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「陛下までそのようなことを仰られるのですか! あまりに非現実的です!」
ファンテーヌを発って六日、帝都アルバティクスに到着し、再びリリたちを連れてライラットの私室を訪れたシンは、怒鳴るようにそう言った。事実、その顔には怒りにも似た感情が僅かに浮かんでいる。シンは取り乱していた。
リリたちが帝都に到着する直前、ライラットはファンテーヌから一通の手紙を受け取っていた。差出人はフランクであり、手紙の内容を要約すると、「古典によれば、大精霊はフォルスの流れを司る特別な役割を持っており、中・小精霊はその補佐的な存在でしかない。大精霊と契約を結ぶことが出来れば――尤も、大精霊と契約を結ぶことは古の文献に於いても不可能とされており、伝説に語られる一人を除いて記録には残っていない――、星に宿る厖大な量のフォルスを操ることも可能とされている。これが事実であるのならば、〝第二共鳴〟に対抗する鍵にもなり得るのではないか」ということであった。
この手紙の内容を、ライラットはリリたちに提案した。現状、これ以外に有力そうな手はない、と。そして、冒頭のシンの台詞に戻る。
「そう言うな、シン。フランク殿は手紙の中でも、出過ぎた真似ではないかと謝っておられる。同じ研究者としてお前のことも、大変気遣ってくださっているよ。迷いながらも筆を執ってくださったのだ」
ライラットの言葉に、シンは未だ納得がいかない、といった様子だったが、相手が相手なだけに、それ以上を言うことはしなかった。
「大精霊については、私なりの方法でこちらからも調べてみた。シンにはまた、非現実的だと言われてしまうかも知れないが……」
そしてライラット王は、リリたちに一つの集落を紹介した。
「先々代国王だった私の祖父が、このアンモス大陸を我がフォックシャル帝国に統一した際、如何なる支配も受け入れず、戦争にも応じなかった国がある。祖父はその国へ二度進軍させたが、軍は二度とも突発的な地割れに巻き込まれ全滅。ついには祖父は、そこを領土とすることを諦めた。彼の地の者たちが言うには、その地には大精霊が眠っている。遥か昔からの加護を受けており、敵意ある者の侵入は決して許されない、と。……元々小さな国だったが、人口減少に伴って、今では集落のようになってしまっている。険しい山中に栄えたことも手伝って、アンモス大陸にありながら、二年に一度の視察を除いては、我が国との交流も殆ど断絶されている。『精霊の里・ニルバニア』だ」
その翌早朝には、リリたちは帝都から北東の方角へと旅立っていた。
最短距離を取れば、ニルバニアへの道はアルバティクス・ファンテーヌ間とそう変わらない。が、リリたちの行く手は険しい山脈に遮られた。山に入れば移動速度が遅くなる上、危険が伴う。大回りにはなってしまうが、麓に沿って歩いても、結果的に到着までの日数はほぼ変わらないだろう、というバーンズの読みで、リリたちは山には入らず、山脈に沿うような形で進路を取った。然し、やはりというべきか、普段から人の往来がある帝都の周辺を離れると、草木は好き放題に生い茂っており、馬車の通るような街道も存在しない。リリたちの疲れは、慣れない悪路に加速させられた。
初日の夜、背の高い草原にテントが張れないことを悟った一行は、岩肌を見つけてそこで野宿の支度を取った。バーンズは自前の一人用テントを、コントゥリから持ってきていた。
「これで、ニルバニアが廃墟にでもなっていたら笑えないな」
冗談交じりでそう言ったシンに、「縁起でもないこと言わないでよ」とリリは笑い返す。
夕食を終えたリリたちは、焚き火を囲んで眠くなるのを待っていた。辺りには虫の声と、風が草を撫でる音、それに焚き火の中で薪の弾ける音が響いている。バーンズとヘルズが合流してからというもの、火起こしは幾分も楽なものになった。
「それにしても、大精霊か」
ライラットからの提案を、シンは未だ受け入れられないようにぼやいて、夜空を見上げた。この日は日中からよく晴れ渡っており、また今夜は満月でもあったので、リリたちの頭上には美しい星空が広がっていた。リリは向かいに座ったシンを真似るようにしてその星空を見上げながら、彼がこの光景を『美しい』とか『綺麗だ』とか感じるのであろうか、と考えた。
