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役場は多くの納物者と、そのざわめきで溢れ返っていた。リリたちは行列の最後尾に並ぶことを余儀なくされ、二時間もの間、待たされた。
役場の中には帝都警察を始めとして、あらゆる団体のポスターやパンフレットが並んでいる。その中でもリリの目を引いたのは、『アーツ泥棒に注意喚起! ドルミールでの携帯は危険です』というコピーの、帝都警察のポスターだった。アーツを盗むなんて、世の中には悪い人もいるものだ、とリリは呑気に考えていた。
何の気もなしに、リリは左隣に立つドボロに尋ねた。
「ドボロはどう思う?」
眉間を顰めて、ドボロは答える。「よくないことと思うだ。悪いことはしちゃいけないだ」
ふと、リリの頭には、一つの疑問が浮かび上がった。
(そういえば、ドボロはどうしてドルミールにならないんだろう?)
リリは今まで、そのことを考えたこともなかった。と同時に、バーンズにもそのことについては説明を受けていないことに、リリは気が付いた。
バーンズはいつも、ヘルズをドルミールの状態にする時には、自身の心臓の辺りを、握った拳で強く叩いていた。リリは試しにそれを真似して、自分の心臓の辺りを、軽く殴ってみた。が、当然の如く何も起こらない。
「どうしたの? リリ。なんかつっかえた?」
ルチカの問いに対し、『何も食べていないのに何かがつっかえるわけがない』とリリは思いつつも、自分の行動のほうがよっぽど突拍子もなかったことを省みて、愛想笑いをしておいた。
「アハハ。いや、なんでもないよ」
ルチカは不思議そうに「ふーん」と言っていた。
納物者登録に、リリたちは幾らか手こずった。納物祭に際して、各町や村の長は、納物者申請の書類を、伝書鳩で帝都に送っている。バーンズは勿論、当初それを自分の名前で出していた。そしてリリの帝都行きが決まった時点で、修正を加えた書類を改めて送っていたのだが、これが役場のほうで上手く受理されておらず、リリは初め、受付の女性職員に、「コントゥリのバーンズ村長、三十八歳……、ではないですよねえ」と苦笑された。疑いの目を浴びること数十分、バーンズが二度目に送った申請書類が無事に発見されると、リリたちは漸く解放された。
納物祭は、先だってリリたちが通ってきた大通りと、その突き当りにある大広場にて行われる。納物者はパレードのように、隊列を作って大通りを渡り歩き、大広場の舞台で待つ国王に納物をすることになっていた。リリたちはこの役場で、納物祭に出る為に必要な関係者証と、納物者登録書類を受け取っていた。書類によると、三日間に渡って開催される納物の儀のうち、リリたちの出番は明日、納物祭初日の午前十一時半頃であった。実際の流れとしては、リリとドボロが土器と金属加工品を納めた後、続いて後ろに並ぶルチカが歌を披露する、といったものになっている。
「初日か~、ちょっとドキドキしてきた~~」
ルチカは役場を出るなりそう言った。が、緊張しているのはリリとて同じことだった。ドボロはどうだろう、と思って、リリは左隣を歩く巨人の顔を見上げた。ドボロは平然としていたが、勿論、この図太く間の抜けた巨人が緊張などするとは、リリも始めから思ってはいない。それにしても、まるで気にも留めていないような様子のドボロに、リリは少しだけ笑いを溢した。
「どうしただか?」とドボロが尋ねる。「ううん、何でもないよ」と答えてから、リリは改めて、次のように言った。
「次は宿だ! いくよ、ドボロ、ルチカ!」
「ンだ!」
「は~い」
帝都アルバティクスは、大きく四つのブロックに分かれている。王族や貴族の暮らす貴族街――ここには一般市民は立ち入ることは出来ない――、役場や警察署の揃った役人街、一般的な市民が暮らす庶民街、宿や酒場、食料品店や雑貨屋などが立ち並ぶ繁華街だ。
街灯に吊り下げられた案内表示を見ながら、リリたちは役人街から繁華街へと向かった。繁華街には九つの宿屋がある。リリたちは初め、バーンズに勧められた、美味い料理の出る宿屋に足を運んだ。この時既に、時刻は十六時を回っていた。
