31
翌日、地下一階の研究室を一通り回り終えた一行は、地下二階への長い階段を下りると、その最下段の踊り場にあった扉の前で立ち止まった。
こんなところにあるので扉だろう、とリリは思ったが、一見して、それはどう見ても壁であった。オフホワイトの扉には取っ手がなく、右にも左にも開きそうにない。扉の右手前には、リリの腰くらいの高さの台座らしきものがあり、円状になったその天面からは、四角く切り取られたような青い光が浮かび上がっていた。
「地下三階には浄水施設しかないので、ここが最後の研究施設になります」
そう言いながら、フランクは胸ポケットから一枚のカードを取り出した。それをリリたちに見せるように持つと、フランクは真剣な表情になって、咳払いをしてから言った。
「ここに入る前に、一つだけ注意事項があります。現在、外部の方々は愚か、私のような職員も、地下二階への立ち入りは許されてはいません。今回は陛下からのお手紙もありましたので、学長の判断により、例外的にお見せしていいことになりました。但し、この中で見たこと、聞いたことは、決して外部には漏らさないようにお願いします」
リリたちが頷き返したのを確認してから、フランクは険しい表情を緩めて続けた。
「基本的には入る必要がないので、私もここに就任した時に一度入ったきりで、上手く解説が出来るかどうかは分かりませんが……」
フランクは手に持ったカードを、台座の青い光に翳した。「カードがなければ開かない仕組みになっています。これも元素機構の一つなんですよ」
ウィーン、と不思議な音を発しながら、その重厚な扉は下から持ち上がるように、自動で開いた。
扉の先に現れた、十段ほどの幅広な階段を下った先には――廊下と無数の研究室に分かれていたそれまでの階層とは打って変わって――、大きな広間が広がっていた。面積自体は他の階層と変わりないようで、凄まじく広い。降りてきた階段の分だけ天井は高く、部屋の全体は、壁と床に設置されたフォルス灯の、青白い光に照らされていた。壁と床、天井の繋ぎ目は湾曲して繋がっており、その全面が白い。見慣れない光景に、リリは超巨大な卵の殻の中にいるかのような感覚を覚えた。天井の端から壁に沿って床まで、部屋の外周には円状の滝のように水が流されており、床にも外周に沿って敷かれている水路の溝から、それは別の階層にでも流れていくようであった。フォルス灯の光を反射して、水は青白く輝いており、広間には水の流れる美しい音が響き渡っている。幻想的な光景に、ルチカは思わず「綺麗……」と漏らした。
フランクは部屋の中央に並んだ横長の白いテーブルに向かって歩き出しながら、リリたちに尋ねた。
「昨日、アシリアには百箇所以上のフォルススポットが確認されている、というお話をしたのを覚えていますか?」
リリたちの相槌を待ってから、フランクは続ける。「フォルススポットは、常に視認出来るほどのフォルスを放出しているわけではありません。詰まり、何もない普段の状態では、フォルススポットをフォルススポットとして判断することは出来ないのです。再生したドルミールを発見して、初めてそこがフォルススポットであると判明する、というわけです」
話を聞きながら、リリはそのテーブルの上に何かが並んでいることに気が付いた。二〇センチほどのオブジェのように見えるが、それぞれが全く異なる色と形状をしている。テーブルに近付くにつれ、それが楕円体の形状を取っていることがリリには分かった。それが何であるのかを理解すると同時に、リリはその数に驚いた。
「全てのフォルススポットには定期的に調査隊が派遣され、新しく再生しているドルミールがないかを確認します。発見されたドルミールはファンテーヌへと持ち帰られ、パートナーとなる使役者との出会いを、学院の地下二階で待つことになります。それがここ――」と、フランクはリリたちを振り返ると、右手でテーブルを指し示しながら続けた。
「『ドルミール安置室』です」
十数列並んだ途方もなく長いテーブルの上には、ざっと数えても二百以上のドルミールが並んでいた。
ルチカとドボロは勿論、シンもその光景には驚きを隠せずに、唖然としていた。
