18
二組のアーツ使いによる戦いの様子を、大広場に面した或る建物の三階の窓から、一人の青年が見下ろしていた。昨日の昼間、ルチカと大通りでぶつかった不思議な服装の青年だ。
(あいつ、フォルスチェインを使わずに〝共鳴〟した……?)
腕を組み、気難しそうに眉間を顰めて、青年は窓越しにリリたちの戦いを見つめている。その右手首には、アシリア文字が彫られた金色のバングルが嵌められていた。
「クーラン」
呼びかけながら、青年は自らの腰に掛けたドルミールに手を翳した。クーラン――それが、彼のアーツの名前だった。
白と緑を基調としたそのドルミールは、浅緑の光を放ちながら巨大化し、ドボロやヘルズとは対照的に、スマートな体型の巨人の姿となった。土や岩のような身体を持ったドボロやヘルズとは違い、クーランは全体的に流線型の肢体に、鳥類を思わせる、浅く白い羽毛を纏っていた。頭から上半身にかけては――燕尾服を思わせる長い後ろ裾を有した――、深緑のマントのようなものを羽織っており、深く被られたそのフードによって、顔の上半分は影に隠れている。影の下には白い体毛の中に、鳥の嘴のようなものが見えた。自身の膝ほどまである長い腕は、先端に掛けて太さを増しており、それは末広がりの袖を思わせた。太い腕の先からは、橙色の鱗の皮膚を持つ、鋭い爪を持った五本の指が生えている。膝から下も指と同じように、鱗を有した硬い皮膚となっており、ほっそりとした脚のその先には、細長い三本の指が生えていた。そのうちの二本は前方を、一本は後方を向いて生えており、これも鳥類に見られる、趾の特徴を思い起こさせた。
「どうした、シン」
クーランの声は低く、またしゃがれていた。
シン、と呼ばれたその青年は、頭を振るうようにして、深緑の前髪を邪魔そうに横に除けると、右後方に立つクーランを仰ぎ見ながら、静かに言った。
「この戦い、なかなか面白いぞ」
窓へと歩み寄ったクーランと共に、シンは目を細めて静かに口角を上げながら、地上で交わされる剣戟に、再びその意識をやった。
「他人のアーツを盗んでッ、何が目的だッ!」
リリは怒鳴りながら、短剣による連撃を放っていた。ミドはその全てを鎚の柄で防いではいたが、ドボロとの力を発動させたリリが、僅かに押し始めていた。ドボロとバロンはその後方で、ほぼ互角の戦いを続けている。
「目的はッ、教えられないけどッ、そう、怒るなよッ! でも怒った顔も素敵だ!」
ミドは相変わらず饒舌だったが、徐々に押され始めていることに焦りを感じたのか、二度のバックステップを踏んで、リリとの距離を取った。
開いた距離を詰めることはなく、息を切らして短剣を構えたまま、然し冷静さを取り戻して、リリは今一度問うた。
「役所で、アーツ泥棒の張り紙を見たよ。あれもお前たちの仕業なのか」
薄ら笑いをその頬に浮かべると、ミドは答える。「オレたちか、と聞かれりゃオレたちだけど、必ずしもオレとバロンではない。かも知れない」
「……答えになってない。それと――」
顔を顰めたリリは、ミドに向かって駆け出した。ミドに辿り着く直前で、リリは一度、側転のような回転を仕掛けた。リリの手が地に着くのと同時に、ミドの背後には巨大な土の壁が立ちはだかる。バックステップでリリの進撃を躱すつもりだったミドは、その行く手を阻まれる形となった。
「――僕は男だッ!!」
吠えながら跳び上がると、リリは空中で、ミドの右側から勢いよく回し蹴りを入れた。肩から腕にかけて、その蹴りをまともに受けたミドは、左方へと大きく吹き飛び、地を転がった。
「いっててて……。面白いジョークだね、リリちゃん。そしてなかなか良い蹴りをしてくれる」
