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家屋の中には、外から見た印象よりも広々とした空間が広がっていた。円状になった部屋の中心には一本の柱が立っており、それが茅葺きの屋根を支えているようだった。室内は二つの篝火によって明るく照らされており、またココナッツのような独特の香りがした。土の床には革の絨毯が敷かれており、入り口で靴を脱ぐように促されたリリたちは、言われた通りにそうして、家屋の中央に横並びに座った。
「成程、王の使者というわけか」
リリたちの向かいに大きく胡坐をかいて、リリの口から一通りの話を聞き終えると、――長槍を持って姿を現し、リリたちを家屋の中へと導いた男――カレタカは唸るようにそう言った。彼は風のアーツ・ニーヨルと共に、ニルバニアの人々の暮らしを守り、それを取り纏めている族長なのだという。カレタカより先にリリたちの前に姿を現したおかっぱ頭の少女は、カレタカの娘でマカというそうだった。彼女は未だ、リリたちに不審の目を向けたまま、カレタカの後ろに隠れている。そしてこの家にはもう一人、かなり年老いた男がいた。カレタカの後ろで、その男は一段上がったところに、特別材質の違う布を敷いた上に腰を据えて、リリたちがそこに入った時から、岩のように微動だにしていない。褐色の肌に入った深い皺は、枯れた大地に入ったヒビを、リリに思い起こさせた。目は開いているのか閉じているのか分からないほどに細く、頭には長い白髪を携えている。頭の上にはカレタカのものよりも幾分も立派な、赤い羽根の冠を乗せていた。男を振り返りながら、カレタカはゆっくりと言った。
「父よ、彼らは王の遣いでここに来たそうだ。大精霊・ノームに会いたいと言っている」
ノームが土の大精霊の名前であることを、リリは思い出していた。然し、リリは『大精霊がここにいると聞いて来た』と言っただけで、それがノームであるとは一言も言っていない。そもそも、リリたちはライラットから、『大精霊がいるらしい』ということしか聞いていないのだ。ともすれば、彼らにとって大精霊といえばノームのことであり、ここには実際にノームがいる、ということなのだろう、と、リリの心は期待に高まった。
カレタカが父と呼んだその男は、一分以上何も言わなかった。それから、首ごと項垂れるような相槌を、一度だけ打った。それを合図するように、カレタカはリリたちを振り返って立ち上がった。
「今日はもう遅い。ノームの下へと案内出来るのは、明日の朝になってしまうが、それでもいいか?」
「大丈夫です」
「今晩は空家を貸そう。詳しい話はそちらでさせてもらう」
そう言って、カレタカはリリたちを、里の外れにある古びた空家へと導いた。
「長老で父のアロも、もうじき一〇〇歳を迎える。私の話も、最早通じているのか、聞こえているのかすら分からない。然し、長者の意志を尊重するのが、ニルバニアの古くからのしきたりなんだ。それが里を守り、大精霊を守ってきた」
空家の篝火に火を灯し、絨毯に被った埃を払い、リリたちの為に布団を敷いてから、そこに座ってカレタカは語り始めた。カレタカの声は低く、分厚い唇の隙間から、獣のいびきのようにしゃがれて響いた。
「確かにこのニルバニアには、古くから伝わる、土の大精霊ノームの伝承がある。ここから山道を更に上っていくと、ノームが祀られている神殿もある。然し私たちが知る限り、それはあくまでも伝説的な存在でしかない。少なくとも私がこの地に生まれてから、ノームを実際に目撃したという話は聞いたことがない。父もノームのことは、伝承の中の存在としてしか認知していなかった。言い伝えによれば、太陽王の時代以降、ノームは何らかの原因で深い眠りに就いている。何者かの手によって封印されているとも聞く。太陽王の時代以前には、ノームは黄金に輝く鹿の形を取って、時折人々の前に姿を現していたらしいのだが、それも千年もの前の話だ。今となっては確認のしようがない」
カレタカのその話に、リリたちは僅かながら意気消沈した。「明日の朝、日の出と共に出発する」と告げて、カレタカはその空家を出て行った。
「元より確実な手だったわけじゃない。全ては明日、ノームの神殿に行ってみれば分かることさ」とシンは言った。リリはその冷静な言葉の中に、シンの願いのようなものを感じた。『大精霊は実在しない』と言う彼も、きっとまだ、その可能性を捨てきれてはいないのではないか、と。
「ドボロはどう思う?」
眠りに就く前に、リリは座って壁にもたれかかるドボロに尋ねた。「うーん」と唸ってから、ドボロは答えた。
「難しいことは分からないだ。でも、それがリリの力になるなら、いてくれたらいいと思うだ。バウムの森やファンテーヌの時みたく、リリが傷つくのは嫌だ。……オデは、もっと強くなりたい。それでリリを守れるのなら」
バウムの森での戦いを、リリはもう一度思い出してみた。ボロボロになりながらも、ドボロが自分たちを守る為に必死で戦ってくれたこと。そして自分も、ドボロを守れる力が欲しいと、強く願ったことを。
「僕もそう思うよ。おやすみ、ドボロ」
「ゆっくり休むだ、リリ」
大精霊が本当に存在するのなら、そしてこのニルバニアにいるのが土の属性を持つノームなら、契約を結ぶのは土のフォルスを持つ自分だ。精霊術を習得していなくても、精霊術士の仲介があれば精霊と契約を結ぶこと自体は可能だと、シンは言っていた。また、精霊学者の多くは学問の性質上、精霊術を嗜んでいる者が多く、自分もその一人だったのだ、と。
上手くいけば、それは自分とドボロにとって、大きな力になる。ドボロや他の皆を、守る力になる。
そんなことを思いつつ、リリは久々の布団に愛しさを感じながら、深い眠りに就いた。