ファンテーヌに着く前にシンが口にしていた、『自分は探究心と研究心が服を着て歩いているだけの、幽霊のような存在だ』という言葉、そしてファンテーヌの資料館で、大精霊についてシンが激昂したことが、リリの頭には引っ掛かっていた。本当にシンが、彼自身の言う『幽霊のような存在』ならば、きっと怒りを露わにしたりはしないのだろう、とは思ったが、両親に捨てられた虚無感や喪失感など、リリには到底想像の追い付かないところにあったので、リリはやはり、何も言い出すことが出来なかった。考えれば考えるほど、リリにはシンが遠い存在のように感じ、同じ目的を持って旅を共にする仲間として、彼のことを分かり得ないのは、リリにとって少なからず苦痛でもあった。
「でも、大精霊を使役したって人だって、記録に残っているんでしょ?」
向かい合う形のリリとシンに対して直角を向いて座っていたルチカは、シニヨンに纏められた紺瑠璃の髪のリボンを解きながらそう尋ねた。両耳に付けられた金のピアスのうち、右耳のものにはアシリア文字で『ルチカ=ラメール』とバーンズの手によって彫られている。ファンテーヌにあったバルド教の教会で、既に精霊のまじないも施されており、ここまでの道中の魔物との戦闘で、ルチカはラメールとの〝共鳴〟にも、少しずつ慣れてきていた。ラメールは今はドルミールとなって、ルチカのベルトのホルダーに収まっている。
「それこそ限りなく空想に近い。精霊学者の中でも、否定派のほうが多いくらいだ。……そもそも大精霊は、人前には殆ど姿を現さない、高尚な存在とされている。契約を結ぶどころか、その姿を確認すること自体が雲を掴むような話だったんだ。その上、大精霊がフォルスの秩序を守る存在だとすれば、それが人間と契約を結ぶということは、秩序を守る存在がいなくなる、ということだ。それも考え難い」
星空からルチカたちに視線を落として、シンは続けた。
「資料によれば、その人物が現れたのは太陽王の時代の終幕直前の頃とされている。栄光が潰えようという時に、そんな超人的な存在の登場を祈った人々が生み出した偶像だ、というのが、精霊学に於ける一般的な解釈だ」
シンの話は尤もでもあったが、リリの心には気掛かりが一つ残った。『大精霊が人間と契約を結ぶということは、秩序を守る存在がいなくなるということ』という点だ。
太陽王の時代の終幕直前ということは、フォルスの流れの乱れによるものとされている自然災害の頻発と、時期が重なっている。超人的な精霊術士の出現、そしてその人物の大精霊との契約により、フォルスの流れの秩序を守る者がいなくなり、フォルスの流れが乱れた結果災害が起こったと考えれば、合点がいかないでもない。
「火のないところに煙は立たない」と、テントから這い出ながらバーンズは言った。その手には、コントゥリから持ってきたものと思しき、年季の入った本を三冊、持っている。
「例え現実的でなかったとしても、今は少しでも可能性のあるものに頼るべきだ。現状、大精霊の存在を差し置いて、今の俺たちに出来ることは、殆どないに等しい」
「悔しいが、それが事実ではあるな」
焚き火に赤く照らされるバーンズの顔を振り返らずに、シンはそう返した。
「但し、堅実で現実的な方法が、まったくないわけではない」とバーンズは続ける。「大精霊に頼らずとも、俺たち自身がフォルスの扱いを熟知し、アーツとの〝共鳴〟を使いこなすことだ」
言いながら、バーンズはリリたち三人に、分厚い本を一冊ずつ手渡して回った。題目にはアシリア文字で、『コントゥリ流共鳴術』とあり、リリのものには『土』、ルチカとシンのものにはそれぞれ『水』、『風』と続いている。何のことだか、リリとルチカにはさっぱりだった。
「『共鳴術』か……。緻密なフォルスコントロールによって、フォルスを効率よく燃焼させ、より効果的なダメージを与える、〝共鳴〟を前提とした古典武術、という奴だな」
模範的なシンの回答に、バーンズは「流石だな」と言って、嬉しそうに頷き返した。
「同じ量の火のフォルスでも、使役者のテクニックによっては一にも十にも成り得る。それを可能とさせるのが共鳴術だ。俺の祖父、リリの曽祖父が村長だった頃よりも更に昔、コントゥリには常に、十人弱ほどのアーツ使いがいて、古くからの共鳴術を代々受け継いできていたらしい。それがコントゥリ流共鳴術だ。継承はあくまで形式的なもので、使う場面も殆どなくなっていた上、アーツ使いが減少の一途を辿っていたことを受けて、俺を最後に次代に継がせるつもりはなかったが、そうは言ってもいられないようだ。ルチカもフォルスの扱い自体には慣れてきている。この機会に、お前たちにも身に着けてもらおうと思う」
共鳴術について興味が湧いたリリは、バーンズの話に聞き入った。
