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「ちょっと、何処まで連れていくつもりよ」
早歩きでシンの後ろ姿を追いながら、ルチカが尋ねた。
「言っただろう。クーランの奪還に成功したら、情報の提供者を教えてやる、と」
更に三日の後、帝都アルバティクスに帰還した一行は、シンの案内で、帝都中央の大通りを上っていた。その先には、一般市民には立ち入ることの出来ない、貴族街がある筈であった。シンはその貴族街に向けて、躊躇うこともなくズカズカと歩を進めていった。貴族街に近付くに連れ、周りの建物や民衆の服装は、華やかなものへと変わっていく。そんな中で、リリたちの服装は場違いであるかのように――否、事実リリたちの服装は、至極場違いであった――注目を集めた。年頃の娘でもあるルチカは特に、見世物にされているような気分に顔を顰めていた。
長い階段の上にある貴族街の入り口は、三メートル以上もある、荘厳な白い門で封じられていた。門の両脇には、屈強な二人の騎士が、大槍をその手に立ちはだかっている。シンは向かって右側の騎士に、小さなカードのようなものを見せると、リリたちを顎で示しながら言った。
「こいつらは連れだ。通してやってくれ」
「は」、と答えながら、二人の騎士はその両開きの門を、片方ずつ手で押した。金属音を立てながら、門はゆっくりと開いた。シンは何でもなさそうに、その中へと入っていく。リリたちは、一度顔を見合わせてから、その背中を追った。
貴族街の入り口には、大きく開けた公園のような景色が広がっていた。色とりどりの花で飾られた花壇や、高く水を噴き上げる噴水が設置されており、その向こう側には、豪勢な屋敷や豪邸が立ち並んでいる。そしてリリたちが進んでいる、正面の道を抜けた貴族街の中央には、このフォックシャル帝国の王宮、アルバティクス城があった。
「すごい……」
眼前に聳え立つアルバティクス城を目に、リリは感銘の声を漏らした。それからふと、左隣を歩くドボロの顔を見上げて尋ねる。「ドボロはどう思う?」
ドボロの横顔はリリと同様、開いた口を塞げずに、その美しい庭園と、巨大な城に見蕩れていた。
「すごいだ……。でも……」
珍しく、ドボロは口ごもった。リリは黙って、その続きを待った。数秒の後、ドボロの口からは、リリが予想だにしていなかった言葉が飛び出た。
「オデは昔、ここに来たことがあるような気がするだ」
虚を衝かれたように目を丸くすると、リリは「そうなんだ」と答えて、改めてアルバティクス城を見上げた。それからリリは、ドボロの過去に思いを馳せた。
まさか、太陽王の時代にこのアルバティクス城は存在しない。ということは、ドボロはこの城に似た建物に来たことがある、ということだろう。いずれにせよ、現段階ではヒントが少なすぎた為、リリはそれ以上の考察はやめておいた。
ルチカは怪しむようにシンの足取りを観察していたが、やはりというべきか、それはどうやら、アルバティクス城に向かっているらしかった。
「ねえ、情報の提供者って……」
「今に分かる。静かにしていろ」
不愛想なシンの態度に、ルチカは唇を尖らせて目を細めた。
アルバティクス城の扉は、貴族街の入り口と同じく、二人の騎士によって守られていた。シンは先と同じように、門番の騎士にカードのようなものを見せ、後続の三人――クーランはドルミールになっている――が連れであることを告げた。騎士はシンに敬礼をして門を開いた。
「お通りください」
例によって、シンは足早に城の中へと進んでいった。リリたちは、もう顔を見合わせるのはやめておいた。ここまで来てしまった以上、最早後戻りも出来ない。
城のエントランスは、高い吹き抜けになっていた。床には長大な赤い絨毯が敷き詰められている。正面と左右に計三本の上り階段があり、正面の階段の先には大きな扉があった。左右の階段は二階部分で渡り廊下状に繋がっている。二階、一階共に、両脇の壁沿いには扉が二つずつ、等間隔で並んでいた。シンは迷わずに、一階左方、手前の扉へと進んでいった。
