くれぐれも気を付けてな」

「はい!」

 大きく頷きながらそう返すと、リリは小走りでマストに駆け寄り、二本のマストの帆を順に張ってから、碇を引き上げた。桟橋(さんばし)係船柱(けいせんちゅう)に掛けられたロープをグリントが外すと、船はゆっくりと、沖のほうへと進み出した。(かじ)の前に立ったバーンズは、動作を確かめるように数度、それを小刻みに回したあと、面舵一杯(おもかじいっぱい)に大きく切った。

「良い風が吹いてやがる。無茶だけはしなさんなよ! 良い旅を!」

 水平線に霞んで見えなくなるまで、グリントら船大工たちは、リリたちに手を振ってくれた。新たなる旅路への高揚感と、別れの寂しさの間に揺られて、リリは言いようのない気持ちになった。

「ねえリリ。そういえば船の名前、ちゃんと考えてくれたの?」

 風に煽られる紺瑠璃(こんるり)の髪を両手で押さえながら、デッキから海を見つめていたルチカは、リリを振り返ってそう尋ねた。

 何かの話の流れで、自分が船の名前を考えることになっていたことを、リリはしっかりと覚えていた。そしてその名前も、もうずっと前から決めていたのだ。

「もう決まってるよ」

「へえ、教えてよ」

 この船は、自分たちを何処までも運んでくれる。皆の希望を乗せて、広い世界に導いてくれる。〝それ〟はこの船にピッタリな名前であると、リリは自負していた。

 これから発表するその名を思い浮かべるだけで、リリの頬は自然と緩んだ。左隣に立つ巨人と目を合わせると、リリは一層嬉しくなった。巨人のほうは、というと、キョトンとした表情でリリのことを見つめ返した。青く輝く海に視線を移すと、リリは言った。

「この船の名前は……、ドボロ号!」

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