「基礎は今シンの言った通りだ。アーツから受け取ったフォルスを使用する時、俺たちは身体の中でそれを循環・燃焼させている。現状のお前たちはその過程の中で、十のフォルスを使おうとする時、うち九を無為に燃焼させてしまっているような状態だ。実際に攻撃として放出出来ているのは、使っているフォルスの十分の一程度、ということになる。共鳴術を極めれば、これを十分の九程度までは底上げすることが出来る。相応の精神力と、集中力を要するがな」
基礎のみを何となく理解していたシンも、これには驚愕した。〝第二共鳴〟には流石に匹敵しないかも知れないが、今の自分たちにとって大きな力となることは間違いなかった。
「共鳴術には幾つもの流派があり、ここまではどの流派にも共通する基本だ。そしてここから先の応用が、今後の俺たちにとっての本命となってくる。共鳴術技、と呼ばれるものだ」
「共鳴術技?」とリリ。バーンズは頷き返しながら、左後方に立つ、自身のアーツの名を呼んだ。「ヘルズ」
「おう」、とヘルズの唸るような返事を聞くと、バーンズはその右手で、自身の心臓の辺りを軽く殴りながら、「〝共鳴〟」と言った。二人の身体からは、煙のような紅蓮の光が溢れ出す。
「共鳴術を用いてフォルスを効率よく操り、高濃度・高精度の攻撃を打ち出す必殺の技――それが共鳴術技だ」
そう言いながらバーンズは、リリたちから見て左の方角に身体を向けた。両の瞼を閉じ、右の拳を固く握りしめると、バーンズはそこに意識を集中させた。その背後では、ヘルズも同じように右の拳を握っている。二人の意識が右手に注がれるに連れ、その拳からは眩いほどのフォルスが、光になって溢れてくるのがリリたちには分かった。明らかに、通常の攻撃で使うフォルスの量とは桁が違うのが見て取れる。
集中が最高潮に達したと同時に、バーンズとヘルズは閉じていた目をカッと開いて、その身を大きく振り被ると、宙を裂くような鋭い右ストレートを放った。拳が空を切る高音に続いて、爆発のような轟音が数度、辺り一帯に響いた。二人の拳から放たれた炎が、粒子状の光と共に、数回に渡って小規模な爆発をしたように、リリには見えた。
リリは驚きに、言葉を失って目を丸くした。知識とテクニック次第でここまでの技を繰り出すことが出来ることも、それを自分の父が簡単にやってのけたことも、リリの頭はまだ、完全に理解しきれていなかった。
白煙を上げる拳を、バーンズは何でもなさそうに広げると、リリたちを振り返りながら「こんな風にな」と言った。ヘルズとの〝共鳴〟が解かれ、その体を覆っていた光は次第に拡散していく。空気の焦げるようなツンとした匂いが鼻を突いてから、リリは初めて「すごい……」とだけ声にすることが出来た。
「今のは火属性の下級技、〝爆焔拳〟だ。共鳴術技には『クラス』と『タイプ』の二つの分類がある。クラスとは、術技の強さや習得の難しさによる三段階の分類で、下級、中級、上級の三つが存在する」
全員がそれを理解していることを、目配せして確認すると、バーンズは続ける。
「タイプとは術技が持つ性質のようなもので、『術』と『技』の二つに分けられる。技というのは、今俺がやったように、通常の肉体や武器での攻撃に、強力なフォルスを付加するだけの単純な攻撃だ。普段の動作に共鳴術を重ねるだけなので、共鳴術の基礎さえ体得すれば、さして難しいことはない。これに対して術を使うのには、技を使うのとは全く異なるテクニックと、更に繊細なフォルスコントロールが必要になってくる。アーツがアシリアから受け取ったフォルスを受け取るだけで発動することの出来る技とは違い、術を発動する為には、それぞれの術が持つ固有の呪文の意味を正しく理解し、自身が精神体として、アーツを媒介にアシリアに宿るフォルスに直接干渉することが必要なんだ。これには並々ならぬ集中力が必要になるし、呪文の詠唱の際には大きな隙も生まれる。その代わりに、基本的に技よりも更に、威力の高い攻撃を発生させることが出来る」
リリとルチカ、そしてドボロの理解は、ここで躓いた。眉を八の字にするリリたちを見兼ねると、バーンズはあっけらかんとして言った。
「理論的には、な。実際のところ、術に関しては俺もほぼ素人だ。術と技には向き不向きがある。リリ、お前はどちらかと言えば俺と同じで、技のタイプに向いている。小難しいことは考えず、高威力の技でダメージを与えることを考えたほうが良い」
まだ完全には理解出来ていなさそうなリリにそう告げると、バーンズは今度はシンを見て言った。
「シン、お前は戦闘のセンスについては、二人より抜きん出ているし、頭もよく回る。風のフォルスを使った近接の速攻も見事なものだが、術についても磨きをかければ伸びていく筈だ。戦況に応じて技と術を使い分けていければベストだな」