扉の先は長い廊下になっており、廊下の両脇には小部屋らしき扉が幾つも並んでいる。それぞれの扉は異なる特徴を持っており、装飾も豪華であったが、突き当りに見える大きな扉だけは、一線を画した豪勢さであった。また、その部屋の扉だけは両開きになっている。木製の扉には大樹を模した紋様が彫られており、宝石による装飾が為されていた。シンはその扉の前で立ち止まった。とはいえそこは突き当りなので、そこまで辿り着いた以上は、立ち止まるほかないのだが。
「一応、服くらい整えてくれ」
シンは小声でそう言った。リリとルチカは慌てて服の皺を伸ばし、出来るだけ綺麗に見えるように努めた。シンは扉を三度、ノックした。
「陛下、シンです。トリュンマ大空洞より戻りました」
陛下、という言葉に、リリとルチカは愕然とした表情になって、シンの背中を見つめた。城の中におり、これだけ立派な扉のある部屋を私室としている以上、それなりの身分の人間だとは覚悟していたが、二人とも、まさか国王とは思っていなかったからだ。
「開いている。入れ」
威厳のあるその声は、確かに納物祭で聞いたライラット王の声に間違いなかった。目を丸くさせたままの二人に、シンは目もくれずに扉を開ける。
「失礼します」
部屋の中で、王は大きな机の向こう側で椅子に座っていた。先日は掛けていなかったはずの眼鏡を掛けて、手に持った書面を睨むように見つめている。ゆっくりと息を吸って、吐き戻しながら、ライラットはこちらを向いた。リリは息を飲んだ。リリとルチカの顔を認識するなり、ライラットはキョトン、とした顔になった。
「これはこれは、コントゥリの若き村長に、巫女殿。シンが世話を掛けたかね」
にこやかにそう言ったライラットの声には、ジョークが多分に含まれていた。それから彼は、叱るような目付きで、眼鏡の奥からシンを見つめた。
リリとルチカが何を返せばいいか迷っていたところ、シンが口を開いた。「陛下、客人を困らせるのはおやめください。リリにルチカ、それにリリのアーツのドボロです」
ライラットは「うむ」と言いながら、リリたちにニコリと笑いかけた。シンは続ける。「三人とも知っているとは思うが、このフォックシャル帝国の現帝王、ライラット国王陛下だ。わけあって、俺は幼い頃からお世話になっている。そして、アーツ泥棒の隠れ家の、情報提供者だ」
リリはそれを聞いて、成程確かに『間違いのない筋』の情報だと納得した。
「して」とライラットは、その表情から笑みを消し去った。「目標は確認出来たかね」
ベルトからクーランのドルミールを取り外し、ライラットへと差し出しながら、シンは頷き返した。
「お陰様で、この通りクーランも無事です。納物祭で騒ぎを起こした、ミドとバロンの姿は確認出来ませんでしたが、ハウルと名乗る若いアーツ使いの男と、彼が使役するヒエンという名の、風属性と見られるアーツがいました。ミドとグルであることも、本人の口から割れています」
トリュンマ大空洞での出来事を、シンは順を追って説明した。
ハウルたちは大空洞の奥にある岩窟に拠点を作っていること。クーランは当初、フォルスの波長をズラす技術で操られていたこと。宝石を外すとクーランの意識が回復したこと。ミドと同じ〝第二共鳴〟を、ハウルも使用してきたこと。大波により戦闘は終わったが、ハウルたちは恐らく生きているということ。そして、脱出の際に大空洞に大穴を開けてしまったこと。
シンから一通りの報告を受けると、ライラットは白い髭越しに顎を擦りながら、目を閉じて「うーん」と唸った。それからふと、思い出したようにリリたちを向くと、彼は言った。「シンのことだ。碌に説明もせずにそなたらを引っ張り回したことだろう。すまなかった」
国王からの謝罪に、ルチカは肩を荒げて両手を振りながら、慌てて返した。
