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アルバティクスを発って十一日目、漸く目的の集落のある山の麓に辿り着いたリリたちは、そこから山道に入って集落を目指した。
山道、とは言っても、急勾配の山肌に、無数のヘアピンカーブによって無理矢理に形成された、獣道にも近い、険しい道だ。それに加えて、数日前から付近の天候が荒れており、リリたちの進捗は予定より幾分か遅れを取っていた。この日は雨こそ降っていなかったものの、空は暗雲に覆われ、山中には強い風が吹き荒んでいた。リリたちが踏ん張らねば身体を持っていかれそうになるほどの暴風も、時折吹いた。昨晩までの雨で山道の土はぬかるんでおり、リリたちは慎重に進むことを余儀なくされた。
「そうだ」とリリは、何かを思い付いたように声を上げた。「ドボロ、フォルスで地面を固められないかな!」
強風で互いの声が聞き取りづらい為、会話は必然的に、普段よりも大きな声量で行われていた。
「やってみるだ」
足の裏にフォルスを集中させた上で、土を固めることをイメージしながら、ドボロは足元の地をドン、と踏んだ。パキパキと音を立てながら、ドボロの足を中心に土は水分を失って乾き出す。バーンズからの話があってから、アーツたちも使役者と共に共鳴術を学んでいたので、ドボロも以前と比較して、フォルスの扱いは上手くなってきていた。
「出来ただ!」
ドボロは嬉しそうにリリを振り返った。「さっすがドボロ!」とリリ。
それからはドボロを先頭にして、ドボロが踏み固めた土の上を、後続の四人が歩いていくような形となった。歩くのは幾分も楽にはなったが、やはり急な上り坂と強風による影響で、厳しい進路であることに、依然として変わりはなかった。
アーツはその身が無事である限り、アシリアに存在するフォルスを引き出すということに関しては制限はなく、基本的にそれは自由自在である。が、無意識下に於いて、フォルスを扱うということ自体が、精神力を削ることでもあり、戦闘などでそれを細かくコントロールしたり、今のドボロのように長時間使い続けることには、無論集中力を要する。結果的に、フォルスを扱うということ自体が体力を消耗することであり、体力が削られれば必然的に、フォルスの扱いは難しいものになってくる。その為、アーツといえど、共鳴術を学んで効率よくフォルスを使うことは、重要なことなのだと、昨晩もバーンズは語っていた。
口数も少ないまま、リリたちは山道を進み続けた。気付けば時刻は夕方に迫っており、峨々たる山肌の風景は、少しずつ夜の色を染め始めていた。視界は徐々に悪くなっていく上、疲れ切ったリリたちに追撃をかけるように、三十分ほど前から霧雨さえ降り出している。一番の問題は、この狭まった山道では、テントを張ることすらままならない、ということだった。一行には進み続ける以外に、選択肢がなかったのだ。そんな折、先頭のドボロが、視界の先に赤い火を見つけた。
「リリ、着いたみたいだ」
ドボロの声色も、大分疲弊してきていた。
リリはドボロの後ろから覗き込むようにして、その先の景色に目をやった。確かに、その向こうには火が灯っているらしく、明るく照らされている。リリは久々に感じる人間の生活感を愛しく思いながら、灯かりのほうへと駆けた。
「ちょっとリリ、転ぶわよ!」
案じたルチカが後ろから声を掛ける。ルチカも、勿論シンもバーンズも、休みなしの登山に憔悴しており、特に一番身体が小さく、唯一の女性でもあるルチカは、息も絶え絶えで、体力の限界が近付いていた。
リリの眼前には、確かに集落が広がっていた。切り立った崖のような山道の中に、突如として現れた広い平地には、茅葺き屋根と白い土の壁を有した、太い筒状で背の低い民家が数軒、立ち並んでいた。民家には扉はなく、敷居は布一枚で遮られている。家屋の出入り口付近には、それぞれに一本ずつの篝火が灯されており、霧雨に晒されたそれは、まさしく風前の灯とでも言うべきか、か細く揺れていた。集落の向こう側には、どうやら畑や墓地もあるようだったが、この雨と夜の暗さでまともに機能していないリリの目では、遠目に視認するには至らなかった。
(……精霊の里・ニルバニア)
リリがその場に立ち竦んで目を凝らしていると、向かって右手前の、一際大きな民家から、十歳にも満たないであろう、おかっぱ頭の少女が現れた。褐色の肌に黒の髪、黒の瞳を少女はしており、駱駝色をした革製の生地にターコイズの装飾がなされた、プリミティブな民族衣装を纏っている。足首には青と白を基調とした、ミサンガのような編み紐を巻いており、足には何も履いておらず素足だった。少女は視界の端にリリの姿を見つけるなり、素早くリリのほうを仰ぎ見た。数秒間何も言わないまま、驚きと懐疑の表情を浮かべてリリを見つめると、少女は慌ただしく、たった今出て来た家の中へと戻っていった。
(人はいるんだ)
リリはその事実に安堵を覚えながらも、然し彼女らに自分たちの言葉が通じるのか、一瞬の不安を感じた。後方から、ドボロたちが合流する。
「何かあったのか?」とバーンズ。
「うん……今、女の子が」
リリが言いかけたところで、再び右手前の民家の出入り口の布が除けられた。その向こうからは、少女と同じような民族衣装を身に纏った、五十代ほどの大柄な男が一人、現れた。頭には赤い鳥の羽を連ねた冠のような装飾品を被っており、その手には、長槍が携えられている。
リリは唾を飲んだ。恐らく、自分たちは不審人物、更に言ってしまえば敵対者と思われている。言葉が通じなければ、最悪自分たちの旅路は、この集落で終わることとなる。然し、その心配は無用だった。男は怪しむような視線をリリたちに向けながらも、静かに、そして口早に言った。
「……何者だ?」




