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翌朝にはリリの身体は、全快、とは言えないものの、ほぼ回復していた。
昨晩、疲労からか気付かないうちにリリは寝てしまっており、今朝になってすっかり機嫌を直していた、ルチカの声に起こされた。
「ほらリリ、そろそろ起きなさいよ~」
ルチカは病室に戻っていた。ドボロは既に起き上がって、出掛けの支度をしている。納物祭二日目のこの日は、リリたちは祭りを見て回ると共に、帝都巡りをすることになっていた。
早々に支度を終えたリリは、ルチカとドボロと共に病室を出た。リリの後頭部の癖毛は、今日も一房だけが、強烈に立ち上がっている。
「そういえばルチカ、昨日の夜は結局、何を買いに行ってたの?」
病院内の階段を下りながら、それを思い出したリリは尋ねた。待ってました、とでも言うように口角を上げると、ルチカはその背に背負った大振りのリュックから、何かを取り出し始める。昨日の納物で、納物品の土器と金属類を漸く吐き出すことが出来たそのリュックは、それまでと比べて驚くほど軽くなっており、三人は文字通り、肩の荷が下りたのを感じていた。
「じゃ~ん!」
自慢げな表情で取り出したそれを、ルチカは二人の前に突き出すように披露して見せた。ルチカの右手には小振りな弓が、左手には矢筒が握られていた。
「……弓矢? なんで?」
ポカン、とした表情を浮かべてそう尋ねたリリに、真新しい弓の弦を指で擦りながら、ルチカは答えた。
「アタシが戦えないせいで、リリとドボロがすごい苦労してるでしょ。戦えないだけならまだしも、そのせいでリリが守りに徹したり、戦えないアタシの存在を逆手に取られてたんじゃ、流石に足手まといすぎると思ってね。昔から、村ではお父さんと一緒に鹿を狩ったりしてたの、リリも知ってるでしょ」
ルチカの話に、リリは思わず眉間を顰めた。戦闘で不利な状況に陥るのは、自分の力不足であるとしか、リリは考えていなかったからだ。ルチカを守ることは父に頼まれた仕事の一部でもあったのだし、それをルチカに気にさせてしまうのは、リリにとっては自分の落ち度でしかなかった。ルチカの提案を素直に受け入れることは、リリには出来なかった。
「ごめんルチカ」とリリ。「僕は、賛成出来ない。ダグザさんだって、ルチカがその弓を、人や魔物に向けることは――」
当然望んでいるわけがないと、ルチカは勿論理解していた。然し、最早譲ることの出来なくなった信念が、ルチカにはあった。リリの声を遮って、ルチカは言った。
「分かってるわよ! 無闇に殺生しようってわけじゃない。リリだってそうでしょ? アタシはもう決めたの」
その言葉に、リリの中に形成されかけていた、ルチカの提案を取り下げさせようという気持ちは崩れ落ちた。『アタシはもう決めたの』と言ったルチカを、リリは昔から止められた試しがなかったのだ。
「――自分の身は、自分で守る」
ルチカの萌黄色の瞳は、決心に燃えていた。感心するように目を輝かせて、ドボロは言う。「ルチカ、カッコいいだ。オデはルチカを応援するだ」
「でっしょ~」と、ルチカは嬉しそうに返す。にこやかな二人を尻目に、リリは溜め息を吐き出した。
ルチカの弓の腕が確かであることは、リリもよく知っていた。百メートル近く離れた鹿を彼女が射止めるのを、間近で見たこともあったし、弓を持つとルチカの顔付きがガラッと変わり、真剣そのものになることも知っている。それは生き残る為に他者を殺める、宛ら獣の目のように、リリは感じていた。
「分かったよ。だけど無茶だけはしないでよね」と、仕方なさげにリリは言った。
弓と矢筒をホルダーにセットし、それをリュックに縛り付けながら、不敵な笑みを浮かべて、ルチカは答える。「それはリリには言われたくないなあ~」
それ以上を言い返すことは、リリはやめておいた。兎に角、今はルチカの言葉と、その腕を信じるしかないと、自分に言い聞かせながら。
病院を後にした三人は、分厚い曇り空の下、通りへと続く階段を下っていた。と、その脇の壁に、見覚えのある青年が腕を組んでもたれかかっているのに、リリたちは気が付いた。ミディアムショートで深緑の髪を、青年は持っており、その身には松葉色の地に白い雲の模様の入った、カンフーを思わせる衣服を纏っている。また、その背中には黒く平たいリュックが背負われてもいた。シンだ。
その姿を見つけるや否や、ルチカは吠えるように言った。
「あ――ッ!!」
ルチカの咆哮を合図にするように、壁から背を離すと、シンは何か言いたげな表情で、リリたちのほうを向いた。が、そんなことはお構いなしに、ルチカは続けざまに述べる。
「昨日の、っていうか一昨日の! 顔は良いのにいけ好かない! 態度が悪いし口が悪い奴!」
その言葉に、シンは鬱陶しそうに目を細めて、薄ら笑いでルチカを見た。
「言いたい放題だな」
「言いたい放題よ!」
何故か腰に両手を当てて、自慢げになってそう言うと、ルチカは唇を尖らせて鼻を鳴らした。そんなルチカを無視してリリとドボロに視線を移すと、シンは言った。
「用があるのはお前たちだ。へっぽこアーツ使いと、そのアーツ」
リリとドボロはその言葉に、眉間を歪ませて反応した。今までは、ちょっと態度が悪い奴、くらいにしか思っていなかったが、どうやらこの青年は、本当に口が悪いらしい。
然し、シンの暴力的なまでの悪態はそれまでだった。組んでいた腕を解くと、それを拒むプライドを吐き出すかのように溜め息を吹き出してから、シンはリリに頭を下げた。リリたちはその光景に、更に顔を顰めて驚いた。
「――頼みがある」