「い、いえいえそんな……! まあ、説明せずに引っ張り回されはしましたけど……」
シンは苦い顔でルチカに目をやったが、ルチカは知ったかぶるように目線を泳がせておいた。
「ここのところのアーツ泥棒騒動には手を焼いていてな……。帝都だけでも既に十三件、帝国全土で三十件以上の被害が出ておる。帝都警察と帝国騎士団で協力体制を敷き、調査を進めてはいるのだが、なかなか成果が上がっておらん。先日漸く、トリュンマ大空洞にそれらしき人物が出入りしているとの目撃情報が上がったが、納物祭の一件があった以上、警察や騎士団にも迂闊には手を出せん。アーツ使いにはアーツ使いでなければ太刀打ち出来ないからな。警察や騎士団の中でも、アーツ使いは貴重だ。現状、騎士団のアーツ使いを中心に〝第二共鳴〟への対抗策を練っているところだが、それに加えて、フォルスの波長をズラして、盗んだアーツを使役されるともなれば、対抗策も振り出しだ」
額に手を当てて、ライラットは悩ましそうだった。
「事態が大きくなればなるほど、警察も騎士団も派手な動きは出来なくなる。大袈裟な報道は民衆の不安を煽る上に、アーツの奪還に失敗でもしてしまえば、混乱は広がるだろう。シンには個人的に、トリュンマの偵察を頼もうとしていたのだが、そんな折にシンのアーツ、クーランが被害に遭った。そこで、シンには動ける範囲で動いてくれ、とだけ頼んだのだが、まさかそなたらを頼っていようとはな」
「彼らには、ミドとの一件での貸しがあったものですから」
涼しげな顔でそう言ったシンを、窘めるような目で数秒見つめた後、「まあよい」と呟くと、ライラットは真剣な表情に戻った。
「最も憂慮すべきは連中の目的が知れぬことだ。そして、フォルスの波長をズラす技術か……。まさかとは思うが、ファンテーヌの研究が外部に漏れている可能性がないでもない。そのような研究が行われているという報告こそ受けてはいないが、一度遣いを送ってみるとしよう」
『ファンテーヌ』という言葉に、突如目の色を変えると、シンはライラットを向いて言った。
「湖上の研究都市・ファンテーヌですか。是非、一度足を運んでみたいと思っていました。その役、この俺に任せていただけませんか」
興奮するシンに、ライラットは呆れるように眉間に皺を寄せると、仕方のなさそうに、然し信頼のこもった瞳で、シンを見つめて答えた。
「お前は研究や学問となると、途端に目を輝かせるな。それでは頼むとしよう。戻り次第、報告を頼む」
二人の話に、リリたちはすっかり置いてけぼりを食ってしまっていた。然し、話はそこで終わった。シンはライラットに、「それでは」と告げると、部屋の扉のほうへ歩きながら、「行くぞ」と小さく呟いた。慌ててライラットに頭を下げると、リリたちはシンに続いた。後ろから、ライラットが声を掛ける。
「リリ殿、ルチカ殿、ドボロ殿。シンが世話になった。改めて、本当にありがとう。帰郷の際には、バーンズ村長にもよろしく伝えてくれ。来年の納物祭で会えることを楽しみにしている、と」
その言葉に、リリは満足げに笑い返すと共に、「はいっ」と気持ちのいい返事をして、部屋を後にした。
入ってきた時と同じように、シンはやはり、一言も喋らなかった。そういうルールがあるのかどうか、ということは、勿論リリたちには分からなかったが、いずれにせよ、ここではシンに倣うのが得策であろうと考え、何も言わずにその背中を追い掛けた。城を出て、リリたちは来た道を同じように辿った。
貴族街の門を出たところで、シンは唐突に足を止めた。リリたちを振り返ると、彼は深々と頭を下げる。
「改めて、クーランの奪還に協力してくれたことに礼を言う」
数秒間そうしてから顔を上げると、今の辞儀が嘘であるかのように、ぶっきらぼうにシンは続けた。
「約束通り、ここまでの礼金は支払う。一応、想定外の戦闘を含めても、少ない額ではない筈だ」
シンは懐から取り出した麻の巾着袋を、投げるようにリリに渡した。「あ、うん」とリリはそれを受け取る。