「この施設の存在は、今のところファンテーヌの研究者たちと、帝都でも王室と、その直近の方々にしか知らされていません。生活を豊かにする反面、戦闘能力の高いアーツは危険性も持っています。それゆえに学長は、大量のドルミールを保有するこの施設を慎重に扱ってきました。そして半年前から始まった連続アーツ泥棒事件を受けて、入り口はカードによる認証で厳重に締め切られることとなり、現在は立ち入り禁止となってしまっています」
フランクはそう言いながら、テーブルとテーブルの間の通路に入っていった。リリたちも後に続く。驚きが落ち着いてくると、リリたちの胸には言いようのない感動が込み上げてきた。ドルミールはその数量もさることながら、それぞれのオブジェとしての完成度も非常に高い。一概に楕円体とは言っても、突起のあるものや窪みのあるもの、その姿形は様々である。リリはドボロのドルミールにも角が生えていたことを思い出した。活動体のドボロと同様に、左の角が折れてしまっていたことも。
ドルミールの手前にはプレートが付けられており、それぞれには一見して意味不明な、数字の羅列が書かれていた。
「どこのフォルススポットで発見されたかによって、各テーブルに分けられています。プレートに書かれている文字列は、フォルススポットの番号、発見された日付、ドルミール自体の通し番号、となっています」と、フランクは言った。
あらゆる特徴を顕すドルミールに、最も感動しているのはルチカであった。一ヶ月の間、女性として着飾ることからかけ離れた生活を送っていたルチカには、美しく並べられたドルミールの数々は、アクセサリーショップのショーケースに並んだ煌びやかな宝石のようにも見えた。何よりもルチカには、口に出すことさえしなかったが、ずっと悩んでいたことがあったのだ。
弓矢を買って、自分の身を守れるようにはなったものの、肝心なところで力が及ばず、リリやシンに手を貸してもらわざるを得ない場面が、やはり多いということである。ルチカはアーツの力を、そして何よりも、リリとドボロ、シンとクーランのように、自らの分身として、兄弟のように苦楽を共に出来る、相棒の存在を欲していた。
(ここなら、もしかしたら……――)
そしてその期待は、ルチカの萌黄色の瞳を、自然と輝かせた。
リリも同様に、ここでならルチカと波長の合うドルミールを見つけられるかも知れない、と思い付いていた。その矢先であった。
(ルチカ……)
ルチカの耳に、微かではあるが、透き通った女声が届いた。
「え? いまアタシのこと呼んだ?」
咄嗟に、ルチカはリリを振り向いた。勿論、リリは首を横に振る。「呼んでないよ」
リリに不審を抱きながらも、ルチカは前を向き直った。
(こっちよ、ルチカ)
今度こそ、ルチカの耳は確かにその声を受け取った。そしてその出所が、進行方向に対して左方のテーブル上であるということも、はっきりと分かった。ルチカは声のするほうへ、素早く顔を向けた。それに呼応するように、ルチカの両耳に付けられた金のピアスが、金属音を立てて揺れる。
「……誰なの?」
ルチカは姿の見えない声の主に対して眉間を顰めたが、声はルチカ以外には届いていなかった為、一同はルチカに対して、同様に眉間を顰めた。
(あなたが来るのを待っていたの)
その言葉に、ルチカはハッとした。それがドルミールからの声かも知れない、と気付いたからだ。ふと思い出したように、フランクは言った。
「波長の合う人物――使役者足り得る人物が近付くと、ドルミールは反応を示すと聞いたことがあります」
「じゃあ、ルチカにも……」と、リリは自分のことのように瞳を輝かせて、フランクを見た。「ええ」とフランクは頷き返す。
二人の会話に確信を得たルチカは、テーブルの合間を縫うようにして通り抜け、自分を呼ぶドルミールへと近付いていった。数あるドルミールの中から、声の主がどれであるのか、ルチカは何となく、感覚で理解した。
透き通ったコバルトブルーの楕円体は、表面に波打つようなうねりを持っていた。その上からは、これも透き通った藤色のベールが、楕円体を覆うように重ねられている。実際にはそれはガラスのような硬い質感を持っている筈だが、表面はゲル状を思わせる、不思議な光沢を放っていた。
ルチカの心臓は高鳴っていた。ゆっくりとドルミールに近付けられていく両の手は、微かに震えている。新たなる出会いへの期待と緊張、そして思い描いた夢が具現することの喜びが、電撃のようにルチカの心と身体を駆っていた。
(これでもう、足手まといになんかならずに済む……、あなたと一緒なら、強くなれる……!)