二の腕を擦りながら立ち上がると、ミドは肩と首の関節を数度、鳴らした。リリの蹴りは、確かな手応えと共にヒットした。が、それはリリが思っていたよりも、軽いダメージで済んでしまったようだった。
「それじゃ、こっちもそろそろ本気を出そうか。新しいの、使ってみたかったんだよねえ」
言いながら、ミドは何処からか、大振りのシルバーの指輪を取り出して見せた。手品師のように、右手の指の間をするすると擦り抜けさせてから、ミドは親指で、それを宙へと弾いた。右手を開いて前に突き出すと、落ちてきた指輪はその中指に、――既に嵌っている細い金の指輪に重なるような形で――すっぽりと収まった。ミドの動きに気付いたバロンは、ドボロに向けていた視線をミドへと移すと、呟くように言った。
「つよイの、つかウ」
ドボロも、バロンの視線を追ってミドに目をやる。
リリとドボロには当然、何が起こるのかは分からなかった。ただ眉を顰めて、ミドが何をするつもりなのか、二人は見入ってしまっていた。ミドはニヤリ、と笑って、戦闘が始まる時に行ったのと同じように、右の拳と左の掌を重ね合せると、言った。
「――〝第二共鳴〟」
その瞬間、ミドとバロンを覆っていた山吹色の煙のような光は、それまでの倍以上に膨れ上がると共に、リリたちが目を細めずにはいられないほどに、その輝きを増した。
(なんだ、あの光は!?)
窓越しに様子を見ていたシンは、その光に驚いて目を見張ると共に、身体を大きく震わせて窓に身を乗り出した。
(ヤバい――)、とリリにも分かったが、もう遅かった。リリとドボロの腹には、強烈なパンチが入れられていた。リリにはミドの、ドボロにはバロンの、それぞれ右の拳だ。続けざまにミドとバロンは、二人に激しい連撃を加えた。またその速度と威力は、それまでとは比べ物にならなくなっていた。二撃目以降、ドボロはどうにか防御の体制を取ることが出来たが、リリは数発続いた拳と蹴りをまともに受けてしまい、その場でよろめいた。そんなリリのに対し、ミドは止めと言わんばかりに、鎚を大きく振り被った。これだけは避けないと、とリリは瞬時に判断することまでは出来たが、実際にはその身体は、思うようには動かなかった。鎚の頭部は真っ直ぐに、リリの頭に向かって落ちてくる。死ぬのかも知れない、とリリは思った。そこへ――、
「〝共鳴〟ッ!」
突如、シンとクーランの声が響いた。鎚はそのままリリへと振り下ろされたが、結果として、その頭部がリリの頭に落ちることはなかった。
ミドの背後にはクーランが、ミドに背を向けて立っており、その手には――自身が持つアーツとしての力で作られたのであろう――薄緑に光を放つ、半透明の小刀が握られていた。その刃は風を、そしてクーランの身体は、リリたちと同じように煙のような光を纏っている。然しその色は、リリやドボロ、そしてミドやバロンが纏っている山吹色の光とは違い、浅緑だった。
ゴゥン、と鈍い音と共に、鎚の頭部はリリの脇に落ちた。クーランの刀が、この一瞬のうちに、ミドの鎚の柄を斬っていたのだ。
「なッ、何モンだよ!」
ミドは慌てて、クーランから距離を取った。後ずさりながら地に手を着くと、ミドはそこから同じような形状の鎚を一本生成し、先と同じように構えた。依然、ミドとバロンの身体は鋭い光に覆れている。
リリにはクーランが敵なのか味方なのか、まだ判断が付かなかった為、ミドと同じように距離を取って短剣を構えた。が、ミドの攻撃をまともに受けた身体には、ろくに力が入らなかった。ルチカはクーランが何処からやってきたのか、辺りを探っていた。そして後方の建物の三階の窓に、シンの姿を見つけた。シンはその胸の前で、右腕のバングルに左の掌をかざしている。
