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アシリア歴二〇四八年、四の月二十六の日。
『惑星アシリア』――。四つの大陸と島々からなるこの星の四分の三程度は、大国フォックシャル帝国と、その傘下の国々の領土となっていた。フォックシャル帝国の帝王による統治で、この数十年間、大きな戦争もなく、世界は概ね平和に保たれている。
「この村の北にある巨大遺跡。あれも、千年前の文明のものと考えられています」
教卓に立った、眼鏡を掛けた若い女性教師は、黒板にコントゥリと巨大遺跡の位置関係を記しながら解説した。
リリは学校の勉強は嫌いではなかったが、大の苦手だった。授業に興味は湧くし、しっかりと聞いてはいるつもりなのだが、試験になるとどうにも成績が振るわなく、同年代では最下位の点数を取ることも少なくなかった。リリはよく、クラスメイトから落ちこぼれだと馬鹿にされた。
リリたちの暮らすコントゥリは、そのほぼ全土がフォックシャル帝国の領土であるアンモス大陸の、西端に位置する巨大遺跡の南に栄えた小さな村だ。人口は百人には上らない程度で、土器と金属加工が盛んに行われている。田舎の小さな村とはいえ、品質の良いこの村の土器や金属製品は、帝国内でも評判は高く、高値で取引される。
浅い草の茂る平原の真っただ中に、ぽつり、と存在するこの村には、木造の小さな家屋が立ち並んでおり、地面は土のままに晒されている。余所の街と比べてしまえば豊かとは言えずとも、細やかながらも平和な暮らしを、コントゥリの人々は送っていた。
「当時の文明は今よりも遥かに高度で、その多くが、未だ謎に包まれています」
村の中央広場に隣接する、一際大きな木造建築が、リリたちの通う村で唯一の学校だった。平屋の建物には、広い教室が一つ設けられており、この学校を夫婦で営む二人の教員によって、授業は交代で行われた。また、入学の六歳から卒業の十六歳まで、全学年を通して授業は同じ教室で行われ、現在は二十人弱の生徒が、この学校に通っている。目安程度のカリキュラムは存在するものの、卒業までの過程で同じ内容の授業を受けることも珍しくはなく、リリもこの日、この古代文明の話を聞くのは、初めてではなかった。
リリの父で、コントゥリの村長のバーンズは、土器や金属加工の筆頭者でもあった。特にバーンズの造るものは、他の者が造るものよりも精度が高く、村の皆からも定評がある。然しそれは単に、バーンズの腕が良いから、というだけの理由ではなかった。彼には加工業に関して、心強い相棒が居たのだ。
「その一つが、みんなも知っているアーツ」
今から千年前、この星の上には、現代よりも遥かに高度な文明が存在していた。現代では『太陽王の時代』と呼ばれ、『太陽王』なる人物が、この世界を統治していたとされている。現代では失われた多くの技術が存在していたが、そのほぼ全ては太陽王の時代の終わりと共に失われている。当時、何が起こりその栄光が潰えたのか、そしてその原因は何だったのか。研究は進められているものの、文献や書物などの殆どが失われている現状、その真髄は、未だ見えずにいた。
然し、その手掛かりとも言えようものが一つ、現代に於いても残っていた。二メートルから三メートルほどの身の丈を有する、巨人の姿をした人工生命体――『アーツ』だ。
「……おーい、リリちゃーん」
斜め後ろの席から、小声で自分を呼ぶ声に、リリは振り返らなかった。声の主はジン。取り巻きのニックと共に、女性らしい顔立ちで、小柄な体格と中性的な名前を持つリリを、いつも『おとこ女』、『リリちゃん』などとからかう、リリの一つ上の男子だった。ジンは大柄な体格に男らしい顔付きをしており、ニックはそれとは対照的に、細身で背が高く、特徴的なキツネ顔をしている。
「アーツには、不思議な力が宿っています」
アーツに宿る不思議な力――、それが一体何であり、どういう原理でアーツに宿っているのかは、現代では知れなかった。
アーツ研究に於いて現段階で判明していることは、アーツは発見された段階では、二〇センチほどの楕円体――『ドルミール』と呼ばれる姿になって休眠していること。限られた人間に触れられることによって、活動体である巨人の姿に変わること。アーツには不思議な力が宿っており、その力には火、水、風、土の四つの属性が存在すること。そのうち、アーツにはいずれか一つの属性の力が宿り、火のアーツなら火を、水のアーツなら水を、手や口から噴出するなどして、自在に操ることが出来ること。その程度であった。
「アーツは古代文明の人々が、暮らしの支えになるように開発したものと考えられており、その役目は現代でも変わっていません」
この村にも、アーツを扱える人物が一人だけ居た。それが村長であり、リリの父のバーンズだ。
「リリちゃ~ん、なーに真面目ぶってんだよ~」と、ジンの隣の席から、ニックまでもがリリをからかい始める。
バーンズが使役する火のアーツ・ヘルズは、三メートルを超える大型のアーツだ。祖父から譲り受けたヘルズのドルミールを、当時十歳だったバーンズが目覚めさせたのだと、リリは聞いていた。詳しいところまでは知らなかったが、リリが生まれた時から一緒に暮らしているヘルズも、リリにとっては家族同然であることには違いなかった。そして、バーンズの精製する加工物の品質を、ヘルズは自身の持つ火の力を以て、大きく底上げしていた。それが、バーンズの造る製品の精度が高い、大きな要因だ。
「この村の村長、リリのお父さんのバーンズも、アーツのヘルズと協力して、この村の加工業を支えています」
ヘルズと共に村の加工業を担い、強い責任感とリーダーシップを以て村を守るバーンズは、リリにとって誇れる父親だった。然し、そんなバーンズだからこそ、立場上、一人息子のリリには厳しく当たってしまう一面もあり、リリはリリで、幼いながらもそのことを理解してはいた。が、そんな父に対して、リリにも素直になれないところはあったし、何よりも、父が村長だから、という理由でからかわれるのが、リリは一番嫌いだった。
「パパの話だからちゃんと聞いとかないとな~、ハハハハ」
声を絞っていても耳の奥まで響くような、心地の悪いジンの笑い声を聞いた途端、リリの中で何かが弾けた。机をドン、と叩きながら、リリはジンを振り返ると怒鳴った。「――うるさい! いま授業中なんだよ!」
黒板に向かってヘルズのイラストを描いていた女性教師は、驚いたように目を丸めながらリリを振り返ると、ほう、と溜め息を漏らした。
「リリ? いま授業中なのよ」
ハッと我に返って、リリは教師を向いた。然し謝るのは癪だった。ジンたちの所為にするのも居心地が悪いので、リリには何も言えなくなった。
「廊下で反省なさい」
「……はい」
納得のいかない表情を浮かべながらも、リリは教室を出て行った。去り際に、ジンとニックを強く睨み付けて。カラカラと乾いた笑いを上げて、ジンとニックはそれを見送った。が、そんな二人の嘲笑を、女性教師は見逃しはしなかった。
「ジン、ニック。あなたたちもよ」