「すみません。今日から二日間、宿泊を希望なんですが」
受付の陽気な婦人は、眉を八の字にして申し訳なさそうに言った。「ごめんねえ。今日の昼にはもういっぱいだったのよ」
リリたちは止むを得ず、その宿屋の向かいにある小さなホテルに入った。中は小奇麗にされており、受付には品の良さそうな男が、畏まって立っている。
「いらっしゃいませ」
「部屋が空いてれば、二泊三日で泊まりたいんですけど」
「申し訳ありません。ご予約のお客様で満室となっております」と、男は済まなさそうに頭を下げた。
ホテルを後にしたリリたちは、繁華街の宿屋を早足で渡り歩いた。
「ねえ、大丈夫かなあ」
リリの背後から、ルチカが心配そうに声を掛ける。
「流石に何処かしら空いてるでしょ」
この時のリリには、まだそんな風に笑えるだけの余裕があった。然し――。
「毎度! 部屋はないけど飯ならあるよ!」
「お若いの、今日は諦めて野宿するしかないかもな」
「すまんね。つい十分前の客で満室になったよ」
そして、繁華街の宿屋は残すところ一つとなった。リリの顔は絶望に塗れていた。日は暮れ始め、大通りでは役人が、街灯に火を灯して回っている。
三人は大急ぎで、最後の宿屋まで辿り着いた。息を切らしながらも、リリは役場で貰った地図と、目の前の光景に視線を往復させて、それを照らし合わせた。その事実を、リリは出来れば信じたくはなかったが、どうやらこの場所で、それは間違いないようだった。
そこは賑やかな大通りとは打って変わって、暗い静寂に包まれた、繁華街の狭い路地裏だった。柄の悪そうな若い男たちが、壁にもたれかかったり、その場にしゃがみ込んだりしながら、煙草を吹かしている。
「ここ、大丈夫なの……?」
男たちと目を合わせないようにしながら、ルチカは声を絞ってリリに尋ねた。リリは返事をしなかった。然しその表情は、最早言葉に出さずとも、リリの感情を物語っていた。
(絶対ヤバいけど、野宿よりはマシだ……!)
リリは恐る恐る、その両開きの扉に手を掛けた。
扉を開きかけた時点で、三人の耳には、酒を食らっているのであろう男たちの、喧しい喧騒が届いた。重い木製の扉をゆっくりと開き、三人は中へと足を踏み入れる。エントランスは酒場のようになっており、乱雑に並んだテーブル席では、大人たちが酒を飲みながら、怒号と野次の飛び交う激しい言い合いをしたり、テーブルの上に立ち上がったり、好き放題に歌ったり、誰かに酒を浴びせたりしていた。店内は食べ物と酒の匂いのほか、吐瀉物のような異臭で溢れている。リリたちは顔を顰めながらも、四十台半ばほどの、大柄な――スキンヘッドで強面の――男のいるカウンターに向かった。
「あの~」
周りが五月蝿く聞こえていないのか、その男は返事を返さなかった。
「……あの!」
リリは今一度、声を大にして言った。男は漸くその声に気付いて、リリのほうに顔を向けた。
「アァン!? 何だ坊主、パパのお迎えか!?」
男の言葉と声の大きさに、リリは一瞬戸惑った。が、舐められないように負けじと、リリはそれに返す。「部屋が空いてれば泊まりたいんですけど!!」
リリの言葉を理解出来なかったかのように、その男はキョトンとした表情を浮かべた。数秒を以て漸くその意味を理解すると、今度は男は、唾を飛ばしながら高笑いした。
「ガッハッハ!! こいつァいい、傑作だ!」
リリは馬鹿にされているようで気持ちが悪かった。そしてその感情をそのまま表情に浮かべた。一しきり笑い終えると、男はリリに向けて右手の人差し指と中指を突き立てて、怒鳴るように言った。
「二つ教えてやる!! まず、うちァ今夜は満室だ、よそを当たりな! 坊主、納物祭は初めてだな!? せめて二日前には来てないと、まともな飯と宿にはありつけねェ!! 帝都アルバティクスの一大イベントを舐めちゃいけねェってこった!!」
よく見ればこの男、ここの主人のように見えるが、自分自身もその手に酒を持っている。顔も赤らんでおり、相当に酔っているようだった。続けざまに、男は言う。