「ああ、分かった」
「そしてルチカ」
バーンズは真っ直ぐな瞳でルチカを見つめて、声のトーンを落としてゆっくりと言った。バーンズにとっても一同にとっても、それは今後の旅路に於いて、重要なことであったからだ。
「今はまだ難しいと感じているかも知れないが、お前のフォルスコントロールには、時折目を見張るほどの才能を垣間見る。どちらかと言えば術のタイプに向いている筈だ。そして水属性の術には、癒しの力が宿るとも聞く。これから先、強敵や魔物との戦闘に於ける負傷は付き物になってくるだろう。遠距離が前提となる弓矢も、術のタイプとは相性が良い。お前の術は、皆を守る力になる」
ルチカの胸は、バーンズの言葉に高鳴った。それは少なからずプレッシャーにもなったが、今までリリとシンに助けられてばかりだったルチカにとっては、嬉しい言葉でもあった。「はい」と返事をしながら、ルチカは無意識のうちに自分の背筋がピンと伸びていることに気が付いた。
それからバーンズは、今後の戦闘に於ける基本の位置取りについて、自分とリリが前衛で敵の動きを牽制し、後衛のルチカが弓矢と術で援護、シンは中衛として、戦況を見ながら臨機応変に動くように、と指示をした。
「属性によって全く異なる術と技が開発されている為、実際に俺が教えられるのは基礎の部分と、火の共鳴術技だけだ。勿論、火のフォルスを使うのは俺だけだから、実質的には基礎から先は、各々本を読んで学んでもらうような形になる。寝る前の時間なんかを上手く使って読書とイメージトレーニングをして、昼間、魔物との戦いで実際に使ってみてくれ。その本は渡しておく」
リリは受け取った本の表紙を撫でるようにして指で擦りながら、それを読むのが楽しみになった。この本が、自分とドボロを強くしてくれるのだ、と。
何かに気付いたように、シンは「そういうことか」と言ってバーンズを仰ぎ見た。
「どうして陛下からの鳩を受け取ったアンタが、たかだか一週間程度でコントゥリからファンテーヌまで辿り着いたのか、ずっと不思議に思っていた。翌日死んだように眠っていたのも、そういうことならば頷ける」
そういえば、とリリは思った。リザとの戦いの翌日、バーンズは夕方まで、リリが見たこともないほどの深い眠りに就いていた。その為に聞くタイミングを逃していたが、バーンズがファンテーヌに到着するまでの有り得ない速度を、リリも不思議に思っていたのだ。「どういうこと?」とリリは、シンとバーンズの顔を伺った。バーンズがそれに答える。
「朝、陛下からの手紙を受け取った俺は、ダグザや村の皆と相談した上で即座に出発の準備をし、翌朝にはコントゥリを発った。それから一週間、共鳴術による高速移動でほぼ眠らずに走り続けて、ファンテーヌに辿り着いた、というわけだ。ヘルズには、ちょっと無理をさせてしまったがな」
そう言いながらバーンズは、後方のヘルズを振り返って、その肩を軽く叩くようにして手を置いた。ヘルズはニヤリ、と口角を上げ、目だけを動かしてバーンズを見た。リリとルチカは、驚きに顔を歪ませて聞き返した。「一週間!?」
「父さん、無茶し過ぎだよ! ただでさえ病み上がりだっていうのに……。村の皆だって心配するよ!」
言いながらリリは、リザとの戦いに合流したバーンズの上着が、酷くボロボロになっていたことを思い出した。そんな速度で移動していれば、何かに引っ掛けたり、擦ったりして、傷だらけになるのも無理はない。今はバーンズの上着は、替えに持ってきたものと着替えられ、綺麗な状態を保っていた。
「俺に心配を掛けて、無茶をさせたのはお前だ。お互い様だろ」
そう言われてしまうと、リリには反論のしようがなかった。「そりゃそうだけどさ……」と肩を竦めると、リリはコントゥリからアルバティクス、ファンテーヌまでの道のりに思いを馳せた。トリュンマ大空洞への立ち寄りなどはあったものの、自分たちが一ヶ月をかけて歩いた距離を、僅か一週間で走り抜けるとは、我が父ながら無理をする、とリリは呆れながらも、自らを省みずに自分たちのことを思って駆け付けてくれた父に、偉大さのようなものを感じてもいた。何よりも、あの場にバーンズの到着が間に合っていなければ、自分たちはリザの手によって殺されていたかも知れないのだ。リリは改めてそれを実感すると共に、バーンズに礼を告げた。
「ありがとう、父さん」
「礼には及ばん。お前たちが無事で何よりだ」
焚き火の向こう側で陽炎に揺れながら、バーンズはそう言って、満足そうに微笑んだ。




