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「ファンテーヌっていうのは、どういうところなの?」
帝都を発った一行は、帝都の東に位置する平原を進んでいた。
リリの問いに、シンは振り返りもせずに答える。「そんなことも知らずについてきたのか」
歩く速度を落としてリリたちと並ぶと、両手でジェスチャーをしながら、シンは解説した。
「『湖上の研究都市・ファンテーヌ』。その名の通り、湖の上に栄えた学術都市だ。浄水の流れる水路が街中に敷かれていて、観光好きの連中からは、水の都、とも呼ばれている。帝国内外を問わず、あらゆる分野の学者や研究者、知識人が集まる。それぞれの分野の研究施設が立ち並んでいるほか、街の中心には帝国内で最大規模の学校がある。勿論、最高水準の学力を求められるが、それぞれの分野を究極的に学ぶことは勿論、学問の垣根を越えて意見交換をすることも叶う。研究者には夢のような街だ。近年では、アーツとフォルスの研究に特に力を入れている」
嬉しそうにそう語りながら、シンは黒い瞳を輝かせた。
「シンはそこへ行ったことがあるの?」とリリ。
「残念ながらない。然し、いつか行ってみたいと思っていたんだ」
『シンは研究や学問となると途端に目を輝かせる』というライラットの言葉を、リリは思い出していた。成程、確かにその通りだった。リリはそんなシンに、好奇心の強い自分との共通点を見つけ出してもいた。
「そういえば」と、ルチカはシンを振り返った。
「なんだ」
「いやね、そろそろアンタの過去について、聞いてもいいのかな、と思ってさ」
出来るだけ何でもなさそうに、ルチカは言った。他意はなかったが、自分がシンの過去に興味を持っていることを悟られるのは、ルチカは癪だった。
考え込むように顎に手を当てて、シンは数秒間何も言わなくなった。それがただの沈黙ではないことを、リリは理解した。シンにとって、それはわざわざ好き好んで他人に喋るような内容ではないのだろう。然し、それが何であるのか、リリも勿論気になっていたし、これから旅を共にする上でも、それをシンの口から聞けるのであれば、聞いておくに越したことはなかった。
顎から手を放すと、一度深い呼吸を挟んでから、「他愛もないことさ」とシンは言った。
「もう記憶にも残っていない。物心ついた時には、俺はアルバティクスのバルド教修道院で、シスターに育てられて暮らしていた。帝都の北に位置する、今では廃墟となった村に、俺は捨てられていたらしい。顔も名前も知らない両親にな。それを、視察中の陛下が拾って、修道院に預けてくださったんだ。当時こんな武道着を着ていたものだから、俺の背が伸びるごとに、わざわざ新調してくださる。シン、という名も、陛下が付けてくださったものだ。本当の名前は確認のしようがない。いや、名前すら付けられずに捨てられたのかも知れないがな」
シンは言いながら、自嘲気味に笑ったが、当然、リリとルチカは笑えなかった。シンとの距離を縮めるはずが、そもそも縮めることの出来ない大きな溝を、リリはそこに垣間見てしまったような気分になった。シンは続ける。「だから、本当は俺に名前なんてない。それどころか、陛下に拾われなければ生きてすらいない。探究心と研究心が服を着て歩いているだけの、幽霊のような存在なのさ」
シンは先ほどまでとは打って変わって、その表情に憂いを浮かべていた。リリはかける言葉を探して、考えを巡らせた。『そんなことを言ったら、拾ってくれた陛下に失礼だよ』などとは、流石にリリには言えなかった。シンが抱えている孤独は、きっと自分の想像を遥かに絶しているのだ。そんな言葉ではきっと、それを埋めることなど出来ない。
数秒の沈黙が流れると、シンはふと、〝そういう雰囲気〟に気付いたように、俯いていた顔を上げて言った。
「ああすまない。つい感傷に浸った」
それから、「今は気にしていないし、お前たちが気にすることでもない」と言い切ると、「先を急ぐぞ」と歩くスピードを速めて、また先頭に戻った。その言葉に嘘はないのだろうが、リリの頭はどうしても、その背中から哀愁を感じて止まなかった。