指先が、ドルミールに触れる。それがひんやりと冷たいことを、ルチカの脳が理解する頃には、楕円体は眩い光と風を放ち始めていた。例えようのない音と共に、ドルミールの肥大化は始まった。あまりの眩しさに、ルチカは目を閉じてしまった。然し、閉じた瞼の向こう側で、何かが目覚めていくのは手に取るように分かった。数秒の後、ルチカが再びその瞼を開くと、そこには二メートルほどのスレンダーな体格を持つ、青い巨人が立っていた。ルチカの両手は、そのアーツの手に挟み込まれるような形で、優しく握られていた。
「……目覚めさせてくれてありがとう。私の名前はラメール」
青いアーツ――ラメールの身体は、魔物や獣に近いドボロやクーランの体格とは異なり、人間の女性のそれに程近かった。然し、ドルミール同様その肌はコバルトブルーで光沢を放っており、ドルミールの時にルチカが感じた印象通り、ゲル状で流動的であった。胸から下には、藤色で裾の長い、パーティドレスのような衣を纏っており、これが足先までをすっぽりと覆い隠している。が、これも身体の一部であるかのように同じ質感を持っており、流動的であるのが見て取れた。華奢な二の腕には、紫で菱形の紋様が縦に三つ並んでおり、同じものが一つ、手の甲にも施されている。肩甲骨の辺りからは、左右に一本ずつ、細く白いリボンのような帯が生えており、ラメールはそれを、身体に緩く巻き付けるように纏っていた。その頭部からは、これも流動体と思しき、美しい紫の頭髪が肩の辺りまで伸ばされている。その顔立ちは――肌がコバルトブルーであることを除けば――丸切りに女性のそれであり、そして端整に整っていた。
「ラメール……、素敵な名前……」
感動の余り、ルチカは囁くような擦れ声になっていた。軽く咳を払い、ルチカは続ける。
「アタシはルチカ。あなたの使役者として、あなたを目覚めさ――」
刹那、後方の扉から轟音が響いた。驚きに、一同は身を屈めて反応した。咄嗟に扉を振り返ると、ごうん、と爆音を立てて、扉は強く震動した。外側から、何者かによって破壊されようとしているのは明白だった。そしてそれがどういう目的を持った人物による行動なのかを、シンは瞬時に理解した。
(何百といるファンテーヌの研究者から、この施設の存在が外部に漏れない保証はない……。この数のドルミールが並べてあるともすれば、奴らの格好の的になるのは、時間の問題だったか……)
扉は依然、強い力で殴られ続けている。ドボロとラメールは、それぞれリリとルチカを守るように背中に回した。ルチカは不安に駆られながらも、ラメールが既に自分を使役者として認識してくれていることが嬉しかった。
「フランク」とシンは言いながら、腰のドルミールに手を翳す。浅緑の光を放ちながら、ドルミールは活動体のクーランへと姿を変えた。
「ドルミールを隠しておくような機能か、場所はないか?」
フランクは初め、その言葉の意味を理解出来なかった。アーツ泥棒の話を、フランクは勿論新聞などで見て知っていたが、実際に彼らと拳を交えたリリたちとは、その実感は大きく違う。フランクにとってそれは、あくまでも遠い世界の話でしかなかったし、ましてや今、どうしてこの部屋の扉が破壊されようとしているのかなど、フランクには見当もつかなかった。
そして、扉は轟音と共に破壊された。凄まじい土埃の向こうには、二人組の人型の影が見えた。
(ミド……、いや、ハウルか……?)
土埃が落ち着いていくにつれ、徐々にその人物のシルエットは明らかになった。然し、それはシンの予想した二人のどちらでもなかった。その人影の一つはどうやら女性のものらしく、一七〇センチほどの人間の姿で、後方のもう一人、二メートルを越える長身のそれは、恐らくアーツであろう、とシンには思えた。
「壊すならもっと美しい壊し方があるでしょう? どうしてあなたはいつもそう力任せなのよ。サフィー」
人間のほうが言う。やはりそれは女性の声であった。喋り方からは性格の悪さが滲み出るようで、嫌みたらしい。
「分かってないわね。美しさとは破壊されることによって、真価を顕すものなのよ。リザ」
サフィー、と呼ばれたそのアーツも、女性の声をしていたが、人間のほうより幾分も低い。喋り方からも、そのクールな性格が醸し出されていた。
幅広の階段を下って、土埃の中から彼女たちはその姿を現した。既に〝共鳴〟をしているようで、二人の身体には煙のような水色の光が纏わりついている。
人間のほう――リザは、首から下に、袖がなく胸元が大きく開いた、紺碧の全身タイツのようなものを着用しており、それはグラマラスな彼女の肢体を、一層に際立たせていた。両手には二の腕まである、黒の長いグローブを付けている。足には高いヒールの付いた同じく黒のロングブーツを履いており、その衣服の全ては、艶やかな光沢を放っていた。また、タイツとグローブには薄水色のラインが、ブーツには金の装飾がそれぞれ為されている。腰まで伸ばされた金髪は美しいウェーブを描いており、銀の淵の眼鏡とその奥の蒼い瞳からは、知的な雰囲気が放たれていた。端的に言って、多くの男性にとっては刺激的すぎるほどの容姿を、彼女はしていた。
