17
事件は凡そ、一時間後に起こった。
「おいっ、何するんだよ!」
観衆の中の或る男から、その声は上がった。大通りには納物者たちが、未だ長く列を作っている。舞台では何処かの町の納物者が、特産の果物を王へと納めているところだった。
「うるさいな~、大きい声を出すなよ!」
男へと言い返すその声は、まだ幼く、リリよりも少し年上くらいの少年のものと思われた。
「何してるんだよお前ら」
「ちょっとどうしたの?」
騒ぎは徐々に大きくなる。それを知らしめるように、男は大きな声で言った。
「こいつが俺のアーツを取ろうとしたんだよ!」
何やら誰かが騒いでいる、くらいにしか考えていなかったリリだったが、流石にこの言葉からは、聞き捨てならないというべきか、ただならぬ違和感を感じて、騒ぎのほうを振り返った。役場で見かけたポスターの見出しが、リリの脳裏をよぎっていた。『アーツ泥棒に注意喚起』だ。
「……ドボロ、ちょっと」
「ンだ?」
ドボロの緋色のマントの裾を引き、リリは人混みをかき分け、騒ぎのある方へと歩み寄った。リリの動きに気付いたルチカが声を掛ける。
「リリ、どうしたの?」
リリは返事をすることなく、喧騒の中へと向かっていってしまったので、仕方なしにルチカは、それを追いかけることにした。
リリがそこに辿り着いた時、開けた人混みの中心には、ドルミールを抱えた一人の男と、――ベージュで革製のローブを羽織り、そのフードを深く被った――怪しげな少年、そしてその隣には、同じようにベージュのローブのフードで顔を隠す、二メートルほどの大男がいた。
「おいおい、お蔭で騒ぎが大きくなっちゃったじゃん」
無邪気な声色には到底そぐわない、少年の物騒な物言いに、リリは己の耳を疑った。が、どうやら男が被害者で、少年と大男がグルの加害者、ということで間違いはなさそうだった。
「なに言ってんだよお前! それに隣の男! お前はなんとか言わないのかよ!」
右腕にドルミールを抱えた男は、左手で少年と大男を、順に指さしながらそう怒鳴った。首を傾げると、大男は尋ね返す。
「……んン? ナんとカ?」
その喋り方は何処か不気味で、人間らしさ、とでも言うべきものが欠落しているように、リリには感じられた。
溜め息交じりに「あーあ」と呟くと、少年は両の手を差し出すように、前に広げて見せた。お手上げ、とでも言いたげなポーズだ。
「話しかけちゃったよ。俺は知らないからね」
と、大男はその太い右腕を、被害者の男に向かって振り上げ始めた。ざわめきと共に、人だかりは徐々に広がっていき、少年は数度のバック転で、大男からその人だかりの端の辺りまで距離を取った。
「お、おい……、何するんだよ……」
目の前で拳を振り上げる二メートルの巨体に、男は足が竦んで動けないようだった。少年は少年で、右の拳と左の掌を、胸の前で構え、打ち付けんとしている。その右手の中指には、細い金色の指輪が嵌められていた。
「リリ、あいつ……」とドボロ。
少年のほうに夢中だったリリは、大男が腕を振り上げていることには気付きもしていなかったし、ドボロの『あいつ』という言葉すらも、少年を指しているものだと思い込んでいた。が、ドボロが見ていたのは少年ではなく、腕を振り上げる大男のほうだった。
右の拳と左の掌を、胸の前で勢いよく打ち付けると、少年はニヤリ、と微笑みながら、次を口にした。
「――〝共鳴〟」
開けた人だかりの中心から、轟音が鳴り響く。振り上げていた右の腕を、大男が振り下ろした音だった。音に驚き、身体を震わせて反応したリリは、後方を振り返って状況を把握すると共に、大男の身体に纏わりつく、煙のような山吹色の光に目を疑った。その光には、リリは見覚えがあった。括目したドボロが、先の言葉の続きを、「――アーツだ」と引き取った。