「それともう一つ! 坊主やお嬢ちゃんみたいなのは、こんなとこには二度と入らないほうがいい!! 今日は世界各地からの健全なお客様ばっかりだが、一週間後にもう一度来てみろ! 無事で帰れる保証はしねェがな!! ガハハハハハ」
男は笑いながら、カウンターの向こう側にある棚からメモ帳とペンを取り、そこに殴り書きをした。書き終えたメモ用紙をメモ帳から破り取ると、それをぶっきらぼうにカウンターに叩き付け、依然として怒鳴るような声量で、男は言った。
「今日は気分が良い、穴場の隠れ宿を教えてやる! こいつはとっておきだ、易々と他人に教えるもんじゃねェぜ!」
メモ用紙を受け取ると、リリは「どうもありがとう! 酒臭いおじさん!!」と言い残して、二人と共に店を出た。その言葉を聞いた男は、ツボに入ったように大笑いをし始めた。リリに気付いた客の一人が、「何だ坊主、パパのお迎えか!?」と聞いてきたが、リリは無視した。
路地裏に出て扉を閉じると、店内の喧騒は嘘のように聞こえなかった。扉が馬鹿みたいに重いのはこの為か、とリリは思って溜め息を吐き出した。その耳は、静寂に違和感を覚えている。
「さて、どうしよう」
路地裏の壁にリュックを挟んでもたれかかって、リリはそう言った。
「教えてもらってた宿はどうなんだ?」
ドボロがリリが右手に握っていた紙切れを、太い指で指してそう言った。
リリは改めて、その紙に書かれている字を読もうと試みた。が、字の汚さもさることながら、カウンターに置いた際に濡れてしまってインクが滲んでおり、上手く読み取れない。然しそれは、どうも宿屋の住所らしかった。
「庶民、さん、ば、んがい……四の、十八……」
何とかその文字列を読み取ったリリたちは、無表情になって顔を見合わせた。あの男のことは信用ならないが、今は行ってみるほかない。二人も同じ考えであることを、言葉を交わさずに悟ると、リリは言った。
「行ってみよう」
数十分を経て、リリたちはその住所の地へと辿り着いた。
庶民街には一番街から四番街までが存在し、基本的に数字の若いほうが立地が良い。下から数えたほうが早い三番街には勿論、高級ホテルや品の良い宿屋などはない。そこに建っていたのは、何処にでもありそうな煉瓦造りの民家だった。特筆するほど汚くはないものの、その風貌はリリたちに、相応の築年数を感じさせた。リリは何度も住所を確認した後、思い切ってその扉を、二度、叩いてみた。
「ごめんくださーい」
家の奥から、ドタドタと歩いてくる音が聞こえる。「はいはーい」と返事をしながら玄関を開けたのは、中老の女性であった。
「あらどちら様?」
そう言った彼女の見た目は、一般的な庶民のそれであり、少なくとも宿屋の女将というわけではなさそうだった。申し訳なさそうに、リリは言う。
「路地裏の宿屋のマスターから、ここを紹介されてきたんですけど……」
リリの言葉に、驚きと納得の表情を浮かべてから、女性はニッコリと笑った。
話を聞けばこの女性、宿屋のマスターの母親ということだった。宿がなくて困っている旅人を見ると、彼は実家に泊まるように案内するのだという。掛かった食事などの代金は宿屋に請求されるらしい。つまり、あの男の奢りということだ。
「若いのに偉いわァ。納物祭に出るなんて」と、婦人は頻りに感激していた。バーンズの負傷や、ドボロとの出会いなどの事情を、リリたちは説明したが、その話を聞くごとに、婦人は益々感心していた。リリたちも勿論、褒められて悪い気はしなかった。
婦人はリリたちを、存分にもてなしてくれた。リリとルチカは風呂も借りることが出来たし、絶妙に美味い夕食にもありつけた。成程、確かに『穴場の隠れ宿』であると、リリは思った。
この家にはドボロと同じ、土の属性を持つアーツが住んでいた。その為か天井が高く作られており、ドボロでも部屋の中に入ることが出来た。夕食を食べ終えた時点で、時刻は二十時を回っていた為、リリたちは帝都巡りは明日以降にすることにし、この晩は客間を借り、久々のベッドに心を潤しながら、深い眠りに就いた。