一方、リザのアーツと思しきサフィーは、ラメール同様に女性のような体つきをした、人にかなり近しい体型のアーツだった。豊満なリザの肉体とは対照的にスレンダーで、殆ど黒に近い、暗い灰色の細い身体をしている。その腕や背中からは――長いところで二十センチほどで水色の――水晶のような棘が無数に生えており、頭部には白縹の短髪と、顔の真横からは斜め後方に向かって、先の丸まった角のようなものが突き出ていた。身体の色合いや特徴、また〝共鳴〟による光の色からは、彼女が水の属性を持つアーツであることが見て取れた。
リリたちの姿を確認するなり、リザは眉を顰めて言った。
「あっらーん? 先客がいらっしゃるじゃないの」
巨大な卵状の広間に、リザの声は反響した。リリとドボロ、シンとクーランは、ドルミールの並ぶテーブルを庇うようにして、入り口のほうへと詰め寄る。ルチカとラメールも、それに続いた。フランクは依然、彼女らが何の目的を持っているのか、分かっていないようだった。
リザは目を細めて歩を進めながら、こちらの面子の様子を伺っていた。そしてリリの顔を見るなり、暫し唖然とした表情を浮かべてから、赤い口紅の塗られた唇に微笑みを湛えると共に、彼女は再びその目を細めた。
「誰かと思えば、ミドとハウルの報告にあった子たちね」
リリたちはやはり、と思った。彼女らも、アーツ泥棒の一味なのだと。そして、波に飲まれたかに見えたハウルたちだったが、やはり彼らは生き延びていたのだ、とも。
「確かに」とリザは続けた。「ハウルが勘違いするだけのことはあるわ。リリーシアの若い頃に瓜二つ」
その言葉に、リリは眉間に皺を寄せた。リリーシア、という名前には聞き覚えがなかったからだ。が、ハウルと顔を合わせた時、彼が今のリザと同じように、自分の顔に驚いたような反応を示していたことを、リリは思い出した。
「誰なの? リリーシアってのは」
「こっちの話よ、可愛い坊や」
シンは腰の柳葉刀に手を掛けながら、リザを睨み付けた。「目的は……、聞くまでもないな。どうやってここのことを知った?」
口元に笑みを浮かべると、リザは嬉しそうに返した。
「そっちの坊やはなかなか男前じゃない。どう、私とお茶でも」
「質問に答えろ」
「つれないわね……。大人のやり方ってものがあるのよ。ファンテーヌの一流研究者っていったって、所詮男は男。チョロいもんよ。ちょっと揺さぶったらすーぐ必死になっちゃって。この部屋のこともあっさり教えてくれたわ。……あら、坊やにはまだ早かったかしら?」
シンには愚か、リリやルチカにも、その光景は何となく想像がついた。特にルチカは同じ女性として、その行動に不快を感じると共に、それをそのまま表情に浮かべて言った。
「サイテーな女ね」
面白くなさそうに、リザはルチカを睨み付ける。「ペチャパイは黙ってなさい」
「ペッ、ぺちゃ……!」とルチカは声にならない声を上げると、然し自分とリザの体型を見比べ、悔しさと怒りの形相を浮かべた。
「一応」とシン。「こっちのアーツ使いは三人だ。そっちは見たところ一人のようだが、引き下がる気はないか?」
強気でそうは言ったものの、シンの頭にはどちらかといえば、撤退や敗北という言葉のほうが、強く浮かんでいた。リザは恐らく、ミドやハウルと同じように〝第二共鳴〟を使ってくるであろうし、たった今目覚めたばかりのラメールには、ルチカと〝共鳴〟をすることは出来ない。リリはここまでで徐々に戦闘のセンスを磨いてきてはいるが、シン自身の力と合わせても、恐らく〝第二共鳴〟には匹敵しない。
「甘く見られたものね。鎌をかけているつもり?」
子供でも可愛がるかのように微笑みながらそう言うと、リザは表情を変えずに、自らのアーツを呼んだ。「サフィー」
「いつでも行けるわ、リザ」
戦闘が避けられないことを悟ったシンは、小さく舌打ちをしつつも、鞘から柳葉刀を引き抜くと、一同に背中を向けたまま告げた。「ルチカ、ラメールとフランクと一緒に、出来るだけ多くのドルミールを安全なところへ運んでくれ」
ルチカはシンの言葉に頷き返しながら、フランクとラメールに目配せをする。
「へっぽこ」
「分かってる、ドボロ」
「ンだ!」
リザはニッコリと笑いながら、眼鏡のテンプル右側を右手の人差し指と中指で押し上げた。それが彼女のフォルスチェインなのだろうと、リリには分かった。リザの声が、安置室に反響する。
「――〝第二共鳴〟」
二人の声に応えるように、その身体を覆っていた水色の光は、ドッと勢いを増して輝き出した。眩い光の中、ルチカとラメール、フランクは、テーブルに並んだドルミールをかき集めるようにして抱え始める。シンは右腕のバングルに手を翳し、リリとドボロはお互いの拳を打ち合った。リリとドボロ、そしてシンの声もが、重なって広間に轟く。