大男改め、そのアーツが殴った石畳の地面は、亀裂を起こすと共に大きく凹んでいた。幸いにも被害者の男には当たらなかったようで、腰を抜かして倒れ込んではいるものの、彼に怪我はなかった。恐怖と戦慄に、民衆は悲鳴を上げながら瞬く間に逃げ果せ、一分もしない間に、大広場には数えられるほどの人影のみが残った。リリ、ドボロ、ルチカ、少年とそのアーツ、そして被害者の男だ。
衝撃でフードが外れたそのアーツの顔は、鈍色の肌を持っていた。大きな顔の両脇からは、ドボロと同じような尖った耳が、斜め上に向かって付いており、前頭部からは枯草色の頭髪が生えている。下顎は異常にしゃくれており、口は常に半開きで、隙間からは並びの悪い歯が覗いていた。鼻筋はなく、鼻の穴だけが小さく空いている。大きく開いた両の目は、瞳と白目の境目がなく、全面が白い。
アーツは再び、恐怖に震えるその男に、同じように右腕を振り上げた。男の顔は愕然としているが、身体が動かないようだ。すかさずに、リリはドボロを呼んだ。「ドボロッ!」
既に振り翳していた右の拳を、ドボロはそのまま地に叩き付けた。男に向かって振り下ろされていたアーツの腕は、すんでのところで食い止められた。ドボロが地中から出現させた、掌を模した土塊によって。
「早く逃げて!」
怒鳴るように、リリが叫ぶ。敵のアーツは腕を食い止められているにも拘らず、力を緩めていない。この土塊がいつまでもつか、リリにも分からなかったのだ。涙声で礼を言いながら、男は何とか立ち上がると、全速力で建物の隙間の路地へと逃げ込んでいった。と同時に、ドボロが出現させた土塊は、大きな音を立てて崩れ落ちた。
「へえ、そっちもアーツ使いなんだね」
鈍色のアーツを使役する少年は、そう言いながらリリのほうへと歩き出した。その身にはアーツと同じく、山吹色の煙のような光を纏っている。ベルトの短剣に手を掛けると、リリは数歩退いて身構えた。
「まあまあ、そう慌てないで、って……、んん?」
大きく一歩、リリに歩み寄ると、少年はリリの顔を確認するように覗き込んだ。並んでみると彼の背丈は、リリよりも一〇センチほど高いことが分かった。
「んんん?」
「な、なに」
腰を屈め、フードの端を指で摘まみ上げて、少年は更にリリの顔を覗き込んだ。リリの顔を、今一度しっかりと確認すると、彼はその瞳を輝かせて、驚くように目を見張った。
「か……、可愛い……!」
そう言った少年の気が知れずに、リリは思わず、眉間を顰めて聞き返した。「ハァ……?」
「フンッ」と唸りながら、ローブを勢いよく脱いで投げ捨てると、少年はその姿を見せた。
菜種油色の短髪は、軽薄な彼の性格を顕すように、好き放題に跳ねている。瞳は緑青色をしており、服装は全体的にゆったり、というよりも、ダボッとしておりだらしがない。黒のタンクトップは、今にも肩から落ちそうなほどにサイズが大きいし、その上に羽織っている――袖を捲り上げられた――白い薄手のカーディガンは、これもまたサイズが大きく、裾は彼の膝辺りまである。極め付けは焦げ茶のサルエルパンツだ。少なくとも、リリやルチカには理解し難い服装であった。帝都では流行っているのかも知れないと、リリは思うことにした。
くるり、と一回りしながら、踊るようにリリの前に跪くと、彼はリリの左手を取って、囁くように言った。
「君はこの世で一番美しい。花のように可憐だ。オレのフィアンセに、これほど相応しい人はいない……」
傍目にその光景を見ていたルチカは、心底気味悪そうに言う。「リリ、こいつ何か勘違いを……」
左手を掴まれたまま、リリは怪訝な顔でルチカに頷き返すが、それを余所目に少年の弁は、更にヒートアップしていく。
「リリ……! 名前までなんて可憐なんだろう! ますます愛しい愛らしい、狂おしいほど麗しい! ああ出逢い、ああ芽生え、嬉しさもとい遣る瀬無さ! これが恋というものなのか!」
舞うようにして、リリの周りをくるくると回りながら、少年はべらべらとそう続けた、かと思いきや――。
「でも――」
閉じていた目をパッチリと開くと、彼は勢いよく、リリから距離を取った。背中に携えた、戦闘用らしい柄の長い金鎚を右手に取ると、彼はリリに身体を向けて、それを構えた。柄の部分は木製で、頭部の金属は金色に輝いている。彼が戦うつもりらしいということを悟ると、リリは改めて身構えた。
