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数時間後。帝都の南に広がる平野に形成された街道を、リリたちは歩いて南下していた。結果的にシンの頼みを、リリたちは聞くことにしたのだ。彼の頼みは、以下のような内容だった。
昨晩、床に就いていたシンの元から、ドルミールになっていた彼のアーツが持ち出された。シンがそれに気付いたのは朝になってからだったという。
この時点で、リリは違和感を感ぜざるを得なかった。リリはまだシンのことをよくは知らないが、昨日の一件で腕が立つことは明らかだったし、何よりも彼は注意深そうであった。そんな彼が、眠りの床に忍び込まれたからといって、アーツが盗まれるのをむざむざ見逃すであろうか、と。
「迂闊だった」とシンは言った。そして「犯人の気配の消し方は、常人のそれではなかった」とも。少なくとも、ただの盗人というわけではなさそうだった。五月蝿いほど賑やかなミドには、勿論そんな芸当は出来ないだろう。となるとリリには、一つ合点がいくことがあった。昨日のミドの言葉である。
『〝俺たちか〟と聞かれりゃ〝俺たち〟だけど、必ずしも〝俺とバロン〟ではない。かも知れない』
リリはそれを聞いた時、単純にこちらをおちょくる為か、惑わせる為に言っているものだとしか思っていなかった。然し今考えてみれば、それは『俺たち』とされる集団に、『ミドとバロン』以外にも人物がいることを示唆しているのかも知れなかった。詰まり帝都を騒がせているアーツ泥棒は、ミドとバロンを含めて複数おり、それらは共犯だ、ということである。そして今回シンの元に忍び込んだ者も、その一人である可能性が高い。
盗まれた風のアーツ――クーランを取り返すのに協力してほしい。それがシンの頼みだった。
「成功すれば報酬も支払う。いずれにしても、昨日のアーツ泥棒との一件に於いて、俺は一応、お前たちには命の恩人という貸しがある。手伝うのが人道、というものだと思うが」と、シンは偉そうに語った。
アーツ泥棒の隠れ家について、シンは或る筋から情報を得、目星を付けていた。
帝都から続くこの街道を、南に五日ほど歩くと海に着く。海岸沿いには長年の波の打ち寄せによって形成された、大きな海蝕洞があるという。『トリュンマ大空洞』と呼ばれるその洞は、干潮時にのみ入り口が現れ、入ることが出来るようになる。茶色い革のローブを羽織った不審な人物が、そこへ出入りしているのを見たという目撃情報が数度、あったのだという。
「だから、そんな胡散臭い情報は、一体何処から流れてるのよ」
ルチカはまだ、シンに対する不信感を拭い切れてはいないようで、怪しむように眉間を顰めながらそう尋ねた。
「今は言えないと、さっきも言った筈だ。だが間違いのない筋からの情報ではある。教えられるのは、クーランの奪還が成功してからだ」
「ふ~ん」とルチカは更に怪しむように表情を歪ませ、シンの顔を横目に覗き見た。
一方のリリは、というと、シンへの不信感が全くの皆無というわけではないにせよ、昨日の一件があったこともあり、アーツ泥棒に対する怒りが、それに勝っていた。自分とてドボロを盗まれでもしたら、今朝のシンのように、プライドを投げ捨ててでも身近な人間に協力を要請するだろうと、リリには思えていた。
帝都とトリュンマ大空洞の往復には十日間もかかってしまう為、コントゥリへの帰郷は多少遅れることにはなるが、リリはそれをも厭わなかった。理由が何にせよ、アーツを盗むなどという非道なことは、やめさせなければならない。リリはそう、強く思っていた。
帰郷が遅れることを含めて、ルチカは初めは反対した。が、リリの決心は揺るぎそうにもなかったし、一人でコントゥリへの道を戻ることは流石に躊躇われたので、最終的には諦めて、リリたちに付いていくことにした。
また、アーツ泥棒の目的が不明瞭であることも、リリには気掛かりだった。アーツの力を悪事にでも利用しようというのなら、それは不可能の筈だ。アーツにはそれぞれに決まった人間の使役者が――ドボロにはリリ、クーランにはシン、といった具合に――おり、ドルミールの状態から目覚めさせることは、使役者でなければ出来ない。つまり幾らドルミールを盗んで集めようが、それはただのオブジェにしかならない、ということだ。それを打開する技術が開発されているのならば兎角としても、果たして現在では、アーツを造る技術すら失われている。一介の盗賊団如きには、そんなことが出来るわけがない。危険を冒してまでオブジェとしてのアーツを収集する、というのも、何とも間の抜けた話である。
ふと、先頭を歩いていたシンが、進路を手で塞ぐ仕草をしながら「止まれ」と呟いた。
「――魔物だ」
彼の視線は、斜め上空に向けられている。リリはシンの視線を探った。分厚く黒い雲の下を、二羽の鳥型の魔物が、こちらに向かって飛来してきていた。リリは短剣に、ルチカは新品の弓矢に手を掛ける。ルチカの弓矢に気付いたシンは、目を丸くして言った。
「なんだ、お前も戦えたのか」
「戦うのよ。これからはね」