「〝共鳴〟ッ!」
先に攻撃を仕掛けたのはシンだった。先手必勝、とでも言わんばかりに、風のフォルスの使い手ならではの速度を以て、リザとの距離を一気に詰める。クーランもその後ろに続き、サフィーのほうへと詰め寄った。二人の身体からは、浅緑の光が放たれている。
クーランはその両手に握られた、風のフォルスで生成された二本の小刀で、サフィーに素早い連撃を繰り出した。が、サフィーはそのスマートな体格を活かした身のこなしで、クーランによる電光石火の連撃を、無駄のない動きで躱し切る。
シンは身体の左側に大きく振り被った柳葉刀で、強烈な横薙ぎを放った。リザの表情には、焦燥が見て取れた。「――マズいッ」
間合いは悪くない。直撃とまでは行かずとも、致命傷は免れないだろう、とシンは思った。が、柳葉刀はリザに当たる直前で、時が止まったかのように、それ以上の進行を食い止められてしまった。驚いたシンが咄嗟にリザを仰ぎ見ると、その表情に先ほどの焦燥はなく、寧ろその逆に、リザは余裕の笑みを浮かべていた。その左手一つで、彼女は柳葉刀の一撃を受け止めていたのだ。リザの左手と柳葉刀の刃の間には、氷の壁が貼られていた。
「なーんて、ね」
水のフォルスを、リザは顕現すると共に凝固させていたのだ。ピキピキと音を立てながら、シンの柳葉刀は氷に蝕まれていく。
「クッソ!」
強い力で柳葉刀を外側に振り切り、氷の浸食から逃れると、シンはバックステップでリザとの距離を取った。ドルミールを集め終えたルチカたち――殆どのドルミールは、ラメールが作り出したゲル状の袋に入れられている――が、部屋の出入り口へと走っていく。クーランの攻撃を躱しながらもそれを見逃さなかったサフィーが、駆け足でその背中を追った。「逃がさないわ」
「させないよッ!」
リリは咄嗟にしゃがむと、床に両手を着いた。ルチカたちを守るように、床からは巨大な土の壁が出現する。が、そんなことは想定内だとでも言わんばかりに、サフィーは顔色一つ変えることなく、その垂直の壁を駆け上がった。驚いたシンが目を凝らすと、サフィーが自らの足と壁を、その都度氷で固めているのが分かった。土壁を伸ばそうとリリは試みたが、距離が離れすぎている上に、土がふんだんに存在する外で戦うのとはわけが違う。土の成分が少ない建物内では、それは叶わなかった。逆に、水の多いこの部屋では、リザとサフィーには地の利があったのだ。
目にも止まらぬ速さで、サフィーは土壁を駆け上がり、その向こう側へ飛び降りようとした。が、部屋の壁から勢いよく突き出た土柱によって、それは防がれた。爆音と共に、サフィーは部屋の後方へと吹き飛んでいく。
一瞬驚きに顔を歪ませたリザだったが、状況を飲み込むと笑いながら言う。「良いザマね! サフィー!」
「――笑ってる暇はないぜ」
と、クーランは鋭い爪を立てた右腕で、勢いよく宙を裂いた。爪跡を模った風が、リザの身体に襲い掛かる。
状況を理解出来ていなかったリリが左後方を振り返ると、ドボロが自分と同じように、床に手を着いていた。土柱を出現させたのはドボロだったのだ。
「ナイス、ドボロ!」
「まだまだだ! 行くだ、リリ!」
ドボロは素早く立ち上がると、吹き飛んだサフィーのほうへと駆け寄った。頷き返しながら、リリもその後に続く。「シンとクーランは人間のほうを! こっちは僕とドボロでやる!」
二人を近付けさせれば勝ち目がないことは明白だったので、シンはリリの言葉に従って、クーランと共にリザを挟んだ。クーランの一撃で大きな隙が出来たかに見えたリザだったが、それは一瞬のことであった。空気中から氷のロッドを生成して、リザは構えると、不敵な笑みを浮かべて言った。
「かかってらっしゃい、坊やたち」
シンとクーランは目配せをして、リザの左右から同時に襲い掛かった。が、長いロッドを器用に扱いながら、リザは二人の攻撃を、見事に防ぎ切った。それどころか、彼女はその場を一歩も動かないまま、時折指を鳴らして氷の弾丸を作り出し、シンたちにダメージさえ与えていた。
「シンって言ったかしら、インテリ系の坊や。不思議でしょう。どうして水しか使えない筈の私たちが、それを凍らせることまで出来るのか」
確かに、シンにはそれが分からなかった。通常、水のフォルスからは水を生み出すことしか出来ない。アーツに元々宿っている、温度を操るなどの特殊な能力か、それとも別の何かなのか。考えを巡らせるうち、ミドと手を合わせた時にも同じような違和感を感じたことを、シンは思い出した。
本来ならリリやドボロのように、土のフォルスからは土壁や土柱などを生み出すことしか出来ない。が、ミドは土の性質を沼のように変化させたばかりか、そこから何処かへワープでもするかのように、沼の中へと消えていった。そこまでを思い出したシンは、ミドとリザの或る共通点に気が付いてハッとした。
(ミドはあの時、既に〝第二共鳴〟を発動させていた……!)