「オレたちの計画を邪魔するのなら、容赦はしない。美人に手を上げるのはシュミじゃないが……、諦めろミド、これは禁じられた恋だったのだ……、嗚呼」
悩ましい表情の眉間を、左の手で押さえながら少年は言うと、右手に持っていた鎚を、わざとらしく地に落とした。ドン、と鈍い音を立てて、鎚は硬い石畳を凹ませる。それは見た目からでは判断が付かない、その鎚の重量を物語っており、これにはリリもルチカも驚いた。呆れ顔になって、然し緊張は緩めることなく、リリは尋ねた。
「それで……、戦うの、戦わないの」
再び鎚を持ち上げると、少年はそれを肩に抱えながら、ニヤリ、笑みを浮かべた。
「勿論、戦う。計画の妨げになる者は排除する。例えその相手が……――」
言いながら、鎚を構え直した少年は、リリに向かって凄まじい速度で駆け出した。そう、彼はリリとドボロが繋がるのと同じ力で、鈍色のアーツと繋がっているのだ。身体能力は通常の人間とは比べ物にならない。それを思い出したリリは、すぐに構えの体制を取ったが、どうやらそれは、間に合いそうもなかった。
「絶世の美女だったとしてもッ!」
少年はリリに向かって、勢いよく鎚を振り下ろした。悲鳴のように、ルチカがリリを呼ぶ。が、鎚はリリに接触する直前で、ドボロの手によって防ぎ止められていた。
「オデのパートナーに……」
そのまま鎚の頭部を掴んで持ち上げると、ドボロは宙を裂くようにして、鎚を反対方向に振り下ろしながら吠えた。
「何するだァ!」
鎚の柄を掴んだまま、少年は地面に叩き落とされたかに見えた。が、ドボロは手応えのなさに違和感を覚えていた。リリに負けずとも劣らない軽い身のこなしで、彼は掴んでいた筈の鎚の柄の部分に、器用に片足で立っていた。
「乱暴だなあ」
鎚の柄から跳び下りると、「それじゃあ今度は」と言いながら、少年は再びその柄を掴んだ。長い柄の先に付いた金属の頭部には、がっちりとドボロの手が絡まっている。そしていつの間にかドボロの手は、土でその頭部に固められていた。ドボロの表情は、不可解を示している。
先のドボロと同じように、少年はドボロが掴まったままの鎚を、ゆっくりと振り上げた。まさか華奢な体型のその少年の力だけで、二メートルを越えるドボロを鎚ごと持ち上げることなど出来る筈がない。それは彼が、アーツとの力を上手く使いこなしているからこそ成せる業なのだろうと、驚きながらもリリは理解した。
「こっちの番だねッ!」
言いながら、少年は鎚の頭部を、宙に弧を描くようにして振るい、ドボロもろとも反対側の地に叩き付けた。
「ドボロッ!!」
リリとルチカが叫ぶ。轟音と共に土埃が舞い、ドボロの姿は隠れて見えなくなった。数秒を以て土埃が落ち着くと、何とか両脚を着いて着地出来ていたドボロの姿が、そこにはあった。
「まだまだ行けるだ……!」
「へえ、そこそこやるみたいだね」
ドボロの手から鎚を引き抜くと、数度のバック転をして、少年は鈍色のアーツのところまで引き下がった。左の手で自身とアーツを順に指し示しながら、彼は解説する。
「オレはミド。こいつは土のアーツのバロン。喋るのと走るのは得意じゃないが、パワーは半端ない」
「それじゃ」と言いながら、その少年――ミドは、腰を屈めた。険しい表情になって、リリは身構える。
「――続きと行こうか!」
先と同じく、ミドはその俊足で、リリとの間合いを詰めた。リリは今度は、その鎚による縦の一撃を見切って、左手に躱した。右の拳で正拳突きを入れるが、しゃがんで躱される。右の拳を振り翳しながら、ドボロがミドに向かって走ってきていた。
「バーロン」
バックステップで距離を取りつつ、目配せもなしに、ミドは鈍色のアーツ――バロンに呼びかけた。
「ミド、マもル」
バロンはその場を動かずに、地面に手を着いた。その動きは決して速いとは言えない。が――、