「これで、お前たちとの貸し借りは終わりだ。俺はミドとハウルの足を追う。まあ、もう会うこともないだろうが、田舎でも精々元気でやれ」
実にあっさりしていて、彼らしい、とルチカは思った。リリは両手で大事そうに持った麻の巾着を、静かに見つめていた。そんなリリを気にも留めず、シンは踵を返しながら、静かに言った。
「じゃあな」
リリは迷っていた。
ここまで足を踏み入れてしまった以上、知らない振りは出来ない。帝国内で三十体を越えるアーツが盗まれており、その使役者たちは今も、不安で心細い日々を過ごしていることだろう。この瞬間にも世界の何処かで、被害に遭っている人がいるのかも知れない。ライラット王が言っていた通り、警察も騎士団も、下手な動きは出来ない。
もし、朝目が覚めてドボロがいなくなっていたら、自分はどう思うだろう。ヘルズが盗まれたら、父はどう考えるだろう。その帰りを、大人しく待っていられるだろうか。卑劣な犯罪に目を伏せて、普段通りの日常を送れるのだろうか。その答えは、もうずっと前から決まっていたのかも知れない。
「待って!」
リリの声に、シンは足を止めた。ゆっくりと振り返ると、睨んでいるような眼つきの悪い目で、然し口元を微かに綻ばせて、シンはリリのことを静かに見つめた。
「どうした、へっぽこ。俺と別れるのが寂しくなっちゃったのか?」
俯いていた顔を、リリはゆっくりと持ち上げた。濃紺の瞳にシンの姿を見据えると、リリは言った。
「――僕も行く」
「ハア?」とルチカ。シンはニヤリ、と微笑んでいる。
「あんな酷い奴らに見て見ない振りをして、自分だけコントゥリで平和な生活は送れない。ルチカに無理強いはしない。ルチカをコントゥリに送り届けてからでも、シンの後を追う。僕は行きたい」
リリは左隣のドボロを見上げた。「ドボロはどうする?」
横長の口をピッタリと閉じて、ドボロはニンマリと笑うと、ガッツポーズをして答えた。
「オデのパートナーはリリだ。だからリリに付いていく。リリの信じる道を、オデも信じてるだ」
リリはその言葉に、強く頷き返した。指し示すように、右手を宙に差し出して、シンは言う。
「貸し借りは終わった。俺はここから先に起こることに、責任は持てない。そしてトリュンマでも言ったように、俺たちが敵に回しているのは、大きくて厄介なものだ。当然、安全快適で愉快な旅路とはいかない。……それでも来るのか?」
その意志を確かめるように、シンはリリの目を見つめ直した。リリの目に宿る、炎のような強い意志は、決して揺らぐことはなかった。
「行く。その先に何があっても」
「……だそうだ。で、お前はどうする?」
ルチカはその表情に、諦めと憂いを浮かべていた。とはいえルチカとて、ミドやハウルの犯罪行為をみすみす見逃して、何も見なかったかのようにのうのうと日常生活に戻れるほど、図太く腑抜けた神経は持ち合わせていない。大きく溜め息を吐き出すと、ルチカは答えた。
「仕方ないわね~。こうなったら何処まででも付いていくわよ。アタシだけコントゥリに帰るわけにもいかないしね」
満足げに笑みを浮かべると、シンは言った。「決まりだな」
新たなる旅立ちに、リリは空を仰いだ。
何処までも続く晴天には、純白の千切れ雲が疎らに浮かんでいた。夏を前にした太陽の日差しは、徐々にその激しさを増していく。高台に位置するこの貴族街からは、アルバティクスの壮大な街並みが見渡せた。綺麗に並べられた住宅の屋根が、太陽光を跳ね返してキラキラと輝いている。リリにはその一つ一つが、別々の意味を持った花か、宝石のようにも見えた。
行き着く先は見えないし、後戻りも出来ない。痛みも、恐怖も、命の危機だって、きっとあるだろう。でもそれと同じくらいに、喜びや発見、それに新しい出逢いだってある筈だ。旅路の先に何があるのか、リリには見届けなければならなかった。
出発を祝うように、一つの風が吹き抜けた。