「――〝第二共鳴〟は、単純に扱えるフォルスを増大させるだけの能力ではない……!?」
「気付いたようね」、とリザは微笑んだ。そしてロッドを床に突き立てる。と、足元から鋭く突き出した氷塊によって、シンとクーランは呻き声を上げながら、衝撃に吹き飛んだ。サフィーと対峙していたリリとドボロが、思わず振り返る。
「シン、クーラン!」
「隙だらけよ」と、サフィーは両の掌を合わせると、次いでそれをリリとドボロの背中に向けた。サフィーの掌からは氷の柱が突き出し、二人はシンたちのいる部屋の中央へと吹き飛ばされた。シンとクーラン、リリとドボロは、床に転がされ、リザとサフィーに挟み込まれるような形となった。
四人に歩み寄りながら、「勘違いをしているようだけれど」とリザは言った。
「冥土の土産に教えてあげる。そもそも〝第二共鳴〟は、扱えるフォルスを増大させる能力ではないのよ。フォルスを増幅させる能力――つまり、少ないフォルスを効率よく使う為の能力なの。そしてそれだけではなく、フォルスの属性が本来持っている性質を、或る程度の範囲内で変化させることが出来る。こんな風にね」
先と同じように、リザは氷のロッドで地面を突いた。ロッドを中心に床は凝固を始め、凄まじい勢いで、広間の床と壁、水路や壁を流れる水すらも、完全に凍り付かせてしまった。空気が張り詰め、吐き出す息が白くなる。気温が急速に下がっていくのが、リリたちには分かった。そしてリザの氷はリリたちの身体をも、徐々に蝕み始めた。床に着いた右半身から感覚がなくなっていくのを、リリは感じた。歯を食いしばって力を入れるが、まるで自由が利かない。
(クソッ、こんな、ところで……)
朦朧とする視界に、リリは目を閉じてしまった。遠のいていく意識の中で、シンが自分を呼んでいることは分かったが、リリにはどうすることも出来なかった。その時である。
「――リリ! シン!」
広間の入り口のほうから、ルチカの声が響いた。「ラメールお願い!」
「ええ」と返事をしながら、ラメールは藤色のベールにルチカを包むようにしてその背中に乗せ、リリたちに向かって氷の上を滑り出した。通り過ぎざまに四つの水球を作り出すと、その中にリリたちを匿うように入れて、そのまま部屋の隅まで運んだ。意識を取り戻したリリは、自分の置かれている状況に驚いた。柔らかいゲル状の水球の中で、息をすることは出来たものの、身動きが取れなかったからだ。
「その水球はあなたたちの傷を癒してくれるわ。私が時間を稼ぎます。皆さんは体力の回復を!」
言いながら、ラメールはリザとサフィーに向かって、再び氷上を滑り出した。事態を把握しきれていないリザとサフィーの周りを、流れるように舞いながら、ラメールは三日月形の水の刃を無数に作り出しては、二人へと飛ばしまくった。ラメールの美しい連撃に、ルチカは暫し見入った。
(すごい……!)
ひとしきりの攻撃を終えると、続けざまにラメールはその腕で、円の形に宙をなぞった。空気中の水のフォルスが、光を放ちながら具現化していく。消耗しきったリザとサフィーは、その輝きに気付くや否や、生気のない表情を浮かべて愕然とした。とどめの一撃、とでも言わんばかりに、ラメールはその両手を、素早く前に突き出した。
「ハァッ!!」
水は凄まじい圧を以て、光線のように二人を襲った。後方へ激しく吹き飛ばされながらも、空中で受け身を取ることが叶った二人は、壁に打ち付けられる前に床に着地した。水浸しになって息を切らしながら、彼女らは氷の床を静かに滑っていく。反対側の壁に手を着いて、ゆっくりと体勢を立て直しながら、リザとサフィーはその顔に、怒りの形相を浮かべていた。立ち上がりざま、サフィーはリザが生成したものと同じような氷のロッドを、空気中から生み出した。
「やってくれるわね、ペチャパイの小娘……」
腹の底から湧き出るようなリザの声に、一同は寒気を覚えた。次の瞬間には、二人は高く跳躍すると共に、二本のロッドをラメールに向かって、勢いよく投げつけていた。うち一本を避け切ることが出来なかったラメールは、肩に掠めるようにそれを受けてしまい、悲鳴にも似た声を上げた。「ラメール!」とルチカは叫ぶように呼びかける。
ラメールの意識が削がれたからか、リリたちを覆っていた水球は失われ、リリ、ドボロ、シン、クーランの四人は床に投げ出された。氷の床でバランスを崩しかけたところへ、リザとサフィーは瞬く間に駆け寄った。
(マズいッ!!)