「ンだ!?」
ドボロの声は上ずっていた。驚いたリリが振り返ると、ドボロの足元の地が、ドロドロに溶け出していた。沼にでも嵌ったかのように、ドボロの太い脚はみるみるうちに、地面の中へと沈んでいく。ドボロを助けるべく、リリは駆け寄ろうとしたが、ドボロがそれを制止した。「リリ、後ろだ!」
リリの後方からは、ミドが再びこちらに向かってきていた。今度は彼は、その鎚を横に構えている。
「クッソ!」
避けきれないと判断したリリは、短剣を縦にして、ミドの鎚の柄を受け止めた。鈍い振動が、骨まで響いてくる。
ドボロは地面を溶かすのとは反対の力を、強くイメージした。「フンッ」というドボロの唸り声と共に、その膝までを飲み込んでいた地面が凝固する。バキバキと音を立ててそれを崩しながら、ドボロは地上へと這い出た。
「おまエのあイて、オレ」と、バロンはドボロを挑発するように投げかける。
「やってやるだ!」
ドボロはバロンに向かって走り出す。ミドは続けて、リリに鎚による連撃を仕掛けていた。
「あっちで見てる子はッ、アーツ使いってワケじゃないんだッ?」
「それが……、どうかしたッ!」
リリは言いながら、それを躱すので精一杯だった。左右に屈み、転がり、隙を見て蹴りや打擲を入れるが、掠る程度で大きなダメージにはならない。向こうがアーツと繋がっているのに対し、こちらは生身の人間だ。戦闘能力の差に限界を感じると共に、リリの息は、徐々に上がり始めていた。
「二人はッ、どういう関係? 姉妹? ……まさか恋人?」
少なくとも姉妹ではない、と思いながら、リリは顔を顰ませた。リリが息を切らしているいる一方で、ミドは余裕そうに、ヘラヘラと笑っている。
「違うよ。昔からの付き合いで……、幼馴染ッ!」
一瞬の隙を突いて、リリはミドの足元にローキックを入れた。ミドは足元を崩されながらも、どうにか体勢を立て直す。
「おおっと! やるねえリリちゃん、そうこなくちゃ」
言いながら、ミドはリリとの距離を取りつつ、鎚を一旦背中のホルダーに戻しながら、「それじゃこうしたら――」と続けた。そのまま身体を大きく撓らせて、ミドはロンダートを放つ。
「――どうなるのかなッ?」
起き上がりざま、ミドは手を地に着いた際に拾い上げていたのであろう小石を、ルチカに向かって指で弾いた。ミドの身体に纏わりつく光を微かに受け取ると、小石は弾丸のような凄まじい速度となって、ルチカを目掛けて一直線に飛んでいく。
「ルチカッ!!」
判断を誤ってはいけないその一瞬は、スローモーションのように、リリには感じられた。小石は纏った光と共に肥大化し、矢尻のように鋭く尖った。そこには素早い回転もかかっているようだ。あんなものが当たれば、ルチカの身体はまず間違いなく貫かれ、位置によっては致命傷にもなり得る。ドボロもリリの声に反応して振り返り、それに気付いたようだった。
リリは先の件でも、無抵抗な男に攻撃を仕掛けたミドとバロンに対して、強い怒りを感じていた。そして今回、彼は再び、攻撃の手段を持たないルチカを戦いに巻き込んだ。リリの中の、ミドに対する怒りは、瞬間的に増大し、燃え上がった。
(許せない――)
視線を交わすと、リリとドボロは互いに頷きかける。
「ドボロ!」
「ンだ!」
数秒の後、恐怖に目を閉じてしまったルチカが再び目を開いた時、リリはルチカの目の前にいた。その手には、ルチカに向かって飛来していた小石が握られている。ジュウ、という擦れた音と共に、リリの手からは白煙と、焼け焦げたような香りが立ち込めた。リリとドボロの身体は、山吹色の光を纏っている。
「怪我はない? ルチカ」
「う、うん。ありがとう……、リリは……?」
リリは頷きながら、矢尻のようになった小石を地に落とし、ミドを振り返った。小石を掴む前、リリは即座に手に土を纏わせていたので、幸い傷や火傷には至らなかった。睨み付けるようにミドを見据えると、相変わらずにニヒルな笑みを浮かべる彼に向かって、リリは再び駆け出した。