(あの男、確か昨日の――)
次の瞬間、シンはその窓枠から跳び下りた。手を地に向け、着地間際にその手から風を噴出し、音もなく舞い降りる。未だその存在には、ルチカしか気付いていない。その身にはクーランと同じ、浅緑の光を彼は纏っていた。
シンがいることを、ルチカはリリに伝えようとした。が、それに気付いたシンがルチカを向いて、口元で人差し指を立てた。『何も言うな』のジェスチャーだ。半信半疑ではあったが、ルチカはそれに従うことにした。
ベルトの柳葉刀に手を掛け、シンは腰を屈める。そして彼は、一度だけステップを踏んだ。刹那、シンは十メートル弱あったミドとの距離を一気に詰め、その背中に柳葉刀の刃先を押し当てていた。遠目に見ていたルチカの目には、シンの動きは瞬間移動のようにさえ見えた。
「――動くな。お前こそ何者だ。その力はなんだ」
ミドはハッとした表情を浮かべてから、眉間を顰めた。シンの姿に驚いたリリとドボロは、然しどうやら彼が味方らしいことを察すると、安堵の表情を浮かべた。
「なんだよなんだよ、お仲間がいたんだ……」
してやられた、という表情で、ミドは鎚を投げ捨て、両手を上げた。が、次の瞬間にはその口角を、片側だけ上げて彼は微笑んでいた。
「――ねッ!」
言いながら、ミドは右の足で地面をひと踏みした。ミドの足元の地面だけが、瞬間的に三メートルほど、柱のように隆起し、ミドはシンの刃から逃れた。柱の上でバランスを崩しかけながらシンを振り返ると、ミドは自慢げな顔をした。
「ざァんね――」
残念だったねえ、とミドが言い切る前に、何者かの叫び声がそれを遮った。「いたぞ! あの柱の上だ!」
大広場奥側の道から、声と共に数十人分の足音が近付いてくる。間もなくしてそれが帝都警察のものだということを悟ると、ミドは目を見張って言った。
「おーっとこりゃまずい。どっちにしろ二対一じゃ分が悪いね。アーツを二体も見逃すのは惜しいけど、今日はおいとまさせてもらうよ。バロン!」
「おいトま、すル」
バロンはそう言うと、先ほどドボロの足元の地面を溶かしたのと同じようにして、自身の足元の地を溶かし、ぬるり、とその中に入っていってしまった。
「リリちゃん!」
ミドに呼ばれたリリは、土柱の上に立つミドの姿を仰ぎ見た。
「オレは君を諦めない! また会おう! 愛してるぜ!」
ウインクとポーズを決めるが、柱の狭さによろけ、ミドはそこから転落した。が、空中でくるり、と器用に体勢を立て直すと、ミドはバロンが作った沼のような穴の中に、飛び込むようにして消えていった。ミドが去ったことで漸く身体の力を抜くことが叶ったリリは、溜め息を吐きながらその場にへたり込んだ。山吹色の光が、リリとドボロの身体から飛散していく。
「おい待て! まだ聞きたいことが……!」
シンはその穴に駆け寄り、中を覗き込んだが、穴はすぐに、元の通りに閉じてしまった。と、同じくシンとクーランの身体からも、浅緑の光が散っていく。聞こえよがしに舌打ちをすると、シンはリリに歩み寄って、まだ息を切らすリリに手を差し伸べて言った。「大丈夫か?」
「あ、ありがとう」
リリは礼を言ってその手を取ったが、シンは昨日ルチカにしたのと同じように、リリの手を乱暴に引っ張り上げると、さっさと踵と返して、路地に向かって歩き出してしまった。
「行くぞ、クーラン」
シンの言葉に、クーランは風の小刀を消滅させ、彼の後に続いた。去り際、顔を半分だけリリたちを振り返ると、その頬に嘲るような笑みを浮かべて、シンは言った。
「大変だな、田舎者は」