リリの脳が追い付いたのはそこまでで、防御の姿勢を取る間もなく、リリたちは二人の、凄烈な連撃に晒された。ドボロの咄嗟の判断で、辛うじて生身のルチカだけは、ドボロに覆われるような形となった。
それが単純に拳や蹴りによるものなのか、先と同じようなロッドによるものなのか、それともまた別の何かによるものなのか、最早リリたちには判断のしようがなかった。十数秒に渡る猛攻の後で、リリたちは再び、部屋の中央へと吹き飛ばされた。
「……まったく、餓鬼が調子に乗るんじゃないわよ……」
リザの声は、未だ苛付きに震えていた。リリたちのほうへと歩み寄りながら、リザは続ける。
「大体、アンタたちが幾ら足掻こうが、ジークを止められるわけないのよ。どっちみち、この世界は――」
「リザ」と、サフィーがリザの言葉を遮った。鬱陶しそうに、リザはサフィーを見つめる。「何よ」
「強い、火のフォルスを感じるわ。ものすごい勢いで、ここに向かってる」
疑うようにサフィーを睨み付けたかと思えば、何かに気付いたように、リザは「ハッ」と笑った。
「ヴェイグとハデスの奴らね? 心配しなくても、こんな餓鬼どもに私がやられるわけ――」
「ハデスならすぐに分かる。ハデスではないし、ハデスよりも強い力……。もうじき、ここに着く」
近付いてくるフォルスを探るように、サフィーは目を細めながら言った。その言葉に、リザも黙って考えを巡らせ始めた。やがて、広間の入り口の向こうから、何かが近付いてくるのが、床に横たわったリリたちにも分かった。ドン、ドン、と大きな足音を立てながら、それはゆっくりと階段を下ってくるようだった。それが近付いてくるにつれ、冷え切った広間の気温は徐々に上がっていき、リザが作り出した氷の床は、入り口のほうから少しずつではあるが、溶かされていった。階段を降り切ると、先だってリリが生成した土の壁の前で、それは足を止めた。その頃には広間の氷は、その全てが溶け切ってしまい、水路の流れる美しい音が、再び部屋中に響き渡っていた。
ドボロは不思議を感じていた。先のサフィーのように、アーツはフォルスを感じ取る能力を持っている。ドボロはそのフォルスの持ち主を、知っているような気がしていたのだ。間もなくしてその正体に気が付くと、ドボロはハッとした。
「リリ……」
リリは痛みに襲われながらも、後方に横たわるドボロを振り返った。困ったような笑みを浮かべて、ドボロは言った。
「きっと、沢山怒られるだ」
ドボロの言葉の意味を、リリは数秒を以て理解すると同時に、リザとの戦いへの勝利を確信した。然し、その表情はドボロと同じように、嫌な予感に顰められた。
土の壁が、強い力で殴られる。鈍い轟音を立てながら、それはあっけなく崩れ落ちた。激しい土埃の向こう側には、――白く裾の長い、学生ランダのような衣服を纏った――一八〇センチを超える長身の男と、その後ろには三メートルを超える大型のアーツが、壁を殴った拳を、そのままこちらに向けて立っていた。リリとドボロ、そしてルチカには、勿論その姿に見覚えがあった。
男たちはその身体に、紅蓮の光を纏わせており、二人が〝共鳴〟していることが見て取れた。荒ぶる黒髪を持ったその男は、ゆっくりと拳を下ろすと共に、静かに俯いたまま、獅子が唸るように言った。
「……女」
男の声は低く、威厳がある。状況を理解出来ないシンとクーランは、怒りに燃える男に目を細めて、小さく首を傾げた。
「それ以上、俺の息子たちに指一本でも触れてみろ……」
俯いていた顔を素早く上げると共に、その男――バーンズは、リザとサフィーの二人を、鋭く睨み付けた。
「――骨まで燃やして、地獄にも行かせん……!!」
憤慨するバーンズに、リザとサフィーは悪寒を感じながらも、蛇に睨まれた蛙の如く、その場から動くことが出来なくなった。
リリたちには目もくれずに、バーンズはゆっくりと二人に歩み寄った。彼が眼前を通り過ぎると、その身体が凄まじい熱気を放っているのがリリには分かった。彼の着用する学生ランダは、あちこちがはち切れたり汚れたりしてしまっており、裾の付近にもなると、最早ボロ布に成り果てている。
「ヘルズ」
「ああ」
「リリたちを頼む」
バーンズの言葉に、そのアーツ――ヘルズは従った。リリたちはヘルズに抱き起されると、部屋の入り口のほうへと誘導された。リザとサフィーに歩み寄りながら、バーンズは何も言わなかったが、目だけは決して二人から逸らさなかった。二人の表情には絶望が浮かんでいた。そしてついに一歩も動くことが出来ないまま、二人はバーンズの進攻を、その目前まで許してしまった。
やはり何も言わずに、バーンズは炎を纏わせた拳を、サフィーの腹に打ち込んだ。後方へ、サフィーは強く吹き飛ぶ。ガタガタと震え出すリザに対し、バーンズは強い回し蹴りを入れた。同じくそれが激しい炎を纏っていることは、言うまでもない。
「おいへっぽこ。あの男は……」
シンは驚きと恐怖をその顔に浮かべながら、リリにそう尋ねた。
「んー……、うん。僕の、父さん」
何となくそれを察していたシンは、口の端から僅かに笑みを漏らすのみで、後は何も言わなかった。
バーンズは決して、走ったり、吠えたりすることはしなかった。その背中には、リリにも見たことのない大剣が背負われていたが、バーンズはそれを抜くことさえしなかった。威圧と単調な攻撃のみを繰り返し、彼は数分の間に、リザとサフィーを瀕死にまで追い込んだ。