「ほう」と感心するように目を細めて、シンは呟くと、次のように続けた。「気になっていることがあるから、少し戦いを見させてもらう。ピンチになれば手助けくらいはしてやる」
シンは数歩退いて、リリたち三人の後ろに回った。弓を引き絞って、ルチカは狙いを定める。久々の感覚だ。そしてそれを魔物に向けるのは、ルチカにとって生まれて初めての経験となった。
「ドボロ、行けるよね」
「ンだ!」
リリとドボロはお互いに、握り拳を向け合った。
二人の能力は、以前よりも遥かに安定してきていた。お互いの拳を合わせることによって、自由なタイミングでそれを発動させることが出来るようにもなっていた。そして能力の強さ自体も、初めて発動した時よりも、強力なものになりつつある。
リリは左の、ドボロは右の拳を、それぞれにぶつけ合った。二人の身体から湧き出るように、煙のような山吹色の光が立ち込める。二人は身体の内側から、力が漲ってくるのを感じていた。シンは二人の後ろから、その光景を観察するようにまじまじと見つめていた。シンを振り返らずに、リリは尋ねる。
「シン、っていったよね」
対してシンは「ああ」と不愛想に答えた。その目は依然として、リリとドボロの背中を注意深く眺めている。
「悪いけど手助けは……」
左隣のドボロに目配せをすると、リリは短剣を勢いよく引き抜いた。それに頷き返しながら、ドボロは地に手を着く。横並びになっている魔物のうち、右側の魔物に向けて、ルチカは一閃の矢を放った。
「――要らないよッ!」
ドボロはリリの足元の地面を、斜め上に向かって隆起させた。ルチカの放った矢と共に、リリを乗せた土柱は魔物に向かって、空気を切り裂くように伸びていく。
地上からは判別しづらかったが、近付いてみるとこの魔物は、リリよりも少し小さい程度の体躯を有しているのが分かった。猛禽類に近い体型をしており、白が基調の羽毛の身体は、濃い青によって差し色のように彩られている。また、耳の後ろには鋭い角を生やしており、その姿は豪勇だった。
ルチカの矢が右翼を掠めると、魔物は悲鳴のような甲高い鳴き声を上げて仰け反った。土柱の伸びが止まるのと同時に、リリは宙へと飛び出し、空中で身体を回転させる。一羽を短剣で斬り上げると共に、ルチカが狙ったほうのもう一羽を、リリは上方から蹴り下ろした。翼で受け流すようにして、魔物はリリの蹴りを躱したが、蹴りの軌跡をなぞるように出現した岩塊の一撃によって、地面へと叩き付けられた。再び羽ばたこうと立ち上がるも、駆け寄ったドボロの鉄槌による追撃で、その一羽は息絶えた。
リリは空中に岩を出現させては、それを踏み台にステップを取り、滞空しながら短剣による連撃を仕掛けていた。然し、その全ては硬く鋭い角によって防がれている。ルチカは地上から、新たに矢を引き絞って狙いを定めていた。
「リリ、一旦退いて!」
ルチカの声に、リリは岩を蹴り上げて跳躍した。勿論、その跳躍距離は、常人に真似の出来るようなものではない。
ルチカが放った矢は、魔物の左翼を見事に貫いた。魔物は鳴き声を上げながら、その場で翼を振り回しながらもがき回る。風穴の空いた翼が言うことを聞かなく、空中でのバランスが取れないらしい。落下してきたリリは瀕死の魔物に、勢いを付けた踵落としを喰らわせた。
「ラァッ!!」
先の一羽と同じように地面へと叩き付けられたその魔物は、その場で数秒間のた打ち回ったものの、あっけなく力尽きた。
着地したリリは、両の手を叩き合せながら、ルチカたちのほうへと歩み戻った。その身体を覆っていた山吹色の光は、空気に溶けるように、徐々にリリの身体を離れていく。
「ま、こんなもんかな」
そう言って自慢げなリリを、シンはどうにも納得がいかないような表情で、睨むように見つめていた。数秒の間を置くと、シンはリリへと右手を差し出しながら、次のように尋ねた。
「……お前のフォルスチェインは、一体何処にある?」
『フォルスチェイン』という単語に、リリたちの頭にはクエスチョンマークが浮かび上がった。聞いたこともなければ見たこともない。一方でシンの口からは、誰もが知っている一般常識であるかのように滑らかに、その言葉は現れた。質問に質問で返す形で、リリは尋ね返した。
「……フォルスチェイン? って、何?」
まるで幽霊でも見たかのように、シンの顔は愕然とした。
「何って……、アーツの、――ドボロのフォルスを受け取るのに必要だろう? そうでないなら、お前はどうやって〝共鳴〟している?」
リリは困り顔のまま、時間が止まったかのように静止した。ゆっくりと首を傾げると、リリは誤魔化すように笑った。「アハハ。……フォルスって何? チェイン? って? 何?」
眉を八の字にして口元を歪ませていたシンは、それを聞くなり、全ての感情を失ったように唖然とした。四人の間には、暫しの沈黙が流れた。沈黙を破ったのは、状況を飲み込んだシンだった。キョトン、とした表情を浮かべたままの三人に、哀れみと不審の入り混じった目を向けると、苦笑いで、シンは言った。
「た、大変だな……田舎者は」