「どうした、もう終わりか」
「ア……、ア……」
熱で喉をやられたリザは、最早言葉を口にすることさえ叶わなかった。〝共鳴〟も解けてしまっており、その体を覆っていた水色の光は既に消えている。バーンズは止めを刺すつもりはなかったので、静かに溜め息を吹き出すと共に、踵を返しかけた。そこへ、一人の男の声が響いた。
「――お前ともあろう者が、見苦しいな。リザ」
返しかけていた身体を、バーンズはリザたちの後方上空――声のするのほうへと向けた。と、バーンズは己の目を疑った。そこには、誰もいなかったからだ。然し、程なくして声の主は、そこに姿を現した。
部屋の壁が四角く切り抜かれ、壁だったものが粉状に舞い散ったかと思えば、その向こうの暗闇から、銀の長髪を靡かせて、その男は現れた。
壁に沿って流れていた水は、まるで彼が通る道を開くことが、自然の摂理に従う当然の行動であるかのように、男の前を退いた。男は壁に開いた穴の中から、空気中に足を踏み出したかと思えば、然し落ちてくることはなく宙に踏み止まると、そこからこちらを見下ろした。
男の姿を確認するなり、バーンズはバックステップを踏んで男との距離を取ると共に、リリたちを庇うように、右腕を地面と水平に伸ばした。男の放つ、異様なオーラを感じ取ったからである。
バーンズより僅かに低いほどの身長と、かなり筋肉質でがっちりとした体格を、その男は持っていた。細く鋭い目には真紅の瞳を宿しており、背中の中ほどまで伸ばされた銀髪は、美しいストレートをしている。強く持ち上げられたその前髪は、真ん中から左右に分けられており、雰囲気や声からは、彼が四十代半ばか、後半であることが見て取れた。高貴な民族衣装を思わせる――ショールカラーの襟と、膝下まである長い裾を有した――、インバネスコートのようなアイボリーの衣服を、男は纏っており、その襟元からはタートルネックのような形状の襟を持つ、チャコールグレーでツヤツヤとしたの質感の衣服が覗いていた。下半身には少々ダボ付きのある、白のボトムスを、足には漆黒のブーツを、男は履いており、またその衣服のところどころには、青と銀の装飾が為されている。そしてその男は、悍ましいほどの忌むべき雰囲気――邪悪なオーラを、全身から放っていた。
バーンズだけではなく、そこにいる誰もが、そのオーラを感じ取っていた。彼がそこに存在するだけで、世界の概念自体が歪まされるかのように、空気がピリピリと振動するように、一同には感じられた。その威圧感の強さから、シンは彼がアーツであることすら疑った。然し、その姿はどう見ても人間のそれである。リリはこの男が、ミドやハウル、リザたちの組織のトップであり、諸悪の根源なのだと、本能的に理解すると共に、自分たちの目的達成の為には、この男と渡り合わねばならないということに気が付くと、深淵に立たされたような気分になった。
「ジー、ク……」
地に伏したまま男を見据えると、擦れた声でリザは言った。ジーク――それが、彼の名前であるらしかった。
情けない、とでも言いたげに、哀れむような目をリザとサフィーに向けると、ジークは二人に右手を差し伸べた。ジークの右手からは、二人に向かって銀色の光が放たれ、光を浴びた二人の身体からは、みるみるうちに傷という傷が消えていった。数秒もすると、リザとサフィーは初めてここに現れた時のように、すっかりと精力を取り戻した様子で立ち上がった。力を取り戻したサフィーは、その場に氷の階段を作り出す。二人は気怠そうにそれを昇って、ジークの後方、彼が開けた壁の穴へと入り込んだ。
「済まなかったわね。ちょっと油断しただけよ」
「……言い訳は、聞きたくないぞ。リザ」
男の喋り方はゆったりとしており、独特だった。
「分かってるわ。……それよりもジーク。彼、ハウルの報告にあった子よ」
言いながら、リザはリリを指差した。ジークはリリの姿を確認すると、その頬に笑みを湛えて、静かに言った。
「成程、確かにリリーシアの面影が見えるわ。その王家の紋章も、未だに残っているとはな」
どうやら、ジークはリリの葡萄色のケープに施された、太陽を模した刺繍を見て『王家の紋章』と言ったらしいのが、リリには分かった。果たしてその言葉が何を意味しているのかは、知る由もない。それよりも『リリーシア』なる人物が何者なのか、という問題のほうが、リリには大きく感じられていた。
リリの隣に立つドボロに視線を移すと、ジークは続ける。
「して、隣のアーツはドボロか……。久方ぶりだな」
勿論、ドボロは不審に首を傾げた。
「オデはドボロだが、オデはお前のことなんて知らないだ」
「フ……、アーツの定めか。悲しいことを言ってくれる」
次いで耳打ちをするように、リザはジークに告げた。
「それに面白いことに、あの子の名前、リリ、というそうよ」
その言葉に、ジークは目を丸くしたかと思えば、暫し乾いた笑いを上げた後で、「宿命だな」と漏らした。それから、彼は感慨深そうに目を閉じると、そのまま数秒間、黙考した。ゆっくりと瞼を開くと、その瞳に一同の姿を見据えて、警告するように、彼は言った。
「我が名は、ジークフリード。世界の玉座に坐す、君主たる者。愚かなる者共よ、そして若き王よ。命惜しくば無駄な足掻きは、やめておけ。宿命が、……そなたらを導かぬことを、祈っている」
そう言い残すと、リザとサフィーと共に、ジークは現れた壁の向こうへと、再び静かに消えていった。




